第7話 カールおじさん


 三日後、良く晴れた日の昼下がりにヴィルヘルミネが公宮へ戻ると、真っ先に彼女を出迎えたのは叔父であるカール=フォン=ボートガンプ侯爵であった。彼は息子のオットーを連れてきており、二人はヴィルヘルミネの姿を認めると満面に笑みを浮かべ、彼女に駆け寄って出迎えた。


 ヴィルヘルミネは馬車を降り、正面玄関に彼等を見付けると、露骨なまでに眉を顰めている。何故なら赤毛の公爵令嬢は、この叔父と従弟が大嫌いだったからだ。


 まず叔父のカールは二十七歳でありながらも、貴族の身体に農夫の頭と揶揄されるほど麦藁帽子が似合う男であった。彼は突き出た腹とずんぐりとした体形、そして口の周りを囲む青々とした髭が特徴的な、ヴィルヘルミネ曰く二十五点の男なのである。


 一方息子のオットーは常に鼻水を垂らし、ボンヤリと口を開けているような少年だ。そのくせに自分は美しいと勘違いし、取り巻きと共に平民を虐めて歩く――そんな性格の悪さも持っていた。

 もっとも性格に関してヴィルヘルミネは、特に気にしていない。だが彼の顔を十八点と思っていたから、口も利きたくない相手だったのである。


 こうした令嬢の変化を目敏く見つけたのが、黒髪の家庭教師だった。

 彼は今、執事のようにヴィルヘルミネの後ろへ控え、紫水晶アメジストのような瞳に知性を湛えて状況を分析している。


 なぜボートガンプ侯爵が、この場にいるのか。そして、これに対してなぜ令嬢が不快な表情を浮かべたのか――。

 未来の宰相ヘルムート=シュレーダーの明晰な頭脳は、公国のあらゆる事象に精通している。その中でボートガンプ侯爵の野心は、特別に目立っていた。

 

 侯爵のずんぐりとした体形は、武芸を磨くことで形成された訳ではない。ましてや腹も、その風貌らしく農業に精を出していたのなら、ここまで肥大化しなかったであろう。

 彼は公国の宰相として領民に重税を課し、賄賂を受け取って自らの派閥を強化した。その代償が夜な夜な開かれるパーティーによって繰り返した暴飲暴食であり、結果として現在の体型を手にしたのである。


 もちろん国公たるヴィルヘルミネの父フリードリヒも、これらのことは知っていた。だが病弱な彼は政務の大半を、弟であるボートガンプ侯爵に任せる他なかったのである。


 そして今ボートガンプ侯爵は、この公宮において主のように振る舞っている。それは、帰宅したヴィルヘルミネを客のようにもてなしている事からも明白であった。


「なるほど、ボートガンプめ。これを簒奪の機会とするつもりか――……ヴィルヘルミネ様は、それとお気付きになられて不満を露わになさっているのですね……流石です」


 このような理由であれば、赤毛の主が不満を露わにするのも理解出来るというもの。ヘルムートは相変わらず、赤毛の令嬢に対して感心しきりである。

 だが実際に凄いのは、この程度の情報でボートガンプの計画に気付いた彼の方であった。後に「永久凍土の宝剣」と呼ばれ、列強各国の心胆を寒からしめる男は本当に一味違うのだ。

 唯一おかしいのは彼のヴィルヘルミネに対する、勘違いも甚だしい評価だけであった……。


 とはいえヴィルヘルミネが暮らす公宮は、公国の政庁でもある。だから公国の宰相であるボートガンプ侯爵が居たとしても不思議はない。

 ましてや彼は国公の弟であり、倒れた兄を見舞いに訪れていても、本来ならば何ら違和感が無い存在。これを問い質す術は、流石のヘルムートにも無いのだった。


 また、ボートガンプの計画に気付いたヘルムートだが、まだ分からないことがある。

「なぜ侯爵は息子を伴っているのか」、という点だ。

 ヘルムートには、これが喉に刺さった魚の小骨のように感じるのだった。


 ――武力に訴える意思はない、とでも表明しているつもりだろうか……? いや、それを逆手に取るという手もあるが……。


 こうしたことを考えているうち、赤毛の主は叔父に手を引かれて公宮の中へと入っていく。その背中を追って、ヘルムートも足を進めた。

 その時、彼を下から見上げる紺碧のような双眸がチラリと見えて。金髪の美しい少女、ゾフィーの瞳であった。


「先生……何か気になることでも?」

「はい。ボートガンプ侯爵の出迎えには、何か良からぬ意図があると思えるのです。ただ、どうして息子を連れているのか、それが分からない。

 いや――そんなことを君に言うのは、少し早いかも知れませんが……」

「先生は、侯爵が簒奪を企んでいる――そう考えているの?」

 

 首を傾げたゾフィーの言葉に、ヘルムートは紫水晶アメジストのような目を見開いた。

 主であるヴィルヘルミネも神童と呼ばれて久しいが、彼女が見出した金髪の少女も中々どうして優秀である。というか本当の天才はゾフィーなのだが、そのことに気付かないヘルムートは彼女の頭を優しく撫でた。


「そうですね、ゾフィー。あなたは中々に優秀ですよ。では彼が簒奪を企てるとして、どのようなやり方だと思いますか?」


 到底七歳の少女にして良い質問ではない。だが、ヘルムート自身が天才と呼ばれていたことから、彼の基準もどこかズレていた。

 対してゾフィーも殆どの会話がヘルムートとだから、これが普通だと思っている。後にヴィルヘルミネの「宝剣」と「猟犬」と呼ばれる二人の息は、こうして摺り合わされたようなものだった。


「例えばヴィルヘルミネ様とオットー様が婚約なされば、オットー様が公爵位を継ぐことが出来るのではありませんか?」

「そうか……それだ……!」


 ヘルムートは幼い弟子の美しい金髪を、グシャグシャと乱暴に撫でた。そうなったのはゾフィを褒めなければと思いつつも、ボートガンプ侯爵のやり方に義憤を覚えたからである。


 そんな中、公爵令嬢は髪の毛と同色の眉毛を僅かに吊り上げていた。

 不本意にも、叔父に手を繋がれてしまったからだ。しかし相手が大人とあっては、強引に振り解くわけにもいかない。せめてもの抵抗として、苦痛を訴えてみるのだが……。

 

「カールおじさん、痛い」

「大丈夫、大丈夫! 寝室で御父君がお待ちだよ、さあ、急ごう」


 叔父はにこやかに笑って、こう言うばかり。

 このような状況から、ヴィルヘルミネは肩を怒りでプルプルと震わせていた。「おのれ二十五点。余の手が腐るじゃないか!」と思いながら。

 しかし無論のこと、これを後ろにいる二人の忠実な家来は勘違いし――当然のごとくこう思う。


「「ヴィルヘルミネさまも、侯爵の陰謀に気付いておられるのだ。しかし今は従うしかないと……ああ、おいたわしい」」


 ――エウロパ大陸屈指の英雄ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの受難は、まだまだ続くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る