悪役令嬢英雄伝説~欲望のままに進む令嬢、勘違いされて大陸最強の国を作る~

安兎野まつり

黎明

第1話 イケメン家庭教師を選べ


 ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントが世に生を受けたのは、帝歴一七七六年十月十日であった。

 この日は何の変哲もない秋晴れの一日であったと、記録には残されている。が、しかし――それは大きな間違いであった。


 何故ならこの日は前日から続く雷雨で、人々は終末の予感に怯えていたからだ。記録に残らずとも記憶とは、口の端に乗せ子から孫へと伝わるものである。


 それにも関わらず史書に晴天と記されている理由は、「余の生まれた日が、雷雨であったと?」とヴィルヘルミネが眉を顰めて言ったから、臣下が忖度をした為なのだという……。


 ■■■■


 帝歴一七八一年春――今年五歳になるフェルディナント公爵家の令嬢ヴィルヘルミネは、うららかなこの日、中庭において五人の男達を前に深い溜息を吐いていた。


「チェンジ」


 ヴィルヘルミネは椅子に座り、右手をひらりと振った。それで五人の男達は目の前から消え去り、改めて別の五人が彼女の前に立つ。


 ヴィルヘルミネは今、面接の真っ最中だった。そして面接をされる側は、これから彼女の家庭教師になろうという人々だ。どれも何処かの大学を優秀な成績で卒業した者達で、誰を選ぼうとも問題は無い。

 けれどヴィルヘルミネは年齢の割に吊り上がった目を爛爛と光らせ、口をへの字に曲げて男達を物色しているのだった。


 五歳にして妥協が無い――彼女の後ろに控える臣下の者は、そのように様子を見守っていた。また彼女の父親も公宮の窓から中庭を見下ろし、「我が娘ながら、なんと人を見る目が厳しいことよ」と頷いている。


「私が最も得意と致しますのは、語学にございます。ですから――」


 今は三巡目の四人目が、ヴィルヘルミネへ向けてアピールをしている。彼女は細めた両目でじっと男を見据えて、欠伸をかみ殺していた。


「――次」


 男はどうやら、ヴィルヘルミネの目に叶わなかったようだ。にべも無く手を振られ、一分も経たないうちにアピールの機会を失ってしまう。

 

 ――そして、運命の瞬間がやって来た。

 風が吹き、ヴィルヘルミネの燃えるような赤毛がふわりと揺れる。そして同色の瞳が大きく見開かれ、最後の男にくぎ付けとなった。


「彼の名は、ヘルムート=シュレーダー。ランス王立大学を飛び級で卒業した俊英でございまして、現在十八歳でございます。して略歴にございますが――……」


 ヴィルヘルミネの背後に控えた執事が、手元のメモを見る。そこには今、眼前に立っている男の略歴が書かれていた。

 男の名はヘルムート=シュレーダー。彼は平民でありながら、ランス王国の王立大学を首席で卒業した俊英だ。しかし平民であればこそ、さらに勉学に励むため職を求めたのだという。


 本来ならばランス王家が召し抱えればよいものを、今のランスは酷く財政難であり、それが為にヘルムートは国外に出たのだった。

 それだけではなく、今のランスには革命の機運すら高まっている。平民と貴族が睨み合い、一触即発の様相を呈しており、勉学を志す者であれば、決して良い環境とは言えないのだ。


「うむ、悪くない」


 ふてぶてしいまでの口調で、ヴィルヘルミネが言った。その貫禄たるや、既にして女帝である。


「おお……この俊英に目を付けましたか、お嬢様。さすが、お目が高うございます」


 執事が片眼鏡に指を添え、ひじ掛けに頬杖を付く五歳の姫君に声を掛ける。「うむ」と同意する声は、覇王の如き威厳に満ち溢れていた。

 

「卿の得意な項目は、何であるか?」


 弧を描く口元は、とても五歳児とは思えない酷薄さを湛えている。思わず気圧されたヘルムートは、頭の中に用意してあった台詞の一切合切が消し飛んだ。「これが大貴族の令嬢か! すごい!」と、何がすごいのか分からないが彼は感心しきりであった。


「えっと……私がヴィルヘルミネ様に教えることが出来ますのは、主に数学、科学、それから歴史に哲学――……と、あと……」


 だが感心しきった結果は、他の誰よりもたどたどしい口調となって表れた。共に面接会場へやって来た他の四名が失笑している。


 けれどヘルムートは、この程度で終わる男では無かった。彼はただ一人ヴィルヘルミネの前で膝を付き、紫色の瞳を少女のそれに合わせ、真摯に自分のことをアピールしたのである。


 彼にとってはここで職を得られなければ、軍隊に入るか炭坑労働者になる他に道が無い。であれば気弱でも台詞を忘れても、今が彼にとっては一世一代の大勝負なのだから。


 しかしヴィルヘルミネにとっては、このような面接で語られる全てが茶番。真摯であろうが無かろうが、そんな事はどうでもいい。彼女にとって大切はことは、「イケメンであること」ただ一点のみなのだ。


 今、ヴィルヘルミネの紅玉の瞳に、紫水晶アメジストのようなヘルムートの瞳が映っている。宝石みたいだ――と素直に思い、幼女は口元に弧を描く。

 また、高く整った鼻筋や黒絹のようも滑らかな髪も、非常に好ましい。何より飾り気の無い衣服に身を包んでいても、それと分かってしまう長身が五歳の幼女にはどこまでも好みであった。


「うむ、九十五点。合格」

「は?」

「だから、合格じゃ」

「はい?」

「合格と申しておる。明日から卿が余の家庭教師じゃ。ええと……だから余の部屋の隣で暮らせ」

「はい?」

「あと、抱っこせよ。今」

「はい?」


 いきなりの情報過多に、ヘルムートが首を傾げている。だがそんなことはお構いなしと、ヴィルヘルミネは立ち上がり、黒髪の青年にヒシッ――と抱き付いた。


「それってつまり……」

「合格じゃと、何度も言わせるな」

 

 そう――ヴィルヘルミネは表情にこそ出さないが、出たとして歪な形になってしまうのかも知れないが、ただのイケメン好きである。だから今この時も、誰の自己紹介とて聞いていない。ただ単に並んでいる男たちの顔を眺め、そして今、イケメン過ぎるヘルムートを家庭教師に決めただけなのであった。


 要するに「アンタに決めたよ、コンチクショウ」程度のノリである。にも拘わらず彼女の謎めいた発言や表情から、周りの大人が勝手に勘違いし、盛り上がっているだけなのだ。


 もちろんヘルムートも、どういう理由かは分からないが、自分を選んでくれた幼女に感謝してもしきれない。これで彼は、勉強を続けることが出来るのだから。

 

 だが、運命とは皮肉なものである。


 あくまで学究の徒でありたかったヘルムートは僅か三年後、八歳にしてフェルディナント公国の摂政となったヴィルヘルミネの下、自らも二十一歳にして宰相となり内閣を率いるのだ。

 とはいえ今の彼は、純粋な喜びと共に五歳の少女を「抱っこ」した。


「ありがとうございます、ヴィルヘルミネ様! あなたのお陰で私の未来が開けましたッ!」

「――で、あるか」


 プニプニとしたほっぺのヴィルヘルミネは、あくまでも無表情のまま。けれどヘルムートに高々と抱え上げられ、満更でもない気分なのであった。

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