守る女神の美しさ
ⅩⅡ 守る女神の美しさ
地球で最も進んだ文明を誇った者たちが移住したルナベーヌスと地球の関係は、ルナベーヌスが「天」で地球が「地」と言えた。
突如とした地(、)からの襲来にアマノガワ銀河軍は動きを止め、ノバラ冥王星軍は打ちのめされた。それは、どう見ても次元がひとつ上の、天(、)からの襲来だった。
アマノガワ銀河軍は、南砦進攻軍がエクスカリバーを討伐し北砦が戦闘を開始した直後で、東西砦へ向けた軍は移動中だった。だから、アリアンロッドが憂いたザイテングラートの安否はまだ確かだったが、強気な彼も圧倒的な簒奪の前に闘志をすっかりと失っていた。
順調に百人隊長を薙ぎ倒していたレグルスもプロキオンもミアプラキドスもベクルックスも足を止め、
「なんだ、ありゃ!」
「なんすかあー、あれ!」
「なんだなんだ、ありゃあ!」
「なんなのよ、あれ!」
間抜けのように揃って同じ感想を口にした。
そんな中、シリウスとベガは迅速だった。
ベガはとりあえず殴ってみて与ダメージを確認し、ベガの手応えを見たシリウスは伸びてきた触手を3本切断するつもりで斬撃を繰り出し、想定通りに3本の触手をぶった切った。
「いけるか?ベガ」
「見える範囲ならね。でも見てよ、ずっと奥まで続いてる」
根源の見えない相手の大きさに、星の血祭りの覇者もさすがに辟易(へきえき)して言った。
「根っこは地球だろう。おそらくシャウラの言ってたヤツさ。しかし、ここまで届くとはな。宇宙人なんてメじゃない脅威だな」
黒刀を肩にシリウスはそう分析し、
「クリスタルばかりを狙っている。たぶん、こいつの化外性の根拠かもな。冥王星で生まれたクリスタルがここで溶け合って地球に届きこいつを生んだ、そんなところかな。3つの星の混(ハイ)配合(ブリッド)だ。デカさも頷ける」
短い観察でそう推察した後、
「大丈夫だ。守るために俺達がいる」
想像すら及ばない簒奪者の出現に慄(おのの)くナナユウの肩に、優しく手を置いた。触手の1本はナナユウの持つビルシャナの杖にセットされたクリスタルを狙っていた。
「ずいぶん乱暴な仮説ね」
口ではそう言いながら、ベガはシリウスの推論に納得した。星3つ分要して然りの果てしない巨大さだったし、いつだってシリウスの分析はほとんど正確に的を射ていた。
「殺す気はないようだ。可哀想に、あんな異形になってまで手にした力が悉く奪われちまったな」
クリスタルを奪われ失望の表情をありありと浮かばせる冥王星軍を眺めて、シリウスは同情を送った。
肩に置かれた手に安心を覚えたのも束の間、身の毛のよだつ感覚にナナユウは背筋を凍らせた。
(見られている)
強烈な視線がナナユウにへばりつき、同じくそれを知覚したシリウスの手に力がこもった。
しかし、強烈な視線はタガが外れたように急激に立ち消えた。そして、視線の消失と同時に、樹木の怪物は一切の動きをピタリと停止した。
(逃げた?いや、地球に何かあったか?)
シリウスがそう訝(いぶか)んでいる内に、レグルスの指揮で、樹木に奪われたクリスタルの奪還が行われた。南砦で奪われた44個のクリスタルの内、41個までが回収できた。
上空高くに位置する静止した樹木の触手が握っていた3個のクリスタルに手が届く前に、樹木は再び活動を始めた。樹木は明らかに撤退の挙動を見せた。
結局、南砦のクリスタルは3個が、樹木の出現を見てアマノガワ銀河軍が進軍を停止した東西北砦からは計68個が、市庁舎からは64個が、南砦と市庁舎の間の街道からはレーヴァテイン所有の2個が、つまり合計137個のクリスタルが簒奪されルナベーヌスから持ち去られた。
ノバラ冥王星軍がかろうじて守り切ったのは、アパラージタ、マサムネ、ワルキューレ、エッケザックスの所有武器に搭載された8個だけで、残りの41個はアマノガワ銀河軍の手に渡った。
最終兵器を悉く奪われたノバラ冥王星軍はもう完全に戦意を喪失し、イエス・キリストが伝導した神に向かって祈るしかなく、頭(こうべ)を垂れた敬虔な姿勢がノバラのそこら中に溢れていた。それはあからさまな敗北の姿勢だった。
萎(しぼ)む様に樹木がルナベーヌスの空の彼方に去り、クリスタルの回収と戦勝処理がひと段落した頃、シリウスの通信機にギルガメシュ国防長官から連絡が入った。通信機は何度も着信を告げていたが、ナナユウを連れて戦線に踊り出て以来、シリウスはそれを故意に無視していた。
「やあっと繋がったねえ、シリウス。なんだい?あの木の蛇みたいな化物は」
「すいません、取り込んでまして。それより、シャウラは?ギルガメシュさん」
「おそらく殺されたよ。連絡不能だって。あの蛇かな?シリウス」
(やはり、地球になにかあっての撤退だな。シャウラのやつ、眷属(けんぞく)でも殺したか?)
あくまで地球では調査(、、)の任務に就いていたはずのシャウラの殉死に、不測の事態が発生したことをシリウスは確信し、洞察した。シリウスの洞察通り、事態の原因はシャウラによるゲイ殺害を受けてのヒライスとマザーランドの緊急帰還だった。
「確証はありませんが、おそらく。おかげでクーデターの鎮圧はほぼ終わりました。反乱軍の方の被害が甚大です。うちは、まあ冷や汗をかいたくらいです」
ナナユウにへばりついた視線を指してシリウスはそう報告した。同時に、ベガの下にノバラ市長からの降伏宣言が届けられた。
「じゃあ、ちょっと帰って来られるかな?優秀な子たちばっかりだ、そこは誰かに任せて大丈夫だろ。王が怖がってるんだ」
「わかりました。人選は?」
「任せるよ。でも、場所と相手があれだから、あまり大勢じゃない方がいいな」
「了解」
通信機を切ったシリウスは、プロキオンとベクルックスに南砦の処理を任せ、ベガ、レグルス、ミアプラキドス、そしてナナユウを連れて、ヘスペリデス号1機にて王都への帰還を始めた。
「なんなんすか、あれ。シリウス様」
「シャウラが相手してた化物よ。地球の」
ミアプラキドスの質問に、シリウスの分析を聞いていたベガが得意気に答えた。シリウスは事情を説明する前にヘスペリデス号を出発させた。
「ええー!?ここ、惑星が違うっすよ!?届くもんすか!?」
「主星は金星だぞ。どんなに近付いても、えーっと、何㎞だっけ?」
「4200万㎞っす!」
「そう、4200万だ!想像できるか?ミア?」
「できないっす!」
「俺もだ!」
「だけど、事実だからしょうがないだろ」
レグルスとミアプラキドスの掛け合いを、シリウスは冷静にいなし端的に説明を始めた。
「根拠は省くぞ。まず、ベガの言うようにあれはシャウラが担当していた地球に発生した化物で、おそらくルナベーヌスと地球、そして冥王星の混合種だ。ここに現れた理由はクリスタル、それとなぜかナナユウ。ただし、これは俺の勘だが、ナナユウは偶然だな。目的は栄養の摂取ってとこか。ナナユウって言うよりは、それ(、、)だな」
一気に説明をして、シリウスはナナユウの胸辺りを指差した。それを見てナナユウは、自身の胸を下目に見つめ両手を当てがった。銀のチェーンで胸周りに縛り付けたイーシャの火を覆うクリスタルの、研磨された石が放つ滑らかな感触が服の上からも窺えた。
「魔法少女の火か」
「はえー、でもなんでっすか?」
ミアプラキドスの疑問にシリウスは首を振った。そこまではわからない、そういうジェスチャーだと皆思った。
「ナナユウ、その火が生まれた経緯を詳しく教えてくれないか?」
シリウスの言葉に、ナナユウはイーシャの火を握り締めて意志強く頷いた。放射能であるクリスタルも基底状態、つまりエネルギーがおとなしい状態であれば放射線を発揮しないことはフォーマルハウトの解析から判明していた。
「イーシャの火は2000年前にコスモフレアで生まれました。私たちは聖なるものと崇めていましたが、元はただの火です。それを消えない様、ただ大事に守ってきただけのもの。
コスモフレアは小さな集落の中だけで子孫を残し、息づいてきました。けれど、一度だけ外の者を迎えたそうです。それが200年前。彼はコスモフレアにクリスタルをもたらしました。おかげで村の生活はとても楽になり、祈り子は更に特別な存在になりました。
20年前、村に驚くほど肌が白くて、瞳の赤い子供が生まれました。アルビノって言う、稀にある突然変異なんですね、ミアに聞いたの。でも私たちはそんな知識は持っていなかったから、とても特別な啓示と捉えました。
祈り子は短命です。限界被爆線量というものを超えるからなんですね、これもミアから聞きました。名誉ある役目だけど、本音では誰もなりたがりません。
赤瞳の子はウサギと名付けられました。わたしたちの古い言葉で、“白く長い耳を持つもの”。こことは違う星、地球の一地方の言葉なんですね。私たちの先祖はその言語を操る人種だって、これもミアから聞きました。ミアにはいっぱい教えてもらってばっかり。ありがとう、ミア」
ナナユウはミアプラキドスの方を見て、そう言ってお辞儀をした。「いやいや」と謙遜の言葉を吐くくせに得意顔のミアプラキドスを、レグルスがこのシリアスな状況で得意顔ができる事に唖然として見ていた。
「ウサギは生まれながらに祈り子に宿命づけられました。だから、他の人よりも、とても深く修練をしました。だから、クリスタルの操縦がとても上手でした。3種のクリスタルを同時に掛け合わせる、そんな離れ業をこなせたのも、歴代の祈り子の中でウサギ、唯一人でした。
正確には、これは、“サンフレア”と言います。20年前、ウサギが誤って閉じ込めたイーシャの火。自責を続ける彼女を慰めるため、当時の長が名付けさせたそうです。名付け親にはその子が成熟するまで見守る責務がある、村の教えの一つです。そうでなくても短命な祈り子の命を強制的に縮めかねない悲運を払った素晴らしい命令だった、母はそう言っていました。
ウサギは、200年前に迎え入れた外の者とコスモフレアの祈り子との子孫です。そして私の母は、彼女の妹。ウサギは私の叔母にあたります。フォーマルハウトさんが、私が一番上手に扱えるって言ったのは、そういう意味だと思います。けれど、最初に言いましたように、イーシャの火はただの火です。ウサギが消した火は長がマッチで新しく付けました。ただ長い間燃え続けたってだけ。ごめんなさい、シリウスさん、だから、私には狙われた理由はわかりません」
ナナユウは言葉を丁寧に選びながら、しかし誠直にイーシャの火について、自分の知りうる限りを語った。
「サン。英語で太陽っすね。それも古い言葉?」
考え込むシリウスを横目に、ミアプラキドスが尋ねた。
「そう。そう教わったわ」
「やっぱり混じってる。そもそも、“コスモ”も“フレア”も日本語じゃないっす。混ざり合いか、じゃあ、ナナユウは・・」
そう言いかけてミアプラキドスは口を噤(つぐ)んだ。
(外(、)の(、)者(、)が冥王星人だとしたら、ナナユウは冥王星人との混血だ)
先程まで戦争をしていた敵の血脈がナナユウの中に流れている事を、わざわざ知らしめる必要はなかった。
「そのクリスタルが一度だけ発動したと言ってたな。どういう風に伝わっているんだ?」
「1本の光の槍が空に刺さって夜を昼に変えた、って。それだけです」
シリウスの質問にナナユウは眼を合わせて答えた。必要もないのに、ヘーゼルの瞳が淡く濡れていた。
「光の槍か・・レグルス、化物が地球に現れる前、どっかの国が南極を掘っていたと言ってなかったか?」
「ああ、フォーマルハウトが言ってたな。ちょっと待てよ、ええっと、日本だな、日本の探検隊がニュージーランドの土木会社を雇って発掘調査を行っている。海洋掘削を専門とする会社だ」
軍外套の懐からメモ帳を取出してレグルスが答えた。
「うわあ、レグルスさん、まーだメモ帳なんか使ってんすかあ、懐古(レトロ)趣味ー」
通信端末機がほとんどすべての情報管理を網羅する時世を引き合いにして、ミアプラキドスがそれを茶化した。
「20年前、火のエネルギーを浴びた南極地下生物、それが発掘で偶然地表に出た、微生物だな、豊富な餌を摂り込んでどんどんでかくなった、有り得なくはないか、ミア、ここからのエネルギーが地球に届く可能性はあるか?」
「ぜんぜん可能っす。宇宙は真空だから、いったん大気圏を出ちゃえば、あとは惰性力でどこまでも行くっす。太陽エネルギーが良い例っすね。宇宙船に必要なのは初力と舵取りっす。漂流するだけなら猿でもできるっす。まー、ミアなら地球に行くにしても南極は選ばないっすけど」
独り言にも似たシリウスの分析からの質問の意図を理解して、ミアプラキドスは答えた。隣ではベガがはてなを表現する渋い表情をしていた。
「じゃあ、こうだ。一度だけ発動したイーシャの火、サンフレアか、そのエネルギーが大気圏を飛び出して宇宙に放たれた。漂流したエネルギーは偶然地球に届き消滅することなく、減衰はしただろうが、南極の大地を貫いて地下の未確認生物に力を与えた。そして、その生物が星を乗り越えてルナベーヌスまでやって来た。はは、面白いもんだな、縁起ある世界ってのは」
シリウスは自分の分析の荒唐無稽さに思わず笑った。だが、矛盾はなかった。事実、シリウスの分析は、マザーランドの出生を見事に言い当てていた。
「超魔法だな」
レグルスが同調して笑い、
「矛盾は無いっす。さすがシリウス様っす」
ミアプラキドスがそれを褒めそやし、
「じゃあ、これがあの化物の親ってこと?」
ベガがナナユウの持つクリスタルを指差して言った。推量的理論に関してはいつも理解の遅いアマノガワ銀河軍最強梯団長の早い理解に、レグルスとミアプラキドスが感嘆して手を叩いた。
「そういう事だな。だからナナユウが狙われた。しかし、ナナユウを見つけた時の挙動が確信的ではなかった。星を隔てる同調力を持っているくせにな。だから狙いはクリスタルのエネルギーだろう。繁殖に必要なんだろうな」
シリウスの推量は、ヒライス自身も気づいていなかった彼らの目的まで言い当てた。マザーランドに食わせたいと思ったクリスタルのエネルギーが彼女の出産には実は不可欠で、出産の度にマザーランドが身体をミニマムにしていったのは、イーシャの火のエネルギーを分割して使用していたからで、ゲイを最後にマザーランドの身体には出産できるほどのイーシャの火のエネルギーは残されなかった。だからヒライスは、生存を危惧する生物の本能で、星を隔てたクリスタルのエネルギー波を感受でき、シリウスはそれを同調力と評した。
「突然、引き揚げたのはなんでっすかね?」
「おそらく緊急(エマー)事態(ジェンシー)だろう。地球で何かあったんだ。と言うか、シャウラが何かした」
シリウスはそこまで言って一旦言葉を飲み、息を小さく吐いて続けた。
「シャウラが殉死だ。さっき連絡が入った。その件も含めて、王都からの緊急帰還命令だ。おそらくこのメンバーで地球に行くことになる。知っての通り相手は未知の生物で化物だ。星を越えるくらいだ、知能も高い。覚悟を決めてくれ。今ここでだ」
シリウスはベガ、ミアプラキドス、レグルス、ナナユウの順に視線を合わせて呼び掛けた。覚悟などは皆、すでに心に健在させていた。
「え?ナナユウもっすか?」
ミアプラキドスの驚きに、ベガとレグルスがうんうんと頷いて同意を示した。
「むしろ、ナナユウが鍵だ。あの巨体を見ただろ、あれが地球まで続くんだ。人の力じゃ手に負えない。イーシャの火、これが一番可能性がありそうだ」
シリウスの分析に、さすがのベガも腕組みをして押し黙った。触手を殴った時、破壊はできても根本的なダメージが与えられているのか不明に感じた。
「クリスタルの発動条件は混血の体液だ。ナナユウ、ウサギがイーシャの火を閉じ込めた時、彼女は泣いていたんじゃないか?」
「はい、きっと。わたしなら、きっとそうだから」
思いがけず任命されたミッションに、コスモフレアの皆の、長の無念を瞳に宿してナナユウは答えた。
村を蹂躙した仇を殺させてくれたけれど、心は晴れなかった。復讐は何も解決しないと思った。復讐なんかしても、失ったものは戻らないからだと知った。
イーシャの火が生んだ化物なら、それを崇めてきた民の唯一の生き残りである自分が何とかしなければ。
使命にも似た任務は、復讐を終えても埋まらない空虚な心を燃やしてくれた。
「クリスタルが結晶化する際、その涙を内包したんじゃないか。涙はクリスタルに作用しながら共に結晶化され、イーシャの火がそのエネルギーを内部で燃やし続けた。それが解放された時、エネルギーは宇宙を越えて地球に届きあの化物に作用した。あながち魔法って表現も間違いじゃないかもな、自分で言ってて理屈があやふやだ」
シリウスはそう分析して、ナナユウの眼を見つめた。出会った頃の空虚な瞳に、ありありと意志が宿って見えて、下手な芝居を打って良かったと彼は思った。
「だが、強大なエネルギーなのは確かな事実だ。それを再現するんだ、ナナユウ。3種のクリスタルって言ったな。結晶化して透明ってことはたぶん、光の三原色だろう。赤、緑、青だ。レグルス、回収したやつの中にあるか?」
「あるぜ。赤が10個、緑が11、青が8つだ」
南砦戦線での戦闘に当たって、この3色のクリスタルの奪取を優先するようシリウスの命を受けていたレグルスは、ヘスペリデス号に積んだ41個のクリスタルを確かめるまでもなく答えた。
「ナナユウ、王都に付いたらさっそく実験検分に入ってくれ。ミア、支援を頼む。王とは、俺とベガとレグルスで謁見する」
シリウスはそう言って、フォーマルハウトへ連絡を取りナナユウの修行とも言える実験の下準備を指示した。
間のレグルスを避けて前かがみになりながらナナユウを見やったミアプラキドスが、がんばろうね、と右手でガッツポーズを作り、ナナユウはそれに両手で応え、力強く頷いた。
ヘスペリデス号は一度アマノガワ銀河軍中央基地に寄りミアプラキドスとナナユウと回収したクリスタル41個を降ろしてから、王都アトランティスに向かった。王宮の玉座では、王とニーベルンゲン国務長官、ギルガメシュ国防長官を初めとした閣僚たちが待ち構えていた。
上級官僚に玉座へと案内されたシリウスとベガとレグルスは、玉座に入るなり跪(ひざまず)き、王に慇懃(いんぎん)な挨拶を送った。
「待っていましたよ、シリウス元帥、ベガ団長。それと、レグルス団長ですね」
王はにこやかに微笑んで3人の梯団長を迎えた。シリウスとベガは以前にも何度か面会した事があったが、レグルスは初めての謁見だった。
植民した星の統制平和の象徴である王は、神秘のヴェールに包まれている方が統制側には都合が良く、存在のみの喧伝ばかりでその姿を大衆に曝すことは極端に制限されていた。
「面を上げてください。無力なわたくしから、強きあなたたちにお願いがあるのです」
王の言葉に3人は跪いたまま顔を上げた。王はにこやかな微笑みの表情のまま3人と視線を合わせた。
当代の王は、半陰陽(アンドロギュノス)だった。男女両方の性を併せ持っており、妖しくもめくるめく美しさを有していた。だがその事実は公然には伏せられており、軍梯団長の立場ゆえに知ってはいたが初めて目の当たりにしたレグルスは、女性の優美と男性の繊細を存分に露出する王の姿に倒錯しそうになり、慌てて自戒のため首を左右に振った。
「御心のままに」
シリウスの言葉に王は更に嫣然(えんぜん)と微笑んだ。表情だけを見ると、麗らかな淑女の微笑みだった。
「天に棚引いた魔物を見ましたか。さても恐ろしい、屠(ほふ)られた獣の血を夜明け前に飲みに行く老婆の様な魔物。星を攻撃する黒き魔の8軍隊。シリウス元帥、わたくしは恐怖いたしました。星の子供たちが屠られてしまうのではと。故郷が蹂躙されてしまうのではと。この星に住まう者は皆、わたくしの子供でわたくしの故郷。お願いです、叶うならば、降魔(ごうま)を」
王は舞台役者のように大仰な物言いと言葉使いで言った。黒き魔の8軍隊とは、仏教の祖、釈尊を攻撃したとされる欲望や妄執と言った煩悩の例えで、降魔とはその悪魔の囁きに屈せずに降すという意味だった。王はここ最近、地球の仏教の理念に深い共感を覚えていた。
「承知しました」
シリウスはそうとだけ言い、立ち上がり深く一礼をして玉座を後にした。ベガが屹然と、レグルスが二人を真似る様にそれに倣った。
「おい、あれだけかよ」
玉座へ通じる通路でレグルスが声を潜めて言った。通路には赤基調の桔梗がデザインされた絨毯が一面に敷かれていて踏み心地がとても良かった。
「私たち軍人は、王とはあまり会話しちゃいけないのよ」
「穢(けが)れの塊だからな、俺たちは。御下知(ごげち)にハイハイ言うしかないのさ」
前を向いたまま答えるベガとシリウスに、
「まあ、あれだけ神秘的だとそうなるわな。どうしたって血の匂い、とれねえもんな俺たち」
レグルスはそう言って自分の軍外套の襟を引っ張り匂いを嗅いだ。洗濯したばかりの軍外套には匂いの粒子は一切も付いていなかったが、脳の奥の方でこびりついた血の匂いがした。
中央基地では、シリウスに代わって中央基地長代理を務めているアマノガワ銀河軍第2梯団長カノープスが訓練のお膳立てをしてくれていた。訓練場には、星の血祭り会場にもなる中央基地内の屋外演習場が用意された。
「ミア、久しぶりじゃないー、あらあら、かわいい子ねー、おいくつ?」
「お久しぶりっす、カノさん。ナナユウ、カノさんっす。第2梯団の梯団長さん。優秀過ぎて政府に引っこ抜かれてたっす。カノさん、ナナユウっす。歳は17。ミアよりだいぶお子ちゃまっす」
驚くナナユウの間に入って、ミアプラキドスがカノープスにナナユウを紹介した。
ナナユウが驚いたのは、どうみても壮年男性の容貌なのにカノープスが柔らかな物腰で女言葉を使ったからだった。つまり、カノープスは性同一性障害を持つ統計上2800人に1人のセクシャルマイノリティで、王都ではそれほど珍しくもなかったが、300人規模のコスモフレアには統計的にも存在しなかった。
「ナナユウです。よろしくお願いします」
「あらまー、礼儀もなってるわね、ミアの方がお子ちゃまに見えるわー」
お姉さん面をするミアプラキドスをからかい半分にカノープスは、深くお辞儀をするナナユウの頭に手を置いて、
「辛かったわね」
とフォーマルハウトから聞いた境遇に言葉をかけた。村の大人たちのように暖かで、大きな手だとナナユウは感じた。
「ミアの方が5つも年上っす!そう見えるでしょ!?カノさん!」
隣りでむうっとしているミアプラキドスの小ぶりな頭もついでに撫でたカノープスは、不貞腐(ふてくさ)れるミアプラキドスを見るナナユウの顔が笑顔を作っているのを見つけ、ミアプラキドスの存在がこの憐れな少女の救いになっているのだと見て取って、
「そうね」
優秀な若き梯団長の幼さを褒めた。
3つのクリスタルの同時発動訓練はカノープスの指揮の下に行われた。
セクシャルマイノリティである彼が国家組織の長に昇りつめた理由は、どうしても負債となる性質を補って余りある能力の高さにあった。
情報統合力はシリウスに次いで、科学知識はシャウラに次いで、収集能力はレグルスに次いで、単純戦闘力はベガに次いで、解析能力はフォーマルハウトに次いで高く、自らを「器用貧乏」と評する彼は、その性的特徴ゆえに人心掌握力に特に長けていた。事実、初見からほとんど1分の間にナナユウはカノープスを「いいひと」だと認知しており、どっちつかずの性は相手に劣等感を欠片も与えず、ゆえに党派調整等の目的で彼は政府官僚から重宝された。
赤、緑、青の3つのクリスタルが納まるように改造中のビルシャナの杖を待つ間、イーシャの火の発動実験を行う算段をとった。
実験の目的は、「ナナユウの体液でどれほどのエネルギーが放出されるか」を第一主眼とした。
まず、一言で体液と言ってもどの部位から採取するのかがフォーマルハウトを交え議論された。
「濃度で言うなら腎臓から採取するのが一番ですね」
「こんな綺麗な身体に穴明けろって言うの?バカおっしゃい」
「ならば膣液ですね。おそらく濃縮度が高い体液の方が、より大きな効果を期待できる」
「あら、いいわねー、それ」
フォーマルハウトとカノープスのやり取りに、ミアプラキドスが赤面狼狽し、ナナユウは膣液の意味が分からずきょとんとした。
「だ、だ、ダメっすよ!だいだい、どうやって採取するんすか!?」
「簡単じゃない。ちょちょいといじれば出てくるわよ。大人なんでしょ?ミア。やってあげなさいよ」
「イヤっすよ!ミア、大人じゃないっす!まだ子供っす!だから、できないっす!」
コスモフレアは貞操観念が非常に強く、婚姻成立前に性行為を行うことを固く禁じており、それは少数コミュニティには致命的な事態を招きかねない恋慕憎悪の発生を抑止するためだった。
ゆえにやり取りの意味が分からずきょとんとするナナユウよりは、ミアプラキドスの方が少し大人なのだとカノープスは見比べた。
「冗談よ。ほんとお子ちゃまねー。血液でしょ、フォーマルハウト。ナナユウちゃん、あなた、お注射大丈夫?」
カノープスの問い掛けに、ナナユウはこくりと頷いた。コスモフレアにも医学は存在し、注射器は清潔を保って長の家に常備されており、子供の時に一度だけナナユウは高熱を抑えるため注射を受けたことがあった。けれど、高熱で意識が朦朧としていたため注射針の痛みの記憶は無く、大丈夫かと聞くカノープスの意図がいまいちよく分からなかった。
「よし、じゃあちゃちゃっと抜いちゃいましょ。ワタシ、こう見えてお医者さんでもあるの」
カノープスはそう言ってナナユウの腕を取り、救護室へと連れて行った。アマノガワ銀河軍第2梯団長は、言う通り医師免許も保有していて、救急処置の手際はルナベーヌスで一番との評判だった。
「あら、綺麗な肌ねー、細胞の死んだ回数が少ないわ。丁寧に生きてきたのね」
救護室でナナユウの左腕の衣装袖を捲り上げてカノープスはそう感想した。
老化の早い冥王星人の新陳代謝よりもルナベーヌスの遺伝子が優先された結果なのか、カノープスの言う通りナナユウは一般のルナベーヌス人よりも細胞死の周期を遅くしていた。だから、17歳を迎えても赤ん坊のような肌艶を保っていた。
「これだけ綺麗だと注射も憚(はばか)られるわあ。ごめんなさいね、えい」
カノープスはそう言って、ゴム管圧迫で浮き上がったナナユウの静脈に注射針を刺し込んだ。小さく鋭い痛みに、ナナユウは少し顔を顰(しか)めた。
「ちょおっと我慢してねー、あららー、血もとても綺麗」
採血管に流れ込んでくる血液を見てカノープスは、
(ちょっと綺麗過ぎるわね。ヘモグロビンの赤と血漿(けっしょう)の黄色の奥にあるのは緑青?ヘモシアニンかしら?この子、昆虫?)
光にかざすと透き通るナナユウの血液を眺めてカノープスはそう自問したが、表情には出さなかった。ヘモシアニンとは血液中で酸素と結びついて銅イオン由来の青色を呈する、カニや昆虫等の節足動物あるいは貝類やタコ等の軟体動物に見られる、酸素運搬の役割を担う呼吸色素のひとつである。カノープスの知る限り、人間(、、)で(、)血液中にヘモシアニンを有するものは、ルナベーヌスにも地球にもいなかった。
「たっぷり20㎖。ナナユウちゃん、大丈夫?気分悪くない?」
「大丈夫です。へっちゃら」
カノープスの心配にナナユウは気丈に答えた。節足動物なんかには決して見られない、畏れと覚悟が同在した良い表情だとカノープスは思った。
3色のクリスタルの同時発動実験は思いのほかに上手くいった。
赤、緑、青の順に並べて、追加工が終わったビルシャナの杖に配置したクリスタルに採取したナナユウの血液を振りかけると、目に見えてエネルギーの摺動が見て取れた。色の並びはウサギが並べたものと同配列だという確証は無かったが、反駁(はんばく)する赤と青を緑が中和するのだというカノープスの推論に従った。
3色のクリスタルから、色に沿った強烈なエネルギーが迸(ほとばし)った。
ナナユウが、初めてとは到底思えない手さばきでそれを上手に扱った。綿あめを繰るように、柔らかく不安定なものを留める見事な所作だった。
3色のエネルギーはカノープスの推論通り、緑を基調として赤と青が絡まり合い、ナナユウの手さばきも加わって輝く一個の白色の塊となった。
「ナナユウちゃん、それ、飛ばしてみなさい。空の彼方を狙って」
カノープスの指示に、ナナユウはビルシャナの杖を左腰に当てて、触手を斬ったシリウスの居合剣撃を真似て構えた。この構えが一番強く、遠くにエネルギーを飛ばせる気がした。
「ヤッ!」
歯切れの良い掛け声と共にナナユウはビルシャナの杖を振るった。出そうとしたわけではなく、掛け声は自然と腹から零れた。
指向性と初動力を得た白く輝くエネルギーは、広大な演習場の中空を上昇しながら切り裂き、遥か先に見える山の中腹を大きく抉り取ってそのまま、カノープスの指示通り空の彼方へと消えて行った。どう見ても、宇宙に飛び出して行ったと認識して間違いはなかった。
「なにそれ、反則でしょ・・」
「すっげー!ナナユウ!異次元砲っす!時空、超えたんじゃない!?」
ナナユウの放ったエネルギーの強大さに、空の彼方という比喩を実現されたカノープスは吃驚(びっくり)仰天(ぎょうてん)から口をあんぐりとさせ、ミアプラキドスは意味不明な表現できゃっきゃと喜んだ。
エネルギーが放たれる際に起こった反発力もクリスタルが吸収し、未だかつてない威力を放出したのに平然とした振り抜きの姿勢のままナナユウは、
「え?え?」
エクスカリバーを殺した時と同じ疑心のリアクションで、左右のカノープスとミアプラキドスを交互に見た。
エネルギーの指向は王都方面を向いており、王との面会後すぐに中央基地へと帰還をしていたヘスペリデス号は、結構至近な距離でエネルギーの通過を確認した。
「運が悪けりゃ、死んでたぞ」
レグルスがそうぼやく前に、シリウスはカノープスに連絡を入れた。
「俺だ。今のは、ナナユウか?」
「そうよ。ごめんなさいね、想定を大きく超えちゃったわ。当たっちゃった?」
「運良く空の彼方だ。いや、宇宙の果てか」
「すごいわよ、シリウス。この子、たぶん、人類最強かも」
「触媒は何だ?」
「血液よ」
「他は試したか?」
「まだね。フォーマルハウトは腎臓液か膣液かって言ってるけど」
「そうか。とりあえず、待機していてくれ。すぐに戻る。当てられちゃ堪らない」
「了解よ、元帥」
通信端末を切ったカノープスは、手を取って非常識な威力を放ったビルシャナの杖を確認し合うミアプラキドスとナナユウに、シリウスの命令通り待機を告げた。
「まず見せてくれ。狙いは、そうだな、あれにしよう。どうせ解体するところだ」
待機命令から1時間も経たない内に戻ったシリウスは、演習場の見える休憩所で紅茶を飲んでいた3人の姿を認めるや足早にそう言い、演習場から視認できるいかにも古びた鉄骨の建物を指し示した。鉄骨の建物は、今は物置にも使われていないアマノガワ銀河軍の古い宿舎で、その先には疎(まば)らな森と地平線しかなかった。
シリウスの命令に、カノープスは残った紅茶をそのままに立ち上がり、ミアプラキドスとナナユウはカノープスが淹れてくれた紅茶を残してはまずいとぐいっと飲み干し、2人同時にむせた。
「何やってんのよ、バカ姉妹」
ベガがそれを見て呆れた物言いで言い放ち、その表現にレグルスが笑った。
先程と同じ分量のナナユウの血液を振りかけたクリスタルは、先程と同じように発動を始めた。だが、明らかに先程よりもエネルギー量が減っていた。
「減衰してる。さっきはこんなもんじゃなかったわ」
「そりゃ無尽蔵ではないだろ」
採血管の目盛りを確認するカノープスの言葉に応えながらシリウスは、減衰したとはいえ強大なエネルギーを、溶けた飴で細工をなす様に上手に操り繰るナナユウの姿に目を細めた。
「ヤッ!」
ナナユウが同じようにシリウスの構えを真似てビルシャナの杖を振ると、標的にされた古い宿舎は基礎土台を残して跡形も無く消え去り、鉄やコンクリートを呑み込んだ白く輝くエネルギーは疎らな森を掠め取りながら地平線の向こうへと消えて行った。
目を丸めて驚くベガとレグルスを横目に、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜ぶミアプラキドスに、
「ミア、お前、あれできるか?」
「ミアに?無理っす。あれ、祈り子のナナユウだからなせる技っす」
シリウスはそう尋ね、想定通りのミアプラキドスの答えに小さく笑った。
「おいおい、まじかよ、冥界の門でもこじ開けたのか?」
冥王星由来のクリスタルを暗喩してレグルスが冗談交じりに驚嘆し、
「なんて力、持ってんのよナナユウ、あんた」
ベガが驚きを隠さず純粋に攻撃力を褒めた。
「操縦訓練は必要なさそうだな。狙った通りだ。すごいぞ、ナナユウ」
シリウスにも褒められたナナユウは、役に立てそうな自分が嬉しくてビルシャナの杖を両手で握り締めて、瞳に力を込めて笑った。滅びたコスモフレアの皆も一緒に褒めて貰えた気がした。
「カノープス、三味一対のクリスタルの発動限界数を定めてくれ。ミア、ナナユウのケアを頼む。レグルスとベガは、地球へ出動する準備を整えろ、できるだけ早くだ。フォーマルハウト、このエネルギーの性質を可能な限り調べてみてくれ。これしかあの化物に対抗する手段はないと思う」
矢継(やつ)ぎ早(ばや)なシリウスの指示に、23万人の規模所帯を誇るアマノガワ銀河軍の中でも頂点とも呼べる5人の梯団長は二つ返事で答え、それぞれに行動を開始した。
「すまない、ナナユウ。君に頼ることになってしまったな」
そう言ってくれるシリウスの言葉に、ナナユウは否定の意味を全力で込めて首を左右に振った。
「ありがとう。相手は星を越える、神のような化物だ。未だかつて相対したことの無い未知の生物だ。だから俺たちにも、戦況がどう展開するか予想だにできないんだ。また誰か死ぬかもしれない、あるいは星が滅びるかもしれない。だが相手が神ならば、君は俺たちの女神だ。全力で守らせてくれ」
シリウスの言葉に、ナナユウは今度は肯定の意味と謙遜を込めて首を左右に振った。言葉の後で優しく頭に置かれたシリウスの大きな手の圧力で、振る首が静かに止まりナナユウはシリウスの眼を見上げ見た。優しさの奥にどこか謝罪のような心が見えた気がした。
優しい言葉と頭撫でを受けるナナユウを、むうっと嫉妬を隠さずに、けれど大目に見るミアプラキドスに、
「なあ。ミア」
シリウスはそう声を掛け、むうっとする彼女の頭にもぽすんと手を置いた。
途端に相好を崩したミアプラキドスは、
「はいっす!ナナユウ、ルナベーヌスも地球も、なんなら冥王星のあいつらの運命もナナユウとミアの肩に懸かってるっすよ!がんばろうね!」
そう言ってナナユウの手を取って互いの胸の前で重ねた。
「あんた脇役じゃない」
その場でレグルスと地球への出動準備の打ち合わせをしていたベガの揶揄いに、ミアプラキドスは舌を大きく出して応えた。
とても星の運命を背負っているようには見えない、見た目も幼いナナユウと言動の幼いミアプラキドスの手を重ね合った姿が、どこか祈りを捧げているようにシリウスには見え、ちょうど重なる太陽の落日が祝福するように二人を美しく照らしていた。
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