(4)翔べ! 災幽戯


「何が、例の場所に集合じゃ、だ?」



ったく、とひとりごちる。



それでもいそいそと、甲斐甲斐しく命令に従ってしまう。



ーー我れながら情けない。週末のお父さんのようだ。



「荷物を頼むって、荷づくりすらしてないし。 どれどれ」



一見、書簡の類いかと思いきや、卓上には数本の巻物が用意されてある。



死者蘇生画、天意の書、神代の獣、神代の剣士に猿王などと銘打れてある。



「ぉぃぉぃ」



ガックリとうなだれる。



明宝は山公仙のひとり李伯老師ばりの予見者でもある。



わかっていながら策を講じぬ姿勢にときに腹立たしく、その意趣卓逸さを恐ろしく思う。



だからといって苛立ちを隠すつもりは更々ない。



というのも、『しからば、朔。しばし待て』と言いのこし、自らは襦裙の裳裾をひるがえして、ゆるりと自室に戻って準備とやらへ。



どんな準備かよ、と謗りたくなる。



「待て言うなっつうの! 躾けられている犬みたいじゃないか??」



やれやれ、と首を振る。



けど、恥ずかしながら言うほど嫌じゃない。



「書画だけならまだしも、この小瓶もか?」



広げた風呂敷に手早くまとめていたが、小瓶だけは割れ物。割れたらことだ。


とりあえず懐にしまいこむ。



書画やらをくるりと包むこみ、端と端をもつ。



「やっぱ、俺ってば無自覚なだけで犬だな」



クッと喉の奥を鳴らした。



まさに懊悩の極み。明宝に頼られることも手足となって汗水たらして働くことも、存外に心地よい。



だがすべてが明宝の掌上の内だと思うと癪にさわる。



が、生憎と、あのヘタレ老師にご主人様の命令は逆らえないよう調教されている。



ククッ、やっぱ、犬だな。得心がいった。



「よっこらしょい!」



荷物を背負い、胸のあたりできつく結ぶ。



「さて、行くか」



四阿を出て秋宮をぬける。


しばらくすると南東の閨門にさしかかる。すると開けた通路に出た。



そこは後宮と内城とをむすぶ女官がおもにつかう通路で、その先に女官たちの坊がある。



この刻限ともなると厳しく立ち入りますが制限されるためどの門にも警邏の兵が立っており、それが煩わしいといった理由もあって比較的警邏の少ない南東の閨門の先はうってつけのいつもの"待ち合わせ場所"となっていた。



「まだ来てないみたいだな」



目印はこの柳の木の下だ。



辺りをうかがうも、それらしき人影はない。



待つのは嫌いではないが、恐ろしく待たされることもある。果ては約束すら忘れられたことも一度や二度ではなかった。



少し待って現れないようなら独りで行こう、そう思って木の下の岩に腰をおろす。



「これって…………」



ややもすると手持ちぶさたになり、懐のものが気になって掌上にとって小瓶を何とはなしに振ってみる。



ちゃぷ、並々とした液体の音がする。



おそおらく飲めば百薬の長、王母娘々が守りし不老不死の霊薬、仙桃の果実酒だ。



死人すら蘇生させる効能があるときく。



また、これを口にしたものは尸解して仙籍を賜わるとされる。



これらの画との組み合わせからしてーーーー



「ぅわ、想像を絶する戦場ってことか?」



ざわりと肌が粟立つ。



腕をさすりあげたものの、ぬぐいさるにはいたらなかった。



華南は貿易を生業とするお国柄から富の都としてもしられる。



軍事力に心血をそそぎ、ゆるぎない国家として死角なしのはずだった。今日までは。



それでも敵の侵攻を防ぐことはできなかった。



そこから推測されること、すなわち、それらをしのぎ、撃破するほどの強敵。


邵郭が、というより、さすが神宿画といったところか。



「仙の掟、其の一。行雲流水のごとく布石は投じれども、それにくみすることも関与してもならず。乞われれば与えこそすれ、助力してもならない、か。根本的に矛盾してるんだよな神仙って」



「朔」



「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」



膝を打って立ち上がる。



「待たせたのぅ」



タッと駆け寄った明宝の姿はーーーーなんというか、男前。頭巾をかぶった道士のようだ。


というより、お坊さん?



「どうじゃ、似合うか?」



白地の絹に白糸で刺繍がほどこされた長上衣を羽織っている。



女は化けるとはいうが、男装の麗人。見目麗しい眸の清らかな聖人のできあがりだ。



「何の真似だ」



「西遊記?」



「だろうとも。ひと目でわかったぞ。けど、何で西遊記なんだ?」



「じきにわかる。ほれ、瓊蘭 を呼ぶのじゃ」



「そりゃ呼ぶけど。何で催促する?」



「いいから、ほれ」



「…………」



嫌な予感しかしない気がするのは何故だろう。


気がすすまないなりにも天をあおぐ。



印を結び、召還のための言の葉を誦する。



しばらくすると天空を馳せる白銀に耀よう光がゆうゆうと星辰を横切る。


ほうき星さながら長く尾をひき、まじろぐ間もなく光速で移動。それは上空で停止して様子をうかがっている。



「瓊蘭」



声音をひそめがちに、大きく手を振る。



『朔ちゃんーーーーと、あら珍しい。明宝様、ご機嫌麗しゅう』



ぺこりと礼をとった。



「うむ。久方ぶりじゃ。息災であったか」



『……ぇぇ』



瓊蘭は尾をそよがせながら螺旋状を描くようにして降下。一本足でふわりと舞い降りる。



『夜更けに召還なんて珍しいわね。おかげで羽繕いが間に合わなかったわ』



ぐすん、と鼻をすする。



『見てぇん。ここら辺なんか艶がイマイチじゃない?』



のそりと首をもたげるこの巨大な怪鳥。名を瓊蘭といい、なりはオス。でも心は誰より乙女な年齢不詳の鵬だ。



その状は、鶴の如く、一つの足、赤い文、青い質に白い嘴。


正式名は畢方鳥といって鳴くときは我が名を呼び、これが現れると邑に妖しげな火がおこるとされる。


が、んなものは迷信に他ならない。



朔にとっては数少ない式神ならぬ式妖怪。



人目につきなくい場所で召還するのは根も葉もない噂で騒がれると面倒に思ってだ。



「瓊蘭。至急華南まで飛んでくれ」



すると瓊蘭のつぶらな眸がすぅと細められた。



『華南? だってあそこは今ーーーー』



さすがに鳥は情報が早い。



朔はぶっきらぼうに「戦場なんだろ?」そう告げると瓊蘭は真偽を問うようにさらに目を細めた。



『本気、なの? いかに不老不死の身とはいえ、もし首でもおとされようものなら』



「死ぬ、だろ、普通。俺はただ頑丈さが取り柄なだけ。首を落とされ、それでもまだ生きられるなんてヤツが実在するならそれこそ化け物。死、むしろのぞむところーーーー」



パンッ、と乾いた音が鳴り響いた。



一瞬何が我が身に襲ったのか理解できなかった。



「朔……まだそのような世迷い言を……」



「はぃ?」



きょとんとして頬に手のひらを添わせた。じんじんと脈々打っている。



痛みで冷静さを取り戻した。



「また平手かよ! これで何度目だ?」



明宝は憤怒の形相で腕をくむ。



「これで目も覚めたであろう。正確にはビンタじゃ。指折り数えるなど女々しいにもほどがある」



「ひでっ。だから孺子だっつぅんだよ! 気に入らないとすぐに手が出る。事あるごとに人や物にあたる。とどのつまり、不器用な孺子なんだよ、お前は」



おとなしく俺に守られていればいい。



矢面に立つのは俺で十分だ。



「孺子、孺子と連呼しおって。今度は開き直って説教か? そなたいつから僧都転職したのじゃ」



僧都ならお前だろ? というツッコミをのみこむ。


今それを口にしたら明宝の舌禍に火をつけることになる。



「朔。人の頼まぬお経を読むな、説法も論外。妾を孺子とのたまうが、その根拠のない自信はどこからーーーー」



「ま、強いていえば、これまでともに過ごしてきた十年という歳月、その重み?」



「そなたに口で勝つのは無理じゃ。さりとて何かで勝るとも思えぬ」



「そりゃそうさ? 高々十四年しか経験値のない小娘になんてこの俺様が負けるわけないだろう?」



考えてもみろ、と続ける。



「俺ってば見た目こそいとけない少年いがいの何者でもないが、こう見えて百歳を生きた仙人の端くれ。説教くさくて当たり前。それだけお前のこと心配してんだ。言われなくてもわかれよ」



チッと舌打つと、明宝の胸合わせがはだける。



『ムキキ?』



「ーー猿。すみやかに眠れ。さもなくばこの俺様じきじきに退治してやろうか、あん?」



すると明宝は慌てて嘉朶を押し込めた。



「嘉朶にあたるでない。悪態をつくのはこの口か?」



両頬をつねりあげられた。



「痛っ!? マジで痛てぇの!! 爪、肉にくいこんでいるぅぅぅ」



「す、すまぬ。少しこらしめてやるつもりが、痛かったか?」



明宝の表情から怒気は消え、うるうると打ち沈み、しゅんとして押し黙る。



すると朔はニッとぎこちない笑みを形ち作る。



「そこがお前のいいところだ。俺は嫌いじゃねぇよ」



心底、人を傷つけられない。大切に育てられたものにしかない優しさだ。



価値観とは執着心によく似て人の根本的なあり方だと思った。



けれど人でない朔にそれらを抱く資格はない。



『けど、朔ちゃん。明宝様の言うとおりよ。卑下したり蔑んだり、自らを過小評価したりしないで、ね? 朔ちゃんは朔ちゃんなんだからぁ……』



ホロホロと泣きしきる。



どれだけ宥め、おちゃらけてみても逆効果。



朔はほとほと困り果て、小さく息を吸い、嘴に指を伸ばして掬いあげる。



「…………」



誰かを想い、誰かのためにながす涙。


その誰かが自分であると思えば面映ゆい。



怪鳥の落涙はふれると淡雪のようにかききえる。


叩けば鉱物的な音がしそうな青みがかった鱗状の羽根が悲しみ色にかすんで、夜露で湿り気のおびた躰がかすかに震えた。



なんとなく、なんとなくではあるが、瓊蘭の言わんとしている意味がやっとわかった気がする。



心のどこかにいつも、俺なんか、とか、必要ない? いてもいなくても、ぶっちゃけ……いない方が世のためひとのためになる? など。心のどこかで声がしていた。



それに耳を傾けることの愚かしさ。


自分が自分たらしめる強さを忘れていた。


何が何でも生きてやる!



ーーそんな強さを。



「だよな。けど、俺はあの明哲保身の術の魁、伯陽の弟子。なんたって教え其の一が、誰かが落とし銭はすばやく沓底で踏み締め、事も無げに着服だぞ? 手段を選ばずに生き抜けってのがこの教えの真髄だ。だから、な? 泣くなよ」



赤い斑のある青い羽根をそっと撫でつける。優しく。何度も。



『わかったわ、もう泣かない。アタシの知る朔ちゃんは、そりゃー口は悪いけど、頑張りやさんで人の心の痛みがわかる優しい人だもの』



「そうじゃな」



ニッコリと破顔する明宝がならんだ。



「……な、なんだよ、藪から棒に」



「では参ろうぞ」



錫杖を片手にもって、朔を瓊蘭の背にうながす。



「西遊記気取りか」



「少し違うな。我らはともに厄災をもたらす者たちじゃ。つまりは災いと幽玄、それらを悲観するでなし、戯れましょう、というわけで、災幽戯じゃ!」



「……ふぅん。あっそ。いいんじゃね? ほら、手をかせ」



瓊蘭の背にまたがる。


先頭を朔、それに明宝がつづいた。



「災幽戯、ね。何だ、それ」



照れ臭さが勝って瓊蘭の羽根に顔をうずめる。



鉱物的に硬い羽根の中はやわい羽毛が生え、ふかふかとして布団を干したあとの仄かに薫る日向の匂いがした。



「いゃ、待て。例えば明宝が三蔵法師だとして、孫悟空は?」



「無論、嘉朶じゃ」



「ですよね。じゃぁ沙悟浄は?」



『アタシ? こう見えて珍しい水属性なの。よかったら皿を頭にのせることも吝かじゃないわ』



「さいですか。のこるはーーーー」



「猪八戒、じゃな」



「俺様が猪八戒? こんながりがりの猪八戒なんてありえないだろう!? 食べる気が失せる」



猪八戒は思わず食べたくなるようなふくよかが売りといっても過言ではない。


あくまで朔のなかではだが。



「細かいのぅ。鼻が利くという点では間違ってはおらぬだろう? つべこべ言わずに行くぞ。瓊蘭」



『合点。いいこと、アタシにしっかりつかまって。行っくわよ!』



おぅ、と一声を合わせたのち、瓊蘭は夜の帳へ身をやつす。



一気に昊高く舞い上がった。





浩々たる天を飛翔し、南方、華南への空路をたどった。







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