第4章 ケラウノスパイデス・オラージュ

プロローグ~アステロイドベルトの夢~

 宇宙の果てとも思える暗闇に身を投げうたれているようであった。

 どこへ行っても闇は続く。

 手を伸ばしても、足を伸ばしても、どこに何も無い。

 ただ何もない虚無が果てしなく広がっている。

 太陽も星も無く、星灯りが一切無い暗闇。

 そこに自分はただ一人、ただただ浮かんでいる。

 私一人。他に何もない。

 孤独で無限の宇宙を彷徨っている。

 それは、なんて心細いことなんだろう。

 私はここが好きだったはずなのに。

 今はここが嫌いになっている。

 どうしてだか、わからない。

 帰りたい、帰らなくちゃ……

 どこへ? どこに帰ればいいの?


――あなたに居場所はあるの?


 声がした。

 ただ一人だと思った暗闇に、もう一人ヒトがいた。

 少女の声だ。

 今にも消え入りそうなほど弱々しい。

「あるわよ」

 私はそう答えた。


――そう


 少女は姿を現すことなく、答える。


――私にはない


 羨望と絶望が入り混じった声。

 一体誰だろう。私にこんなことを語り掛けてくるなんて。


「あなたは誰?」


――私? 私はね、この闇の中で生き続けているヒトよ。


 声を歌うような調子で答える。

 いや、そのまま声は歌い上げてきた。


私は闇の中で生き続けてきた

いつからそこにいるのかわからない

いつまでここにいるのかわからない

出口はない

ここから抜け出したい

抜け出してやりたいことがあるの

あいつらが憎い

抜け出してやらなくちゃならないの

あいつらを殺したい

ねえ出して、ここから出して

私、出たいの

この恨みをぶつけたい


 願望と嫉妬、そして殺意にまみれた歌であった。

「ひどい歌ね」

 私は素直に感想を言った。


――フフ、正直ね


「出たいなら出ればいいじゃない」


――ええ、あなたの言うとおりね。

――だから私は出るの


 喜びに満ちた声であった。

 どうでもいいけど、私だってここから出たい。

 出る方法があるなら是非教えてもらいたいものね。


――あなたにもいずれ会うことになるわ


「あ、そう」


――あなたと握手してみたいわ


「――!」

 それが私の癇癪に触った。

 姿が見えてたら、殴り飛ばしていたところよ。いいや、姿を見つけて殴り飛ばしたい。


「あったら、必ずその面殴り飛ばしてやるわ」




 エリスは目を開ける。


「変な夢……」


 あの声に聞き覚えはあったが、思い出せない。


「考え事か?」


 ダイチが訊く。


「ん、まあ、ちょっとね」

「エリスが考え事なんて、こりゃ雪か」


 その軽口にムッとなる。


「雪なんて振るわけないでしょ、ここをどこだと思ってるの?」


 ダイチは窓の外の宇宙空間を見やる。


「あ、ああ、そうだったな」

「それとも、それが地球流のジョークのつもり?」


 嫌味で返されて、ダイチはバツの悪い顔をする。


「ん、まあな。俺の住んでたとこじゃ雪なんてあんまり降らなかったからな」

「ふーん、そういうもんなのね」


 エリスは興味津々に聞いてくる。「他には?」と言いたげだ。


「なあ、俺が悪かった。この話はやめにしよう」


 ダイチは謝り、エリスはため息をつく。


「……しょうがないわね」


 本音を言うと、もっと地球のことを聞いてみたかった。でも、無理に聞き出して傷つけたいとは思わない。


(私にだって触れてほしくないことだってあるもの)


 窓の宇宙空間を見る。

 木星行きのシャトルで金星を飛び立ってから丸一日経っている。

 外の光景は変わることなく、宇宙の闇がどこまでも果てしなく広がっている。その闇に吸い寄せられて、いつまでも見入ってしまう。遊泳しているような感覚に浸る。


『まもなく当機はアステロイドベルトに入ります。安全な航行を務めますが、多少の揺れが起こることをご承知ください』


 そんなアナウンスが聞こえてくる。


「アステロイドベルトか……」


 火星と木星の間にある無数の小惑星が固まっている領域。ここには以前苦い思い出がある。

 このアステロイドベルトを根城にして略奪を行っている無法者、宇宙海賊の存在だ。彼等の襲撃にあったときのことをダイチは思い出す。


(まさか、そのあとにマーズってすごく偉い人が現れて、船長と戦うなんてな……)


 今思い出しただけでも鳥肌が立つ光景であった。

 マーズと船長のザイアスとの戦い。シャトル全体が揺れ動く激闘であった。

 しかも、あれでもまだシャトルを沈めないようにお互い手加減をしていたのだから恐れ入る。


(どうやったら、あそこまで強くなれるものなんだ……?)


 火星でエリスにスパーリングで叩き込まれ、金星の騎士養成学園エインヘリアルで訓練を積んで、かなり強くなったと実感する一方で彼等にはまだまだ及ばない。

 むしろ、強くなったことでより彼等が強大であることを思い知らされる。


(小山を登り始めて、ようやく雲が見えてきたって感じか……)


 遠すぎて高いことを実感する。

 目の前にいるエリスにすら勝てないし、力になれてない。


ゴタン!


 船内が揺れる。


「おわ!」


 思ったよりも揺れる。


「ダイチ、妾を支えてくれんか?」

「はあ?」


 フルートが何を言っているのか問いただそうとしたら、急に膝の上に乗ってきた。


「うむ、ここの方が落ち着く」

「お前な……」


 とはいえ、そこまで窮屈な気はしない。

 身体が五歳児並みで小さくて軽いからだろう。


「似合ってるじゃない」


 エリスに言われる。


「そ、そうか……?」


 ちょっと気恥ずかしくなってきた。

 それを察したフルートは顔をプクッを膨らませる。


「ダイチよ。未来の妻である妾を抱いておるのだぞ、何が恥ずかしいことがあるか?」

「いや、そんなこと言われるのはちょっと恥ずかしいぞ」

「事実であろう?」

「いや、そうでもないだろ」

「そうね、ダイチとフルートじゃ、夫婦っていうより兄妹? 下手すると親子に見えるんじゃないの」


 エリスが横から言ってくる。


「親、子……? 俺、そんなに老けてみえるか?」

「年齢でいえば、妾の方が九百年以上年上なのじゃがな」

「ああ、歳の話はやめてくれ」


 この場にいるメンバーの顔ぶれと年齢が一致していない。

 年齢に関する話題に触れられると、その辺りを再認識させられて混乱する。


「これが噂に聞くアステロイドベルトか……」


 窓の外の小惑星群を物珍し気に見つめてるデランは、金星の少年で地球とそう変わらない歳のとりかたをするおかげでダイチと大差無い。


「アステロイドベルトは、初めて? 私は三度目だから珍しくないわ」


 対して、今デランに嘲笑している水星人のマイナは、成人の大人のように見えるが、この中で一番若く、四歳とのこと。


「えばっていうほどの回数でもないやろ」


 イクミが突っ込む。


「とはいっても、私達もマイナさんと同じで三回目なんですけどね」


 ミリアは笑って言う。

 エリス、ミリア、イクミの三人は火星人で、見た目はダイチと同じくらいの十代後半の少女に見えるが、火星人は地球人に比べて歳の取り方がやや遅いから十分に年上だ。

 さらに、見た目は五歳くらいの幼児で、一番幼く見えるフルートは冥王星人で、百八八年かけて一歳年をとる。だから、千年生きても地球でいう五歳児並の身体なのは妥当なのだ。

 千歳。百年生きられるかどうかもわからない地球人のダイチにとっては想像もつかない年月だ。

 こうしていると十歳年下の妹ぐらいの感覚なのに。


(水星人、火星人、金星人、冥王星人……色々な人間がいるな)


 こうして、自分達一行を見回していると人種の多様さに感慨が深い。


「しかし、木星か……」


 デランはその言葉を口にして、警戒の色を浮かべる。

 無理もない。金星人にとって、木星は領土の一部を占領してきた敵国。ついこないだ、ワルキューレ・グラールにおいても金星最高の騎士団の入団の選定という由緒ある大会に、木星人にも関わらず出場する許しがたい禁を侵してきた。

 デランはその木星人のアングレスと激しい戦いを繰り広げた末、勝利した。

 アングレスは終始金星人を見下し、誇りを踏みにじった。あれが木星人のやり方なら、とことん嫌悪を抱かずにはいられない。その木星人の本星である木星は敵国の領地。


「私は一度木星に行ったけど、そんなに警戒するところでもないわよ」


 そんなデランにエリスは言う。


「そうなのか?」

「私はアングレスってやつのことは全然知らないけど。木星にいた木星人は、なんていうか私達とそう変わらないヒトだったわ。街を歩いて、ご飯食べて、ショッピングして、そんな普通の感じのヒト達だったわ」

「そうか……」


 とはいっても、デランの警戒は解けない。

 一度こびりついたイメージを拭い去るのは簡単ではないようだ。


(俺だってな……)


 それはダイチにも察する事ができる。


「しかし、また来るなんてな」

「妾とダイチが出会った思い出の地でもあるじゃろ」

「追いかけまわされた思い出な……」


 ダイチは苦い顔をする。

 木星の思い出は、フルートと会ってからテロリスト達に追いかけまわされて、捕まって、脱出したと思ったら、また追いかけまわされた。

 何とか生き延びたものの、やばい修羅場だったのは確かだ。というか、よく生き延びられたものだ。


(エリスは……腕が……)


 脱出の為に、エリスは義手とはいえ両腕が犠牲になった。

 あんな痛々しい光景はもう二度と目にしたくない。それが今のダイチの原動力となっている。


(また、あんなことにならないといいけどな……)


 そんな楽観的ともいえる希望を胸に抱いて、シャトルはアステロイドベルトは抜けるのであった。

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