第7話 公転周期

「生きていくため?」

「俺達のコロニーは物資が不足している。特に燃料あたりが絶望的だね」

「コロニー? 燃料?」


 ミリアは首を傾げる。


「もうじきつくぜ」


 そう言ってトップとターンはスクリーンに目を移す。それにつられてエリス達もそっちに目が行った。

 見ると小惑星群の中にカプセルのような「コロニー」と彼らが言った物が浮かんでいた。


(なんて大きなスペースデブリ……)

 と仕事柄そういう考えが浮かんだが、そんなものではないなと思った。エリスがしている仕事のときは人の手で回収できる程度のデブリなのだから、人の手でどうにかできる代物ではないコロニーなんてデブリという枠に収めていけないと感じたからだ。


「あれが俺達の家だ」

 トップはそう誇らしげに言った。


 海賊船は旅客機ともどもコロニーのドックに入る。


「おかえりなさい、キャプテン!」

 ドックの作業員達が笑顔で出迎えてくる。この様子だけでキャプテン・ザイアスが慕われていることがわかる。


「おう、今回は客も連れてきた。もてなしてやれ!」

 「おお!」と威勢のいい声がドック内に響き渡った。


「中々面白いところだね」


 マーズはその様子を見て、そう評した。彼はそういったものが好きらしい。


「こいつを修理すればいいんだな?」


 作業員の一人、雰囲気と口ぶりからしてこの作業場を取り仕切っている長(おさ)に見える。


「おう、なるべく速くやってくれ。あんまり長居させたくないんでな」

「了解!」


 二つ返事で意気のいい返事が返り、作業員達に号令をかける。


「野郎ども! とりかかるぞ!」


 「おう!」と答える声がドック全体を揺るがすほどになった。


「凄まじいわね」

 エリスは耳を覆った手を下ろして言った。

「だけど、いいよな。ああいうの」

 ダイチは素直に感心した。


「そうかしら?」

「上手くは言えないけど……なんとなく、さ」

「はっきりしないわね。好きだって言えばいいじゃないの、そういうのが」

「エリスははっきりしてるな」

「そうかしら?」


 ダイチがそう切り返したところで、エリスは意外そうな顔をする。


「さて、お前ら!」

 ここでザイアスが大声で呼びかけてきた。


「お前らは客だ! もてなしてやるからこっちへ来い!」

「う~ん、あれってお客様扱いしてないよな」

 ダイチはエリスとミリアに同意を求めた。


「少なくとも神様とは思っていないようですわね」

「なんでもいいじゃない、もてなしてやるって言ってるんだから、もてなしてもらってやろうじゃないの」


 エリスは勇み足で行く。ダイチとミリアもそれにつられていく。

 ドックを出て長い通路を行く。その通路は、宇宙港のそれを思わせる造りになっていたが、清掃されていないのか、汚れとチリがそこかしこに見えて廃れた印象を受けた。


「廃棄されたコロニーか」


 一緒に歩いたマーズが冷静に辺りを見定めてそう言った。


「そんなところだ」


 ザイアスは否定せずに答える。


「あんた、知ってるだろ? アステロイドベルトの小惑星群を観測するための建造されたコロニーのことを」

「資料で見た程度はね」


 マーズがそう答えると、ザイアスは明らかに敵意のこもった視線を向ける。


「昔はちゃんと小惑星を観測していたんだろうな。人の行き来も十分にあった。こいつはその名残りだ」


 ザイアスはこの通路を指して、こいつと言った。

 聞いた限り、ここを行き来した人というのは一般人ではないようにダイチは思えた。このコロニーは観測用といった。すなわち観光用ではなく、旅行者の出入りは想定されていない。この通路から漂う雰囲気からしてこの通路を行き来した人というのは、そうそう明るいイメージではないように感じた。


「今はしていないの?」


 エリスは興味津々に訊いた。


「ああ、それも無理になっちまったからな。今はコロニー内の環境を維持するだけで精一杯なんだ」


 環境を維持する。さっきトップも似たようなことを言っていた。

『俺達のコロニーは物資が不足している。特に燃料あたりが絶望的だね』

 『絶望的』、『精一杯』。両者の言葉には切羽詰ったような感じが伝わってきた。


「それで海賊行為か?」

「……そんなところだ」


 マーズの問いかけにザイアスは即答する。


「どうしてまた廃棄されたのですか?」


 ミリアが相変わらず遠慮なくザイアスに訊いた。


「そいつは、嬢ちゃん達が生まれるずっと前の話さ。重力磁場が崩壊する太陽系全体を巻き込んだ大災害があってな」


 マーズは眉をひそめた。だけど、その疑念を声に出して口にすることはなかった。


「それで、こんな辺鄙な場所のコロニーを見捨てられたというわけだ」


 その説明でダイチ達は納得する。ただマーズが腑に落ちない態度をとっていることには気づかなかった。

 話を終え、ザイアスは通路の先にある一室についたところで足を止める。


「さて、ここだ! ここでならどんな場所でも通信できるはずだ」


 そこはスクリーンとディスプレイが立ち並ぶ一言で言うとその手の設備の整った部屋だ。


「ここ、使っていいの?」

「好きに使ってくれ。どうせあんまり使い道が無いからなあ」

「好きに使ってくれ。どうせあんまり使い道が無いからなあ」


 ザイアスがそう言うと、席についていたリピートが立ち上がり、先ほどとは打って変わって興奮気味に話す。


「待たせちまって悪かったなあ! 通信使うならここを使いたいと思ってたんだよハハハ!」

 エリスとダイチは顔を見合わせて彼の変わりように驚いた

「燃料の無駄遣いはできないからな。最後にこいつを使ったのはもうかなり昔なんだぜ」

 ザイアスが補足してくれたおかげでなんとなくだが、彼の事情も察することができた。

 これだけ整った設備をお払い箱にしているなんてその筋の人には我慢ならないと思って間違いない。きっと使いたくてウズウズしていたのだろう。


「って昔に使ったきりで大丈夫なの?」


 エリスはもっともな疑問をぶつける。


「それなら大丈夫だ。一応点検ぐらいはしている」


 リピートは自信満々に答える。


「それなら火星までよろしくしてくれます?」

「座標してくれればお安い御用だ」

「リビュアの四番地です」

「回線チャンネルは?」

「136199です」


 ミリアがそう答えるとリピートはメーターの下についているハンドルを操作する。


「……これでよし」


 正直ダイチには何をしているのかよくわからなかった。だけど、これで家にいるイクミと話すことができるのだということだけはわかった。


「スクリーンに映すけどいい?」

「ええ、構いませんよ。大画面でイクミの顔を眺めるのもよろしいかと」

「あんた、本気で言ってるの?」


 さすがにエリスは若干引いた。でも、見てみたいかもとダイチはこっそりと思った。

それは何故だかわからない、イクミが家にいるという安心が抱けるかもしれないし、イクミのドアップな顔はさぞ愉快なものなのかもしれないし、という期待は無きにしも非ず、だったかもしれない。


「それじゃあ、いくぞ!」

『おお、やっとつながった!』


 リピートの声の直後にイクミの声がスピーカーを伝って部屋中に響き渡った。ダイチ達は思わず耳を塞いだ。


「イクミ、声でかい」

『それはすまんかった! ようやく繋がったと思ってな、いやあ無事でよかった!』


 「すまんかった」の言葉とは裏腹に、声は大きくて全く悪びれた様子は無かった。


「こっちでスピーカー、調節できないの?」

「下げた方がいいみたいだ」


 リピートは耳を覆いながら言う。この声の大きさがたまらないみたいだ。


「ええ、そうして」


 エリスが小声で耳打ちする。

『お、うちがおらん間にどんな状況になったんや!? ちゅうか、その男はなんや!? そこはどこや!? ええい、洗いざらい全部話さんかい!?』

「……下げた意味、なかったか……」


 リピートは後悔した。

 そしてこの程度では効果が無い、と音量調節のメーターを一気に下げる。


「イクミ、落ち着いて」

『――ぅ、チ、――つ、――で、』


 あまりにも小さく聞こえる声と凄い剣幕でまくし立てるイクミの顔のギャップが激しい。


「小さくしすぎましたわね」

「そのようだ」


 リピートは困り、どうすればいいんだ? とエリスに文句言いたげな視線を送る。

 仕方無いと額に手をあててから、エリスは言う。


「イクミ、今から順を追って話すからちゃーんと聞きなさいよ」

『――――ャ――』


 何を言ったのは聞き取れなかったのだが、凛々しい敬礼をしたのが見えて『ラジャー』と答えたのだろうと容易に想像できた。


(もしかしてわざとやってるんじゃ……?)


 声の音量による対応が意図的なモノを感じたからだ。こっちが大きいと判断して小さく調節すれば大きくして、さらに下げたら途端にいつもの調子で言い始めて、挙句に敬礼というジェスチャーに切り替えるまで計算づくに行動しているようにも見えた。


(まあ、イクミのことだから面白おかしくてやろうと思ってやってるのかもしれないな)


 そう一言で言えば片付いてしまいそうだからダイチは、言うのをやめておいた。

 とりあえず、まずは状況説明だと、エリスとミリアは思い、二人でイクミにここに至るまでのことを話した。


『……そりゃまた大冒険やったな』


 あらかた話し終えた感想がそれだった。イクミの口調はなんとも悔しげであった。

 その様子から次に言いそうな言葉も予想できた。


『ウチだけのけ者か……めっちゃ心配しとったというのに、ずいぶんと楽しそうやないか!』


 またもや耳を覆う事態になった。


「そんな楽しそうなものでもなかったんだぞ、座り込んでいただけで呑気に言わないでくれよ」


 ダイチは反論する。


『何のために座り込んでいたと思うとるんや? ずっと音信不通で!』

「それはすまなかった……」

「仕方無いでしょ、通信できる手段が無かったんだから」


 エリスがもっともな言い分をもって言い返す。


「今度から惑星間通信できるものを用意してくださいね」

『無茶いわんといて! 小型の惑星間通信機なんて、そんなもん個人レベルで作れるもんやないで!』


 イクミはわめき散らすように言い返す。


「いや、そうでもないぞ」


 そこへリピートが会話に加わる。思ってもみなかった男の参加にイクミは面を食らう。


「見た感じ、そちらの設備は整っているようだけど」

『おお、ウチが自前で整えたんや』

「やっぱり、思ったとおりだ。そこまでできるとなると、さぞ名うての技師じゃないかと思うんだけど」

『よくぞ訊いてくれた!』


 イクミは膨らみのある胸をドンと叩いた。


『実はな、この資材はスペースデブリを集めてな』

「ほう、それは興味深い!」


 イクミとリピートの会話が弾む。

 まるで何年も探して求めてきた同士にようやく出会えた、そんな感動がそこにはあった。


「なんだかついていけなくなったわね……」

「そうだな」


 ダイチ達はそんな会話をしている二人にそう感じた。だから、ここは一歩引いた。


「リピートと気が合う奴がいるとはな……中々いいメンツが揃ってるな嬢ちゃん方!」


 ザイアスはさも愉快げに語る。その語感からも「このまま海賊にならねえか?」という想いが伝わってくる。


「確かに面白いな……」

 マーズも感心するあたり、この三人は凄い女の子達だなとダイチはこのとき思った。




 修理が終わるまでおよそ半日かかるため、好きに出歩いていいとザイアスから言われ、探検してみようかと子供じみたエリスの提案にのってコロニーを歩き回ることにした。

 のった理由はダイチやミリアは他にすることがなかったからだ。

 ドックを出るとそこには緑一面の原っぱが広がっていた。


「わあ、綺麗……!」


 エリスがそれを見て、簡単でこの情景がどんなものかすぐに伝わってくる一言を呟く。

 実際そのとおり、綺麗だとダイチは思う。


「すごいですわね。火星ではそうそうお目にかかれない光景です」


 火星の情景と言えば黄土色と一言で称することができるほど、砂が立ち込め岩が立ち並んでいる光景が目に浮かぶ。そういったものしか見てきてこなかった火星人のエリス達には緑一面はあまりにも新鮮で感動的であった。


「……コロニーの環境設定がちゃんとしているからだな、とても海賊の拠点には見えない」

「私、こういうの初めて」


 草の感触を確かめながら踏みしめる。


「気持ちいいですわね」

「そうだな、こういうの見ると」


 ダイチは大の字になって倒れる。


「何やってんの?」

「やってみろよ、気持ちいいから」


 不信な目を向けているエリスに笑顔で返す。

 エリスは訝しがりながらダイチを見習って倒れてみる。


「ああ、なるほどね! 気持ちいいわ! 地球じゃあ、みんなこうしているの?」


 エリスの何気ない一言でダイチの笑顔に陰りが見える。


「いや……地球でも中々できることじゃないさ」

「そうなんだ」


 エリスはそう答えて立ち上がる。気持ちいいけど、いつまでもそうしているのは性に合わないといった様子だ。


「さ、行きましょう」

「あ、ああ……」


 エリスの言葉に引かれるように、ダイチも立った。その陽気さがダイチの焦燥感を消してくれていることに彼女自身は気づいていなかった。

 しばらく原っぱを歩くと拓かれた土壌があり、そこから新芽が出している畑があった。その先には小屋が立ち並ぶ場所についた。


「……ますます、海賊の拠点に見えなくなった……」


 ダイチがそう言ったように、ここはどう見てものどかな村に見えた。とても海賊と呼べるような無法者がいるような場所には到底思えなかった。


「お~い、嬢ちゃん達、キャプテンのお客さんだろ!」

 小屋から出てきた年配の人達がいきなり出迎えてくる。


「そうだけど……」

 ダイチが答えると歓声のような声が上がる。


「おお、久方ぶりの客だ!」「よく来てくれたのう」「歓迎するぞい」「うれしいねえ」


 様々な声と言葉が入り交じっていてよく聞き取れなかったが、歓迎されている気持ちだけは見て取れた。

 ダイチは戸惑ったが、エリスはご機嫌だった。


「いいわね、こういうの!」

 この時、ダイチは悟った。エリスはお祭り好きなのだと。




 ドック内にある船長室。本来の名称は別にあるのだが、ザイアスがそう呼んでいるので誰も異議を申し立てない。ちなみに何故ザイアスがここを船長室を呼んでいるかというと、一番豪華であるからとのこと。

 事実、全自動で発光するランプがそこかしこに配置されており、廃材とは思えないほどの資材に、輝かしい宝石の数々もあり、財宝と呼べるような物が広い部屋を埋め尽くすようにあった。


「……ここに客を招くのは初めてだったなあ」

「これは貢ぎ物かね?」


 マーズは部屋を見渡して言った。ここの物が海賊行為で得た略奪品ではないのか、とそう訊いているのだ。事と次第によっては機内でやった命のやり取りの再現になる。

 そんな雰囲気がそこはかとなく流れる中、ザイアスは臆することなく答える。


「いいや、コロニーそのものの資材を集めたらこうなっただけのことだ。みんな財宝やら宝石やらに無頓着でな。何ならここにある宝石の認証番号一つ一つ確認するかあ?」

「やめておこう」


 マーズはあっさりと言う。それはザイアスの言葉に嘘偽りないものだとわかった。しかし、一瞬不振そうにその財宝に目をやる。

 一箇所に集めたとはいえ、これだけの数と量がたった一つのコロニーにあるものなのか、それも小惑星の観測用に過ぎないものに。

 何かを隠していると思うのが自然の成り行きだった。


「そんなことよりも私に話があるようだが、なんだね?」

「察しがいいなあ、マーズ」


 ザイアスは座椅子に腰を下ろす。自分の部屋なのだから遠慮がないのだろうが、星のトップを前にしてもその態度なのだなと苦笑する。


「お前さんを殺すためだけに、あれはよこされたものかってことだが」

「星のトップを殺すというのは、それだけで十分に目的になると思うのだか」

「それだけとは思えないな、行き先が木星であるならなおさらだ」


 ザイアスは木星の部分だけを強めて言った。


「木星? それは他の星であるなら気にすることでもないと?」


 マーズはその言葉を笑みをもって訊く。


「海賊行為をしていると市井に詳しくなるみたいだね」

「……仕事柄ってやつなのかねえ。とにかくあの星は今や火種の宝物庫になっている」


 ザイアスの一言で部屋中に緊張の空気が充満する。


「テロ行為にいたっては首都バルハラでも頻発していると聞いているが、それほどか……」

「頻発している、それぐらいの情報しか持っていないのかい?」


 マーズの発言にザイアスは訝しむ。


「情報プロテクトでね。火星の立場上、木星からもらえる情報は限られている」

「だろうな、敗残星のつらいところだねえ」


 マーズは目を細め、眉のしわを寄せる。


「む、心外したのなら悪かったねえ」


 ザイアスはマーズの心境を察したのかさすがに迂闊だったと謝罪する。


「構わない、事実だから」


 マーズはそんな表情を消して、再び笑みを浮かべる。


「今度の連合会議でその烙印を消せればいいのだが」

 「無理だろうね」と続けて言いかけたが、それは面子と心情の問題でもみ消した。


「頑張ってくれよ。嬢ちゃん達のためにもな」

「当然だ」


 マーズがそう答えると緊張の空気が和らぐ。そこへ通信音が鳴り響く。


「なんでえ、トップ!?」


 ザイアスは陽気に通信に出る。


『キャプテン、こっちは盛り上がっていやすぜ! 早くきてくんな!』


 トップもまた陽気に威勢よく答える。この威勢は酒によるものかと瞬時にザイアスは理解する。


「わかった! すぐいくから待ってろよい!」


 ザイアスアは通信を切って、マーズの方を見る。マーズはこの場で自分はどうするか率直に言う。


「では、私は旅客機に戻ろう。いつまでもここに滞在していると後ろ指を刺される事態になりかねない」

「だろうな」

 星のトップが海賊行為に加担している、そんな波風がたってもおかしくない状況なのだと今の二人はよく理解していた。




「そうかい、あんたら火星人か!」

 歓迎してくれる老人一人がエリスの顔を見上げて甲斐甲斐しく言う。


「ええ、あなた達はどこの星の人なの?」


 エリスが訊くと周りを囲っている老若男女がすぐに答える。


「水星じゃ!」「金星」「俺、水星」「私は火星」「金星です」「あたし、てんのーせい」


 皆一様に自分の星を言い、ここには様々な星の人間揃っている


「まあ、見事にバラバラですわね」


 ミリアは感心して、周りの人達を見回す。

 一見すると、彼らがどの星の人間であるか見分けはつかないが、彼らがこうして口にしていることでその違いはあるのだと実感する。


「ということは、嬢ちゃん達はわしよりも歳上なのかもしれんな……」


 「水星じゃ!」と答えた老人がため息一つつく。


「え? どういうこと?」

「……あんた、本当に何も知らないのね」


 呆れたエリスの声が耳に入る。


「悪かったな」


 開き直ったような態度をとるダイチにエリスは不機嫌顔だった。それに肩を持ち、他の人に聞こえないように耳打ちする。

「いい? その星の環境に順応したヒトが地球人よりも大きく変化したのが一年の感覚なのよ。地球ってのは三六五日で太陽を一周する公転周期があるでしょ。これが一年で今でもどんな星もこれを基準にしているわ。でも、公転周期なんて星によって違いがあるでしょ? 太陽から一番近い水星なんて八八日……およそ三ヶ月足らずということになるわ」


「それがどうしたっていうだよ?」


 エリスは前髪をかきあげて、ここまで言わなければわからないかとため息一つついてから言う。


「つまり、水星人にとって三ヶ月が一年なのよ」

「はあ、どういう意味だよ?」

「年のとり方が違うってことよ。地球人は三六五日で歳をとるけど、その間に水星人は八八日程度で歳をとることになる、っていえばわかるかしら?」


 ダイチは絶句する。それが事実だとしたら、今目の前にしている様々な星の人達はまるで別の生物なのではないかと思えてくる。高年齢に見えて、実は自分よりも生きている年数が少ない水星人、自分よりも年上の子供達。ここはそういった集まりなのだから混乱して、いさかいは起きないのか気になった。


「それだと、混乱しないのか? だってこっちが一〇歳だったとして向こうが四〇歳だったらとんでもないことじゃないか」

「地球の基準に年齢を当てはめる地球年齢があるから、そういうのは少ないわよ」


 ダイチはそう言われて一つ気になる。


「じゃあ、エリスは歳いくつなんだ?」


 地球人の常識的に考えて、男性が女性に対して年齢を訊くのは失礼な行為だ。

 だけど好奇心が勝ってしまった。それに、火星人のエリスにはこの常識は当てはまらないかもしれない。それならば素直に答えてくれるはずだ。


「ダイチさ、それってさ。私がいくつに見えてたけど実際は想像していたよりずっと上だったから意外だったってリアクションするための質問? 言っとくけど、私そういう冗談好きじゃないからね」


エリスは笑いながら拳を握って語りかける。

 どうやら、地球人の常識はわりと火星人にも通用するようだ。それがわかっただけでもこの質問は十分意味があったとダイチは悟った。その代償がエリスの機嫌だとしたら、少しばかり大きい気がするが。


「悪かった、ちょっと無神経だった」


 ここは素直に謝っておこうとダイチはすぐに実行した。


「……まあいいわ」


 エリスはわりとあっさり拳を解いた。どうやら初めから教えるつもりだったらしい。


「私の歳って確か今年で十六だけど……これを地球年齢に換算すると……」

「私とエリスは二八ですわ」

「に、二八!? 俺よりも十も年上だったのか!?」


 ダイチは思わず驚愕の声を上げた。同じ年頃だと思っていたのが、十以上も年上だというのだから驚きは隠せない。


「声が大きい!」


 エリスが赤面して小突く。やはり年齢のことをとやかく言われるのは気持ちのいいものではないらしい


「……いてて、すまん、つい驚いちまって」

「だから言いたくなかったんだけど……まあ別に怒ってないから許し、」

「許しませんわ」


 ミリアがエリスの言葉を遮って強く言ってくる。


「「え?」」


 ダイチとエリスは同時に戸惑いの声を上げた。


「私はダイチさんに年齢のことで驚かれて、とても傷つきました。両手をついて謝っても許しませんわ」

「え、あ、……それじゃあ、どうすれば許してくれるんだ?」


 それは困った。ミリアが傷ついて、許さないというのならどんな報復くるのかわからないし、機嫌を損ねさせてしまったというのは気分が悪い。


「許して欲しいのですの?」

「ああ、俺が悪かったから、いくらでも謝るから……」

「では、一つ条件があります」

「条件?」


 いくらでも謝ると言った手前、どんな条件でものめる覚悟ある。それでも、ミリアがなんて言ってくるか予想できないだけに不安だった。

 そういった緊張の中、ミリアは条件を提示する。


「……私のことを『お姉様』とお呼びなさい」

「「はあ?」」

 二人揃って素っ頓狂な声を上げた。

「どうしましたか、許して欲しいのなら呼べばいいのですよ?」

「う、うぅ……」


 ダイチはうろたえた。いくらなんでも予想外の条件だった上に、ミリアは何やら言わせたがっているというか、無理矢理なこの状況を楽しんでいるというか、いかにもいかがわしい雰囲気を放っている。

 そんな状態で言えるわけがない。でも言わないといけない

 ダイチはエリスに救いの視線を放った。だが、エリスは「私に訊かないで」と言わんばかりに視線をそらす。

 その行為の時点でもうエリスはあてにならないと決めつける。

 自分で解決するしかない。そう思い立ったダイチは勇気を振り絞る。

「……お、お姉、様……」


 振り絞った声はうわついて、ちゃんと伝わったのかも怪しい。


 「ダメですね、もう一回」、そんな声が聞こえてきそうだった。


「………………」


 しかし、実際は無言だった。ミリアの頭から湯気が上がっていて、目はあさっての方向へ向いていて、何故そうなったのかダイチには理解できなかった。


「……お姉様、いい響きですわね……」


 ようやく出た言葉がそれだった。短くもはっきりとした吐息を出し、唇を指でなぞりながら出たそれはダイチに寒気しか与えず、傍らのエリスは肩を震わせていた。


「これからはお姉様と呼んでくださいませ」

「あんた、悪ノリしすぎ」


 エリスがようやく窘めてくれた。ダイチはホッとする。


「おい、坊主! そんなところで話してないでこっち来て飲もうぜ!」

「嬢ちゃん、これはいかが?」


 宴会気分の人達は、食べ物や飲み物を並べて陽気に「いつまでも内輪で話してないでこっちにきて一緒に楽しもう」といった雰囲気であった。


「はい! いただきます!」


 真っ先に食べたのはミリアだった。そこで旅客機内でエリスが言っていた事を思い出す。


『あの子、能力を使ったあとの食事は凄まじいのよ』


 その言葉の意味をダイチは今知ることになる。

 食べる速度は緩やかに、開ける口は小さく、ただ確実に口へと運び胃の中へと飲みこむ。しかし、それは絶え間なく淀みのない動きは流麗であるものの、あまりの隙の無さに恐ろしさがだんだんこみ上げてくる。

 彼女の周囲に次々と磨かれたような純白の皿が積み上げられていく。


「す、すごいな……」


 その言葉には賞賛と恐怖が入り混じっていた。


「ええ、まだフルスロットルではないけどね」


 エリスの言葉にもう出すべきコメントが消えていってしまう。


「おお!」「すげえ!」「バカな!」「なんじゃと!?」


 そんなミリアの食べっぷりに次々とどよめきが沸き上がる。この場にいる全員の視線を一手に引き受けていると言ってもいい。

 一体そのか細い身体のどこにあれだけの量を詰め込めるのか、詰め込んでなおも食し続けるその姿は、ヒトの域を超えて神々しささえ感じさせられたからだ。

 彼女が一枚、皿を重ねる度に驚嘆の声が上がる。

 しかし、底なしと思われた彼女の身体にも限界はあった。許容量を超えた食事など、何の意味を成さない上に毒でしかない。そう理解しているからこそ彼女はこの行為に及ぶ。


「……ごちそうさまでした」


 笑顔で両手を合わせてそう告げる。その姿はまさしく女神であった。

 歓声が上がり、拍手が木霊する。


「いやあ、よく食ったね、お嬢ちゃん」

「すみません、あまりにもおいしかったのでついつい食べ過ぎてしまいました」

「いいや、これだけ食ってくれたら作った甲斐があったってものよ」


 叔母さんと呼べるような人が笑いながら、ミリアが積み上げられた皿を片付けていく。


「あんた、あの子に奢ることになってるけど大丈夫?」

「う、うぅ……だ、大丈夫さ……」


 ダイチはどもりながら答える。正直今の食べっぷりには戦慄を覚えた。あれを満足させられるだけの量を用意しなければならないのだとすると今から途方に暮れそうだ。


「盛り上がってるなあ!」


 そこへキャプテン・ザイアスがやってきた。


「キャプテンだ!」


 ミリアのときよりも熱がこもった歓声が上がった。


「おかえりなさい!」「今回はどうだった?」「おみやげは?」「いかしてるぜ!」


 一様に違った声をかけられながら、ザイアスはエリス達の方に歩み寄った。


「楽しんでいるか?」

「ええ、ここはても楽しいところね」

「そうか、そう言ってくれるとこいつらも喜ぶってものよお」


 ザイアスは誇らしげに笑う。


「それはそうと、船の修理が済んだからそろそろ出発の時間だ」

「早いですわね」

「エンジンを治す簡単なものだからすぐにすむんだとよお、つうわけでついてこい」


 ザイアスはマントをひるがえし、呼びかける。

 ダイチは「仕方無い」といった面持ちで、コロニーの人達に名残惜しそうな視線を向けてしまった。


「……ごちそうさまでした」


 それだけ言うと、彼らは笑顔になって答える。


「またな!」「また来てくれよ」「楽しかったよ!」


 彼らは大手を振って見送った。その姿は温かく、見る者を笑顔にさせるそんな温もりに満ちていた。


「……また来ます」


 ダイチは自然とその言葉を口にしていた。


「いい人達だったわ」


 ドックへと続く通路を歩きながら、エリスはザイアスに向かって言った。


「おう、それだけが取り柄みたいな連中だからなあ!」


 ザイアスは顔だけ振り返って威勢よく言う。きっと彼のこの気性があの人達に影響しているのだろう、とダイチは思った。

 同時に彼らと接したとき、浮かべた疑問を彼にぶつけてみる。


「色々な星のヒトが集まってるんだな」

「ああ、ちょいと色々あってな」


 ザイアスは言葉を濁すように答えた。


「じゃあ、あなたはどこの星のヒトなの?」


 そこへエリスが訊いてくる。それはダイチが訊こうとしていたことだ。あれだけ生まれの星がまばらなのだからザイアスがどの星の生まれなのか気になるのは当然のことだった。


「……そいつを知ってどうする?」

「別に、単なる興味よ」

「だったら、やめといたほうがいいぜえ」


 ザイアスは忠告する。その目には射抜くような鋭さがあり、エリス達の歩みを止めた。


「好奇心ってのは昔からろくなことを引き起こさねえからなあ」


 ザイアスは踵を返して歩く。エリス達は、その背中を追うことしかできなかった。

 ドックに入ると、そこにいる作業員達が出迎える。ザイアスはそこでさっきのやりとりを無かったかのように、笑顔を彼らに返す。


「修理はバッチリだぜ!」

「おう、よくやった。修理代の請求は任せとけえ!」

「「「頼みます、キャプテン!!」」」

「おおし、頼まれた!」


 純白に煌く歯を見せ、親指を立てるザイアスの姿は、作業員達にはまさしく勇姿に見えたことだろう。


「ダイチもあれぐらいやったらかっこいいんじゃない?」

「俺はあんなの無理だって、恥ずかしいし」

「……だろうね」


 エリスは呆れ顔で返した。呆れたのはこっちだとダイチは言いたかった。


「おい、リピートの奴は来てないか?」


 ザイアスは辺りを見回して、リピートの姿がないことに気づく。


「リピートなら呼び出しておいたんで、もうすぐ……あ、きましたぜ、キャプテン!?」


 リーダー格の作業員がそう言うと、ドックにやってきたリピートに視線が集中した。


「おう、遅かったじゃねえか!」

「すいません、彼女とすっかり語り合ってしまいまして」


 リピートと「語り合った彼女」というのは、イクミ以外に考えられなかった。

 彼と彼女は色々と通じ合うところがありそうに見えた。


「そうか、そいつはいいことだが、すぐに持ち場につけ!」

「了解」


 リピートはダイチ達にひとしきり視線をやりながら船へと乗り込んだ。


「さ、嬢ちゃん達も乗り込め」

「ええ」


 ダイチ達は旅客機に乗り込む。ザイアスから海賊船で火星に送ろうかと提案されたが、エリスは断った。理由はせっかく見つけた「フォトライド・グレーズ」への手掛かりを見逃しておくわけにはいかないとのこと。それに、せっかく木星に行けるのだからその機会を逃したくないとも答えた。ミリアも同意見で、ダイチは反対しなかった。エリス達も見ていて危なっかしいし、1人火星に帰るわけにもいかなかった。

 というわけで、ダイチ達3人は旅客機に乗り込む。


「また会おうぜえ! そんときは歓迎するからよお!」


 景気のいいザイアスの別れの言葉が記憶に刻み込まれた。




「うむ、エンジンは問題ないようだね」


 とりあえずマーズは一息つく。信用のできる海賊とはいっても、その技術力にはやはり不安があったようだ。


「連合会議に間に合いそうなの?」


 エリスが遠慮も無しに訊く。


「うむ、数時間の遅れはあるものの、そちらも問題ない」

「海賊様々ですわね」

「海賊が来なかったら、エンジン壊れなかったけどね」

「それは、確かにそうだね」

 エリスの皮肉にマーズは苦笑する。

「それで俺達に何の用なんです?」


 ダイチはようやく本題を切り出す。

 火星のトップであるマーズと密入国者の3人が2つのソファーで対面している。ある意味奇妙な光景であった。マーズならばもっと豪華で煌びやかなファーストクラスで優雅に座するものであり、対する3人は貧困で、質素なエコノミーすらも勿体なく貨物室がお似合いだ。実際、貨物室に忍びんでいたから例え話にもなってないが、とにかくこの両者の取り巻く世界はあまりにも違いすぎた。

 それなのに、この両者が今いるのは豪華でもなく、かといって質素でもない。いわゆる中間、普通の部屋にいるのだからこれを奇妙と言わずしてなんというか。

 マーズはダイチ達に興味を示している以外に考えられないのだが、マーズがどんな返答をするか、ダイチは興味があった。


「別に用というほどのものでもないが」


 マーズは笑ってダイチの問いかけをかわす。

「私達は密告者よ、そんなのを3人も目の前に連れて来させるなんて星のトップがやることじゃないわね」


「こりゃまた厳しい。お嬢ちゃん、出世するよ」


「まあ、マーズ様のお墨付きですわね」

 ミリアが茶化す。しかし、星のトップを前にしても平常と変わらない態度をとれる度胸があるなら確かに出世はできるのではないかとダイチは密かに思った。


「そんなこと言って話、はぐらかさないでよ」

「うむ、ならばこう言うべきか」


 その言葉がスイッチになったのか、マーズは一転して笑みを消してエリス達を見つめる。


「どうして、この船に乗りこんだ? 私はそれが知りたい」


 辺りに緊張が走る。これだった。まずマーズが疑問に思うのはこのことだった。第一に船に勝手に乗り込んだのだから、このまま檻の中に入れられても文句は言えないし、逃げようもない。相手はマーズで力は段違いだということはザイアスとの戦いで証明されているのだから、勝ち目なんて考えられなかった。

 ここは、彼の質問におとなしく答えた方がいい。そうダイチはエリスに視線を送った。


「この船がリビュアの宇宙港のダイヤに無いモノだったから」

「それは彼らが特別に手配したものだったからね」

「彼らって誰?」

「私の口から言うには、少々危険でね」


 それは絶対に言えないと同じ意味だった。もしマーズを殺そうとしたのが、マーズの言う「彼ら」となると火星のトップに近い立場のヒトとなる。トップの生命を狙うというのはつまり火星全体を巻き込む内乱にもなる恐ろしい事実だ。それにもし仮に「彼ら」でなくても、マーズがそういう疑いの目を向けているということを口外すればそれだけでも十分に混乱を巻き起こす要因になるのは間違いない。


「じゃあ、その彼らがフォトライドと関係しているってことまでは言えるの?」


 エリスにとってこの問いかけこそ本題だった。


「フォトライド・グレーズを知っている人間って限られているからね」

「フォトライドを知ってるのね」

「戦時中彼が火星に与えた影響は決して小さくないからね」

「存じ上げております」


 両者に緊張している。この名前が出ただけで、この空間は圧迫される。部外者に近い立場のダイチにさえ、それは感じられた。


「戦争が終わって矢面に立つことが無くなったせいで、死んだと囁く者もいるくらいだ」

「彼は生きているわ」


 黒いグローブをさすりながらエリスは断言する。


「……だろうね、あのキマイラは彼のみが開発できる代物だから」

「キマイラ?」

「彼が作り出した合成人(ごうせいびと)のことだよ、火星はこれを生体兵器として使用し、多大な戦果を上げた」


 ダイチが首をかしげると、マーズが補足してくれた。


(キマイラ……合成人……)

 心の中でくり返しつぶやくと、違和感を覚えた。


 あの異形の生物。ヒトによく似ている、そういうものだと思っていたが、似ているという問題ではなかった。実際彼らはヒトだったのだ。元はヒトだったもの、合成……幾人ものヒトが組み合わせって成り立ったモノ。

 気味の悪さを感じる。同じヒトに手を加えてあのような怪物を作り出すなんて正気の沙汰とは思えなかった。

 それとともに、また別の違和感を覚えた。


(あれが、ヒト……)

 そう思うとあれが何だったのか、疑問が消える違和感。

 何故違和感が消えるのか、それ自体が違和感となってダイチの頭を取り巻いてくる。


「何にしても、本格的な調査は連合会議が終わってからになりそうだがね」


 ダイチが考えているうちに、マーズはそう結論づけてしまった。


「そう、じゃあもう話すことは何もないわね」


 エリスは立ち上がる。

「できればもう少し話したかったところだけど」


「結構ですわ、自分の手を見せない殿方は好みではありませんので」

ミリアははっきりと言い切り、去っていく。それについて行かなればとダイチも立つ。


「君は火星人ではないのかい?」


 呼び止めるように、マーズが訊いてくる。


「……俺のこと、ですか?」

「他に誰がいる?」

「俺が火星人でなければどうするんですか?」

「別に……ただの興味だよ」


 マーズが答えたことで、質問の応酬にピリオドが打たれたようだった。


「じゃあ、俺はこれで」


 ダイチは一礼してその場を立ち去った。

 マーズは頬杖を突いて彼らがいなくなったソファーを見つめた。

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