第5話 火星のマーズ

「おぐわッ!?」

 悲鳴を上げて男達は倒れた。

 その場にいる黒いマントを羽織った赤髪の男が持つ槍から放たれた一撃を受けたためだ。

「なんだ、こいつは!? 滅茶苦茶つええぞ!」

 その男の力強さに、踏み込んできた海賊達は恐れおののいた。

「どうした、宇宙海賊とはこの程度のものか?」

 赤髪の男は、槍を肩にかけて笑顔で言い放つ。その姿勢は実に堂々としており、髭が生え揃っていることから中年であるようだが、顔は若々しさに満ちており、海賊を前にして遊び相手のような対応である。

「キャ、キャプテン」

 海賊達は一人の男に視線を集めた。

「俺は争い事は嫌いだってのになあ」

 キャプテン・ザイアスはそうぼやいて、赤髪の男を見つめる。

「仕方ねえか、相手が相手だしなあ」

「私を知っているのか?」

「そりゃまあ、有名人だからなあ」

 ザイアスは満足げに笑い、腰に帯刀していたカットラスを引き抜き、男の名を口にする。

「――マーズ・グラディウス・ハザード、火星の総大将さんよお」

 船全体が大きく揺れる。さっきまでの振動とは比べ物にならないほど、船がバラバラになってしまうのではないかと本気で危惧するほどに強いものだった。




「海賊の攻撃って容赦ないのね! 船を分解するつもりかしら?」

 エリスは先程の二人組の海賊を思い出して悪態をつく。


「そうでもないと思います。それだったら今船の中にいる仲間まで危険ですから」

「だったら、この揺れは何なの!?」

「わかりません」


 ミリアがそう答えると、もう一度揺れる。


「揺れの伝わり方からして、貨物室の方ね!」


 エリスはことさら息巻いて走る。

 貨物室に近づくに連れて、揺れは大きくなり、壁が軋んでくる。


「きゃあッ!?」


 ミリアが揺れに耐えかねて転びかける。ダイチはそれを支えた。


「気をつけろよ」

「ありがとうございます」

「もたもたしないで! さっさと行くわよ!」


 そこへエリスが急かす。苛立っているのがその言動からもわかる。

 貨物室にはそれほど距離も無く、隔壁も無くなっているため、すぐについた。

 そこで目にした光景は目を疑いたくなるものだった。

 男が二人、一対一の戦い。それは天災とも呼べるほどのカットラスと槍の激突であり、刃が重なるたびに雷鳴のごとく轟音が響き、暴風が吹き荒れ、衝撃だけでコンテナが浮き上がるほどだった。

「なんだ、これ!?」

 暴風をまともに受けたダイチは一言をぶつける。

「能力……いいえ、単純に力と力のぶつかり合いですね、ここまで凄まじいと言葉もありませんわ」


 ミリアも素直に感想を述べた。


「う、そ……?」

 槍を持っている赤髪の男を見てエリスは驚愕する。


「なんで、あの男がここに?」

「知り合いなのか?」


 エリスは首を振る。


「ううん、知り合いじゃないわ。でも、あの男、マーズよ!」

「マーズ?」

「火星の最高権力者に与えられる名前ですよ」


 ミリアが補足してくれる。


「最高……? なんだってそんな偉い男がここにいるんだよ?」

「知るわけないでしょ! あの戦闘力は本物よ! ああもう、どうしてマーズがこんなところにいるわけよ!?」

 エリスは困惑していた。あまりにも予想外の事態にどう動けばいいのかわからないのだ。

 そうこうしているうちにまた男達は刃を交える。船全体を巻き込んだ振動だ。

「これじゃあ船がもたんぜ!」

「そうですね、本当にまずいですわね。誰かが止められばよいのですが……」

「誰かって誰が?」


 訊くとミリアから期待の目を向けられる。


――ダイチさんならできますわよね?


 そう言われたような気さえしてくる。

「俺は無理だぞ!」

「何も言っていませんよ、ただダイチさんならなんとかしてくれるのかなと思いまして」


 純粋に期待してくれるのは嬉しいことなのだが、この状況では笑顔で『死んでください』と言われたような空恐ろしいニュアンスに聞こえてならない。


「俺にできることなんてないって……」


 ダイチはため息混じりに答えるしかできなかった。

 そのうちに振動が止まる。戦いが一呼吸間を置く段階に入ったようだ。


「海賊にしてはやるな、治安部隊が手を焼くわけだ」

 赤髪の男・マーズは愉快そうに言った。

「敵対する奴は容赦なく潰すのが俺の主義なんでねえ」

 海賊の男・ザイアスはマーズに刃を向けて得意げに答える。

「争い事は苦手と言った男がよく言う……」

「そんなこと言ったかあ? 俺は憶えるのは苦手なんでなあ」

「苦手の多い船長だ」

「代わりに得意なもんも多いけどなあ、マーズさんよお!」

「それが戦闘ってわけか、気に入った!」

 槍の先をザイアスに向ける。

 剣と槍の刃。互いに十分に距離をとってある。だというのに両者の間に発せられる圧迫感が距離を零にしているようで、どちらも互いの喉元を突きつけている。そんな錯覚に陥りそうだった。


「……二人とも全然本気を出していないわね」


 その様子を見て、エリスが恐ろしいことを呟く。


「あれで、本気じゃないって……?」


 ダイチは今の言葉が空耳だと思いたくて訊いた。さっきの戦いだけでも、さっき見たエリスや海賊との戦いとは別次元の領域だと思わせるには十分な内容だったにも関わらず、それがまだ本気でないとすると、それこそ船を飛び出して宇宙規模の壮絶な戦いという想像もつかないものになるのではとダイチは危惧する。


「そうですわね、今のは様子見といったところでしょうか」


 ミリアの極めて真剣な発言にダイチは絶句した。


「なあ、ものは相談なんだがあ」

「何かね?」

「ここいらでやめにしねえかあ?」

「それはまた急だな、ここまで白熱した戦いは久しぶりだから、もっと楽しみたいところなんだが」

「偉いさんが好戦的ってのはどうかと思うが、まあこのまま戦ったらどうなるか、わからないような単細胞でもなさそうだがあ」


 ザイアスは笑いながら大袈裟に首を傾げる。


「そうだな、私と君の戦場にしては、ここは狭すぎるものな」

「だろお?」

「しかし、だからといって海賊行為を見逃すわけにもいくまい」

「そいつは残念だぜえ」

 ザイアスの言葉が開戦のゴングとなった。

――と思われたその時、異変が起きた。


グオォォォォッ!!


 振動とはまた違う生物の生々しい咆哮が響きわたる。


「――ッ!?」


 その場にいた全員が驚愕した。

 次の瞬間に、異変の正体がコンテナの中にあると気づいた。

 気づいたと同時に、それらはコンテナを食い破ってきた。

 それらはヒトの形をしていた。四肢はちゃんとあり、首の上にはちゃんと頭もある。ただそれだけだ。そこから先の外見はヒトとは見分けのつかない、おぞましいものだった。血管は浮き彫りで、爪はナイフのように鋭く光り、ドリルのような螺旋を描く牙を剥き出しにしている姿は魔獣といってもいい。身体は肌色から変色して右腕は赤く、左腕は青いといった色とりどりなところがまた気味の悪さを助長させた。


「なんだ、こいつら!?」

 海賊の誰かが言葉を発したのがそれらヒトモドキの覚醒の引き金を引いたようだった。


ォォォォォッ!!


 牙を剥き出しにしてくるヒトモドキは、海賊の一人にその牙を突き刺した。


「なッ!?」


 全員が驚愕し、硬直した瞬間を狙ってきたのだ。

 それらは四散し、海賊、船員、侵入者の区別無く襲いかかってきた。悲鳴もまた各所に飛び散る。


「二人とも下がって!」


 いち早くこの異変に対応したのはエリスだった。

「何が、起きてるんだ……?」

「わかりませんわ。とにかくここはエリスに任せましょう」

 ダイチは腑に落ちないながらもその言葉に従った。そうしなければ、身が危ないと思ったからだ。

 エリスを見るとナイフのような鋭い爪が襲いかかってきたが、かわして蹴りを入れる。

「こんな怪物が積まれていたなんて!」

 エリスは怒りに震える拳をヒトモドキの顔に叩き込む。

 それを見たヒトモドキはエリスに寄ってくる。しかしエリスは臆することなく、むしろ片っ端から叩き潰すという気運が高まる。

 エリスは黒いグローブを外す。能力を発動させる枷を解く姿勢であり、これから能力を使うという意思表示でもあった。


「ヒートアップ!」


 身体中から熱気が迸り、髪が巻き上がる。さながら身体は一条の炎であり、その拳は火花散る花火であった。拳がヒトモドキの顔と合わさる度に、それが決して比喩ではないことを見せ付けられる。

 蹴りと拳がリズム良くヒトモドキに打ち込まれる。

 その衝撃は凄まじく、現在起きている船全体を揺るがす振動に一役買っていた。

 だがそんなエリスでも押し寄せる多数のヒトモドキ全てに対処できるわけではなかった。

 集まりだしたヒトモドキがエリスを取り囲み、彼女の死角に回り込み始めたのだ。


ザシュ!


 そこから、槍の一閃が取り囲んだヒトモドキの一角を薙ぎ倒した。

「大丈夫かい、お嬢ちゃん?」

 マーズが一足飛びでエリスに寄った。

「平気よ」

「だったら、ここから逃げた方がいい」

 マーズは優しく、まるで娘に言い聞かせるような物言いだった。

「いいえ、逃げないわ」

「そうかい」


 マーズはそう言って槍を振りかぶる。何かをする動作だとエリスは感じた。


「では、巻き添えを食わないように気をつけたまえ」


 その呼びかけが攻撃のための予備動作であると瞬時に悟り、彼の背後に回った。

 槍が弧を描き、振るわれると風が刃と成してヒトモドキを容赦なく切り裂いた。


「恐ろしいものだねえ」


 ザイアスが笑みを浮かべてマーズに喋りかける。


「どうだねえ、マーズさん。こいつらを片付けるまで一時休戦というのは?」


 ザイアスの提案にマーズはニヤリと笑って答える。


「いいだろう」

 ザイアスもこれに満足げに笑って答え、それぞれ槍とカットラスを振るい、互いの刃が描く光の軌跡は交差する。




「たあッ!」

 最後に生き残った一体のヒトモドキをエリスが頭を殴り潰して、戦いは終わった。


「野郎ども、被害状況報告しろ!」

 ザイアスが意気のいい声を上げる。がたいのいい男・トップが答える。

「意識不明な奴が三人! 他、負傷者が十人ですぜ!」

「よおし、すぐに戻って手当てしろ!」

「キャプテンは?」

「俺はまだ用があるから先にまってろい!」

「がってん承知の介!」


 トップは負傷者を連れて貨物室を出ていく。


「さて、さっさと用を済ませるとするか」

 ザイアスは、カットラスを鞘に納めマーズの前に立つ。


「この怪物どもはなんだあ? こんなもの積んで、木星で何しようってんだ?」

「いやはや、こんなものが積まれていると知っていればこの船には乗り合わせていない」

「――では、あなたは何故この船に乗り合わせていたの、マーズ・グラディウス・ハザード?」

 エリスがこの場にいる誰もが思っている疑問を本人を前にして口にする。

 彼は紛れも無く火星最高の権力者であり、彼が黒と言えば白すらも黒と言わざるおえないほどの実権を握っているのにも関わらず物怖じしない物腰は、神をも恐れぬ大胆さであった


「これでも立場上、常に生命を狙われている身なんでね。秘密裏に木星まで行ければいいという意見に耳を貸した結果だよ」

「わざわざ、田舎のリビュアに来てまでそんなことするなんて物好きなのね」

「その方が安全だとも聞いてね」


 マーズは苦笑いして答える。その姿は、人のいいおじさんという印象を受け、とても権力者には見えなかった。


「しかし……彼らにこんな意図があったとまでは予想はいかなかったけどね」

「生命を狙っていたのは、そいつらだったって話かあ!」


 物笑いの種を見つけたとばかりにザイアスは笑いながら言う。


「そうなるな……」


 マーズはそう言って極めて真剣な面持ちでも、もはや物言わぬ死体と化したヒトモドキに目をやる。


「頃合いを見て、こいつらを放して私を襲わせる。あわよくば私を亡き者にすることができるとふんだのだろう」

「頃合いってのはアステロイドベルトに入り、俺達の標的になる時だったってわけか」

「危うく君らはマーズ殺しの濡れ衣を着せられるところだったというわけか」

「大した連中だぜ、あんたの側近どもはあ!」

「君なんかは部下達に慕われてうらやましい限りだ」

「世辞なんていらねえぜえ! ガハハハ!」


 ザイアスは豪快に笑う。


「しかし、これだけのモノが出てくるとなると、なおさら穏やかではすまないだろう」

「んでよお、こいつらは何なんだ? 火星にはこんな生物がわんさかいるのか?」

「火星のイメージを悪くするだけだね、こんなのがいたんじゃ」

「それもそうか」

「いたとしても、木星に持ち込むはずがなかろう?」

「それもそうだ。戦争の火種を持ち込むなんざ、権力者のやることじゃねえな」


 何十年来かの友人かのようなやり取りをする二人。本当につい先程までには命のやり取りをしていたとは思えないものだった。


「じゃあ、この怪物の出どころはわからないっていうの?」


 エリスはそこへ口を挟む。


「それはお嬢ちゃんの方が知っていそうだと思うけどね」


 エリスは言葉を詰まらせる。何故マーズがそんな事を口にしたのか、こちらの心境を見透かしているのか。やはり、大物となるとその言動は一味も二味も違ってくる。そんな風格が彼に滲み出てきていると感じた。


「フォトライド・グレーズ……この名前を知らないとは言わせないわ」


 その名前を聞いて、マーズは目を鋭くさせる。


「先代のマーズを懐柔した男だ。知らぬわけがあるまい」

「彼がこの積み荷に関与していた……そうとしか考えられないわ」

「なるほど」


 マーズは納得する。


「それならば議会の年寄り連中も関わってるかもしれない……かなり根深いな」


 厄介事ができてしまったと忌まわしげに言う。


「私からしてみればあなたも年寄りに見えるけど」

「そりゃ参ったね……まだまだ若いつもりなんだけど」

 マーズは苦笑いして答える。

 本当に顔がコロコロ変わる。だけど、常に余裕が感じられるのは権力者としての威厳なのかもしれない。


「まあ、原因を追求するのは火星に帰ってするべきか。動かぬ証拠もあることだしな」

「おいおい、持ち帰れると思うなよ。こいつは重要なサンプルってやつだからな」


 ザイアスの一言で、一転して火花が散りかねない険悪なモノとなった。


『マーズ様、緊急事態であります』


 その雰囲気を切り裂くように女性アナウンスが流れる。


『先程の戦闘行為により、メインエンジンを破損した模様で、このままでは木星にたどり着けないでしょう』

あちゃ~、やっちまったな」

 

 ザイアスは愉快げに笑う。

 

「困ったものだ……このままでは木星の連合会議に間に合わないかもしれない……」

「そいつは困りものだなあ!」

 ザイアスは他人の不幸を笑いながらその場を去ろうとした。


「マーズ様、心配なさらずともよろしいですよ」


 そこへミリアが不意に現れてマーズへ礼儀正しく進言する。


「何かいい考えが君にあるというのかね?」

「はい」


 ミリアはスカートの裾を上げて一礼してから言う。


「船が動かないのなら、動く船を手に入れればいいのですよ」

「しかし、そんな船がどこに?」


 ミリアはニコリと妖しく笑う。


「この船に乗り込んできた海賊の船があるじゃないですか」

「なるほど! 船を奪い取ればよいのだな」

「そういうことです」


 背中を向けて去ろうとするザイアスは身の危険を感じて振り返る。


「おいおい、とんでもないこと考える嬢ちゃんだなあ。海賊から船を奪い取るなんて普通考えねえぞ」

「海賊にお褒めにあずかり光栄です」

「褒めたつもりはねえが、気に入ったぜえ! お嬢ちゃん達なら乗せてやってもいい!」

「本当ですか?」

「海賊は嘘をつかねえ!」


 ザイアスは豪快に答える。


「ありがとうございます」


 ミリアは深々と頭を下げる 。こういうところはさすがにウエイトレスらしく、きちんとした礼であった。


「だが、マーズ! お前を乗せるには条件がある」

「条件とな?」

「俺達の事を公表しないってことだ。知られると厄介なもんでな」

「ふむ……仕方がない。連合会議に欠席となれば火星の沽券に関わる。背に腹はかえられん」

「そうとなりゃ、乗り込むぞ! 俺についてこい!」

 ザイアスはそう仕切って、マーズとともに貨物室を出ていく。

 エリスとミリアは、そこら中に散らばったヒトモドキの死体を一つ一つ確認しながら出口へと向かった。

 最後に残ったダイチは一人、世界に取り残されたかのような錯覚に囚われながら後を追った。


――宇宙じゃ何が起きても不思議じゃないかもしれないんだな

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