オービタルエリス
@jukaito
第1章 開幕篇
プロローグ~火星人は地球人と出会う~
遥かな昔、太陽を中心として連なる八の惑星の内、第三の星より知恵を授かりし生命が誕生した。
その生命は授かった知恵で文明を創造し、遂には生まれた星さえも飛び出した。
やがて他の八の惑星にたどり着き、それぞれに住み着いた。彼らはその星に根差すことで地球人と呼ばれることはとうとうなくなった。
*******************
宇宙空間を漂うのは好きだ。上も下もない、視界三六〇°に隈なく瞬く無数の星々は見ているだけで飽きない。こうして泳いでいるだけで、自分のその輝かしい星になれるような感覚が心地よい。できればこの無骨な宇宙服を脱ぎ捨てて生身で飛び続けたかった。でも、それは叶わない夢であった。
かつて地球人は火星をはじめとする太陽家の星々に住めるように身体を適応させ、進化させたが、それでも宇宙空間は無理だった。どうしてそういう身体にしてくれなかったのかとご先祖様へ不条理な苛立ちがこみ上げてきた。そなると幾千の輝く星を見て心を和ませる。
「――手を休めるなよ」
そんな時間は端末の班長の一声が終わらせた。
「わかってるわよ……」
不機嫌顔でエリスは悪態をついた。もっともその声は、通信機で拾えないほどの小さなものだった。
「少しぐらいは息を抜いてもいいと思うんだけどな」
エリスはぼやきながら、小石ほどのスペースデブリをボックスへ入れる。
宇宙空間に漂うデブリ、上の連中は宇宙のゴミだと言っているモノは、推定で数億以上はある。これはおおまかに観測局がおおまかに旅客機の運用に支障が出る恐れがある規模の数で、現場の人間からしてみれば大雑把極まりないといいようが無い。実際にはその数万倍は火星宙域にあると考えられている。
それらを回収するのがエリスの仕事だ。人手が足りないということで引き受けたこの仕事なのだが、エリスは気に入っている。気軽に宇宙空間に出れるのがこの仕事の魅力なのだと認識しているからだ。
それと一言でデブリといっても、様々な種類がある。小石から鉄くずが主なのだが、中には廃棄された宇宙ステーションの廃材、不法投棄された金属といたものが発見できるのでちょっとした宝探しだとエリスは思っている。しかも、この周辺のどこかに、ヒトが火星に降り立った太古の時代に使われたコロニーが今も使われることもなく漂っているのではないかという噂まであるくらい、この宇宙は神秘に包まれている。
何が起きるのかわからない。ゆえに何かが起きる期待感が湧いてくる。それもまたエリスが宇宙に出る理由だ。
そう例えば今エリスの目の前にいきなり自分よりも大きな珠状の物体がいきなり目の前に現れるのも日常茶飯事……
「はあ!? 何よこれ!?」
でもなかったようだ。
面を食らった。エリスは素っ頓狂な声を上げてしまった。
(なにこれ? え、デブリ? ん、違うわよね……えぇと、コンテナ? 何かステーションの残骸?)
疑問がつきないところだが、まず落ち着いたところで最初に考えたのはこれを班長にどう報告するべきかだった。
「お前、とんでもない物拾ってきたな……」
当然こんなことを言われた。予想していたことだから返答も簡単だった。
「これ、上にどう報告するんだよ?」
班長――クライス・レーインは頭を抱えた。
「あー、こんなものな、発見しました、だけでは。なんて言われるか……」
クライスは困っている。
今乗っているシャトルの分析コンピュータではこの珠がなんなのかわからなかったようなので、もっと設備の整ったところのものを使う必要がある。
とはいっても、この正体不明の物体を上に報告すると、どんな嫌味を言われるのかと憂鬱になっている。
エリスはクライスの上司を実際に見たことは無いものの、彼の口振りからして相当嫌な人間なのかと思えた。だからこそ、こんな面倒事を報告するのを躊躇っているのだ。
エリスもそのあたりの口論を何度も耳にしているからわかっている。
(ほんと身体の割に気が小さいのよね)
クライスは大柄な体格で、元軍人だったと聞いている。エリスにとってはそうではないが他の班員からしてみればそれが威圧感を与えているようだが、モニター越しだとそれは伝わらない。
一発ガツンと言ってやればいいのに、とエリスは内心思う。
「それでなんだけど、班長。私にアテがあるんだけど」
「アテ?」
「そ。これが、何なのか無償で分析してくれる人を知ってるの。だからこれは私に任せてもらえないかしら?」
クライスは「むむぅ……」と唸った。
こういったとき、彼が考えた末にどう答えるのかもエリスには予想がついていた。
「お前に任せる……何なのかわかってから上に報告すること、いいな?」
「ありがとね」
シャトルは火星の成層圏に入る。地表に着陸するとあとはもう個人解散だ。
エリスは宇宙服を脱いであどけなさの残る赤い瞳を閉じ、大きく息をつく。次いで束ねていた長い赤い髪を背中まで垂れ流し、普段着である長袖の赤いシャツに着替え、短めな白いスカートをはく。その上でおよそ思春期の少女に似つかわしくない黒い厚いグローブを腕にはめた。その着替えが終わると同時に仕事が終わったとエリスは実感できた。
そこでさっそくエリスは珠をテープで固定し、リュックのように背負い、街へと出た。
シャトルを降りてからしばらく歩き通して街中にたどり着いた。
エリスよりも大きくて重い珠を軽々と持ち上げる光景は、火星の片田舎といわれている都市リビュアでは見慣れた光景だった。
道行く人達も「やあ、エリス」と気軽に声をかけてくる者や「それどうしたの?」と球を指差して訊いてくる者、黙ってその動向を見守る者と様々だった。
そんな街を歩いて、外れの曲がり角にある妙に四角で整えられた家へと入る。
「ただいま」
と帰宅の言葉を言う前に奥からドタドタと迫り来る音がエリスの耳に入った。
やってきたのは油に汚れた作業着を羽織っている同居人のイクミだった。下にセーラー服のスカートが見えることから学校から帰ってきたばかりなんだろう。首筋に見えるリボンで束ねた黒髪が尻尾のように見えて本人はそれをトレードマークと称している。
「なんやなんや、それ?」
イクミが興奮気味にエリスが背負っている珠を指差す。
「わからない、だからイクミに分析を頼みたいの」
エリスは自然体で対応した。その件のイクミは指をパキポキ鳴らしながら、妖しげな笑みを浮かべている。
「ラジャー! ムフフ、どんなビックリ構造になっているか楽しみや! さ、早くおろしておろして」
「まずは落ち着いて」
「うちはいたって冷静やで。さあ、地下室へと運んでくれエリス!」
「はいはい」
本人が冷静というのならそれでいいだろう、とエリスは長年の付き合いで身についた彼女への対応をとる。
この家の地下室は、イクミの趣味で作った空間であり、何やら研究や発明をしているらしいのだが、基本的にいつ何をしているのかは同居人のエリスですら知らない。ともかく、この空間には専門のコンピュータや機械があり、下手な施設よりも整っているので、エリスは持ち帰ったデブリの分析を時折頼んでいる。今回もそんなところ。ただやたら大きいだけでいつもと変わりない。
「おかえりなさいませ。随分とおしゃれなものを持ち帰ってきましたね」
地下へと降りる階段の隣に金髪の少女が立っていた。彼女もこの家の住人で、名前はミリア。青いフリルのついたドレスともとれる服を着込んでいる。これはミリアの働き先であるレストランのウエイトレスの制服なのだが、本人は気に入っていてプライベートの方でも着ている。煌びやかな金髪と人当たりのいい笑顔は育ちのいいお嬢様と連想されるが。
「これをおしゃれというあんたの美的センスを疑うわね」
「ええ、エリスは無骨ですもの。このエレガントな洋装を理解できなくて当然です」
彼女の口調には遠慮が無かった。普段は物静かな物腰と可愛げのある容姿に騙されているのだとエリスは思う。
「それはどういう意味かしら……?」
エリスの目がひきつる。
「言葉通りの意味ですわ」
ミリアはそれに臆することなく薄っぺらい笑みを浮かべて答えた。それが宣戦布告だと言わんばかりの態度だ。
「ちょいまち! 二人ともケンカはあかんで!」
そこへイクミが仲裁に入る。エリスとミリアのいさかいが拳と拳をぶつけるような衝突に発展しないように止めるのがイクミの役目になっている。
「……また喧嘩して貴重なサンプル壊されたらたまらんからな、さっさといくで!」
イクミが腕を振るって指示をする。エリスはこれに従う、そういうのが日常の流れになっている。
「あんたもくる?」
「ええ、エリスがどんな無様なお宝を持ち帰ったか見届けておくべきですもの」
その瞬間その場でギリッ、とグローブを握りしめる音がした。
地下室に降り、珠を分析用の台座に置いてから、イクミはひたすらキーボードを叩いていた。手こずっているようで、スクリーンにはいくつもの資料と思われるウィンドウが浮かび上がっている。
「で、どうなの?」
「うーん、なんともいえん。見慣れない形状のものやからな」
そう言って資料を取り出す。今時、紙でできた資料を使用しているのは相当な物好きだ。それは昔から製法が限られており、保存がきかないことから入手は困難な物でどこから仕入れてきたのか、エリスは見る度に気になっている。
「ええい、こうなったら!」
カタカタと、目にも止まらぬ速さでイクミはキーボードを叩く。
本当にあまりの凄まじさにその場に暴風が吹き溢れるほどであった。
「よしよし! これで、こうか! えいッ!
これで締めや!
――ポチッ、とな!」
イクミは何やら怪しげな発声で、コンピュータにある一際大きなスイッチを人差し指で押した。
「だいたい、こんなもんかな」
「終わったの?」
「まあ、うちにかかればチョチョイのチョイやで」
イクミは眼鏡をかけなおして得意げに答える。
そのレンズ越しの細い目は満足に満ちていた。そういえば彼女の瞳を見たのはいつ以来だろうかとエリスは思い出そうとしたが、無理だった。
そうこうしているうちにミリアは珠に近づき、見上げ、そして触れる。
「まるで卵みたいですわね」
「卵ね……確かにそう見えないことはないけど」
「叩いてみたら中からヒヨコちゃんが出てくるかもしれませんわ」
「ちょッ!」
イクミが飛び上がる。
「なに言うてんねん! これは貴重な資源なんやから、叩き壊したらあかんて!」
そう言うと、ミリアはクスクスと笑い出す。
「冗談ですわ、イクミ。そんなことにカロリーを割く余裕なんてありませんから」
「ミリアが言うと、冗談に聞こえへんからな。ほどほどにしといてくれんか」
そんな和やかな雰囲気が一瞬流れた
――カチン!
しかし次の瞬間、鉄が折れたような音が地下室中に響いた。
「はあ?」
それは珠に亀裂が入った音だった。
「ミリア!」
「わたくしはまだやっていませんわ」
「まだってことはやっぱりやる気やったんやな!」
イクミは、ミリアを責め立てた。
「ねえ、そんなことより、」
エリスが近づいた。珠は音を立てて崩れる。ミリアが言ったようにちょうど卵が真っ二つに割れたように鮮やかに。
珠の中は空洞になっていたらしい。割れた珠の内側がそれを物語っていた。いや、問題はそれよりも、
「あれ、ここどこだ?」
少年が一人珠の中心で座り込んでいたことだ。
「ねえ、イクミ……これってどういうことかしら?」
「うちに訊かれても……」
「男の方って卵から生まれるのですね、知りませんでした」
「ああ、なるほど」
エリスは納得する。
「私聞いたことあるわ……地球のおとぎ話で、おじいさんとおばあさんが川から拾ってきた桃……ああ、桃っていうのは地球にある果物のことなんだけど、それを切ると中から可愛らしい男の子がいたのよ」
「あ、それならわたくしも聞いたことありますわ」
「うちも! うちも!」
普段あまり揃うことのない三人の意見が珍しく揃った。
「お、なんだ? 桃太郎の話か?」
少年は興味津々に立ち上がった。
「確か、そのあと生まれた子供を食べておじいさん達が若返ったのよ」
「へ?」
少年は驚きの声を上げた。
「せやな、きっとその子供には若返りのエキスがたっぷりあったんとちゃうか?」
「え?」
少年は首をかしげた。
「ということは、同じ桃のような卵から生まれたあの子を食べれば……」
「うぅ……」
少年は身の危険を感じた。
そして三人は揃って目を光らせて、少年を見つめてこう言った。
「若返る!」
「俺の知ってる桃太郎と違う!」
少年は大きく叫んだ。その絶叫で3人は我に返った。
「まあ、男の子くったぐらいで若返るわけないわな」
「所詮おとぎ話なものね」
「もちろん冗談に決まってるじゃないですか」
冗談じゃなく本気だったと言いたげなのが、少年の額からこぼれ落ちる汗が物語っていた。
「とんでもない連中に拾われたな」
少年はため息をついた。
「あなた、見たところ火星人じゃないわよね、どこの星の人間?」
「火星人じゃないのかって? ってことは、ここは火星なのか?」
「ええ、そうよ」
「マジか……せめて、木星か土星までには行けると思ったんだけどな。まあ簡易ポッドじゃ火星が限界か」
「簡易ポッド? これポッドなんか?」
イクミが興味を示して珠をコンコンと叩いて材質を確認した。
「ああ……地球のな」
「「「地球ッ!?」」」
少年の何気ない一言で、三人一斉に驚きの声を上げる。
「……これ、地球製なんか?」
「あ、ああ、そうだが……そんなに驚くことか?」
「驚くに決まってるやないか! あんた、地球から来たんかい!?」
「そ、そうだけど……」
イクミの迫力に圧されて少年は壁際まで後退した。
「ってことはあんた地球人なんか?」
「ああ、そうだけど。そんなに驚くこと?」
「当然や! 地球といえば禁断の星! 誰も足を踏み入れることが許されない不可侵惑星なんやで!」
「イクミ、落ち着きなさい」
エリスはイクミの肩に手をかけて制する。これで少年は一息つけた。
「それで、あんた本当に地球人なの?」
「本当だ、証明するものはないけどな」
少年は嘘は言ってなかった。返答に迷いが無く、表情には着ている無地の白シャツと同じように嘘という色は見えなかった。
「困ったわね、どうする?」
「わたくしは別に困りませんわ。エリスが拾ってきたのだからエリスが処理すべきです」
ミリアは人事だと主張するようにそっぽ向く。そうなると、拾ってきたエリスは一応の責任を感じ始める。
「まあ、そうね。珠の中身が地球人でしたなんて言われたらドン引きよね。最悪クビかも」
エリスはため息混じりにぼやいた。
「あら、エリスには宇宙のゴミ拾いしか取り柄がないじゃありませんか、それをクビになったら生きていく意味がないのでは?」
「誰がゴミ拾いしか取り柄がないですって……?」
エリスは激しくミリアを睨む。ミリアはそれを涼しい顔で受け止める。
「あの二人、仲悪いのか?」
そんな様子を見て、少年はイクミに訊いた。
「いやいや、そんなことあらへん。あれはコミュニケーションや」
「そうなのか」
少年が二人を見ていると、エリスが思い出したようにこちらを向いた。
「あ、そういえば……あんた、名前は?」
「名前……?」
少年は頭を掻く。普通ここは即答しそうなものなのにとエリスは不審に思った。
「待って、私があなたの名前を当ててみるから」
エリスはさも愉快げにそう言って、考え始めた。
「そうね、桃から生まれたんだから……」
その言葉を聞いた時点で少年の脳裏には嫌な予感がよぎった。
「モモコ!」
「違う!」
少年は即答した。
「モモコ……モモコ……」
少年の目に向こうの方でプルプル震えて笑いを抑えているミリアの姿が見えた。しかし、今疑問の矛先を向けるのは彼女ではなかった。
「なんでモモコなんだよ、モモコじゃ女の名前だろ? 第一さっきの話は桃太郎だろ!?」
「地球じゃあモモコって女の名前なの? 知らなかったわ、まあいいじゃないモモコで」
「よくない!」
少年は一声上げた後に、一息つけたから言った。
「ダイチだよ、ダイチ! 俺の名前!」
「あ、そうなんだ。じゃあ合わせてモモチンでどう?」
「どうって? なんで合わせた?」
「面白そうだから」
エリスは笑顔であっさりと答えた。
「ああ、わかった。なんとでも呼んでくれ!」
ダイチは投げやりな口調で返した。すると三人が一斉に彼の名前を呼んだ。
「えぇ、わかったわダイチ」「初めましてモモコ」「よろしくなモモチン」
「………………」
ダイチは三者三様の対応に抑えていた不満が爆発した。
「統一しろ!」
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