アイ・フラット

ハユキマコト

※ たとえ雪国と呼ばれても…あなたが今みているもの。

「『雪国』って言い方、おかしくない?国じゃないのにね」


 風情とかそういうのじゃない、と返すと、若干不満そうに唸り声をあげている。


 雪国の冬がどうとか、降雪量がなんとか、そういう話をしているネットニュースを聞きながら、君はつまらなそうにスマホの画面をスワイプした。ニュースの音声は一瞬で人気声優による迫真の演技へと切り替わる。

 今日は随分と降る予定らしく、窓の外なんかはもうほとんど白一色だ。なめらかな光線が氷の粒に拡散されていく様子は、昼下がりだというのに朝焼けの空に少し似ていて、なんだかお得な気分になった。


「何がそんなに気になるの?」

「誰の許可を得て、この試される大地を東北以南より別の国と認識しているのかと」

「さあ。神様とか?」

「もはやミーム汚染と言っても過言ではない」

「それミームって言いたいだけでしょ」


 別に北海道はもう試されてないんだけど。だいぶ前に撤回されたネガティブなキャッチコピーがつらつら口から出てくるまで沁み込んでいることこそ、汚染と言って差し支えないと思う。


 平日、水曜日。

 週のどまんなかだというのに仕事は少なく、君に至ってはノートパソコンをほぼ閉じている。スリープしてないから、通知が鳴ったらギリわかるから、と言い訳しながらブランケットを被り、半ば溶けている姿は、とてもじゃないが後輩たちには見せられない。海外クライアントにも毅然と立ち向かう部のエースが、かように家猫のごとき様相を呈していると知ったら、どんな顔をされるだろう。


「ほら、ミーティング入るから、どけて。あとアニメ切って」

「やだあ」

「やだじゃない、その場所だと君も映るよ」

「それは……別にいいよ!」

「よくないでしょ」


 ため息をついて億劫そうに立ち上がり、変な鼻歌とともに去る。今度はストーブ近くの暖かい場所に陣取って、そのまま床に寝っ転がった。同時に、引きずられたブランケットがストーブの真ん前でじりじり熱されていくのを見て、慌てて体と腕をめいっぱい伸ばす。


「焦げる!」

「あ、ごめーん」

「どうすんのここ燃えたら」

「ウチに住めばいいじゃん。いいよ!」

「よくないよ」

「えー、いいでしょ」


 君が大人しくストーブから少し離れたところに移動したのを見届けて、ウェブカメラのスイッチをオンにした。背景には丁寧に片付けられたリビングの様子だけが映る。君は映らない。これで、この部屋には自分しかいない。そういうことになる。

 ミーティングは恙なくはじまる。挨拶をして、世間話をして、議題に入る。そして結論が出る。そういう風に、波風を立てなければ静かに進み、適切に降り積もっていくのを無理に崩す必要もない。


 もし、もしもだ。君のことを一言でも話せば、それはまさに北海道が『雪国』と名付けられるように、この身にも何か微妙にズレた新しい名前がつくのだろう。彼らは満ち足りた顔で、愛と善性に溢れたゴッドファーザーになる。そうして自分たちは誰の許可も得ないまま、自然発生的に、きっと『雪国』に類する新しい名前として呼ばれることとなるのだ。

 自分のことはいざしらず、君にも同じく名付けられるであろうその名前には、ちょっと耐えきれる気がしない。こう見えてたいへんか弱い生き物だ。ブランケットの端より焦げやすいし、焦げたら崩れてなくなってしまうことだろう。焦げる前に溶けて、あたりを水浸しに、台無しにしてしまうかもしれない。涙の凍土で白けた空気をめいっぱい吸い込んで、透明になって無くなってしまうかもしれない。



「ねえ、アレだって」



 輪郭がぼやけたような声に、つまらない妄想から引き戻される。

 君を見て、なぜだか、そこにまだ君が居ることにとても安心した。


 会議は踊らず足踏みさえしない、恙なく、問題なく進み、気付けば画面はまっくらで自分の顔のアイコンだけが映し出されていた。


「どれ」

「明日から年明けの16日までお祈りしちゃダメらしい」

「いやどういうこと」

「正月の神様が念仏嫌いだから、明日から1月の16日まで念仏を唱えないという約束があるそうです」

「念仏とお祈りはちょっと違うんじゃない?クリスマスとかどうするの」

「え、クリスマスって祈るもんなの」

「キリストの誕生日でしょ」

「じゃあ祝うだけじゃない?祈らなくない?」

「言われてみると確かに、祝うほうが適切?」

「ミーティングは終わったの?」


 うなずくと、静かにこちらへすり寄ってくる。

 まあいいか、と思って、然して若干不安で、ウェブカメラをあさっての方向へ向けた。ブランケットのおばけを抱き寄せて、撫でて、ついでにミーティングの結果を共有する。少しわざとらしく考えたような顔をしてから「及第点」とだけ言われた。


「今日までに祈っておくことにするよ」

「そう」

「でもきっと初詣でもお祈りするよね」

「どんな内容?」

「こういうのは言っちゃだめってワケ。あとクリスマスも祈るし」

「結局なんども祈るんでしょ」


 なにか祈るような表情をしていて、何を祈るのか概ねわかっているけれど、でもそれを口にしたら叶えなければいけないように思う。

 自分は神さまではないから今すぐには無理だし、叶う兆しさえ示すのが憚られる。曖昧に拒んでだけどほんのり肯定して、つまらない微笑みを混ぜ込んで、顔や瞳から放射して、そうしてやっと穏やかに見えるものの形を整えて送り出すこと。今はそれ以上は難しい。


 そもそも、念仏という普段の作法を突然捨て置いて『それは嫌い』だなんて一蹴して、四角四面にして画一的に日々をこなす者の言うことは聞いてくれないような気紛れでつまらない神が居てたまるものか。


「ねえ、やっぱり『雪国』って言い方おかしくない?」

「……そうだね。ちょっとおかしいと思うよ」


 寒いでしょう、とブランケットに包まれる。本当は君ほど寒がりじゃないから、この部屋はいまちょっと暑い。それでも、寒いね、と言えることがたまらなく嬉しい。

 なら本当は、今日限り知らない誰かに祈るより、もっと何倍も簡単にできることがあるはずなのに。


「あのさ」

「なにかな?」

「一緒にミーティング出るのは無理だけど、初詣は一緒に行こうね」

「当たり前でしょ」


 来月になれば、また暦は1へと戻る。だけどすべてがリセットされるほど都合がいいわけじゃない。もっと早く、もっと遅く、あるいはずっとこのままで、その祈りのなにもかもが、何ひとつやり直せはしない。


 だから、今は少しずつ歩み寄っていくしかないけれど、いつか君の祈りが、あるいは念仏が、つまらない見栄や善性に満ちる棘や、そういうもののため消費されることなどないように。たとえふたりが雪国と呼ばれても。

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