第九章 最後の餞別

第三十九話 宵闇の剣舞

 華軍かぐんの斬撃は文輝ぶんきが思っていた以上に重い。

 右官府の通信士になる為には必要最低限の戦闘能力を要求されるが、その水準は決して高くはない。一応は戦える。戦場で自分の身を守ることが出来る。その程度だと甘く見ていた。実戦を知らない文輝でも増援が来るまでの時間稼ぎになるだろうと思ったが、いざ戦闘が始まってみれば勝算は五分を大きく下回っている。こうなれば、全力で守りに回らなければ己の命すら危ういだろう。

 華軍の方も初めのうちこそ文輝を警戒していたが、所詮は軍学舎ぐんがくしゃの模擬戦闘の域を超えてはいないことに気付き、今では全力で打ちかかってきている。持久力のない華軍らしい、短期戦の構えだった。


「華軍殿! 華軍殿の役割というのは一体何なのです!」

「それを知りたければ俺を殺して奪い取れと言った筈だな」


 両腕が痺れる感覚に耐えながら、文輝は華軍へ問う。問うことで少しでも多く間を持たせようという目的もあったが、それと同じぐらい華軍の本音が知りたかった。志峰しほうにあらかじめ禁じられていた「華軍への同情」ではない。文輝自身を信じろと言った華軍が、どうして文輝に刃を向けているのかが理解出来ない。何度言い含められても、文輝は問いを重ねてしまう。答えを聞けば納得が出来るかもしれない。その希望だけが文輝の胸中でずっとくすぶっている。貴族の坊ちゃんだから与えられることに慣れていたというのもあるだろう。真実は言葉で表すことが出来ると思っていた。行動が全てだという価値観があるのも知っている。それでも、文輝は答えを知りたいという欲求を抑えられない。

 その願望を華軍は一刀両断に切り捨てる。

 そうされても、文輝の希望は消えない。

 ある意味において、文輝は圧倒的に純粋だった。

 華軍の刃の重圧に耐えかねて両腕の力を抜く。華軍の重心が前方に傾き、文輝はその均衡の隙間を利用して華軍の脇をすり抜ける。相手を失った華軍の剣はそれでも次の瞬間には再び文輝を捕え横薙ぎに払われる。文輝に不得手な武器はない。直刀ちょくとうを縦に構え、華軍の斬撃に耐えた。直刀の間合いと剣の間合いはそれほど変わらない。違いがあるとすればそれは武器の持ち主の力量だけ――すなわち、華軍が有利だろう。それでも、文輝にも勝機が残っている。華軍の持久力は文輝よりも少ない。中城ちゅうじょうを半刻に渡って駆け巡ってなお、文輝は未だ呼吸一つ乱してはいなかった。

 力任せでは文輝を止めることが出来ないと察したのだろう。華軍の構えが変わる。岐崔ぎさいの軍学舎では習わない、古武術の型に文輝は一瞬躊躇した。

 想像を絶する軌道で斬撃が降り注ぐ。生まれ持った動体視力でその切っ先を的確に捕え、文輝は華軍の次の斬撃を受ける。守るだけでは俺は倒せないぞと華軍が嘲笑した。


「華軍殿、俺はあなたを殺めたりはしない、絶対に!」

「将軍位を目指す中科生ちゅうかせいとは思えない言葉だな、小戴しょうたい


 覚悟が甘い、と指摘しながら華軍が今一度全体重を載せた攻撃をしかけてくる。

 直刀の峰で受ける。金属音が広場に甲高く響いた。文輝は徐々にではあるが華軍の攻撃の速さに慣れ始めている。防戦に徹した文輝とは違い、高い瞬発力を活かした高機動の攻撃を続けている華軍が疲れはじめているのも影響しているだろう。


「華軍殿、岐崔しか知らない俺では何の頼りにもならないかもしれません」

「自覚はあるのか。だがもう遅い」


 刃を挟んで対峙した瞳に宿るぎらついた光に臆したが、目線を逸らすことはしない。今もまだ文輝が華軍を信頼している。それを視線を交わすことで伝えたかった。文輝の言葉に束の間、華軍は文輝の向こうに何かを見た。息が聞こえるほど近くにいて、その視界に自らが映らないもどかしさを堪えきれず文輝は叫んだ。


「なぜですか! 『陛下』はあなた方が蜂起することなどお望みではないはずだ!」


 なぜ「まじない」の才があるのか。どうしてそれが国主こくしゅ九品きゅうほんの血族に顕現しないのか。文輝はその答えを教本の上でしか知らない。知らないが、多くの人々を巻き込み、首府を混乱の渦中に投げ込む為ではないのだけは確かだ。

 白帝が――「陛下」が何を望んでいるかは文輝などが推し量れることではない。

 多分、華軍の方がその答えに寄り添っているだろう。

 その自覚があるのかと問う。

 華軍の瞳がその刹那、混濁した憎しみで彩られる。

 今、華軍の視界には文輝がはっきりと映っているだろう。

 文輝の望んだのとは違う意味で。


「九品が『陛下』の名を気安く口にするな!」


 お前たちにその資格はない、と激昂が返ってくる。

 理性的だった斬撃の軌道が乱れる。ようやく見出した華軍の攻撃の法則性が吹き飛び、文輝は再び直感だけの防御を強いられた。華軍の息は乱れている。だのに全力で斬りかかってくる彼の刃を全て捌き切ることは出来ず、文輝は幾つか傷を負った。


「偽りの主に従い、国を売ったお前たち九品に『陛下』の何がわかる!」


 華軍や右官府うかんふの通信士たちが国を売ったのではない、と言外に含んでいた。偽りの主というのが現在の国主、朱氏しゅし景祥けいしょうであることは今更疑う余地はない。その景祥を敬い、国政を取り仕切ってきた九品三公さんこうこそが「陛下」を裏切り、国を売ったのだと華軍は言っている。

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