第9話 そして今
十月十七日月曜日 午後七時
カチャンと紅茶の入ったコップと受け皿が擦れる音が静かな部屋に鳴り響く。
母さんが話を一旦止め出してあった紅茶を飲みほした時、外は既に暗くなっていて夜を迎えていた。
「それで母さんその後に何があったの?」
亜香里が死んだ事実を話す前置きとして、彼女が死んだとされる日の前日起こったことを教えてくれた。
ただここまでの母さんの話を聞いていて、どこにも自分の中の記憶と齟齬する部分は全くなかった。
寧ろ翌日、亜香里の身に何が起きたのかさっぱり予想もつかない。
「やっぱりここまで話しても思い出しはしないのね。いいあきら心して聞いて」
母さんも覚悟を決めた表情をしている。
「次の日亮さんの仕事の関係で急遽先に帰ることになったのだけれど、そこで事故は起きたわ。帰り道亜香里ちゃん達を乗せた車が向かい車線から来るトラックと正面衝突の事故を起こして全員その場で亡くなったの」
母さんから明かされる事故。
俺は全然その事故の記憶に身に覚えが無かった。
翌日、夜遅くまで遊んだことが祟り全員が起きたのは正午過ぎでそれから一緒に後片付けを済ませキャンプ場を出て帰路についたはずだ。
「事故の原因はトラックドライバーの居眠り運転だったそうよ」
真実を受け付けられない俺に母さんは話しに付け加えるように言った。
母さんの言葉を最後に誰も何も言わず沈黙だけが続いていくようにも思われかけた時、玄関の扉が開く音が聞こえすぐに制服姿の唯がリビングに顔を出す。
「ただいまぁーあれっ貝塚先輩に安藤先輩二人とも来てたんですね」
何も知らない妹は、暗雲立ち込める室内に明るい態度で入ってくる。
「こんばんわ唯ちゃん、お邪魔させてもらっているわ。でももう帰るところだから」
「待って下さい、お喋りしましょうよすぐに着替えてきますから」
「でも......」
恭子ちゃんは俺の顔を覗き込みながら少し戸惑いをみせる。
「俺の事は気にしなくていいから。母さん俺は部屋に戻るからじゃ」
「分かったわでもこれだけは持って行きなさい。愛しているわあきら」
亜香里との思い出が詰まったアルバムを渡され、母さんの想いが心に届く。
そして俺は扉の前に立っていた唯を押しやり廊下に出ると二階へと昇る階段を上がり自室に籠こもった。
「へんなおにぃ???」
事情など一切知らない唯は、兄の態度に違和感を覚え首を傾げた。
※※※
自分の机に向き合い再度アルバムを開き中身を確認する。
アルバムに収められている亜香里と一緒に写っている一枚一枚を見つめ直すと、その時々の情景を想起させられ心が締め付けられた。
「どうして俺はそんな大事なことを忘れてしまったんだ」
記憶の改竄。
都合の悪い過去を、忘れ自分が思う過去を作り出す。
それが今の俺だろう。
アルバムをなんども見返すことでやっと母さんの亜香里が既にこの世に居ないという事実は真実味を帯び、同時に大事な人の死が突きつけられ虚しくなる。
次に俺はこうなることを危惧し話そうとしなかった家族や友人たちのことを考えてしまう。
無理矢理聞き出そうと詰め寄った愚かな自分を情けなく感じ涙が溢れてくる。
「ねぇあきら入るよ」
俺が返事する間も与えずに恭子ちゃんが開けっ放しになっていた扉の向こうから部屋に入る。
「恭子ちゃん、さっきは済まない。結果君を泣かせることになってしまった……」
「それは別にね。恨まれることをした私たちが悪いんだから。ただやっぱり前みたいに私のことを呼び捨てでは呼んではくれないっか」
恭子ちゃんが何を言っているのかさっぱり理解できなかったがこれまでのやり取りで一つだけ分かったことがある。
いつもの恭子ちゃんなら俺をあきらでは無く本堂君と呼ぶはずなのだ。
それが今まで一切無く、彼女はこれまであきらと呼び捨てで名前を言っていた。。
「それってどういう意味だ?」
「う~んじゃ教えてあげるから二人で散歩行こっか」
半ば強引に外に引っ張りだされるとそのまま歩き続けて俺と恭子ちゃんは昼間由美子さんと訪れ、権ちゃんに怒鳴られた加茂公園へと再び足を踏み入れる。
恭子ちゃんは公園の中央にある砂場の前まで来ると振り返り俺を見てくる。
公園の中は唯一ある街灯の光だけが頼りで、恭子ちゃんの顔も上手く見えない。
「ここは私が二人に初めて出会った思い出の場所。引っ越してきて知らない土地、それに加えてこの見た目でしょ。友達の一人も出来はしなかったわ」
日本人とイギリス人のハーフである恭子ちゃんは、俺たちの年頃までなると綺麗、可愛いと褒められるかも知れないが小学生低学年の頃だと異質な者として周りから認知され、遠ざかれたことは知っていた。
「ひとりぼっちだった私にこの街で最初に手を差し伸べたのは亜香里ちゃんとあきらの二人だった」
「さっき似たような話を由美子さんから聞いたよ」
「そう...。だからね亜香里が交通事故で亡くなってっていう訃報を知らされた時はショックだった。この街で初めて出来た友達その友達の死に直面して辛かった、でもねあきらも幼馴染みの死に相当堪えたのに私を気遣ってくれた、だから私はそんなあきらのことが…………」
一歩前に歩み、俺の顔に接近する。
間近まで来た彼女の顔は、真っ赤になり耳がピクピクと動く仕草が可愛らしく思えた。
こんな彼女を見たことがない。
もじもじとしてはっきり言葉にするのを躊躇いながらも何かを伝えようとしている。
それがしっかりと俺に伝わり俺も身構えると、一瞬の間を置き彼女の顔は真剣なものに変わる。
「そんなあきらが好き!。今度は私があきらを支える番、だからもう一度私と付き合って下さい」
「んっ、えっ????」
何を言われるのか、予想もつかなかったが取り敢えず構えていた俺への恭子ちゃんの強烈な一言は簡単に防御を崩し、思わぬアッパー攻撃を喰らったが如く考えが纏まらない。
「あっ、正確にはあきらが覚えていないだけで別れてはいないけどね」
受け止め切れずにいた俺に追い打ちで攻撃を与えた恭子ちゃんは満足そうだった。
逆に俺は初めて?の告白に困惑するばかりだ。
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