第7話 記憶のアルバム・前編
十月十七日月曜日 午後三時半
四人がけの食卓テーブルに俺と恭子ちゃん、母さんと権ちゃんがペアで向かい合うように座った。その配置に落ち着いた理由は定かでないが、率先して恭子ちゃんが俺の隣に座ったのは何か謂れでもあるのだろうか。
リビングは沈黙に包まれていると言っても過言ではなく、時計の針の刻む音だけがチクタクチクタクと鳴り響く時間が続く。
そして母さんが漸く重い口を開ける。
「これだけは勘違いしないでね。亜香里ちゃんのことを秘密にしたのはあなたのことを守りたかっただけよ」
「権ちゃんも言っていたけど、俺を何から守るんだ母さん…………?」
「受け止めきれない過去は、あなたの心を壊してしまう。それから守ろうとしたの」
一つのアルバムを俺の目の前に差し出す。
アルバムのタイトル欄に「亜香里との想い出」と記入されていた。
俺の部屋には置いてなかったまだ見ぬアルバムの中を開けば中学生の入学式、校門の前で一緒に撮った写真から、本堂家と白石家の二家族で一緒によく行ったあちこちの旅行の記録など亜香里との数々の想い出が収められていた。
「その写真達は纏めてあなたの部屋とは別の部屋に隠していたの。今の状態のあなたには見せられないと思って………でもそれが逆にあなたを苦しませると言うのなら話すわ亜香里ちゃんのことをね」
少し母さんは涙ぐみながらも会話を途切れさせないように話しを続けた。
見渡せばそれを聞く権ちゃん、恭子もまた涙目になる。
「亜香里ちゃん親子が事故にあったのは今から四年前の夏まで遡ることになるわ」
今から母さんの口から語られる内容は、三人の視点から見れば俺が忘れてしまっているだけの悲しい記憶だった。
※※※
四年前の夏休み
六年前隣の家に越してきた白石家との仲は良好で度々家族ぐるみで旅行に出掛けたりする程、年に一回はどこかに遊びに行っており、今日は夏休みを利用して白石家と深緑山の麓にある地元に人気のキャンプ場へと泊まり掛けで遊びに来ていた。
「ここは本当に自然が豊かな場所ですね。私達来たことが無かったので美佐さん今日はお誘い頂きありがとうございます」
「いえいえ急なお誘いで本当は迷惑じゃありませんでしたか?」
荷物をテントを設営する場所に運び一段落すれば、麻衣がその景色に感銘を受け背筋を伸ばし大自然の空気を堪能するように深呼吸をする。
本来今回のキャンプは本堂家だけで行く予定のものであったが、本堂家の長男本堂あきらが急遽白石家の長女である亜香里と一緒にキャンプをしたいと言い出したことから、駄目元で白石麻衣に相談したところ二つ返事で決まったのだ。
「実は私や亮さん勿論亜香里もキャンプ初めてなので、楽しみにしてました。特に亜香里はあきら君に誘われてから今日が来るまでとっても楽しみにしていたんですよ」
「それはよかった。あきらも今日が来るのを楽しみにしていましたよ」
他愛もない雑談を繰り広げる母さんと麻衣さんの会話が聞こえるなか、俺と父さんそして亜香里の父親である亮さんの男三人組はテントの設営に悪戦苦闘していた。三人ともテントの設営などやったこともなくこうなるのは目に見えていた。
だが頑張る。なぜならここが今日の寝床になるのだから。
「父さん、なかなかテントって設営するのに力がいるんだね」
一つ目のテントが完成し、二つ目のテント設営に取り掛かり始めるところで既に俺の両腕は悲鳴を上げていた。
つい弱音を零すと、その言葉を隣にいた父さんは聞き逃さず溜息をつく。
「おいおいあきらもう根をあげるのか。お前の方から手伝いたいと言い出したくせに、最後まで頑張れ」
すると横で別の作業をしていた亮さんがこちらを振り向く。
「いや、でもあきら君は真面目に自分がやると言った仕事をやっていて偉いと思うけどなぁ。だってほらあっち」
すると横で別の作業を黙々と亮さんがこちらを振り向き、呆れながら多くの子供たちの遊び声がする方角を指さす。指し示した先には、流れが緩く小学生低学年の膝下にも満たない位浅い川が流れその場所はキャンプ場を訪れた多くの家族達の子供が川遊びを楽しめる環境で、その中には亜香里と今年で小学四年生になる妹の唯が川遊びに興じている姿があった。
「確か僕の娘もあきら君みたいに何か手伝いたいと言っていたから、試しに夜のバーベキューで使う薪集めを頼んだ筈なんだけどね」
手伝いを忘れ遊びに夢中の娘の姿を目にした亮さんは残念がる。
「まあまあ亮、結果的に亜香里ちゃんは唯の面倒を見てくれているわけだしそう悲観するな」
「翔太がそう言うなら亜香里を叱ることはしないが………」
亮さんと父さんは歳も近くて仲もとても良くお互いを名前で呼んでいる。
「仕方ない。あきら残りは父さん達がしておくからお前も亜香里ちゃん達と遊んでこい。折角のキャンプだ、子供はのびのび遊ぶのがは仕事ってな」
「そうだぞあきら君、残りはオジさん達に任せておきなさい。子供は遊ばなくちゃいけないからね」
「分かった。じゃあ行ってくる!」
中学生にもなって子供扱いされるのは、癪に触る気もしたが今回はその配慮に感謝し今やっている作業を止めて亜香里がいる川の方に行こうとする。
「あきらちょっと待ちなさい」
「なんだよ母さん」
「あんまり辺りが暗くなるとここも危ないから、日が沈んで暗くなる前にはテントの方に戻って来なさい」
「わ~かってるってそれくらい。じゃ母さん行ってくる」
今年で中学二年生になる俺にしてみれば言われなくても理解していることではあるが、やはり母親にとってはいつまで経っても子供を心配するのは変わらないものであった。そんな母さんの想いなどは全く知りもせず、俺は亜香里達がいる川の川辺に到着して二人の姿を探す。
パシャ。
炎天下の太陽の下、いきなり服が水で濡れズボンの裾が湿った。
一体誰が水を服にかけてきたのか、水遊びに興じる子供のいたずらかもしくは…。いや違う。本当は犯人など当に分かったいるだろ俺。
水が飛んできた方向を覗けばやはりその先にいたのは亜香里と唯。
彼女ら二人はケラケラと俺を見て笑う。
「もぉー遅いぞあきら」
笑いすぎで流れた涙を拭い、彼女は頬をわざとらしく膨らませて怒っているのを強調するような仕草をとって反応する。そして亜香里を真似するように唯も顔を変形させた。
「なんだとぉ俺はお前と違って父さん達の手伝いをしていたんだ」
敢えて手伝いの部分を強調する。
もちろん少しばかりの嫌みを込めて、それが俺に出来る反抗だ。
「ところでそういう亜香里は亮さんから頼まれた薪集めの方は捗っているのか?」
俺に言われて漸く思い出したと亜香里の顔はそんな表情だった。
「あんなの今じゃなくて良いじゃない。今はめいいっぱい楽しまなくちゃ勿体無いでしょ」
慌てて言い訳にもとれる言葉で返すが、結局のところ完全に亮さんから頼まれていた仕事を忘れていたのは間違いなかった。慌てて取り繕う言葉には覇気がない。
「ねぇねぇ亜香里ちゃん。おにぃも来たし早く行こうよ」
亜香里の隣にいた妹の唯が亜香里の服の裾を引っ張りながら言った。
「唯っ行くってどこにだよ?」
「そんなの探検に決まっているでしょ」
さも当然のように川の上流を指差しながら亜香里が語った。
そして亜香里の宣言に唯はオーと拳を上げ、これから始まる冒険への楽しみを態度に示す行為に俺は呆気に取られたのは誰の目にも明らかだっただろう。
結局、亜香里と唯に押し切られる形で川沿いを上流へと歩いていき、川の周りで遊んでいた子供の姿も少なくなってとうとう誰も居なくなった森奥深くに入り込んだ。
「思ったより涼しいな唯」
「うん!」
拓けた場所にあるキャンプ場付近とは違い、上流の川は周りを木々で覆われていて自然が更に身近で感じることが出来るそんな雰囲気のするところだった。
自然の山の中は夏の季節だというのに少し身体がひんやりするぐらいに冷たく感じ心地よい空間を形成している。
「お~いあきらぁぁーーー早く来なよ、とっても綺麗だよぉ」
ここまで連れ出した帳本人は勝手に一人で突き進んで行く。
そんな亜香里を他所に、川辺が滑りやすくなっていたので俺は唯が転んで怪我をしないかを見張りながらゆっくり同じペースで歩いていたために好き勝手な幼馴染みの
「待てよ亜香里!唯も居るんだぞもう少し歩くペースを考えろって」
俺の言葉はどうやら聞こえなかったらしく、亜香里の姿が川を大きく右に曲がって先に消えていき木の影に消えてしまう。
「酷いよなぁ亜香里お姉ちゃんは俺達を置いて先に行くなんて」
「うん……」
一緒に行くことを楽しみにしていた唯は案の定ショボンと残念そうに顔を曇らせる。
「キャーーーーーーーー」
そんな亜香里の行動を非難するように唯に同意を求め唯がそれに頷いた瞬間、先を行く亜香里の叫び声が森の中に響き渡った。
「わるい亜香里が心配だから先に行く!唯は転ばないようにゆっくり来るんだぞ」
念押しをして川辺の滑りやすくなっている石の上を急いで走り抜け、弧を描くようなカーブを曲がって行く。
曲がった先、亜香里は地面に横たわって右足首を押さえるようにして
「どうしたん亜香里?」
「へへちょっと足下を見てなかったからかな……。そこの石に足引っ掻けちゃって
「ほら、立てるか?」
横たわる亜香里に手を差し伸べ彼女を起き上がらせようとするが、決して手を取ろうとはしなかった。
「ごめん、立てない………」
珍しく弱音を吐く亜香里の様子で始めて違和感を覚える。そして先程から押さえこむ右足首を見てその違和感は確信へと変わる。
「ちょっとみせてみろ」
キャンプの為、亜香里は今日長い丈のジーパンを履いてきていた。
そのジーパンの裾をめくり上げ、押さえていた箇所を確認すると彼女の右足首は酷く腫れ上がっていた。
その腫れ具合から絶対に痛いのは明らか。
この場から動かすのは難しそうだと判断する。
例えば彼女を背中にからえば帰れるか?
一考するも自分の体力を考えれば道半ばで力尽きるのは目に見えておりならば大人の力が必要になる。
「亜香里、今父さん達を呼んでくるからここで待っていてくれ」
「イヤ、あきら行かないで一人は怖いよ」
怪我のせいなのかすっかりしおらしくなっている亜香里は今にも泣きそうな程目をうるうるさせて俺の足に掴みかかった。
振りほどこうと思えば簡単だが、そんな酷いことは出来なく俺を困らせる。
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