第5話 十年前の記憶

 その日は、その年の最高気温を更新した真夏日でいつにも増して肌に照りつける太陽光は十年後の今でも鮮明に思い出される程だった。

 暑かったから憶えているのかって、違う。

 だって亜香里と始めて出会った大切な日忘れるはずもない。


※※※


十年前の夏 とある日


 陽射しが照りつける真夏の朝から俺は父さんと二人庭の草むしりに付き合わされ、昼過ぎに漸く終わることが出来た。

 もう汗で服はべっしょり濡れている。

 子供には酷な仕事を終え、自宅の居間に戻れば母さん特製冷やし中華が家族全員分食卓テーブルの上に並び、昼食を勢いよく食べ尽くす。


「そういえばお隣さん今日引っ越しだったみたい。さっき引っ越し業者の人たちが隣の家に家具を入れ込んでいるのを見かけたぞ」

「あらそうなの一体どんな方が引っ越してきたのかしらね」


 話のネタに両親が、引っ越してきた住人を想像するなかまだ七歳になったばかりの俺にはそんなこと気にするわけでもなく、ただ今興味惹かれるのは目の前の食事だけ。

 やっぱ夏は冷やし中華に限るよね。

 完食し横になろうと食卓テーブルから、移動し床に寝そべろうとすれば家のインターホンが鳴り誰か人がやって来る。まだ食事を終えていない母さんは俺に先に行くよう指示し、仕方なしに俺は玄関口まで足を運び扉を開けた。


「どうも初めまして隣に引っ越してきました白石と申します。僕はこの家の子?」

「うんそうだよ」

「今度お隣に越して来た者だけど、御両親はいるかしら」


 美しい人だった。一つ一つ所作が綺麗で母さんとは段違いの美人だ。

 俺が黙りこくれば母さんが現れ、拳骨が脳天に直撃する。


「こらっ返事ぐらいしなさい!もぅあきらったら、ご免なさい。本堂美佐と申します」

「お子さんを責めないであげて下さい。突然訪問した私達にも非はあります」


 優しい笑顔で微笑むあの人は、本当に母さんとは違うと改めて感じれば危険な香りがしてきた。恐る恐る上を向けば母さんの睨む瞳が俺を捉えている。

 うん、もうなにも考えないのが正解だ。

 

「改めまして白石麻衣です」

「どうもこんにちは夫の亮太郎と言います」

「これつまらないものですが、ご家族で召し上がって下さい」

「ありがとうございます。そちらの女の子はお子さんですか?」


 麻衣さんが手を繋ぎ横に立つ女の子に母さんは当然気づき、目線を女の子の高さに合わせる。勿論俺も気づきはしてたけどつい見ないようにしていた。


「娘の亜香里です」

「どうも亜香里ちゃん」

「初めまして亜香里、七歳です」

「あら奇遇ね、実は私にも亜香里ちゃんと同い歳の息子がいるのよ。ほらっあきらも自己紹介しなさい」

「どうも本堂あきらです」

「そうだよかったら今夜息子の誕生日を祝って庭でバーベキューをしようと思っていたのですがご一緒にどうですか?」

「そんな家族水入らずの時間をお邪魔するようなこと出来ませんよ」

「別にかまいませんそれに多い方が楽しいですし、白石さんの一家の歓迎会も兼ねてということでやりませんか?」

「そこまで仰るのでしたらお言葉に甘えさせて戴きます」


 挨拶を終えた白石家は、夕方頃また来ることを告げると出来たばかりの新築一軒家へ帰っていった。


※※※


同日 午後九時


「ご馳走様でした、いやぁ~バーベキューとても美味しかったです」

「いえいえ麻衣さんこそ、あきらにケーキやプレゼントまでありがとうございます」

「そんな、お呼ばれしたのですからこれくらいは当然です。ただ親御さんからの誕生日プレゼントが望遠鏡だなんてあきらくんは余程星を観察するのが好きなのですね」

「ええ。でもなんであんなに星が好きになったのか皆目見当もつきません」

「そうですか?私はなんとなく分かる気がしますよ」


 麻衣さんは空を見上げながら今日知り合ったばかりの母さんと楽しく語り合い、すっかり意気投合している様子。

 ただ母さん達がそんなやり取りをしていた事など露知らず、家族から少し離れたところで俺は新品の望遠鏡を使う。

 両親に買って貰った望遠鏡の素晴らしさに感動を覚え、感謝の念を抱き星の観察を続行する。


「ねぇねぇあきら君私にもそれ使わしてよ」


 いつの間にかあの女の子の顔が近づきその距離僅か数センチ。

 思いもかけず戸惑いをみせ尻餅をついた。

 何故俺が尻餅をついたのか理由は明快、今日初めて会った女の子白石亜香里に緊張し、これまで頑なに合わせることの無かった彼女の瞳が映る。いきなり目が合えばビックリするそれは当然の反応であった。

 正直に言おうと思う。

 実はあまり女の子と接した経験が無く恥ずかしがってしまい、どう接することが正しいのか分からずつい避けてしまって逃げていた。だから視線が交わることもなく。

 だが彼女はそんなことお構い無く話しかけてきて、その度に視線を合わせないよう今まで逸らし話をしていたが遂に終わりを迎える。急な接近に不意を突かれてしまうと何故だか彼女はとてもキラキラと目を輝かせてコッチを見ている。


「えっ~~~と、いいよ使っても」

「本当に!やったぁ~」


 喜びを全身で表現するように飛び跳ねる。


「わぁーきれい。ねぇあきら君星を観察するのってなんだかわくわくするね」


 彼女が星を観察している姿を見ていて今まで恥ずかしがってた自分がなんだか情けなく思えてくる。今度は勇気を持って一歩踏み出してみようと思い立った。


「だろう星を見るのって楽しいんだよ」

「やっと目を合わせてくれた。初めましてあきら君」

 

 俺は頬笑みながら嬉しそうに喋る彼女の姿に見とれてしまった。

 それが亜香里との出会いで

 


※※※


十月十七日月曜日 午前七時


「懐かしい夢だったな」


 奇々怪々な現象が現在進行形の形で起きているせいなのか、幼き日亜香里と初めて会った日の出来事を俺は夢としてみた。

 自然と頬を伝い涙が零れる。

 起きたら昨日あった出来事か全てまやかしで、今日も今まで通り亜香里がいる普通の日常が続くことを願ったがそんな陳腐ともいえる願いは自室のベランダに出た時点で呆気なく打ち消されてしまう。

 今までそこにあった景色。

 十年近く傍にいた幼馴染み。そして彼女の家。それがあるべき場所にない現実。

 事実が重くのし掛かる。決して偽りではない、少年よ。現実を見ろと。

 ベランダから見えるこの景色は、昨日母さんらに語られた物語が真実で本当のことだと現実を俺に突きつける。

 落ち込む心情を表に出さないよう平常心を心がけ、一階のリビングに降りるとテーブルには朝食が並べられ、自分が通っている中学校の制服に着替え朝食を食べている唯とキッチンで調理器具を念入りに洗っている母さんの姿があった。そんなの情景が広がる。


「おにぃおはよう昨日はよく眠れた?」


 咥えていたパンを、食器の上に置き降りてリビングに入ってきた俺に一言質問する。


「ああばっちり眠れたよ。ところでその格好、唯は通常通り学校があるんだな」


 昨日の母さんの話は俺の高校は未だに政府関係者が調査しているとのことで、休校が決まっていると聞いていたが唯の中学校は制服に着替えている辺りあるみたいだな。

 お疲れ様。唯。


「そうだよ、おにぃと違って私は学校があるの。私も学校休みたぃー」

「こらっ唯早く朝食済ませなさい。そろそろ出ないと学校に間に合わないんじゃないの」

「は~い。そしたら行ってくるね」


 残っていたパンを頬張れば食べ物が無くなった食器を母さんに預けた唯は、床に置かれた通学用鞄とサブバックを手に取れば慌てるようにリビングから退出し家を出ていく。


「あきらは今日どうするの?学校も無いみたいだし、家にいるのかしら」

「午後から恭子ちゃん家に行く予定」

「そう、体の方はもう大丈夫?」

「ほらっ平気だよ」


 腕を大きく回して見せ元気な姿をアピールし、母さんに安心を与えたかった。


※※※


同日 午後一時


 権兵衛は一人恭子の部屋を訪れる。

 流石は理事長の娘の部屋。華美な装飾品は見受けられなくとも、部屋の質感には華やかさが存在し何度訪れたところで緊張してしまうのは当然と言えば当然の反応だろうと権兵衛は内心呟く。


「あれは一緒じゃなかったの?」


 恭子は何故あきらが来てないのか不審に思い尋ねた。恭子に報せてはいないが、あきらと約束した時刻はもう一時間あと。

 どうしても恭子に話さないといけないことがあり、あきらに嘘をついてしまったことを少しばかり権兵衛はここにきて反省する。

 謝罪の意味も込めあきらが来てない理由を権兵衛は話す責任が生じる。


「いや恭子ちゃんと先に話したいことがあってわざと集合時間をずらして教えたんだ。それと哲平にも連絡を入れていたが来られないと返事がきたからあいつは来ないぞ」


 今日集まろうと恭子に提案をしたのは権兵衛であり、あきらと哲平には自分が声をかけると説明していた。

 なので権兵衛とあきら、哲平の三人は一緒に来るものだと勝手に認識していた恭子か思わず聞き返すのは真っ当な行動とも言える。


「そっか。それで私と話したい事って何?」

「恭子ちゃんには少し酷な話になるかもしれないが最後までしっかり聞いてくれ」

「酷な話?」

「あぁ」


 昨日夕方頃、早いうちに目覚め即日退院を果たした権兵衛のもとにはあきらの母親美佐から一本の電話が舞い込んだ。

 そこで伝えられた現在のあきらの状態は権兵衛にとって寝耳に水、話をすぐには呑み込めず酷く落ち込んでしまった。

 そして今同じ内容を恭子に教える。


「そんなことってある、悲しすぎるよ。なんであきらばっかり…………。そんな形で亜香里のこと思い出すなんて、やっと克服出来たって言うのに」


 恭子は悲壮感を覚え、この展開を生み出した落ちてきた彗星に憎しみを持つ。


「それでだがあきらには亜香里の事を聞かれても、アイツが落ち着くまではシラを通し続ける。白石亜香里はいなかったそれでいいか?」

「それがあきらの為になるの……」

「医者の話だと今のあきらに伝えればどんな反応を起こすか分からない。伝えることで変な気を起こしかねないとまで言われたそうだ」

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