8 『そして再び……』

 ソファは二人掛けで、私も座ることができるけれど、知らない人と……しかも苦手なタイプの人と一緒に座るのは嫌だ。

 私は静かに引き返そうとしたが、ふと目に入った彼の表情にドキリとした。

 チャラそうな見た目と反し、彼は真剣な眼差しで文字を追っていた。

 どんな本を読んでいるのだろう。

 手に持っている本のタイトルは読めなかったが、傍らに置いている本は見えた。


『女心を掴む話術』


「…………」


 どんな本なのか内容は知らないが、ドキリとしてしまったことを少し後悔した。


「あ」

「…………っ!」


 すぐに去らなかったため、彼に気づかれてしまった。

 彼は先程の真剣な眼差しをしていた時とは打って変わり、話しやすそうな雰囲気を纏って微笑んだ。


「もしかして、この席狙ってた?」

「……はい」

「穴場でいいんだよね、ここ。隣空いてるよ! どうぞ!」

「え? あ……」


 横をポンポンと叩いて進めてくれたが、正直気が進まない。

 でも、私が座るのを待っているような笑顔に負けた。


「……ありがとうございます」


 お礼を言って腰を下ろすと、彼は満足そうに頷いた。


「服とかメイクの勉強してるの?」


 私が手に持っていた本を見て、彼が話しかけてきた。

 今日持ってきたのは、雑誌コーナーにあったファッション誌と、服の作り方、メイクの仕方について書かれた本だ。

 私のことはそっとしておいて欲しいのだが、無視をするわけにはいかない。


「……はい」

「偉いね~」

「?」


 どうして「偉い」と思ったのだろう。

 こんなノーメイクの地味な見た目の女の子が、頑張っていると思ったのだろうか。


「……偉い、ですかね」

「偉いでしょ! 好きなことをちゃんと学ぼうとしてるんでしょ?」

「!」


 卑屈な思いになっていた私は、そう言われて驚いてしまった。


「あれ? 好きじゃないの?」

「あっ……好き、です。…………でも」

「?」

「私みたいな地味なのが、こういうの好きって……おかしいですよね」


 普段の私なら、肯定しておわりなのだが、どうしてか彼には余計なことを言ってしまった。

 こんなジメジメしたことを言われても困るだろう。

 だから「そんなことないよ」と適当な返事がきて、この会話も終わると思ったのだが――。


「おかしい? 何が?」


 本当にそう思っているようで、彼はきょとんとしていた。


「何がって……。私、こんなにダサいのに、お洒落が好きって……」


 今着ている服だって、無地の白いシャツにベージュのスカートで地味だ。

 髪だって特に手を加えていない。

 長い黒髪で前髪も長く、顔が見えていないからおばけのようだ。


「まあ、確かに大人しそうな印象だけど、ダサくはないでしょ! でも、自分で可愛くないって思ってるなら、可愛くしたらいいじゃん」

「!」


 無難に受け流すことなく、真っ当な意見をくれたことに驚いた。

 そして彼の言葉は不思議なほど私に響いて……動揺した。


「そ、それはそうなんですけど……可愛いものは、私には似合わないですし……」

「似合うかなんて、やってみなきゃ分からないでしょ!」

「…………」


 私にとっては触れられたくなく話だし、ズケズケと言われるのは嫌なはずなのだが……なぜか彼の言葉は不快じゃなかった。

 だからか、今まで人に話したことがなかったけれど、ある意味トラウマとなっているあの話をしてみようと思った。


「私――」

「うん?」

「子供の頃はお洒落が好きだったんです。でも、ぶりっ子とか、あざといって言われて……」


 時間が経って、ショックは薄れている。

 でも、思い出すたびに悲しいような、寂しいような気持になってしまう。

 私はつい、うつむいてしまった。


「そっか。それは悲しかったね」


 顔を上げて彼を見ると、とても優しい顔をしていた。


「でもさ、言った子は、君が可愛くて羨ましかったのかもしれないよ。それでいじわるを言っちゃったとか」

「…………」


 私に最初、声をかけてきた子は、人気者の可愛い子だった。

 羨ましかった、なんてことはありえない。

 そう否定する考えが顔に出ていたいたのか、彼は苦笑いを浮かべた。


「あっ、それにさ! そもそも、ぶりっ子でもあざとくてもいいじゃん! 可愛くなろうと頑張ってる女の子は、それだけで可愛いと思うよ!」

「!」


彼の意見にはびっくりした。

……可愛くなろうとしている女の子は可愛い?

笑われてしまうようなことではないの?


「本当に? そうでしょうか……」

「うん。君は可愛くなりたい! って頑張るのは恥ずかしいって思ってるみたいだけど、モテたくてこういうの読んでるオレの方が恥ずかしくない?」


 そう言って彼が見せてきたのは、さっきまで読んでいた本だ。


『女の子を落とす 100のテクニック』


 横に置いている本も似たような内容だったし、どれだけモテたくて必死なの!


「ふふっ……あっ」


 つい声に出して笑ってしまったが、失礼なことをしてしまった。


「も、目的を達成しようと、行動を起こせるのが凄いと思いますっ」


 慌ててフォローをすると、彼はニカッと笑った。


「君だってそうじゃん! こうして図書館で勉強してるんだから」

「!」


 そう言われて「確かに」と思った。

 その瞬間、今まで『恥ずかしいこと』だと思っていたことが、恥ずかしくなくなった気がした。


「そんな昔のこととか、他人の余計な口出しを気にしないでさ、好きなことをすればいいと思うよ。オレは可愛くなった君が見たいな?」


 とてもいい言葉だけれど、彼が言うとなんだか軽く聞こえた。

 でも……だからこそ、私の心も軽くなり、彼の言葉がすんなりと響いた。

 もう一度、自分自身にも『可愛い』をあげてもいいだろうか。


「そういうセリフも、その本に書いてあるのですか?」

「……バレた?」

「ふふっ」


 人の目を過敏に気にするようになってからは、いつも何かに怯えていた。

 誰かとこんなに気軽に話したのは久しぶりだ。


「可愛くなった君を見たら、ナンパしちゃうかも」

「今はしてくれないんですね?」

「え? 今もしてるつもりだけど?」


 あんな本を読んでいるだけあって、話が上手だなと思った。

 言葉を交わすのがとても楽しい。


「私、あなたに声をかけて貰えるようにがんばりますね」

「うん! 頑張れ! オレ、草村圭太って言うの。ナンパした時は君の名前教えてね?」






 彼との出会いの後、私はまず前髪を切った。

 メイクもばっちりキメたかったが、自分に似合うメイクが分からない。

 とりあえず無難に仕上げ、持っていた服に自作の小物やアクセサリーをつけ、できるだけ可愛くして彼を探した。


 高校生が集まる場所には心当たりがあったので、そこを訪れてみると彼を簡単に見つけることができた。


 私は勇気を出して、彼の前を通ってみることにした。

 彼が「可愛い」と思ったら、声をかけてくれるかもしれない。

 緊張しながらも、平静を装って歩いてみたが……。


「……だめだった」


 彼は私に目を止めることすらなかった。

 悲しみを堪えながら振り返ると、彼は二人組の女の子に声をかけていた。

 高校生に人気のブランドのバッグを持った、可愛い女の子達だった。


「…………っ」


 ……悔しい。胸がズキリと痛む。

 私にとっては、彼との出会いは人生が変わったような大きな出来事だったけど、彼にとっては些細な出来事だったのかもしれない。

 なんだか裏切られたような思いもした。

 もう、彼のことは忘れた方がいいのかもしれない。

 ……夢を追うことだけを考える?


 彼がナンパばかりしているチャラい人だということは間違いない。

 もっと素敵な人はたくさんいると思う。

 でも……どうしても彼のことを考えてしまう。


 もう一度話をしたい。

 私に声をかけて欲しい。

 私だけを見て欲しい。

 だから可愛くなりたい。


「…………あ」


『だから可愛くなりたい』


 そう思った瞬間、私は目の前が開けたような気がした。


 私は『可愛い』が好き。

 そして好きな人に振り向いて欲しくて『可愛くなりたい」!


 はっきりと目標が決まった。

 理由ができた。

 もう私はまっすぐ歩けそう!


 そう感じたのだ。


 そして自分が「可愛い」と思える私になった今――。


 再び彼の元へと向かったのだった。

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