瞬く間に

角砂糖

瞬く間に

「瞬きをしている間に世界が滅んでいたらどうする?」

先輩が唐突にそう言ってクスクスと笑った。

時刻は放課後、部室には僕と彼女しかいない。元々盛んに活動してはいない為、吹奏楽部のくせにコンクールにすら出ていないような部活だ。皆好きなように来て、好きなように楽器を吹いて、好きなように帰っていく。そんな自由奔放な部活の部長が、目の前にいるこれまた自由奔放な先輩だ。

遠くで、他の部員のトランペットが甲高く空に響いた。空いている教室で吹いているのだろう。それと同時に野球部かサッカー部か、なんにせよ体育会系の野太い声も木霊する。

散歩しかけていた意識をゆっくり戻し、言われた言葉を口の中で咀嚼する。けれど直ぐに、今の問いかけが先輩の独り言か、聞き間違いではないのかという疑問が頭をもたげてきた。けれどその黒く澄んだ瞳は真っ直ぐに僕を見つめている。

残念ながらいくら質問を味わおうと、その意図が読めない僕はぱちくりと目を瞬かせるしかない。すると先輩は「ほら、また数回世界が滅んだよ。」と目を細める。譜面台の上で止めていない電子メトロノームがピッピっと規則的に音を出した。まるで心音のように。

「随分と物騒なことを言いますね。」

話が長くなりそうだと心音を止めると、姿勢を正した。この先輩は普段からこうだ。意味の無い問答が好きなのだろう。彼女の問いかけに答えも正解もない。

「よく考えると怖いよね。だって目を一瞬閉じて開けるとなんにも無くなっているの。」

そう話している間も先輩は何度も瞬きをした。つられて僕も何度も世界を滅ぼす。瞳を閉じている間に何が起こるのかはわからないが、もしもそうなるのなら、と瓦礫の山を夢想する。

壊れた世界の上、先輩が何一つ変わらない笑顔で「壊れちゃったね。」と僕に返事を求めるのだ。なんだ。案外悪くないじゃないか。

けれど何度瞬きをしようが世界が壊れる様子は微塵も感じられない。

小さなため息をつき世界を壊すのを諦め、僕は先輩に正解のない返事をすることにした。

「もしそうなったとしても、貴女はしぶとく生き残りそうですけどね。」

その返答が嬉しかったのか、先輩の口元が緩む。少し開けた窓からは、そよぐ風が秋の香りを運んできては彼女の髪を撫でつけた。

「そうかなぁ?」

先輩の中で話が終わったのか、楽譜に向き直ると彼女は楽器に口づけをした。流れる旋律が教室を満たす頃、僕も再びメトロノームを点けテンポを110に設定し直す。

規則的な電子音に暫し耳を傾け、漸く楽器を構えると、僕はその音に合わせ瞬きを繰り返した。


パチリ


パチリ


パチリ


場所は教会。響く歌声に曲は録音したものではなく、白い服を纏った天使のような人々が実際にこの場で歌っていることに小さく驚く。その幻想的な世界に心を奪われ陶酔していると、後ろの大きな扉が開き僕は現実に引き戻された。

そこには穢れのない純白の服に身を包んだ先輩がいた。辿り着く先は、前方で立ち尽くし彼女を微笑ましく待っている男。先輩は父親の手を離れ、その男の元に行くのだ。

そして漸く彼女は素顔を覗かせる。僕の見たことも無い表情を浮かべる彼女はとても美しく、いつまでも見とれていたいと、そう願ってしまった。その願いが叶うことは決してないけれど。

その時一瞬だけ、瞬く間だけ、先輩と目が合う。その瞳はあの日と何一つ変わらない黒く澄みきった世界を写していた。

先輩の輪郭が背景とぼやけ、淡く霞んだ。どんなに瞬きをしても世界は滅んでくれはしない。

けれど僕の世界は瞬く間に滅んでしまったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞬く間に 角砂糖 @sugar_box

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ