第14話 美は一日にして成らず

 翌朝。

 何気なく部屋の鏡を見てみた。やっぱ美人だわ、この肉体。と思うと同時に。

 あれ? こんなもんだったっけ? 最初に見た時はもっと美人だった気がするんだけど? なんかこう、肌の張りとかさ。もしかしてちょっと太ったかな? いや、でもなんだろ、こう、スタイリッシュさがないというか、なんだろ、もっさり感がある……。

「ナレディ!」

 おれは慌てて階段を降りた。今日もやっぱりナレディは先に食堂に降りて、もそもそ味のないシリアルを食ってる。

「なんだ?」

 すごく興味のなさそうな態度で、シリアルから一瞬たりとも顔を上げない。

「もしかしてさ」

 おれは一応周囲を気にして声のボリュームを落とした。

「この肉体、徐々に劣化したりする? その……腐ったりとか」

「あ?」

 シリアルから顔こそ上げたけど、あほみたいな顔でまだシリアルかき混ぜてる。つまり、まったく焦りとかそういう様子はない。

「腐る?」

 ナレディが首をかしげた。だってほら、おれの身体って元は死体なわけじゃん?

「あー、そういうことがないわけじゃないが、ちゃんと身体動かしてれば問題はないはずだ。なんだ? 何か異常が出たのか?」

「異常っていうか」

「なんで腐るとか考えたんだ? 理由があるんだろう? 言ってみろ」

 やっとシリアルよりおれの話……と思ったらシリアル食い終わってるのかこいつ。

「ちょっとおれの顔よく見てみてくれよ」

「はあ?」

「何か気づかないか?」

 ナレディはまた首をかしげた。

「ほら、最初におれが目覚めた日と今のおれを比べてくれよ」

 首をかしげた上に眉間にしわを寄せた。

「えっ気づかない? おれさ、この身体、数日前はもっときれいだったと思うんだよ! これはさ、鮮度が落ちて肌の張りとか身体のメリハリとかが落ちてるせいなんじゃないか?」

 眉間のしわが深くなった。

「お前…………それは当たり前だろう」

「えっ、やっぱ劣化……」

「違う! 手入れの一つもしないで美貌が保てると思うな!」

「えっ」

 思いがけなすぎる言葉!

「食べ物を好きなだけ食って顔も洗わない奴がきれいなわけないだろう!」

 刺さった‼

「か、顔は洗ってるよ……」

「嘘をつくな。お前、昨日目やにがついてたぞ」

「うっ、そ、それは昨日教えてくれれば良かったのに」

「お前が一切頓着しないんだと思っていたからな」

「いや、まぁ、その……」

 頓着するしないの概念すらなかったわ。

「美貌というのは、タダで成り立ってるわけではないんだ。分かったか? 世の美しい人間というのは、日々それを磨かんと努力を積み重ねているもんなんだよ! お前も鏡を見て失望したくなかったら、今後は顔くらい洗え。髪も少しは整えろ。街を歩いても恥ずかしくない恰好をしろ」

「…………」

 まさかこんなド正論をこいつに言われると思わなかった。

 とりあえず宿の人にお湯をもらって顔を洗った。


「街を移動しようと思う」

 階下に戻って、合流したテーベと朝食をとっていたら、ナレディが急に言い出した。

「えっなんで急に?」

 ここでしばらくおれの魔法の修行をするんじゃなかったのか?

「さっき注入用の魔力を買った。あれを買う奴は珍しい。そこから魔王側に俺たちの居場所が知れるかもしれない」

 昨日おれのすねのへこみを治した時に使ったあれか。

「賛成だ」

 テーベが言った。

「エレナの装備をトモ用に仕立て直せる店を探したんだが、ここはあまり戦闘や冒険者向けの装備の仕立てをやっている店がないらしい」

 そういえば装備のことすっかり忘れてたな。

 ところでおれは例のヨガウェアみたいなインナーのままじゃなく、その辺の店でナレディが適当に選んだ地元の人の普段着っぽい服を着てる。女性はスカートが一般的っぽいけど、そこは動きやすさ重視でパンツにしてもらった。テーベの荷物にあったエレナさんの服は結局どれも小さすぎて着れなかった。多分、その服は全部テーベがまだ持ってるんだろう。

 上はシャツとベスト。このベストが重要である。なんせこの世界、ブラジャーという概念がない。いや、実はなにかしらあるのかもしれないけど、おれには見つけられなかった。恥ずかしすぎてちゃんと探せてないってのもある。ブラかそれに準ずるものは欲しい。だって立体が見えてるのって気まずいもの。でも恥ずかしさに勝てない。女の肉体なんだから堂々と女性物の下着屋に行けばいいんだけど、そんなハードル高いこと言うなよ、童貞にさ。

 まぁそういうわけで、シャツの上に厚手の革製のベストを着る。

 で、街から街への移動の時にはマントをする。

 これは、街と街の間がふきっさらしの寒々しい牧草地だったりするからあったかくしたいってのと、移動の時は少しでも手持ちの荷物を減らしたいから身に着けちゃおう、っていう考えである。

 街で宿決めて荷物置いたら脱ぐ。じゃまだし、街の人ほとんどマントなんて着てないし。露店に並んでる商品にひっかけて落としたりしそうだし。

 と、まぁ、街の人になじんだ恰好をして……いや、あれからナレディに指摘されて、どうやらかなりだらしない恰好ではあったらしいと知ったんだが、うん、まぁ種類的な意味では街の人から浮いてはいなかった、うん。

 そういうことなんで、恰好になんの不満もなかったわけなんだが。

「ちゃんと防具を身につけていれば、昨日みたいな身体の物理的な損傷は、ある程度なら防げると思うんだ」

 物理的損傷……ふ、防ぎたい……。

「よし、じゃあ決まりだな」


 というわけで移動。

 別に特筆すべきことは何も起きてない。移動中はおっさんらと四六時中一緒にいるわけなんで、なんとなく話をすることになる。

「お前にその身体のしくみのことをもう少し話しておくべきじゃないかと思う」

 急に言い出すナレディ。

「おれもそう思う。というか、むしろなんでもっと早く話してくれなかったんだ」

 すねをぶつけたらへこむとか。

「お前の今の身体は、生きた人間と違って血液が流れていない」

 おれの発言スルーな上に、そこそこ衝撃度高い事実ぶっこんできやがった。

「は? え? どゆこと?」

「お前の魂を素体に定着させた時、お前が持っていた魔力が素体に流れ込むわけだが、それが血液をすべて蒸発させ、代わりに血管を流れるというわけだ。血色の良くない肌色をしているのはそのせいだ」

「…………」

 色白美人だと思ってたのに、何? その言い方。

「また、血管や臓器内に収まりきらないほどの魔力が流れ込んだ際、身体自体を大きくさせる。それで素体とは異なる見た目となるわけだ」

「ただでかくなればいいだけなのに、なんで顔かたちまで変わるんだ?」

 まぁただ膨張したような見た目じゃなくて良かったけど。

「それは俺たちでも解明できなかった。が、魔臓の発達していない素体に魂を定着させる実験では、」

「え、ちょっと待って」

「なんだ」

「マゾウ? って何?」

 ナレディは眉間にしわを寄せた。

「知らないのか? そちらの世界の人体には存在しないのか?」

「いや、全然分からないけど全然分からないということはそうなんじゃね?」

「魔臓というのは」

 ナレディは喉元に手を当てた。

「この辺りにある魔力を生成したり蓄えたりする臓器だ」

「ほぉ~」

 人体の構造からして違うのか、こっちの世界。

「知らない。ないね、おれのいた世界には」

「そうなのか。なのにそれほど大量の魔力を? 不思議だ」

 そうおっしゃられても。こっちのが不思議だわ。魔法なんてない世界から来たのに、「大量の魔力」とか言われてもね。それ以前に自分が死んだって事実が他の何を差し置いても衝撃度ナンバーワンだし。

「何の話をしていたんだったか? ああ、そうだ、魔臓だ。魔臓を持たない素体や、未発達の素体に魂を定着させるとどうなるか、という実験をしたことがあった。通常魂から流れ込んだ魔力は、血管および心臓、魔臓、身体の拡張、の順で素体に収まるわけだが、魔臓に格納しきれない分が多すぎるとどうなるか」

「巨人になる?」

「と、思うだろう? それが、ある程度までは身体の拡張が認められたんだが、ある大きさまで来るとそれが停止した」

「それだけ?」

「まだ続きがある。まぁ聞け」

「聞こうじゃないか」

 先頭を歩いていたテーベがこっちをちらっと振り返った。会話に入ってこないけど、気になるのかな。

「素体の身体拡張は、流入した魔力が素体を活性化することで発生するわけだが、それが過剰になると、組織が破裂する」

「……は?」

「実験で見られた組織破裂は、一回目は腹部で、二回目は両足だった」

「えっ怖い。怖い話かよ」

「実験結果の話だ。その破裂部位から今度は魔力が流れ出て、体内の魔力が徐々になくなり、死亡した」

「怖いって」

「急激な魔力量増大は素体の部位破裂を招く。また、急激な魔力流出は屍生者の死につながる」

「ひぃ~」

 テーベが、だから言わんこっちゃない、みたいな顔でこっちチラ見した。こいつ、この話聞いたことあるんだな。

「エレナは優秀な魔導士だったからな。発達した魔臓があったから、相当量の魔力の格納が可能だった。その点は問題ない」

「お、おう」

「が、昨日も言ったが、身体部位の欠損による急激な魔力の流出は危険だ。避けろ」

「はい」

 どうでもいいけど、屍術の話する時ナレディってやたら饒舌だしちょっと早口だし情報量多いし、オタクってどこにでもいるんだなって思った。

「で、血管に魔力が流れ込んだ際に、素体の心臓の形状も変化している」

「えっ」

「ポンプの動きをもはやしていない。第二の魔臓のように変わっていて、魔力を蓄えるだけの臓器になっているんだ」

「そ、そうなのか……」

 じゃあ坂道歩いて息苦しかったのはそのせい?

「ポンプの動きをしていないから、全身に魔力を送り出す、ということができない。だから、実際身体を動かさないでいると、末端部位に魔力が十分送られず、鮮度が落ちる、ということが理論上確かに起こりえる」

「えっ」

「最悪腐るかもしれない。そこまでは実験していないから分からないが」

「えっ、ど、どうしよう腐ったら……」

「腐らせないようにしろ」

「どうやって?」

「運動しろ。適度に魔力も使え。あとは呼吸しろ」

「え? それだけ? そもそも呼吸なんてふつうに」

 と、ここまで言って気が付いた。あれ? おれ、今まで息してた?

「屍生者は自発呼吸をしない。だから意識的に呼吸をするしかない。呼吸することで大気中の魔力を取り込むこともできる」

 おれは本当に生きた人間とは違った身体になったんだな。なんか急に実感した。

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