第10話 美女の涙は美酒の如し

 夜。せっまい部屋のちっさいデスクに座った。

 昼に買ってもらったノートとペンを置く。

 改めて見てみるとこれ、ほんっと昔な感じの紙だな。厚いし、なのに水に溶けそう。でも水に溶けるティッシュみたいな優しい肌触りはない。そしてかなりかさばる。なのに二十二ページしかない。二十二ページにするんだったらいっそ二十でよくない? もちろん罫線はない。

 よくよく考えたらこういうのって四の倍数になるわけで、そこから表紙と裏表紙抜いたら二十二ページになるんだよな。今この話とてもどうでもいいけど。

 で、ペンはというと、羽根ペンだ。カチッと押すだけで書けるボールペンが恋しい。

 インク壺を開けてみる。独特の匂い。ちょっと知ってる気がしたのは、あれか。墨汁。あれに似てる気がする。懐かしいわ、墨汁とか。小学生以来使ってないと思うけどさ。

 で。インクつけて書くっつっても、こういう書き方慣れてないからさー。そもそも近年手書きで何かメモるとか、しないじゃん? 字とか書けるかなー? もうね、そういうレベル。

 ペン先をインクにつける。ひぃ、これつけすぎてあのインクよく吸うんだかむしろはじくんだかよく分からない紙にぼたっと垂れたりしないか?? 貴重なわずか二十二ページのうちの一ページを無駄にしてしまわないか?

 昼に書いてたろって? いや、それはそうなんだけど、あの時はナレディに急かされてたからさ~。

 とりあえずちょっと試し書きしよう。試し書き用の紙でももらえればよかったんだけど。

 ちょん、とペン先で紙に触れてみた。垂れない。すげぇな。垂れないように設計されてるってことなのかな。さすが。

 そのまま横に動かして、線を書いてみる。カッスカスやん。インク足りてないんじゃん。そりゃ垂れるわけねーわ。

インクをつけ直して線を引き直す。さっきよりはまし。でもまだインク垂れを恐れて足りてない感じ。

 さらにつけ直して、文字を書いてみた。自然に出てきたのが、こっちの世界の文字。

考えてみたんだけど、多分言葉とかそういう生活に根付いてる系の知識は、素体から引き継がれるんだろう。それとおれが元々持ってた知識が紐づいて、置き換えられた感じ。

 魔法は、元々互換性のある知識とか技術をおれが持ってなかったから、引き継がれなかった。……多分。

 で、互換されてしまったっぽい言葉だけど、日本語を試しに書いてみた。結構考え込んだけど、書けた。「あ」と「お」で悩んだとかそういうレベル。あ、これ、何もしないでいたらきっと風化するんだろうな。なんかこえーな。

 次は自分の名前を書いてみた。って、あれか? 魔術師的に、真名を敵に知られたらまずい、書面に残すな!みたいなの、ある?

 消そうかな、と思ってインクを多めにつけ直した。

「…………」

 ま、日本語だしな。見られたところで読めないだろ。

 ……次に書こうとした時、もう書けなくなってるかもしれないんだよな。いや、そうならないように書き残してるんだろ。

 でも、いつまでも読めるように、って、今後この文字で書かれたものを読む機会なんて、ないんじゃないのか? そもそもしゃべる機会もないわけだし。日本人のおれは死んだんだし、日本には戻れないし。もしかしたら、魂が解放?とかされれば、戻って転生とかするのかな?

 でもそれなら赤ん坊からやり直しだし、今からずーっと覚えてるってわけにいかないよな。

 ……あー、なんかわけ分かんなくなってきた。

 そもそもこっちの世界の魔術の気づいたこととかメモするんじゃなかったっけ? 一体何やってんだ、おれは。はぁ、なんか分からんけど落ち込んだわ。何メモろうとしてたか忘れたし。もー今日は寝……。

「おい」

 ひょええええええ!

 ドアがコン、と一回ノックされたと同時に声がした。

「トモ、いるか?」

 テーベか。び、びっくりした……。

「あい」

「入っていいか?」

「ど、どぞどぞ」

 なんだなんだ、びびったじゃねーか。

 ガタ、とドアを開けてテーベが入ってきた。

「これ」

 テーベが古そうな本を差し出した。

「え、なにこれ」

 受け取って開いてみる。手書きだ。本というか、ノート? 紙がやっぱり厚くてもろそう。

「エレナの書きつけだ。魔術に関する。お前の魔術習得の役に立つんじゃないかってナレディに言われてな」

「おっ」

 問題はおれが読めるか、だが。

「あ、読める」

 テーベが少し怪訝そうな顔をして、勝手に納得した顔になった。

「お前の元いた世界では、別の文字を使うんだったか」

「あーでも、こっちの文字読めるし書けるっぽい」

「そうか」

「…………」

「…………」

 謎の沈黙。いや、こいつ、すごく無口なんだった。大体いつもナレディが一人でしゃべって、というか、こっちのことをおれに説明して、おれが適当に「ふーん」とか「なるほど」とか言ってるだけなんだった。

「…………」

「…………」

 えっ……用件終わったんなら下がっていいのに。おれから言うわけにいかないしさぁ、もう下がってよろしい、とか。

「……焼き菓子でも食うか?」

「えっ」

 えっ、何? 焼き? 菓子? なんで急に? いや、そりゃまぁ食うか食わないかで言ったら当然……。

「食う」


 焼き菓子ってのは、アップルタルトのことだった。いや、アップルかどうか定かじゃないわ。りんごっぽい味の、こっちの果実だ。

 宿の食堂の片隅、酒を飲んでる宿泊客ばかりの中、焼きたてのアップルっぽい果実のタルトを眺めながらにやけるおれ。しかしにやけてても今は美女だからむしろいい感じのはず。

「いただきまーす!」

 テーベは木のジョッキにビールっぽい飲み物。飲みたかったのか。一人で飲みに来るのがアレだったからタルトをエサにおれを誘ったのか? 別に「飲みに行こうぜ」でも多分のこのこついてきたけど。なんせ一人で部屋にいても退屈だからな。ゲームもテレビもないから。

「どうだ? ……その、色々と」

「んー、甘すぎずうまいな。ただちょっと水っぽい。あと、生地はもっとサクッと焼いてほしいとこだな」

 お? なんで眉間にしわを寄せる? あれか。お気に入りのタルトなのか。おれの辛口コメントに不服か。

 と思ったら違った。

「タルトのことじゃない。生活とか、こっちでの色々だ」

「あっ。ああ~~~~なるほど!」

 なんか恥ずかしいぞ。

「う、う~~~ん、慣れた……と言いたいところだけど、どうかな~~~~」

「昨日泣いてただろ」

 ぎゃああああああ‼ ストレート‼ なんだよ急に‼ タルトのどに詰まるっつーの‼

「泣い、いや、あの、えーーーー、つまり、その~」

 えっ分からん、どう答えればいいんだこれ。

「……もっと食うか?」

 おいおいおいおい、聞いてきたのそっちのくせに、なんでちょっと気まずそうにしてんだよ! なんでタルトでごまかそうとしてるんだ‼

「いや、それより喉乾いたわ。それ一口くれよ」

 テーベのジョッキをフォークで指した。どうせおれの方もどう答えていいか分からなかったんだ。ごまかしにのってやろうじゃないか。

「ん? おお」

 テーベは、ぐいっとジョッキをおれの方へ押した。おれはガッと掴んで、ちびっと飲んでみる。

「あ、うま」

 おれはぐいっと飲んだ。

「うまっ!」

 スプライト系の味がする。

「シードルだ」

 聞いたことある。あれか、りんごのソーダ酒みたいな。りんごづくしだな。もう一口飲むか。

 結局テーベはもう一杯頼んでた。

「……人間、なんだな」

「えっ?」

 なんだ? おれのこと?

「お前のことを、ただの屍生者と考えていた。でも、お前は生きた人間だよ。俺やナレディよりよっぽど」

「な、なんだ急に」

「いや、最初の俺の態度を詫びたいと思ってな」

 え? 詫びる?

「お前を人として扱っていなかった」

 ……それ言う必要あった? 余計傷つくだろ。

「お前はよくしゃべるしよく食うし」

 何度も言うけど、おれ別におしゃべりキャラじゃないからな。必要に駆られてしゃべらざるを得ないだけだから。本当は黙々と単調な作業とかやってる方が好きだから。

「感情をそのままぶつけてきてくれるから」

 いや、一応ちょっとは遠慮とか配慮とかしてるつもりなんだが。

「俺たちより生き生きとメシをうまそうに食うから、死者として見れなくなった」

「…………」

 イキイキかは分からんけど、躍動感はあったろうな、パンとワインを吹き出した時なんか特に。

「俺たちは、お前を元の世界に戻してやることも、お前の元の身体を甦らせることもできない。そればかりか、俺たちの目的のためにお前を利用しようとしている」

「お、おお……」

 なんという絶望的な状況をどストレートに言ってきやがる。

「お前を見ていると痛感させられる。お前は別の人間で、俺たちの目的とは何の関係もなく転生できるはずだった。罪悪感を抱いてしまった。……だがそれでもこの目的はどうしても譲れない。だからせめて、他のことではせめて、お前がこの世界に新たな生を得て良かったと思えるように、なんでもするつもりだ」

「……あ、え、えーと……」

 いかん、なんて答えたらいいんだ? 「ありがとう」? 「そんなことで償えると思うな!」? うーん、分からん。

 おれ、ひたすら戸惑ってるし、なんていうか……照れてる。意味わからないよな? おれにもわかんない。でもなんかめちゃくちゃ照れたわ。

「んへへへへへへ」

 意味分からん笑い出たわ。

 あーあ、テーベにも戸惑いがうつっちゃったじゃんか。

 なんかさぁ、やけに安心したんだよな。わけわからん世界に来て、敵も味方もはっきりしないわけで。

 いや、もらった食べ物何の油断もなく食いまくってて今更何言ってんだ?って感じなんだけど、こいつらは味方、って思っていいんだな、と。

「他に何か食うか? 飲み物も別のを試してみるか?」

「えっ⁉ いい、いい! 大丈夫!」

 さらに何か食わせようとするテーベ氏。なんなんだよ、もしかしてぽっちゃり好きなのか?

「……まぁ、あれだ。困ったことがあったら、何でも言ってくれ」

「…………う、うん」

 はい、照れたーーーーー‼

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