★間章――柳原政雪



世は、愛煙家に年々厳しくなっている。

値上げ、増税、副流煙へのバッシング。

まどろみの休日。差し込む日の光が眩しかった。昨年に値上がりした煙草のパッケージをぼんやりと眺め、雪男、柳原政雪はため息をついた。

吸う本数を減らしてみたりもしているのだが、節約の効果が上がる前に不景気に拍車がかかったりしそうな気配だ。




酸性雨だの温暖化だの、なんだのとちったあ雪男に優しい世の中であって欲しいもんだ。と何やら誰かに愚痴りたくなりながら。久々に時間ができた彼は古本屋にぶらり、と足を向けた。


今の職場の利点は、職員の特権で校内図書館を使えることだったりするのだが、たまには、低俗だったりくっだらねー三流品の小説を漁ってみたくもなるもんで。玉石混交の古本から己に合いそうな文庫を探すのは柳原の趣味である。彼自身、ある種のマニアックなギャンブルであると自嘲しているが。



古い本のにおいはいい。

なんだか、渡ってきた持ち主の人生を感じさせる匂いがするのだ。

人間というものに魂の奥底から惹かれて止まない柳原にとって、その歴史に触れられる文学という世界は、無限の価値を秘めている。


アイロン要らずのポロシャツに、色褪せたジーンズを履いた彼は、思う存分だらしなくあれる休日に、思いがけないお宝を八冊。1000円と少しで行きつけの古本屋で発掘できて至極上機嫌であった。長らく使っていないアルミの鍋で、冷凍うどんを煮てみようと考えたのは、その延長である。


……そうだ。肉だ。唸るほどオレは豚肉を食いたい。ガバガバと野菜ジュースも浴びるほど、飲み干したい。


ずっと怠惰で不摂生な食生活をしていた柳原は、唐突にその飢餓感に襲われた。




幸いなことに、彼の現在地は駅前であった。近くには大きなデパートがあり、生鮮食料品が地下で販売されている。本日は休日だから、沢山の肉が並んでいることだろう。

彼は、ズボラで料理の苦手な男であったが、半ば勢い任せにそのデパートに向かうことにした。しばらく会っていない姉の買い物姿を思い出せば、デパートなる場所にそぐわない己でもどうにかなるような気がしたのだ。


カラフルで色艶のいい野菜コーナーで、柳原はモヤシとネギを籠に突っ込んだ。どーせ使い残してダメにするのだ、野菜を買うなら冷凍食品にしよう。自力でフリーズドライくらいできるだろーが、そんなマメさは柳原政雪というアヤカシには存在しない。


野菜ジュースは3本。

発泡酒とスルメや煎餅に、ウマそうだったさつま揚げ。そんなこんな、を適当に選んでいた雪男は、精肉コーナーに向かった時に驚いた。




黒いポニーテールが印象的な少年が、静かに一人で買い物しているのを発見したのである。紛れもなく、そいつは柳原政雪の教え子である。



「おいおい、戸羽。お前さんも休日に寂しく買い物か?」


ニヤニヤ、と笑いかけた雪男に、少年はすごく嫌そうに振り向いた。


「……なんで休日にアンタの顔を見なきゃなんねーんだ」


校内では生徒らしく敬語を用いる戸羽も、流石にオフの日までは柳原を目上として扱う気はないらしい。見た目と実年齢が噛み合わないのが化生の特徴なので、この態度は仕方ない部分はある。ただ、この少年は、自分よりは確実に年若いだろうことを柳原は経験から察知していた。


「そいつは、運命ってもんに文句を言ってくれ。オレは、戸羽がこんなにバッチリ自活してたことに驚いてるとこだ」


柳原は戸羽杉也の持つ籠に入れられた、人参やら鮭の切り身やら、カレールーにコーラなどを見て感嘆した。その中には、沢山の菓子類も混ざっていたが、柳原よりはよっぽど健全な生活をしていると見えた。



「どーせ、道楽だってことは分かってるよ」


戸羽は、鼻で笑いながら皮肉気に己を評した。アヤカシは、人間より大幅に必要な食糧が少ない。人の道をただなぞるように生真面目に料理している少年はイレギュラーな行動をしている自覚があるのだろう。


「まあ、野良で生きてきた奴にしては、人間味のある感性をしてると思っちゃいたがなあ」


柳原がそう、教え子の天狗に感想を言うと、少年はじろり、と彼を睨んだ。どうやら、この発言は禁句であったらしい。


「で、今日は何作んの?」


柳原の問いに、「冷蔵庫の残りで適当に作って終わりだろ」と戸羽は仏頂面で応えた。家事スキルの高い奴の模範解答である。一品こさえては残った食材が朽ち果てる柳原とは格が違った。


「そういやさ、戸羽って小春と休日にデートしたりしないのか? 折角の休みにスーパーでウロウロしてばっかじゃないだろ?」


柳原がかねてから気になっていた事案に踏み込むと、戸羽が低く声を上げた。


「……は?」


そんなこと聞くんじゃねーよ、といった照れ隠しや可愛げが皆無の発音に、なんだか柳原政雪は頭が痛くなってきた。ドキドキ胸キュンな関係なのかと思えば、内情はそんな簡単なもんじゃなかったらしい。


「……じゃあ、あれだわ。月之宮嬢とはどーなんだ。甘酸っぱさとか、そういった感情はさ」


柳原が、気持ちを切り替えてそう訊ねると。


「…………」


実に冷やかな視線を、柳原政雪は受けることとなった。



「じゃ、じゃあ栗村か!」


「アイツだけは金輪際ありえねえ」


そんなに嫌か。

この天狗がとんでもなく鈍いのか、それとも別の要因が色恋を阻害してんのかを柳原が悩み始めたところで、相手は雪男に見切りをつけたらしい。

嫌悪の混じった侮蔑するような声がした。


「俺は、人間だけは好きになりたくねーよ」


それに内包された感情の色とは、何か。

柳原とは真逆の、マイナスに振り切れた針の先。

そう冷たく言い捨てて、少年は踵を返して雪男から離れていく。

そのセリフを受け取り、柳原は戸羽杉也の後ろ姿を眺め、力なく呟いた。


「……へーへー。そーですか」


柳原は、ここがスーパーじゃなければ一服できたと残念に思いながら。豚小間肉のパックを1つ、手に取った。


……あんなに人間社会に溶け込んでそのセリフとは、オレがどんなにお前を羨ましく思ってるかも知らねえでな。




そうぼんやりと思い、雪男はレジに向かって歩き出した。


柳原は、帰宅してから、肝心のうどんを買い忘れたことに気が付いた。




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