第八章 距離感 ④

 高い空に、刷毛で軽くなでたような淡い雲の白が目に優しい。先日の野分(のわけ~台風のこと)から数日、いい天気が続いている。同心の境吉次郎は、帯に差した十手の感触を確かめながら、市中の見回りをしていた。武士であるゆえ、もちろん大小は手挟んでいるが、同心たる証は十手である。分かってはいるのだが、吉次郎の心は重かった。お勤めに必要な武勇を、持ち合わせていないのである。


 隠居した父の跡を継いだ。腕に覚えはないが、知恵を絞って下手人を追った。お縄にできたこともあれば、取り逃がしたこともある。十手術の名手だった父は、利き腕を負傷してしまい、吉次郎に教えることができなくなった。腕に覚えのない同心のできあがり・・・・・・というわけだ。心月館で、剣の修行はしてきた。だが、相手を斬るのではなく捕らえるための技としては、どう考えても中途半端だった。


 道場では、剣術の他、小具足術の手ほどきも受けた。徒手の間合いで下手人と相対するときの気構えはできたと思う。だが剣術同様、練度は半端なままだ。手首の関節を極めようとしても、一拍遅れる。縄を巻き付けてしまったほうが楽に押さえ込めるのにとも考える。与力の柏木から渡された鈎縄(かぎなわ)を見ながら、吉次郎はため息をついた。

(最初はいいんだよな。すぐに上手になって、『見込みがある』って言われる。でもそこから伸びねえんだよなあ)

下手人に投げつける際、すぐに解けるような結び方がしてあるのは、柏木の仕込みである。だが、捕り物でこの鈎縄を使った事はなかった。


 そもそも鈎縄は、伊納藩では下っ引きが使うことが多い。下手人を複数で取り囲み、鈎縄で身動きを封じている間に同心が十手で殴りつけて制圧する。制圧後、下っ引きが縄を打ってしょっ引いて行くのが定番であった。離れたところから相手の動きを牽制する鈎縄は、武士たるものの使う得物としては認められていない。十手術は苦手、小具足術と鈎縄は中途半端、剣の修行でものになったのは足運びくらいとくれば、吉次郎でなくても頭を抱える。吉次郎のような若手は、下手人を突き止める知恵より取り押さえる武勇の方が大切なのだ。


 勤めが早く終わったので、道場に顔を出すことにした。心月流の道場である。武士だけでなく、商家を中心とした町人も通っている。尚武の気風を尊ぶ伊納藩らしい道場だ。

「おまえさんたち、何を背負ってるのか考えてないのかい?」

道場の片隅に、かつて灸を据えてくれた鍼医がいた。傍らの知り合いに尋ねると、稽古で体を傷めた門弟を治療するため、時々顔を出しているという。説教されているのは、黒田屋の若衆らしい。

「古着屋は、風呂敷に包んだ古着を背負ってるんだろう。相手に斬りかかられたら、逃げる暇なんてないじゃないか。逆に突っ込むんだよ。突っ込むのが速ければ、刀はかわすことができるし、体当たりでひるませることもできるはずだ。風呂敷包みは、お侍の『鎧』と一緒なんだよ。売り物だが、斬られても仕立てなおせばいい。でもおまえさんたちの命は、仕立て直しが効かないんだ」

生き残るために前に出るという言い方が、吉次郎の心に刺さった。逃げては駄目だ。死中に活を求めるという言葉もある。手にした鈎縄は、汗で湿っていた。結局、吉次郎は稽古を見ただけで、何もせずに帰って行った。


 その後、道場に顔を出した吉次郎は、竹刀や木刀ではなく、小太刀を手に稽古をすることが増えた。その稽古も、受け技より攻め技が多く、間合いを詰めて相手の胴を抜くような動きが目立った。だが、胴を抜いた後、何も持たない左手が妙な動きをすることについては、誰にも意味が分からなかったし、本人も言おうとしなかった。心月流の道場を束ねる堀内小十郎は、時折その動きを眺めていたが、あるとき思い立って、吉次郎に声をかけた。

「境、お主の考えた通りの準備をして、ここへ参れ」

そう言われた吉次郎は、いったん道場から出てあるものを持ってきた。


 吉次郎が持参したのは、十手と鈎縄である。堀内小十郎は、満足げに微笑んだ。

「やはり、そうであったか。立ち合いたい者はおるか?」

吉次郎は、一番近くにいる若い侍を選んだ。竹刀ではなく、木刀である。右手に十手、左手に鈎縄を手にした吉次郎は、木刀を正眼に構えた侍と相対した。吉次郎は、半身ではなく自然体。体の正面を相手に向けている。刹那の後、相手が振りかぶって面を狙うのに合わせ、吉次郎は真正面から間合いを詰めた。


 木刀が吉次郎の眉間を打ち据えるかと思われたそのとき、吉次郎の体が右に傾いだ。十手で相手の胴を抜き、左手を大きく回している。相手の右袖に引っかけた鈎が、縄に引っ張られて視界を塞ぐ。するりと首に巻き付いた縄を背後に引いて、吉次郎は相手を仰向けに引き倒した。

「見事じゃ」

引き倒した相手の眉間に十手を打ち下ろし、寸止めで済ませた吉次郎は、そのまま堀内小十郎に向かい、平伏した。


 さすがに受け身を取ったのか、相手の侍も身を起こした。

「今のは、捕り物の際の動きなのだな。袖を巻き取られて、何もできぬ。見事な手並みだ」

「私は、何をやっても中途半端でした。相手を打ち据えるのが、なぜだか嫌だったのです。でも、斬ることのできぬ十手と鈎縄なら、遠慮無く使えそうな気がいたします」

それを聞いた堀内小十郎は、道場の門下生に声をかけた。

「今の技、他言することまかりならぬ。境吉次郎の、捕方(とりかた)としての技じゃ。こやつの勤めの邪魔を、するでないぞ」

門下生は、そろって頭を下げた。吉次郎の技をまねできる者など、もとよりいなかったのである。


 境吉次郎は、優しい男だった。優しいがゆえに、相手を打ち据えることを躊躇い、相手の攻めを受け流すために足捌きを鍛えてきた。彼にとって悪さをしでかす罪人は、いつか悔い改めてまっとうな生き方をする人間だったのである。髪結いのおたかに惚れている吉次郎は、下手人を斬り捨てた後に、おたかと会うのを潔しとはしなかった。裏の「始末」を生業とする安針とは、正反対の生き方とも言える。


 新しい技を身につけた吉次郎は、ささいな過ちを犯した者を、次々と捕らえた。罪の軽さ故、裁き自体も軽く済むものばかりだったが、藩の治安を良くするという点で、かなりの成果を上げていた。黒田屋の「始末」で脅しをかけるだけでは、小さな諍いはなくならない。吉次郎の鈎縄は、悪さをしようとする者への牽制として、じゅうぶんな効果を上げるようになった。「鈎縄や 悪さ巻き取り 天日干し」・・・・・・。いつしか、吉次郎は「縄の旦那」と呼ばれるようになった。噂を広めたのは黒田屋。五七五の形でまとめたのは、安針である。


 見回りを終えて、吉治郎は安針の診療所に顔を出す。ここで体をすっきりさせて、髪結いのおたかに会いに行くのが習慣になった。安針も心得たもので、軽く指圧をするだけで送り出すようにしている。

「境様、ここをほぐすと、十手も鈎縄もさらに動かしやすくなるかもしれませぬ」

「お、おう。なかなか効くものだの」

「ところで境様、ふんぎりのほうは如何でございますかな?」

いきなり尋ねられて、きょとんとする吉治郎に、安針が畳みかける。

「待ち続けるおなごをそのままにするような罪な御仁は、これからきつい灸を据えねばなりませぬかな。おたかさんを、どうなさるおつもりですか?」

「ま、待ってくれ先生。どこでそんな話が」

「そんな話ではございませぬ。知らぬは本人ばかりなり、でございますよ。そろそろ観念なさいまし」

湯屋の二階で賭の対象になって久しい二人である。周りが焦れてくる前に、背中を押すことにした安針であった。

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