第四章 始末事始 ①

 伊納藩五万七千石。前世の九州南部のこの時代にはなかった藩だ。伊納という姓自体が珍しい。前世の記憶を持って生まれた安針は、周囲を透視で確認しながら暮らしてきた。ここは前世から見れば並行世界。確認したいことが多すぎて、自分が「観」たいものしか見てこなかったのかもしれない。


 自分の家に、よそとは違うところがあろうなど、安針は気づこうともしなかった。思えば、近世の商家の子弟が熱心に剣術を修行すること自体が不自然だ。少なくとも親が勧めることなど、ありえない。黒田屋の跡継ぎに剣術が必要な理由を、よく考えるべきだった。家族のことを、他人である鍼の師匠から聞かされるとは思わなかった。「透視」なんて能力があっても、それを使いこなせなければ何にもならない。


 師匠である鷺庵自身も、黒田屋と深い関わりがあったらしい。安針の父とは、ただの碁敵ではなかったようだ。

「古着屋というのは、他人の家に深入りしやすい商売じゃ。要らない着物を引き取るときには、その着物から元の持ち主のことを推し量ることができる。古着を購うときには、どんな古着が要るのか尋ねて、そのときの暮らしぶりが分かる」

二代目・宗右衛門は、手堅く商売をしたいがために、そうやって聞き集めたことを克明に記録していた。特に髪結いの亭主の噂話や湯屋帰りの客の会話は、わざわざ店の者を使って集めさせていたという。

「乾物屋の若旦那の行方が分からなくなったことがあってな。大騒ぎになったことがある。宗右衛門が聞き書きしていた帳面がきっかけで、程なく居場所が分かったのだ」

髪結いに来ていた娘の惚気話に、くだんの若旦那が出てきたことがある。そのときの話がきっかけで、二人で駆け落ちしようとしていたことが分かったのだという。


 評判は、藩の役人の耳にも届いた。黒田屋に、同心や与力が顔を出すようになるのは、むしろ当然だった。

「そうこうするうちにな、今の殿様が跡目を継ぐ際、ちょっとした騒動があったのだ」

病弱な兄と健康な弟。能力の差は無かった。長子相続の原則をふまえるなら長男が跡を継ぐのが正しいはずだ。先君も、兄が継いで弟が補佐するよう明言していた。だが兄君の病を気にするあまり、家中は二つの派閥に分かれた。

「弟君ご自身は、兄君を立て自分が補佐役に徹する気持ちでおられた。だが、兄君側の派閥は、弟君側の派閥が過激になることを恐れたのだ」

静観していれば、兄君がそのまま跡を継ぐはずだった。だが兄君の派閥は、弟君に毒を盛ろうと画策した。

「御典医を巻き込んで毒を用意するといってもな、毒はひそかに買わねばならぬ。そうした売り買いの話が、宗右衛門の耳に入らぬはずがなかったのだ」

宗右衛門の聞き及んだ毒の話が、城でどのように扱われたのかさだかではない。分かっているのは、その後兄君の容態が急変してお亡くなりになり、弟君が跡を継がれたという話だけだった。


 ここまで話した師匠は、居住まいを正した。

「毒を防いでくれた黒田屋を、今の殿様が悪いように扱うわけがあるまい。だが毒の話は誰にも言えぬ。公儀に知られてしまえば『お取りつぶし』になるわい。この件以来、黒田屋は殿の命を受ける密偵『耳目』として、藩に仕えることになったのだ」

黒田屋が藩の『耳目』として使われるようになると、当然ながら妨害されることもある。必要に迫られて自衛の手段を手に入れたのは、自然の成り行きだった。黒田屋の者が通う道場は、藩で一番大きな「心月館」。侍と肩を並べて修行している不自然に気づかないのはうかつだった。

「宗右衛門はの、『腕利き』を使いこなすのが上手な男じゃった。『耳目』として動いておると、どうしようもないことで泣きを見る者の声が聞こえてくる。それをうっちゃっておくと、ゆくゆくは藩の御政道も揺らぎかねぬ。泣きを見る者のため、自衛のための力を使って何が悪い。時には侍の命を絶ったこともある。それが黒田屋の『始末』なのだ」

役人が扱わぬ厄介事を引き受け、時には死をもって解決する「始末屋」。侍の「切り捨て御免」ほどではないが、黒田屋による「始末全て構いなし」という暗黙の了解は、時として藩の治安を守ってきた。「始末屋」とは、元来「倹約家」もしくは「遊女屋で無銭遊興した客の代金取り立て業」という意味。伊納藩では、服の倹約に通じる古着屋と、もめ事の後「始末」の両方の意味をこめて、「始末屋」という言葉が使われている。


 だが一方で、闇の手駒として使い捨てされぬよう、やんごとなき皆様とのつきあい方を工夫する必要もあった。二代目宗右衛門の代で組織を整え、藩の命を受ける傍ら、自らも城下の様子に目を光らせているのはそのためだそうだ。ここまで聞いた安針は、今更ながらのことを尋ねた。

「ってことは師匠、清太郎兄さんは……」

「おお、『始末屋』のことも引き継いでおるはずだ」

前世の記憶で周りより賢いつもりでいても、結局安針は「子ども」だった。鷺庵は、

「おまえの体術は、『始末』の仕事に使える。母親の命と引き換えに産んでもらって、それでも汚れ仕事がやりたいか?」

と迫った。


 安針自身、どうしてあんな返事をしたのかよく分からない。魂でいたころの様子を思い浮かべながら、

「死ねば皆『ほとけ』でございます。成仏させてやるのも、功徳でございましょう」

と答えていた。

「小賢しい物言いじゃが、これも血筋かのう。宗右衛門ではなく、清太郎に繋いでおいてやる。折を見て顔を出すがよい」

鍼医の安針は、この夜から始末屋・安針になった。




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