第一章 始末 ②

 小料理屋「月見や」を出た勘定奉行・佐藤兵衛は、城下に戻る形で夜道をゆく。「月見や」で渡された提灯の明かりが、足元を照らす。黒田屋の三代目・清兵衛の筋書きに従っただけだということが、兵衛の心を乱していた。

「伊納藩に足りぬのは、『隠密』かもしれぬ」

公儀からの探りは、全国津々浦々まで及んでいる。幕府から突然問い質されることがあるのは、日頃から探りを入れられている証拠でもある。関ケ原で勝ち取ったのではなく、太閤様におもねる形で領地を安堵された伊納藩は、武威を示す隣藩に対し常に気を遣っていた。要するに、軽く見られているのである。自らの独り言に気づいた兵衛は、思わず苦笑いした。

「儂としたことが、何とも情けない。己の肚ひとつに収めて動くべきことであった」

城下に入り、程なくして、古着を商う「黒田屋」の暖簾をくぐる。


 黒田屋の主・三代目清右衛門は、奉行を座敷に招き入れ人払いをした。黙って平伏する清右衛門に一言、

「首尾は?」

と尋ねる兵衛。平伏したままの清右衛門は、

「滞りなく」

と答える。誰に言うともなく、兵衛の呟きが漏れた。

「鎬屋は、結局藩のためにならなんだ。じゃが、奴は手広くやり過ぎてのう・・・・・・押さえも利かぬ状態であった」

平伏したままの呟きが応じる。

「手前どもは、お殿様の耳目(じもく)にござります」

交わされているのは会話なのか独り言なのか・・・・・・。

「耳目にも、『牙』があるようじゃの」

「民草(たみぐさ)の諍いまでお上の手を煩わすのが、心苦しいだけにござります」

「あくまで謙虚であることよ。こたびの鎬屋の件、世をはかなんで命を絶ったということでよいかの」

一瞬、清右衛門が顔を上げ、すぐに平伏する。

「ご明察、畏れ入りましてござります」

「なんの、鎬屋のために命を落とした者もあると聞く。その者も浮かばれよう」

「もったいなきお言葉にござりまする」

「忍びで参ったゆえ、見送りは不要じゃ」

平伏したままの清右衛門を残し、兵衛は席を立った。


 帰路につく兵衛は、自らに問いかける。

(このままで良いのか。)

兵衛は侍。戦(いくさ)を生業とする人間である。人の命を殺める「始末」を商人に任せ、自らが何もできないことに焦りを感じていた。自分の手駒にそうした仕事ができないことも、兵衛の機嫌を悪くしていた。

「・・・・・・ふん、面白くもないわ」

帰路、人知れず護衛についた黒田屋の手の者が耳にした独り言は、もちろん清兵衛に伝えられていた。


 兵衛を送り出した後、客間で一人になった清右衛門は、兵衛の独り言を伝えられ眉をしかめた。

(うまくやり過ぎたのかもしれないね)

仕事ができすぎる家来は、時として主人に疎まれる。清兵衛は、お偉方との今後の「距離感」を思って、小さくため息をついた。気を取り直して顔を上げ、閉められた襖の向こうに声をかける。

「すまなかったね。お前にだけは汚れ仕事をさせたくなかったのに・・・・・・」

音もなく開いた襖の向こうには、七分丈の筒袖に裁着袴(たっつけばかま)の若者が控えていた。

「今回の『始末』だけは、しくじりが許されませんでしたからね。何度『観』ても、他の手の者に任せる手だてが見えませんでした。仕方ありませんよ兄さん、もう何も言いっこなしです」

「平太郎、いや、今は安針先生だったね。人の命を救う鍼をこんなことに使わせるなんて、ばちが当たりそうだよ」

兄の言葉に首を振って被り物を取った若者の頭は、きれいにそり上げられている。この男が、黒田屋の汚れ仕事を引き受ける「始末屋・安針」だった。




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