第2章
僕はストーカーなんかじゃない。
彼女があのアパートから出て行ってしまったあの日の夜、僕は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、自室の机に突っ伏していた。
僕はただ、彼女にとっての“愛”がどんなものなのか、その答えを知りたかっただけなのだ。
そしてゆくゆくは、僕の“愛”を彼女に見てもいたかったのだ。
「君の心臓が見てみたいんだ。だから、君の身体を僕にくれよ。」
しかしあの日の夕暮れ、彼女は僕の気持ちには応えてくれなかった。
彼女は怯えた表情で2・3歩後退りした後、急いで自転車に跨って逃げてしまった。
僕は何もできず、ただ彼女の遠のいていく背中を眺めるしかなかった。
次の日から、彼女は僕を避けるようになった。
あの美しい瞳と僕の瞳が巡り会うことは二度と叶わなくなってしまったのだ。
僕はひどく後悔していた。
いくら彼女への想いが募っていたとはいえ、距離を詰めるのを早まりすぎてしまった。
そのまま時は流れ、僕たちは高校3年生になった。
周囲は大学受験の話題で持ちきりになっていた。
「え?梨花、阪大受けるの!?」
教室でぼーっとしていると、どこからともなくそんな会話が聞こえてきた。
「すご!めちゃくちゃ頭いいじゃん!」
「まだ目指すって決めただけだから、これからだよ」
「私応援する!」
「梨花は勉強頑張ってるし絶対受かるよ!」
その瞬間、僕は心のどこかで熱い何かが生まれたのを全身で感じていた。
僕は帰りに大きめの書店に寄り、彼女が目指す大学の赤本を購入した。
彼女が自分の目の届かない場所に行ってしまうのだけは耐えられなかった。
それなら簡単な話だ。彼女について行けばいい。
僕はその日から必死に勉学に励んだのだ。
しかしその努力も虚しく、僕は彼女と同じ大学には合格できなかった。
彼女は目指していた大学へ、僕はその大学と同じ市内にある私立大学へと進学した。
僕は大学に進学すると同時に一人暮らしを始めた。
彼女の大学と自分の大学のちょうど中心あたりにある手ごろなアパートを借りることができたので、そこの住むことにした。
大学が始まると、僕は授業がない日を利用して彼女が通っている大学へと足を運んでみることにした。
すると運良く、彼女はその日授業があるようで1人でキャンパス内を歩いていた。
僕は高揚感を押し殺し、彼女にバレないようにこっそり後をつけ、遂に彼女の家を突き止めた。
僕の予想通り彼女も一人暮らしをしていた。
これは好都合だ。
家も突き止めたことだし、僕は彼女に対して何かしらアクションを起こしたかった。
しかし、実際のところあの夕暮れ以来一度も言葉を交わしていないので、再び距離を詰める勇気はなかなか湧いてこなかった。
今以上に彼女が僕から離れていってしまうと思うと、足がすくんでしまうのだ。
だからといって何もしないわけにもいかなかった。
彼女はすごく綺麗だし、大学には沢山の男がいるから、うかうかしていると彼女は別の人間と互いの愛を確かめ合うことになってしまう気がしたのだ。
そんなことはあってはならない。僕は焦った。
そうだ、今のままではいけない。
そう思った僕は、自分の大学に通いつつも再び勉強を再開した。
所謂仮面浪人というやつだ。
両親は元々浪人を許してくれていなかったので、勉強の教材や受験料は全て自分のアルバイト代で賄い、僕は家族に隠れて受験生となった。
そして人生二度目の大学受験。
僕の受験はまたもや失敗に終わった。
僕は自身の大学生活のほとんどを犠牲にしてこの受験に臨んでいたため、大学に友人など当然おらず、単位の取得状況も決して良いものではなかった。
この頃には、僕の精神も些か崩壊しかけていた。
このまま彼女が絶対に手の届かない幻になってしまう気がした。
彼女の髪の毛の匂いがふっと蘇ってくる。
記憶の中の彼女は相も変わらず美しくて眩暈がした。
この想いをこれ以上胸に留めておくことは不可能だ。
僕は気が付くと彼女に充てた手紙を綴っていた。
そしてその手紙を、突き止めた彼女の住所あてに送ったのだ。
それは偶然にも、あの出来事があった時と同じ6月のことであった。
『佐々木梨花さんへ お久しぶりです。僕のことを覚えていますか?そうです、高校時代の同級生の宮本真浩です。今回あなたへ手紙を書いたのは他でもありません。僕はあなたに謝らなければならないことがあります。僕たちが16歳だったあの6月の夕方の出来事についてです。僕はあなたへの想いがあまりにも大きくなってしまったばかりに、あなたとの関係の構築を焦りすぎてしまいました。あの時は突然あんな話をして本当にごめんなさい。僕はただ、あなたをもっと深く知りたかったのです。あなたが当時描いた「愛」という絵、僕はあの絵に魅せられ、あなたに興味を持ったのです。あなたが表現した“愛”があまりにも優しく美しくて、あなた自身が持つ“愛”を知りたいと思っただけなのです。あの頃僕は純真な少年だったものですから、少々誤解されるような表現をしてしまったことは今だからこそ理解しています。この手紙は僕の誠意の全てです。どうか僕を許してください。そして、あわよくば直接会って謝罪をさせてください。それが叶わないというのなら、せめてお返事を頂けると幸いに思います。季節の変わり目ですので、お身体にお気をつけて。 宮本真浩』
・・・・・・・・・・
「え?そのストーカーが今大学にいるかもしれない?しかも君が昨日そいつと会った?」
「ええ、まだ同一人物かは分かりませんが、おそらく彼は今年1年生として大学に入学しています。」
美由紀さんはとても信じられないといった表情で僕を見た。
僕は夢の話と昨日出会った宮本君のことを美由紀さんに話してみることにした。
彼女は信頼できそうだし、僕の夢が何かの役に立つかもしれないと思ったのだ。
彼女は僕の夢の話を聞くと、少し青ざめながらも口を開いた。
「その夢、あの子が経験したことそのままだわ...。それをどうして君が...?」
「分かりません。でも、確かに僕はあの部屋に引っ越したその日から毎晩その夢を見ているんです。僕は2人と知り合いでも何でもないのに」
「変ね...。実はあの子も最近まで夢に悩まされてたのよ。今あなたが見てるその夢に。引っ越してからは見ることもなくなったって言ってたんだけど...」
「僕と同じ夢を...?」
僕は何が何だか分からなくなった。
一方美由紀さんはしばらく黙りこくった後、改めて僕の顔を見た。
「あの子、その出来事があった日からずっと彼のことを避けてたらしいの。で、高校を卒業した後は会うこともなくなって、あの子もだんだん彼のことを忘れていったらしいんだけど、去年の6月に突然手紙が届いたらしいの」
「手紙?彼から?」
美由紀さんは頷くと、その手紙の実物を写した写真を見せてくれた。
そんなもの僕が見てもいいのかと一瞬戸惑ったが、彼女がいいというので僕はゆっくりと全文を読んだ。
手紙には、昨日会った宮本君が自己紹介で口にしたのと同じ名前である“宮本真浩”と記名されており、僕が夢に見ている場面やその夢の中で少年が思い返している絵についても触れられていた。
間違いない。この手紙はあの宮本真浩が書いたものだ。
そして僕が夢で見ている少年とあの宮本真浩は同一人物だ。
しかし僕と同じ学年で入学してきたということは、彼は2浪したということか。
そこまでして彼女と同じ大学に入って、彼の目的は何なんだ?
「君の心臓が見てみたい」という言葉の真意は何なんだ?
僕が手紙の写真を見つめながら考え込んでいると、美由紀さんが再び話し始めた。
「梨花はその手紙を受け取ってすぐに私のところを訪ねてきたわ。こんな手紙が来たんだ。どうしようって」
「どうするもなにも警察に届けるとかするのが吉じゃないですか?手紙が届いたってことは住所もバレてるんですよね?何されるかわかったもんじゃないですよ」
「私もそういったの。でもあの子、何故かそれをしなかったのよ。」
「え?じゃあどうしたんですか?」
「あの子会ったのよ、彼と」
予想外の彼女の言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
なぜ彼女はそんな危険なことを?
僕の頭は混乱していた。
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