蒼き鷹伝説

ARUS

序章

序章  1話  選考試合 1

 見上げた先には、雲一つない蒼く澄み切った空が広がる。その蒼天を見上げる男は、眩しそうに目を細める。彼が見つめる先に広がる蒼い空は、彼の記憶の中にある、忘れる事の出来ない思い出の空に似ていた。


「お時間にござりまする……」


 懐かしい想いに浸っていた男は、彼の側に控えていた兵士の声で現実に引き戻された。


「承知致した」


 声をかけた相手に軽く一礼すると男は歩き出した。男は全身を鎧で包んでいたが、兜だけはかぶっていなかった。兜をかぶっていれば、完全武装の鎧武者である程の重々しい出で立ちであった。

 

 ここは、戦国乱世の続く中で、風林火山の旗の下、最強騎馬軍団を率いる武田信玄が治める甲斐の躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたの訓練所であった。平時であれば戦の訓練に勤しむ兵士で賑わうはずだが、多くの兵士が並び、訓練を行う広い訓練場には、武田の家門である菱形が刺繍された陣幕が張られていた。その陣幕の中央で男は立ち止る。


 そして左右に視線を巡らせる。彼の右手側には、美しく長い黒髪を優しく風になびかせ、凜とたたずむ巫女装束の女性と、もう一人、愛らしい眼と、人懐っこい笑みで、見る者を優しい気持ちにさせる可憐な女性ながらも、鍛え抜かれた無駄の無い強靭な肉体を持つ鍛冶師の女性二人が居た。

 巫女は手に長弓を、鍛冶師の方は頑丈そうな鎧に身を包み、右手には彼女の身長より大きな、大薙刀を持っていた。


 巫女の名は御神楽舞佳みかぐらまえか。鍛冶屋の名は水瀬葵みなせあおいと言った。共に、武田家に仕える身である。

 

 対する反対側に男は視線を向ける。そこには、彼と同様に完全武装に近い鎧武者が立っていが、彼とは違い、頭には烏帽子をかぶっていた。若々しく凛々しい顔つきの侍であった。

 そして、その若者の側には、侍同様の完全武装に近い具足に身を包み、強靭な肉体の持ち主が、額に額当てを巻き、その強靭な肉体を生かせるであろう武器、大きな棍棒を肩に担いでいた。

 一見すると対照的な二人であったが、よく見ると面影が似ていた。彼等は兄弟であった。

 

兄で侍の響団十郎ひびきだんじゅうろう。鍛冶屋で弟の響源内ひびきげんないの二人である。


 本日は、この場所で男の目の前に居る二組により試合が行われるのである。天下は戦国の時代であり、魑魅魍魎ちみもうりょうのうごめくこの乱世にあって、平時であれば神職、鍛冶屋など様々は職業の人々であっても、武器を持って戦えるものは、常に戦う心得を学んでいた。

 そんな時代、諸国を巡り、様々な記録を執る武田記録官の任命を、密かに主である武田信玄に命じられ、彼は何度か任務等を共に経験した若者の中から、この二組を推挙したのである。その選考試合での立会人を務めるのも、当然の義務であった。


「各々!前へ!」


 男の声で、舞佳は弓を握り直し、葵は大薙刀おおなぎなたを構え直す。団十郎は太刀を二本とも抜き放ち二刀を構える。弟の源内は棍棒を握り直す。そして、お互いにゆっくりと歩み寄る。


「はじめ!」


 男の声が響き渡る。その声を合図に試合は開始された。大薙刀を構え、勢い良く葵が前へと進む。舞佳は、その葵の背後に素早く回り込んだ。前に飛び出した葵を、源内が挑発する。


「かかって来いよ!」


 源内の挑発に視線を向ける葵だが、すぐに視線を彼から逸らす。彼女は源内の挑発には乗らずに、狙いを侍へと定めた様である。源内が葵を挑発した隙を狙って、彼女の背後へと回り込んだ舞佳へ近付こうとした団十郎の行く手を、遮るように葵が彼の前に立ち塞がった。


「むっ!」

 

団十郎の意図を悟り、背後の巫女への攻撃を阻まれた団十郎は、狙いを目の前の葵に変更すると、素早く気合の声と共に両手の二刀を振るう。


「受けてみろ!」


 振るわれた太刀は、葵の予想を超えた速さであったのか、彼女は驚きの声をあげた。だが、彼女に迫る太刀筋を何とか読み取ると彼女は大薙刀で、団十郎の右手の太刀を受け止める。その剣技の冴えに立会人の男は目を見張る。


(なかなか、どうして……。団十郎の奴。精進している様だな……。それに、葵殿もよくあの太刀筋を読み取ったものだ……。この二人の勝負、見物だな……)


 男は内心で笑みを浮かべる。彼の視線の先で、団十郎の剣先が葵を捕らえた。その瞬間、辺りに鎧と太刀が触れ合った音が響いたが、その直後にも「パチィ」と乾いた音が続いた。

 その刹那、団十郎は顔を歪めると、葵から距離を取る。どうやら太刀は鎧の強度の高い部分で受け止めた様であった。左手に苦痛を感じるのか、顔を歪める団十郎は、さらに距離をとろうとする。その彼の動きに合わせる様に葵は大薙刀を振るう。彼の軌跡を辿った大薙刀の反撃であったが、彼の身体に当たりはしたものの、厚い鎧に阻まれて、大した傷は負わせられないでいた。距離と取った団十郎は左手を軽く振る。


(どうやらあの音は、葵殿の鎧に予め仕込まれた仕掛けが、発動した音か……)


 鍛冶師でもある葵は、自らの武具を製作もする。その時に、予め鎧に仕掛けを仕込み、敵の攻撃を受けた瞬間に、攻撃相手に傷を負わせる。その仕掛けは様々で、どうやら今回の仕掛けは、攻撃に反応した部分から、小さな雷が走り、相手に雷撃を与え、痺れさせる効果がある様であった。

 立会人の男が思案していると、彼の耳に美しい声が響いてきた。男は葵の背後に視線を向ける。そこでは、巫女である舞佳が神楽を舞い始めていた。


高天原に神留座すたかまのはらにかむづなります皇が親神濡岐神濡美の命以すめらがむつかむろぎ かむろみのみことまちてて、祓い賜へ清め賜へはらいたまえきよめたまえと申さば、天津神国津神あまつかみくにつかみに願えば、彼の者へ天の恵み与え賜わんと、八百萬の神等共やおよろずのかみたちともに聞食せ恐み恐み申すきこしめせとかしこみかしこみもうす~。」


 美しい声色と共に、葵の背後へ回り込んでいた舞佳は、神に祈りを捧げる神楽を舞った。次の瞬間、葵の全身が不思議な光に包まれる。舞佳が祈り、神の力を代行して行った奇跡は、相手の五感を高める物「天恵」だと、立会人の男の記憶が告げる。それは天の恵みを受け、普段より五感が研ぎ澄まされる。彼自身も、何度もその恵みを受け、戦いを有利に進めた経験を思い出す。葵は舞佳に軽く目配せする。舞佳も軽く頷き返す。


(相変わらず、あの二人の意志の疎通は、感服するな…)


 恐らく、内心で舞佳に礼を述べたであろう葵は、大薙刀を構え直す。彼女の目の前に立っていた男二人は、頷き合うと、同時に走り込んで来た。そして、葵に目の前で左右に分かれる。


(あの二人、考えたな……)


 二人同時に動けば、さすがの葵も彼等を同時に止める事は出来ない。葵も彼等の意図を一瞬で見抜いた様であったが、彼女の目の前で左右へ分かれ、彼女の背後の舞佳へ向かう二人を同時に止める事は、やはり不可能であった。葵は一瞬の躊躇の後に、意を決すると、素早く狙いを侍につけ、彼の動きを遮る様に再び彼の眼前に現れた。


「どうする?また攻撃して雷撃を喰らう?」


 眼前にたつ侍の動きを牽制しつつ、不適な笑みを浮かべて葵は相手に話しかけた。先程、彼女の鎧に触れた際の仕掛けによる攻撃の事を言っているのである。立会人の予想通り、彼女の鎧に仕込まれていた仕掛けは、人工の雷による攻撃であった。


「ふっ……。あの仕掛けは一度か二度、発動すれば終わりでござろう?」


団十郎も女鍛冶屋の言葉に、笑みを浮かべると言い返す。


(確かにその通りではあるが、迂闊に手を出すと、確実に痛手に繋がる事になる…。仕掛け鎧相手には、慎重に行動すべきであるが……)


 立会人は自らの経験を思い出す。だが、団十郎の言う通り、仕掛けは無限には発動しない。そもそも、確実に発動する確証も無い物でもある。


「どうだろうねぇ。それは自分で確かめてみなさい」


 彼女は不適に笑うと、再び相手に言葉をかける。しばらく、お互いを牽制しつつ、睨み合いを続けていたが、再び葵は大薙刀を構え直す。


「簡単にやられる訳に!」


 自らの思いを気合いと共に声に出し、葵は一気に団十郎との距離を縮める。自分に向かって来た葵に気合の声と共に、団十郎は鋭く斬りかかる。一撃目は再び鎧の厚い部分に当たるに任せたが、仕掛けは発動しなかった様だ。その為、連続で攻撃を繰り出す団十郎の二撃目を、手にした大薙刀の柄で受け止める。

 そのまま二人は力を込め、押し合いになる。素早く全身の力を込めた葵が団十郎を押し返した。だが、押し返された団十郎はその反動を利用して一回転し、素早く太刀を振り下ろす。その太刀筋を読み取り、紙一重で交わすと、葵は再び大薙刀を横に薙ぎ払う。その刃先が団十郎の胸を捕らえる。


「うぐぅ!」


 苦痛に声を上げ、顔を歪めはしたものの、葵の一撃を読んでいたのか、彼は振り下ろしてなかった手に持つ太刀も使い、薙刀の攻撃を受け止めていた。その為、彼への攻撃は軽症で済んだ。そして、凄まじい速さでの連続攻撃を繰り出す。


「うおりゃ~!」


 気合の声をあげながら繰り出される団十郎の連撃に、防戦へと追い込まれた葵の鎧は、凄まじい連続攻撃に悲鳴を上げる。「ガコォ」と太刀と鎧の触れる音が響き渡り、その衝撃は彼女の全身に叩き込まれる。もし頑丈な鎧を着込んでいなかったら、命は無かったであろう。


(これは……まずいか……?)


 団十郎の猛攻の前に、防戦一方に追い込まれた葵に、立会人の心に不安が過ぎる。しかし、これ以上の攻撃を受けるのは危険だと思った彼女は、思い切り土を蹴ると、後ろへと飛び退いた。が、その行為すら団十郎の予想通りであったのか、彼の顔に笑みが浮かぶ。後ろへ跳躍した葵に、太刀を振り上げると、気合いの声を共にそれを振り降した。

 

 その太刀筋からは、風の刃が解き放たれる。その風の刃は、跳躍から着地した瞬間の葵へと襲い掛かった。咄嗟に腕で顔を隠したが、全身に衝撃を受ける。一瞬の油断や隙が、致命傷に繋がる事は理解出来た。そんな強敵へと視線を向け、薙刀を構え直す彼女の額から頬へかけて、赤い一筋の線が流れていた。


(どちらか、先に油断した方が負けるな……葵殿も団十郎も良い顔をしておる)


見事な攻防戦を、固唾を呑んで見守っていた立会人の男は満足気に頷くと、視線をもう一組に向ける。そこでは、舞佳と源内が戦いを繰り広げていた。

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