第5話 涙
「そうなんだ、でもそんな自分を責めることなんてないよ」
浩一の気押されることなく美咲は言った。
「そうだよ、渡瀬君は、全然悪くないのに」
小春も続けて言った。
「うんうん」
千紗も頷いているようだった。
「違うんだ、ダメなんだ。僕は最低で最低な人間なんだ。わざわざ助けに来てくれるかいもない、価値もない最低な人間、僕は」
座りつくした浩一から、ひねり出すような声が響いた。がむしゃらに髪を引っ張った。
「生きてちゃダメな人間なんだ」
初めて吐き出す気持ちに、浩一自身も驚いていた。本心を語るということは、こんなに苦しくて、楽なものだと思わなかったのだ。
浩一は余裕ぶりたかった。強い自分を演じるため、三人を恋人にして。だけど実際は何も自分からはできない臆病者で、あまつさえ三人を慰めものにしている。愚かな自分だけが残った。
なぜ他人はまともなのだろう。なぜ僕だけがこんなにも浅ましいのか、そう浩一は感じずにいられなかった。けれども帰ってきた美咲の言葉に浩一は救われることになる。
「きっと、みんなそうなんだよ。浩一君だってそう。私だって……、二人だってそうだよね?」
「え、うん」
「はい……」
すべてを吐き出した浩一は一種の安堵感を手に入れていた。どこか心の柔らかい部分が硬くなっていて、その緊張がほぐれたような安堵感。呼吸は乱れていたが心は安らかになりつつあった。
「ありがとう」
浩一は心からそう言った。
じゃあね、学校でね。と有無も言わさず、美咲たちは帰って行ってしまった。もう室内は暗く夕方をとうに過ぎていた。
朝目覚めると、なんともありきたりな話だな、と浩一は思い返した。到底優れた人間では無く、凡人。平々凡々すぎて、おかしい気持ちだった。結局助ける側の人間だったと勘違いしていただけだ。実際はまるで弱い人間で、助けが必要なだけ。当たり前の事だった。
カーテンを開けると、ただただそこにはいつもと変わらぬ太陽があった。学校に行く準備を――どのくらいぶりだろう――始める。机の上のかばんはほこりをかぶっていた。手に持ちぽんぽんと払う。制服もいつか着ようと床に置いたままだった。少ししわくちゃだ。
(行かなくちゃ、学校へ。謝りに、いやお礼を言いに……)
扉を開ける。いつもの濁った空気を感じない。階段を降りると、その音に気付いた母親が玄関まで出てきた。浩一は顔を合わせることができなかった。
「忘れ物はない?」
それが母のかけてくれた言葉だった。
「たぶん」
浩一は玄関の扉を手にかけながら答えた。扉を開けると新鮮な顔をした空気が出迎えてくれた。
通行路は特に変わらぬ平穏な時間が過ぎていた。時々挨拶が聞こえるが、ほとんど足音だけが響く。浩一はまだ、朝日に目が慣れていなかった。
学校が坂の上に見えてくる。ちらほら見たことがある学生たちがいた。浩一は緊張などしていなかった。むしろどこか誇らしく感じたのだ。この坂を登ることができることに。
学校に入るとやっぱりどこかまだアウェイ感が残っており、違和感を感じ始めた。けれどももうどうでもよかった。2の3組に着くとやっぱりざわざわしはじめた。視線が痛い。
(そういえば、ずっと来ていなかったから席がわからないや)
そんな感じで後ろで突っ立ってたら、女子が
「渡瀬君の席ここ」
と、一番後ろの真ん中の席を指さした。浩一はそこにかばんを置いた。そして席に座るとフーっと深呼吸をした。しばらくすると先生が入ってきて浩一がいることにびっくりしていた。後で職員室に来るようにと言われた。
授業はさっぱり着いていけなかった。みんな早口で何を言っているのかさっぱりわからない。漫然と椅子に座っていただけだった。
そして一時限目の授業は退屈なまま終わり、先生に廊下に呼び出された。そのあとは、授業のことやら何やらを話してくれた。やっぱり早口で何を言っているのか浩一にはわからぬ様子だった。はいはい、と適当に答えていた。
そして……。
「渡瀬浩一君! 学校に来てくれたのね」
この声は何度も聞いた、いや、何度も反芻した声だった。浩一の心は高鳴った。
そこにいたのは、間違いなく美咲だった。鼻が低く、目はやぼったくて眠たげな女の子。
(あれ)
「よかったー、行った甲斐があったよ」
背が高く、スポーツができそうな女の子であっているはずの首の太く長い子がいた。この声小春だった。顔は冬なのに焼けていて割とヤンキーな顔をしている。
(ん?)
「心配してたんです、お母さんも喜んでくれていたでしょう」
小さい女の子がいった。まるで小学生のようであった。顔は巻きずしのような子だった。千紗だった。
(え? この三人があの三人?)
はっきり言って浩一があの時見た、いや期待していた女の子、反芻していた女の子と顔が違う。大分違う。
「顔を合わせるの、初めてだったよね、渡瀬です。三人ともありがとう」
少女たちは笑った。そして何やら感情を爆発させながら、浩一を触ったりしていた。
確かに期待していた美少女ではなかった。けれども浩一は嬉しかった。こうして学校へ来てくれることがいたことを。そして美少女じゃなくてもこの三人のことを好きになれたことも。
こうして渡瀬浩一はひきこもりから現実に帰って来たのである。
「ありがとう、三人ともありがとう」
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