旅立ち 第五節

「二人とも本気なの?」

その日の夜、夜空に浮かぶ月に照らされる教会の礼拝堂で、カイ達は今日起こった出来事と、邪神教団に追われているラナの護衛任務に就いて行きたいことをイリスに伝えた。当然ながらイリスは心配そうに二人に再度確認する。


「ああ、今回の件がうまく行ったら、戦争をそのままやめさせることができるかも知れないんだ。行かない手はないよ」

「私もお兄ちゃんと同じ思いなの。戦争で苦しむ人たちを助けるには、元を断つことこそが大事よね。ならばその可能性に繋がるこの旅に私の力を生かすことこそが、真に女神様の教えである人助けになれると思うの。だからお願いシスター、私達を行かせてください」


イリスは複雑な気持ちだった。小さい頃から育てた二人の子供達が、こうも逞しく自分の考えを持って自立しようとしていることに悦びを感じるとともに、危険な任務に参加する心配も当然あった。あの邪神教団と絡むのであれば尚更だ。

(でも…)

イリスはもう一度二人を、特にエリネをじっくりと見つめた。


(…これは、旅立つ時が来たというのですか、女神様…)

三女神像を一瞥するイリス。


「シスター、お世話になっている人としてこう言うのは図々しいかもしれませんが、カイ達の決意はとても尊いものだと思います。彼らがもしレクスと旅に出ることになったら、私も付き添いして必ず二人を守りますので」

「ウィルさん…」


イリスが暫く目を伏せると、笑顔とともに顔をあげた。

「分かりました。時には危険だと知っても、前に進まなければならない時もある。女神様の教えの一つでもありますからね。お行きなさい二人とも。そして必ず無事に帰ってくるのですよ」

「あっ、ありがとうシスター!」「シスター…!」


カイが早速立ち上がる。

「そうと決まれば早速支度しないとな…っ!」

「こらお兄ちゃんっ、遊びにいくんじゃないのよっ!」

いそいそと礼拝堂を出るカイをエリネとルルが追いかけてゆく。


「あらあら、せっかちな子たちね」

イリスとウィルフレッドは互いを見て微笑んでは、イリスは三女神像を見つめた。窓から指す月の明かりが、簡素な三女神像をより荘厳に引き立てる。


「…ウィルさん、カイとエリーについてなんですけど」

「はい」

「恐らくもうご存知とは思いますが、あの二人は私の実の子ではないのてず」

「…ええ」


「カイは幼い頃、母と二人暮らしだったけど、その母が早くも亡くなってしまいました。エリーもまた生まれてすぐ両親が事故で亡くなり、そんな二人を私はずっと自分の子のように育てました。子は遅かれ早かれいつか自立するものですが、願わくば、色々と苦労した二人には、今後彼らなりの幸せを見つけて欲しいと、いつも女神様たちに祈っていました」


イリスは改まってウィルフレッドを見た。

「ウィルさん、そんな彼らが旅立つ日に貴方がここにいるのも女神様のお導きかもしれません。どうかあの二人をよろしくお願いいたします。…特にエリーは…」

少し止めてから、イリスは続けた。

「エリーは、目が見えないだけに、これからも苦労することになりましょう、色々と…」


真摯に自分を見据えるイリスに、ウィルフレッドもまた力強く頷く。

「分かってます、どうか安心してください。二人のことは必ず無事にここへ戻ってくるようお守りしますから」

「ありがとうございます、ウィルさん。すみません、貴方の記憶の回復の助けにはなれなくて」


「シスター…」

一瞬、ウィルフレッドは迷った。本当のことを彼女に伝えるべきか。

「シスター、俺は――」

言葉を止めさせるように、イリスの指がウィルフレッドの口に当てられた。


「貴方は記憶喪失でここに身を寄せたウィルさん。それ以上でもそれ以下でもありません」

ここで彼はようやく察した。イリスはとっくに知っていた、自分が記憶喪失でなく、何かの理由でそう称しているに過ぎないことを。


「貴方がどこからきたのか、どのような過去を持つのかは関係ありません。大事なのは、貴方がここで私達を色々と助けてくれたこと。カイとエリーが貴方を心から信頼していること。それを知るだけで十分です」


ここの善性に再び触れ、それが舐めてきた辛酸と混ざって目を濡らす。そんな涙をこらえるよう、ウィルフレッドは俯いた。

「シスター…ありがとう。俺に…素性も知らない俺に、こんなに良くして頂いて…」


イリスは優しく微笑んでは、彼の手をそっと包み込むように握った。

「貴方もまた無事でいてください。そして忘れないでください。この村は、私は、いつでも貴方を歓迎することを」

「はい、必ず…っ」



******



レクスの館で、ようやくマティと明日の護衛任務のための騎士団編成を終えたレクスは自室へと向かっていた。


(ふぅ~。ほんと、とんでもないことになったなあ。隠居生活もこれで終わりか…ん?)

ふと兵器庫から会話の声が聞こえた。それを辿ってみたら、武器や荷物が置かれた部屋の中で、ラナが騎士団の人達と歓談している姿が見えた。


「なるほど、それが貴方がここに入団したきっかけなのね」

「ああ、レクス様のお陰でオヤジも安心して酒の醸造ができたからな。最初は妙に軽い奴と思ってたけど、それが意外と頼れるところもあってさ、そしたらいつのまにか騎士団入団してたんだ」

「まあ、傍から見ればただの放蕩ものとしか見えないし、無理ないよね」

どっと笑うラナと兵士達。


「放蕩もので悪かったねコーダくん?」

「あっ、レクス様っ」

微笑ましそうな笑顔で部屋に入るレクスを見て兵士達は慌てて立ち上がるも、悪びれる様子というよりは少々恥ずかしそうに頭を掻いていた。


「皆してこんなところで何してるの?そろそろ家に帰っても良い時間だよ?」

「いやあ、実はここの片付けが終わったらそうするつもりですが、そちらのレイナ様がレクス様のことを尋ねてきてね」

レクスは臆もせずに微笑むラナを見た。敵国の皇女による不和や、教団に情報が漏れてしまう可能性を危惧して、公けの場ではレイナという偽名を使うと決めていた。身分もとある独立領の使者という名目で通すことになっている。


「それで僕の話題で盛り上がってんのね。まあ独身のコーダくんが美人さんともっとお話した気持ちは分からんでもないけど、明日からは長旅になるんだから早めに休まないと。ボブくんもそろそろ家に帰ってお父さんの手伝いしないといけないでしょ?さあ解散解散」


レクスが手をパンパンと叩くと、恥ずかし笑いするコーダとボブ達は二人に挨拶してぞろぞろと部屋を出ていった。人がいなくなったのを確認し、レクスはラナの向かい側の樽に座り込んだ。


「いかがでしたかラナ様。兵士達の自分への評価、ご満足していただけまして?」

「そうね。昼の指揮を見ても分かることだけど、軽い態度の割りには兵士達からの人望も結構厚そうで安心したわ。これから護衛を任せる人が、ただのお調子者では困るから」

柔らかな笑顔で話すラナを、レクスは少々意外そうな表情を浮かべた。


「どうかした?」

「いやあその、お昼はずっと生真面目な口調でしかめ面だった貴女が、柔らかい物腰もできるのだなあと思っててね」

「あら、昼のは初体面の方との重要な会議だから、真面目に対応するのは当たり前よ。今はそういう場面でもないし、これから長い付き合いになる人達と良好な関係を築くには、ああいう態度は妨げになる場合もあるからね。公私のオンオフは重要とは思わない?」

「しっかりしてますね。自分ではそこまで器用にはできないよ」

終始笑顔のままでいるラナに頭を掻いて感心するレクス。


「貴方はずぼら過ぎるのよ、その口調といい、昼の油断といい。仮にも人の上に立つものだから、もう少し身を引き締めた方がいいじゃない?あのロムネス殿の御子息なんでしょ?」

レクスの表情が少し翳っては苦笑する。

「何分、二ヶ月前にいきなり父の爵位を世襲してしまってね。まだまだ慣れるには時間も必要でして」


ラナは顔色を変えずに暫くレクスを見据えては、落ち着いた口調で語りかける。

「ロムネス殿のことはお気の毒だったわ。あんな立派な方がまさかお亡くなりになられるなんて」

「…まあ、お気の毒なのは何も自分だけな訳じゃないから」

それは皇帝を父とするラナのことを指していた。しかし彼女はまるで意も介さないように顔色一つ変わらないままだった。


「よろしければ、ロムネス殿がどのように亡くなったのか教えていただける?」

少し躊躇ったように見えるレクスだが、やがて彼は語る。

「…ルーネウス親善団」

「え…」

レクスは後ろに積み上げられた樽に背を預けては天井を見つめる。

「父は親善団にいたんだ。皇帝暗殺の騒動で処刑された親善団の一員としてね」


「じゃあロムネス殿は皇国の陰謀に巻き込まれて亡くなったとも言えるのね。申し訳ないわ」

「別に謝る必要はないですよ。昼の話が本当なら、ラナ様もまた被害者の一人な訳ですし、この件に貴方に何一つ責任を負う必要はありませんから」

レクスの言葉に皮肉はなく、ラナの言葉にも、過度な申し訳なさを感じない口調だった。


「ラナ様は父と一面の縁があると言ったけど、どこで出会ったのか教えてくれるかい?」

「そうね。私が社交界で活動し始めてから、皇国のルベウス卿の館で開かれた親善パーティーでロムネス殿と会ったの。とても誠実で礼儀ある方で、会話できた時間は短かったけど、信頼に足り得る方なのはすぐ分かったわ」

「なるほどねぇ…」

レクスは一応納得したように頷く。


「貴方もしっかりなさい。また昼のような油断すると、女神様のところにいるロムネス殿に笑われるわよ」

その言葉に、いつものような軽い口調でレクスが応える。

「それについてはご心配なく、ラナ様がわざわざ、少なくともその件で任務に支障をきたさないことは保証しますよ」



レクスは気付いていた、ラナが父のことを案じて話題を振ったのは事実だが、途中の口調などで、自分がその件で判断が鈍っているか否かを確認しているのを。それを聞いてラナが満足そうに微笑む。

「この調子なら確かに安心できるわね」


レクスが心の中で苦笑する。大した皇女様だ、自分も父を亡くしているはずなのに、昼の時も含めて話題に出ても一切動揺する素振りを見せず、任務への支障を危惧して兵士や自分の会話から試そうとするぐらい余裕あるのだから。したたかと言うかなんと言うか。公私のオンオフとは良く言えたものだ、寧ろ公モード常時全開じゃないか。


「じゃあ、自分は部屋に失礼するわ。貴方もまだやることがあれば早めに終わらせて休みなさい。貴方のいうとおり、明日から長旅が始まるもの」

立ち上がるラナ。

「そうするよ、けどその前に最後に一つ聞きたいことがあるけど、構わない?」

「何かしら?」


レクスが姿勢を正して、いつもの口調でありながら、どこか真剣さを訴える眼差しでラナを見据えた。

「自分のところに来た本当の理由を教えてくれないかい」

「どういう意味?」


「ラナ様の人脈の広さがどれぐらいあるのかは分からないけど、ルーネウスで自分より力があって信頼できる諸侯や貴族は山ほどあるはずだし、オルネス領からここまでは結構遠いよ。なのに追われてるのにも関わらず、わざわざ逃亡が長引くリスクを負って一面だけ出会った父のためにここまで来るというのは、ラナ様のようなしっかりものとしてはどうも腑に落ちなくてね。そのあたり、説明してくれるかな?」


二人は暫くそのまま互いを見つめた。そしてレクスは、さっきまで無表情なままのラナが、不満?怒り?何かと読めない複雑な顔を一瞬だけ浮かんだのを見たような気がした。


「それも含めて宿題よ。明日からの護衛という宿題とともにがんばって解いて見せなさい」

顔を振り返りもせずに部屋を出て、ドアのすぐ傍の荷物影に隠れていたマティに話す。

「貴方も苦労するわね。ご主人をしっかりとサポートしてあげなさい」

そしてそのまま後にした。

(さすが。気付いてたのですか…)


「やれやれ、厳しい皇女様だこと」

疲れが一気に押し寄せたようにぐったりとなるレクスは、部屋に入るマティを見やる。

「中々のお方でしたね、ラナ皇女」

「実際大したものだよ。対応するのめっちゃ疲れるわ~」


ぐったりとすして苦笑するレクスにマティが小さく笑う。

「良いお方だと思いますよ。会議中で貴方の迷いを察してこうして案じたのですから。お陰様でこちらも少しは楽になれたものです」

「君もかマティ~、ていうか気付いてたのね」


先ほどラナがいたところにマティが座る。

「もう何年あなた方に仕えてきたと思ってます?主人の心労の一つや二つぐらい察するぐらいおやすい御用ですよ」

「それは心強いねまったく」

疲れそうな顔しながら談笑するレクス。暫く黙しては、マティが真剣な眼差しでレクスを見た。


「…レクス様、王族とのわだかまりも、そろそろ解いても宜しいなのでは。本来なら開戦時の召集に応じるぐらいの余力は私達にもあるはずなのに、それに応じず今までずっとここに引きこもって…。その気持ちを引きずったままでは、亡くなられたロムネス様と奥方様も喜ばない――」

「わかってるわかってる、だからこうしてラナ様の依頼も引き受けたし、さっきも言ったように、それで任務に支障を出せないと保証するって」


「信じていいのですね?」

「ああ、自分もこのままでは駄目だと自覚はしているよ。だからこの件について君が気苦労を背負い込む必要はないからさ」


まだ少しぐらい軽い口調を帯びてるが、それがレクスが真剣に受け止めていることであると理解しているマティは、笑顔を浮かべては立ち上がる。

「分かりました。すみません、そろそろお休みの時間のはずなのに」

「構わないよ、マティも早く休んでね」

「はい、それでは」


「マティ」

ドアへと歩いたマティをレクスが呼び止める。

「なんでしょうか?」

「いつも苦労かけてすまないね」

申し訳なさそうな笑顔をするレクスに、マティもまた笑顔を返す。

「いえ、仕えるものとして当たり前のことですから」


部屋へと戻るマティを見送ると、レクスは再び背を樽に背を持たせ、天井を見上げた。今日の出来事と、亡くなった父と母のことが頭の中で浮かび上がる。皇国で渦巻く陰謀…ラナ皇女…邪神教団…早くも亡くなった母、そして生き別れとなった父のことが、レクスの頭の中で雑然となる。


教団が絡む以上、今までのようにここでのらりくらりとするのは確かに良くない。だが、表舞台に立って王族と絡むことになるを考えると、抵抗感がないと言えばウソになる。それに比べてラナ皇女は、父が暗殺されたというのに、動揺を一切出さずにしっかりしていている彼女の姿は、思えば羨ましくもある。皇女としての貫禄だろうか。


(…邪神教団…もし本当に実在しているのなら、父さんは彼らに殺されたとも言えるのか…)

レクスがそっと目を閉じると、最後に会った父との、喧嘩した時の彼の悲しむ顔が目の前に浮かんだ。

(…父さん…)



【続く】




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