第二章 旅立ち

旅立ち 第一節

一週間後――


晩飯を終えて、明日レクスのところへ運ぶ物資の用意のためにカイとエリネは先に席を外し、台所ではイリスとエプロン姿のウィルフレッドの姿が片付けた食器を洗っていた。

「すみませんウィルさん、片づけの手伝いをさせてしまって」

「いえ、前にも言ったように、ここでお世話になった身でもありますから、これぐらいして当然ですよ」

テキパキと食器を綺麗に洗っては片づけるのを見て、イリスがふと小さく笑う。


「どうかしましたか?」

「いえね、初めてウィルさんを見た時、凄く渋そうな雰囲気でしたからてっきりとてもクールな性格の方と思ったんですけど、いざ接してみると優しい方ですし、エプロン姿も中々様になってて可愛らしいと思いましてね」

「そ、そうでしょうか」

照れ臭くなるウィルフレッドを見てイリスは更に微笑み出す。


「ウィルさんのこと、村では結構評価されてますよ。盗賊退治した英雄さんは、お手伝いも出来て大変人気だって」

皿を洗うウィルフレッドの手が止まった。


「? ウィルさん?」

呼びかけても反応せず、ウィルフレッドはただ呆然と前を見ていた。

「ウィルさんどうしたの?」


(((君達は英雄だ!)))


「大丈夫?ウィルさん顔真っ青よ?」

「あっ…す、すみません」

イリスに呼びかけられて我に戻るウィルフレッド。

「英雄なんて呼び方、自分はあまり好きではありませんので…」

「…そうなの、ごめんなさいね」

「いえ…」

何かを察したようにイリスが詫び、二人はそのまま皿洗いを続けた。


「…記憶について、何か思い出したことあります?」

「残念ながら…」

「そう…。もしこのまま何も思い出せないのなら。いっそこの村に定住するのはどうですか」


「え…」

再び手を止めてはイリスを見るウィルフレッド。

「カイとエリーも貴方のこと気に入ってるようですし、今は戦争中なだけに、貴方のような方が村にいると皆も安心できますから、きっとみんな歓迎すると思いますよ」


ここに残る?自分がか?ウィルフレッドは思わずツバメの首飾りに触れて考え込んだ。確かにここでの生活はとても心地良いものだ。離れたくないと思うぐらい…。だが、温かみを感じるほど、同時に強烈な不安も生まれてくる。姿、と。


――――――


「…にき…兄貴!」


カイの呼び声で、昨日の夜イリスとの回想から覚めるウィルフレッド。

「どうしたんだ兄貴、ぼーっとしてて」

彼は今エリネ、ルル、そして荷馬車の手綱を握っているカイと同乗して、レクスの館へと向かう道中だった。

「いや、なんでもない、ちょっと考え事をしていただけだ」

「そう?なら良いけど」


ウィルフレッドは振り向いて積まれた荷物を見る。後ろの荷物は定期的に領主へと納付する物資で、レクスが追加して購入した荷物も含まれていた。この前レクス達が説明したように、カイとエリネは時折こうしてレクスに荷物を届くお手伝いをするため、彼と親しくなっていた。


「…納付品としては、そんなに量は多くないように見えるな」

「今回は戦争や盗賊騒動もあったから、レクス様が減税してもらったの。先週の盗賊の襲撃で一部納付予定のものが使えなくなったから、正直とても助かるわ」

「他の領地じゃ畑を荒らされただけでなく、物資が搬送途中で盗賊に襲われたって話も聞くからなあ。まっ、俺たちの場合は兄貴がここにいるから、この前の連中が来ても怖くないなっ」


ウィルフレッドは軽く微笑み、昨日のイリスの言葉に耽ると、やがて前方にレクスの館が見えてきた。

「…あれ?何か館の方が騒がしいわね?」

「そうか?」


カイが目を凝らして館を見ると、待機場に騎士団の兵士達が集まっているのが見えた。

「騎士団が召集されているのか?何かあったんだろう?」

「早く行ってみようお兄ちゃん」


館に近づくと、やがてその前で騎士団を指揮しているマティと、それを確認しているレクスの姿が見えてきた。

「レクス様~!」

「やあカイくん、エリーちゃん、ウィルくんも来てるんだね。物資の搬送ご苦労様」


三人は荷馬車を館の入口に止まらせては降りた。

「騎士団が集まっているということは、なにかあったのですかレクス様?」

「そうだよエリーちゃん、昨日ようやく情報を仕入れることができたんだから、これから領主らしく仕事しようとしてね」


「というと?」

ウィルフレッドの問いにレクスがウィンクする。

「盗賊一味の大掃除さ」



******



ビルド達の拠点となる洞窟で、ドハンとビルドはそれぞれ特殊な筋肉ポーズを取ったまま動かない。他の部下たちも、鉄の塊などを使って筋トレをしている人たち、腕立て伏せを繰り返して己を鍛えようとする人たち、そして、既に息切れて倒れこんでいる人たちに分けられていた。


「ぜぇぜぇ…こ、これだけ鍛えたら俺の大脳筋も少しは発達したのかな…」

「ど、どうだが…今俺が知ってるのは、自分はもう筋肉痛で一歩も動けないことだけだぜ…。今日が俺ら本隊が襲撃する日ってのによ…」

地面にへばっている手下たちが会話しながら、ポーズしたまま微動だにしないドハンとビルドを見る。


「…ところであれ、何してんだ?」

「戦いの前の瞑想だよ。そのポーズを取り続けることで、なんでも筋肉の小宇宙がみえるだそうで…」

「…マジ?」

「俺に聞くな」


この時、ビルドがカッと目を大きく開き、洞窟の隅々まで響く声で号令した。

「出陣の時間だ!全員用意せよ!」

「い、今からっ!?」

「ちくしょーっ、こうなるんだったら今日の筋トレさぼりゃよかった、あいたたたっ!」

部下達は筋肉痛に耐えながら慌てて装備を整え始めた。


同じく瞑想ポーズを解いたドハンはビルドに問う。

「ビルド様、例の銀髪の男については…」

「案ずるな、この前はお前ひとりだから破られたのだ。だが今度は俺もついている、二人の筋肉が一つになった時、我々は無敵となるっ」

「ビルド様…!」


ビルドはドハンに強く頷いては、後ろの暗闇の中にある檻を見やる。

「それに今回はペチも連れて行くのだ。ペチの恐ろしさはお前も知っていよう。これで我々の勝利は確実、負ける道理などおらぬっ」

自分の名前を呼ばれたのか、檻の中の存在がグルルと低く悍ましい唸り声を発した。


「ついてこいドハン!今回の勝利の美酒はお前とともに味わおうぞっ!」

「はいっ、喜んで!」

ビルドの呼びかけとともにドハンは喜々としながら香水をつけなおし、新調した戦斧を持ちあげてついていく。ビルドも獣の頭蓋骨で作られた兜をかぶると、大きな大剣を背負っては、トバンを従わせて洞窟の外へと向かっていった。


「お、お頭ぁ!大変ですぜ!」

「どうしたっ、何を騒いでお…っ!?」

洞窟を出たとたん、ビルドとドハンは一瞬固まった。洞窟の外は、鷲獅子の旗を持った兵士たちがぐるりと洞窟の出口を囲んでおり、彼らを率いるレクスが気さくな笑顔を浮かべてそこに立っていた。


「やあごきげんよう、盗賊一味の諸君。先日は僕の領民たちがお世話になったね?」

親しい友人と挨拶するかのようにビルド達に手を振るレクス。傍のマティは鋭いまなざしで彼らを睨み、カイとエリネ、ウィルフレッドもまた意外そうにビルド達の方を見ていた。


「本当にここにいた…」

カイが感嘆の声をあげては、ビルドは大きく狼狽える。

「き、騎士団!?なぜここに騎士団が!?我のかく乱作戦で混乱していたのではなかったのか!?」


レクスは一つ拍手してとても楽しそうな笑顔を浮かべた。

「いや~おたくの作戦は中々のものだと思ったよ、波状攻勢で領地の村を襲い、僕たちの戦力を分散させてからブラン村を襲う。完璧な作戦だよねぇ。それが筒抜けされてなかったらうまくいったはずなのに」


「つ、筒抜け!?」

「あんたがドハンかい?美容に力入れるのは良いことだけど、使う香水はちゃんと選んだ方がいいよ?」

「え…ま、まさかアタシの香水の匂いを辿って…っ!?」

レクスの傍に立つマティがある袋を取り出し、ドハン達の方向に軽く振りまくと、きらきらと仄かに輝く軌跡がドハンのところまで伸びた。


「こ、これはっ…!」

「マティは森で生きるエル族出身のエルフなんだけど、植物由来のものについてかなり精通してね。一週間前に村であんたの残香を嗅いで、すぐにトラマンデ樹の成分が含んでいるのが分かったんだよ」


「トラマンデ樹の香料は特定の成分に触れると光る特性がありましてね。それを利用して宴会などで特殊なパフォーマンスや化粧の一環として使われているんです」

解説するマティ。


「一応、香水の瓶にも光ること書かれているはずだけど、君、読んでなかったの?」

レクスの言葉にギクリと動揺するドハン。

(うそっ、瓶にはそんなこと書いてあったの!?香りがすれば良いから無視してたし、てっきり自分の肉体がついに自ら輝くまでに磨かれたと思ってた…っ)


「んで、エルフの狩人でもあったマティは隠密行動もお手の物でね。先日そのまま君の香水跡を辿ってここを見つけ、耳の良い彼が洞窟での君たちの計画をぜ~んぶ拝聴したって訳」

「では、ここ一週間で村を襲うよう派遣した分隊は…っ!」

「うん、いま全員仲良く牢獄でカードゲームしてるよ」


ビルドに向かってレクスはニンマリと笑う。

「おたくが人手を分散させたお陰でこちらは各個撃破できたし、君たちの人数を楽に減らせたんだ。ドハンくんだっけ?これからは筋肉だけでなく注意力も鍛えた方がいいんじゃないかな?」


「お、お黙りっ!鍛え抜かれたアタシの大脳筋が、それぐらい読めないとでも!?これは作戦、そう、あんたたちを誘い出すための作戦の一環よっ!」


(でもさっき割と普通に動揺してたけど…それに大脳筋なんて筋肉あったかな?でもここはそれ言っちゃだめかな、やっぱり)

ひっそりと心で思うエリネであった。


「ドハンの言う通り、これは寧ろ好都合よっ!」

筋肉の筋が見えるほど全身に力を込めたビルドが、部下たち全員に洞窟から出るよう指示し、自分も手に持つ大剣を大きく振り回して前に出た。

「貴族である貴様を取り押さえれば、この領地は我が意のままにできようっ。ついでに我がドハンが受けた屈辱も晴らし、正に一石二鳥!」


「ビルド様、あそこにあるコートの男がそうです!どうか気を付けてっ!奴は変な魔法を使ってきますよっ」

同じく戦斧を構えて前に出るドハンがウィルフレッドを仇のように睨む。

「奴がそうか…我がドハンを打倒したというのは?むむ、なるほどそのコートの下に隠された筋肉の匂い、只者ではないな?」

ついさっきまで少し茫然としていたウィルフレッドはふと我に返る。人生の中でこのような愉快な性格の人達を、彼は一度も見たことがないから。


「あー君たち、できればここは素直に投降して欲しいけど…」

「言語道断!かかれい!」

レクスの投稿勧告を無視し、ビルドの号令と共に盗賊たちが突撃する。


「わお、僕ふられちゃったよマティっ!」

「ですから真面目にやってくださいレクス様っ!」

レクス達が得物を構え、レクスが剣を掲げて命令する。

「全軍突撃!」

騎士団の士気高揚な雄叫びが森を震撼し、両勢力が激突する。


森は瞬く間に乱戦の場となった。ワラワラと洞窟から出る盗賊達に騎士団の兵士達が果敢に応戦する。マティは軽やかな剣捌きで盗賊達を切り倒していき、カイは後方から他の弓兵と共に弓で援護する。


エリネもまた、意識を全集中して感覚を総動員させ、騎士団の鎧の声、その場に流れるマナの動きなどあらゆる情報を取り込み、感じていく。

「光よ、害意ある敵を眩まして――光閃ヘリファス!」

「うわっ!」

目眩ましの小さな光弾に目を眩ます盗賊はすぐさま兵士達に切り倒される。


そしてウィルフレッドは風の如く素早く乱戦の中を駆け抜けていく。常人を遥かに超える膂力を絶妙にセーブしながら、その拳が、肘が、蹴りが、盗賊達に次々と撃ち込まれる。

「ぐはぁっ!」「ぶへっ!」「ぼふぉっ!」

人体の急所を熟知する彼の攻撃は確実かつ迅速に盗賊達を気絶させていく。

(また前のように目立ってはいけない、もっと注意深く戦わないと…)


いつの間にか後方の木の上まで登ったレクスは、戦場を俯瞰しながらウィルフレッドの動きに感心していた。

(なるほど…確かに良い腕してるね。ていうか素手でこの身のこなし、この戦い方ができる人って、今まで聞いたこともないけど…。まっ、今それは置いといてこっちもちゃんと仕事やっとかないと)

彼は懐から小さな笛を取り出し、戦場の動きを観察しながら時折特定なリズムで笛を吹き始めた。


「! 3番隊後退!囲まれるぞ!」

「6番隊っ、前方を強行突破せよっ!」

笛の音を聞いた小隊長は、時には後ろが囲まれないように隊を移動させ、時には前方突破して盗賊達を乱すように隊へ指示を下す。兵士たち自身の練度もあって、戦況はすぐさま騎士団優勢となっていく。


白熱していく戦場から、やや離れた丘の木々の後ろに隠れる人影が二つ。フードで顔を深く被っては、ただ静かにレクス達の戦いを観察していた。


「…あの方、まさかあのような方法で指揮を執るとはなかなかやりますね。兵士達としっかりとした段取りや訓練が無ければできないものです」

二人のうち高身長の方が、低く年のいった男性の声をしては隣の人に語る。


「ですが盗賊の頭領も一筋縄ではいかないようです。どうします?加勢にいきますか?」

「いや、もう少し様子を見る」

片方が年若い女性の声で喋ると、指揮するレクスの方を観察し続けた。



【続く】


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