(5)

 死人のように青ざめた花染さんの口調は、いつになく穏やかだった。


「月島くん? お話の途中で悪いんだけど。ちょっといい?」

「ひいいいいいっ」


と思わず叫んでしまったのは、月島じゃなくて俺でした。花染さんの後ろから顔を出したミカも、状況を何となく察知して青ざめている。何とか花染さんをなだめようとして、


「みどり。ねえ・・・ちょっと落ち着いて――」

「ミカ黙ってて。これはあたしと月島くんの問題」

「ひいいいいいっ」

「山本くんうるさい」

「・・・ひぃぃぃぃ・・・」


 当の月島は、茫然と花染さんを凝視している。をいっ! お前が何とかしろよっ。あ、ちなみに例の好青年は、スノボをはっしと握りしめて、脱兎のごとく逃げて行った。まあ俺でもそうするでしょうね。てか俺も今すぐ逃げたい。ちょっと滑ってこようかな?


 花染さんはと言えば、予想外に落ち着いている(ように見える)。だが待て。これが曲者です。あの、ふだん思ったことをばんばん言っちゃう、スポーツ系・爽やか・健やかキャラの花染さんが、怒り心頭のはずの場面で、極端に静か。・・・ということは、実はこれは、ショッカー系いきなりホラーなのではないでしょうか?


 まさか、背後に何か隠し持ってないよね? 花染さんいちおう確認です。スキーストックという道具は、雪を刺すためのものです。月島を刺すためのものではありません。あと、スキー板で人の頭殴ったりとかは良くないです。痛いと思います。


 何する気か分かんないけど、とりま、やめてええええっ。しかし俺の切なる願いも空しく、花染さんは、大きく息を吸い込んで、――静かに切り出した。


「まだミカに未練あるの?」

「・・・はあっ!?」


 花染さん以外の三人が、揃って驚愕した。この流れからなぜそのセリフに? これ禅問答ですか?


「ここで会ったから思い出したの? もうすぐいなくなっちゃうのに。それでもまだ?」

「ちょちょちょ! 何だよそれ?」


 月島は完全に意表を突かれている。


「それとも、他の誰か? ・・・だって、嘘でしょ? 『未来』とか『パラレル』とかいうの。月島くんが上の空で考えてたのって、やっぱ、あたしじゃないんだよね?」

「未来? パラ?」


 月島は目を白黒させている。ミカも目が点。自慢じゃないが、この場で唯一、俺だけが、花染さんの難解な思考回路にきちんとついて行けてる。と言うかむしろ、この未来・パラの件では、俺にも責任の一端がないわけではない・・・かな?


「結局、あたしのこと飽きちゃったんでしょ? 別れたいんでしょ? だからさっきの人を、あたしに紹介しようとしたんだよね?」

「いやっ。決してそういうことではなくっ」


 おや? 月島のセリフに何となく聞き覚えが。・・・俺の真似すんなっ。てか、男って、問い詰められたときはみんなリアクション同じになっちゃうの?


「自分から別れ話切り出したら、あたしが傷つくって思ったから? でもそういう思いやりって、残酷なだけだからっ」

「違うんだみどり。それ違うっ」

「違わないよ! もういい。もう分かった。別れるから。別れてさっきの男にするから。それでいい? 月島くんはそれで満足?」


 花染さんの目から、とめどなくあふれ続ける涙が美しい。切なすぎて胸が締め付けられる。美少女の泣き顔って、やっぱ絵になるなあ。こんなにも一途な良い子を泣かせるなんて、月島ってやつは、本当に、男として最低だ! 絶対に許せん! 俺なんかはね、断じてミカにそんな悲しい思いをさせたりなどしな・・・あら?


「違うぞみどりっ。それ違うっ」


 男は、狼狽すると極端に語彙が減る。それ分かります。ここで美辞麗句を並べても無駄だし。・・・花染さんはくるりと踵を返して、そのままゲレンデへ走り出て行った。


     *


 しばし三人とも固まっていた。それから我に返った月島が慌てて後を追った。俺とミカは顔を見合わせて、それに続いた。


 花染さんはさっきの男のところへ行ったんだろうか? 俺はゲレンデにボーダーの姿を探した。ちらほらスノボが見えるが、遠くてどれだか分からない。何色の服だっけ? ・・・だけど花染さんの姿は見あたらない。そのとき、いきなり耳元で、切迫した大声が響いた。びびった。


「あんたら! あの子の連れ? あっち危ないぞ! すぐ呼び戻して! あっちはエリア外だ。亀裂がいっぱいあるんだ。ゆうべの雪で隠れて、下が分かんなくなってる!」


 振り返るとスキーセンターのおじさんが青ざめている。指差す方を見ると、ゲレンデから外れた斜面を、いじけて一人、とぼとぼと登ってゆく花染さんが! 一人になりたい気持ちは分かるけど、方角が選択ミスです。あれは絶対、〈危険〉の立て看を見てない感じですっ。


 俺とミカとおじさんが、息を思いっきり吸い込んで叫ぼうとした瞬間――既に月島は、怒鳴りながら猛ダッシュしていた。


「みどりっ! そっち危ないっ! 戻れっ」


 花染さんが、その剣幕に驚いて振り向いた。慌てて戻ってくる。


 よかったあ。たぶん無事。めでたしめでたし。・・・だけど月島。何考えてるの? お前、叫びながら花染さんに向かって走り込んでますけど、そこもしっかり危険箇所。ミイラ取りがミイラとか、まずいでしょ。気をつけろよ。大丈夫か?


 突然月島の姿が消えた。花染さんの悲鳴がゲレンデをつんざいた。


     *


 だから言わんこっちゃない。掘り出された月島の顔は真っ白だった。ゲレンデに横たわるその冷たい体にすがりついて、花染さんが泣きじゃくっている。


 合掌。最低のやつだったが、神の裁きは思いのほか迅速だった。こうなってみて初めて気づいたことだが、さすがにこいつにも、良い点の一つや二つが・・・なかったな。最後まで女を泣かすとは。まあ本望だろうが。


 そのとき、だらんと垂れていた、やつの両腕がぴくりと動いた。ゆっくりと花染さんの背中にまわして抱きしめた。そして、その手が、花染さんに見えないよう、そっとさり気なくピースサインを作った。


 俺とミカ、それに担架を運んできたおじさんの三人が、ジト目で冷たく見守っている中で、月島は、その体に押し付けられた、花染さんの温かい胸の感触を、心ゆくまで堪能し続けていた。遠巻きの野次馬でさえ呆れた。


     *


 平謝りの俺たちに、おじさんは優しかった。


「ま~あ大事に至らなくて何よりだ。正直、若い子がこんな騒ぎを起こすのも久しぶりだよ。見てのとおり、最近はもう、閑散としてるからねえ」


 山男っぽくて若く見えるけど、よく見たらおじさんというよりおじいちゃんだな。俺たちみたいな世代と話ができて嬉しいのかも。飲む? とコーラの栓を開けてくれた。ちなみに自販機からガラス瓶のコーラが出てきたのには驚いた。レトロです。


「昔とはえらい違いだよ。あ、でも君たち知らんよね。バブル時代」

「見たことあります。教科書で。あとテレビとか。ユーチューブ」

「教科書かあ」


 おじさんは苦笑した。


「あのころはね。凄かったぞ。むちゃくちゃ混んでて、正直こっちはありがた迷惑だったなあ。ちゃらちゃらしたやつらがいっぱいでさ。ふざけんな! 真面目にスキーやれ! とか思ってさ」

「はは。なるほど」

「はは。でもさ。・・・今は、ただ懐かしいんだ。お客さんみんな。チャラいやつも。ふざけたやつも。みんな」


 ちょっと寂しそうに笑って、


「もうここも、無くなるかもしれんだろ。だからね、最近思うんだ。笑っちゃうけど、もしできるんなら、あのころのお客さん、全員! 全員に電話かけて、聞いてみたいんだよ。・・・『来てくれてありがとう。あの日、楽しかったですか?』って。『今も、元気でやってますか?』って」


 俺たちは、しんみりと黙り込んでしまった。おじさんは照れたように、無理にまた笑顔をつくった。


「いつもだったらさ。スノーフェスタもやるんだよ。松明たいまつ滑降とか、雪上花火大会。きれいだぞ。・・・雪不足で今年は中止。しゃくだから、これ買ってきた。ははっ」


 花火セットの袋を振ってみせた。トイザラスとかで売ってるやつですね。


     *


 月島と花染さんは、医務室でもう少し休んでから帰るというので、気を利かせて俺とミカは先に帰ることにした。


 もう暗い。温泉駅のベンチで地鉄を待つ間、交わした言葉はごく少なかった。


 頭が爆発しそう。このままついていって、ミカのうちにお泊まりしたい。てか引っ越しのその日まで、いっしょに暮らしたい。てか南高に転校しちゃう。ヨーロッパに転校しちゃう。・・・何か言いたい。何か言わなくちゃ。


「あのさ。あの。・・・いろいろごめん。バイトとか黙ってて。でも俺、ほんとに、仕事ってつもりじゃなくて――」


 何なの俺。いつもの饒舌はどうした? もし会えたら何て言おうかって、毎晩寝ずに考えてたのに。ミカはちらとこっちを見ると、


「いいわよそんなの。気にしないで。山本くんすごく真面目だから。勤勉。今回も、きっとお仕事なんでしょ? 県の。オフィシャルアンバサダーだっけ?」


 うっ。そう言えばそうでした。図星です。ミカの皮肉っぽい口調が、俺をぐさりと刺す。痛くて泣く。だけど、次の瞬間、ミカの顔から冷たく歪んだ笑みが消えて、しまったという後悔の色が走った。そして優しく言った。


「もういいの。終わった話。謝ることないよ。山本くん全然悪くないし。私が勝手に勘違いしてただけだし。もう忘れて」


 俺はもう何も言えなかった。予想したとおりの答えだった。一番恐れていた答えだった。それは、許しじゃなくて、許すことの放棄だった。ミカは、何もかも投げてしまっていて、諦めてしまっていて、全部なかったことにして、そっとお姫さまのお城へ帰って行こうとしているのだった。そして、その少なくとも半分は俺のせいだ。いや全部かも。


 ミカはもうこちらを見なかった。目が赤い。ずっと、前方に舞い降りる雪のひらひらを見つめていた。


 夕闇の向こう、微かに白く浮かぶゲレンデの上に、ちっちゃな花火が上がった。めっちゃしょぼかった。


 いつの日か――何十年も経ってから、未来の俺は、今日の俺に電話して、聞いてみるんだろうか。・・・あの日、楽しかったかい?


 そしたら、俺は、電話口の遠い声に向かって、なんて答えるんだろう? こう答えるんだろうか。


 うん。死ぬほど楽しかったよ。だけど、死ぬほど苦しかった。って。


**********


 今回の挿入歌その2は ClariS 「冬空花火」(しんみり)。EDは「zutto」(作詞は ClariS !)で。


 ちなみに、突発性混浴エロシチュの元ネタは、漱石「草枕」です。(バレてた?)


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