(5)

 このところ、毎日後悔している。いや毎時間かな。毎分かも。


 どうしてあのとき、俺が紙を拾わなかったんだろう。どうしてあんな書類を出しっぱなしにしたんだろう。どうしてミカを部屋に入れてしまったんだろう。どうしてあの午後、出かけてしまわなかったんだろう。俺が留守なら、あんなことは何も起こらなかったはずなのに。


 でも起こってしまった。


 考えてみると、ミカとデートして報告書をまとめるという作業は、俺の日常の中でもう当たり前になってしまっていて、極秘事項という感覚もなくなっていた。こんなところで言い訳してもどうしようもないけど。


     *


 今回初めて分かったことがある。ひとをあまりにも深く傷つけてしまうと、そしてその痛みを、多少なりとも自分でも感じてしまうと、もはや謝ることすらできなくなってしまうのだということ。


 ミカに電話することができない。ラインすることができない。比喩でも例えでもなく、物理的に、ケータイが押せないんだ。仮に、歯を食いしばって押せたとしても、言葉は何一つ出てこないだろう。それは確かだ。なぜなら、俺のしたことに対して、謝罪できる言葉など、この世には存在しないのだから。


 まあ、一つだけ良いことがあるかな。今回は、ミカからブロックされたかどうかなんて気に病む必要はない。どっちでも同じことなんだ。


     *


 今日は俺の誕生日です。いちおうダメもとで待ってみた。ミカからは何も来なかった。電話も。ラインも。メールも。何も。・・・もう日付が変わりました。


     *


 やっぱりこれで良かったのかも。どうせ別れ話出てたとこだったし。ミカを傷つけちゃったのは、俺最低だけど。でもさ。まだ何とかなるんじゃないかってうじうじするよりも、こんな風に、ギロチンで「すぱ」って修復不能にしてもらった方が、分かりやすいしすっきりしてるよね。じゃない? だよね。うんうん。


     *


 今日はクリスマスイブ、兼、終業式(笑)。楽しい冬休みの始まりです。嬉しいな。早いものですね。今年ももう終わり。この一年、いろいろあったけど、振り返るとみんな良い思い出ばかりですね。来年はまた、心機一転、頑張ろうと思います。


 でも、イブは恋人たちの日とかいう錯覚、いったい誰が最初に植え付けたんでしょうね? 本来違うわけでしょ? 宗教的なもんでしょ? 恋人ジャンルに属さない人たちは、今日いちにち、どうやって過ごせば良いわけですか?


 まあそんな不満は野暮というもの。ここは一つ、世間の波に乗って、ちょいと、ろまんちっくな愚挙でも、たしなんでみましょうかね。今年一年を締めくくる意味でも。


 てなわけで、俺は今、ミカの家の前に来ている。なんかずいぶん久しぶりっす。そう言えば、かつて俺も、ちょっとらぶらぶの感じで、この道を通ったことがあったんだっけ。嘘みたい。遠い昔みたい。もう記憶ぼやけてる。


 寒いけど今朝は雪じゃなく雨だった。ホワイトじゃなくて残念(恋人どもざまぁ)。息は充分白いけど。はは。


 でと。ちょっとピンポン押してみようかな、なんてね。いいでしょ。・・・でも俺、押せるかな? 物理的に。まあ押せたとして、こう言うつもり。いろいろごめんね。傷つけちゃってごめんなさい。良いお年を。来年もよろしくお願いします。では失礼します。


 ひょっとすると、例のイブの奇跡とか起こって、天使とか舞い降りてきて、ミカが笑顔で出てくるかも。大丈夫。全部許してあげる。またデートしようね。とか。


 そしたら俺、その場でそのまま天国行ってもいいもん。はは。地獄かもだけど。はは。はは。


 あ。ピンポン押せた! 押せました。あれ? でも返事がないです。どうしたんでしょう。どうしたのかな? ・・・そのとき後ろから声がした。


「山本くんじゃない」


 振り返ると花染さんだった。お久しぶりです。部活帰りですか。


「ミカならいないよ。聞いてないの? ヨーロッパ。冬休み、ずっとあっちだって」

「あ。そうなんだぁ」


 花染さんはちょっと心配そうな顔で、


「顔色悪いね。大丈夫?」

「はは」


 あのね花染さん。どっかで読んだけど、具合悪い人に顔色悪いねって言うのは逆効果なんだって。気をつけてね。


「まあ気持ち分かるけど。山本くんも、ショックだったでしょ? あたしも驚いたよ。話、急だもんね」

「は?」

「え? まさか。それも聞いてないの? 山本くんに言ってないって、――それはさすがに問題あるよ、ミカも」


 花染さんの次の一言で、バカな俺にもやっと分かった。ミカがあの日、なぜうちに来たのか。俺に何を言おうとしていたのかが。


「ミカ引っ越すよ。イタリア。ミラノだって」


**********


 この回のEDは ClariS 「かくれんぼ」(泣く)。


 今思えば、ちょうどあのころ――たしか大晦日おおみそかだったな。謎のウイルス性肺炎のニュースを初めて聞いたのは。だけど気にもとめなかった。だって、それはどこか遠い世界の出来事で、俺たちには何の関係もないと思っていたから。


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