(6)
一人残されると、やっぱ孤独が身に染みる。真夏の夜なのに心に吹き荒れる木枯らし。ふあああ。まあ花染さんの言うとおり、こりゃ、ぱーっとやるのが正解ですかね。てか他に道はない。
どーん。今夜初めて、空の花を見上げた。きれい。だけどトラウマになりそう。土手の上で、今ごろお二人さんは・・・。
「山本くん? 見つけたっ」
どーん。光がミカの顔を照らし出した。俺は絶句した。
「さっき声が聞こえた気がして。あの。あれでしょ? 気になって自分でも来てみたとか。そんなところじゃない? 分かっちゃった」
どーん。ミカの顔に浮かぶ、例のからかうような表情。今夜は特に意地悪そうに見えた。そうか。敗軍の将を慰問に来たってわけか? 様子を見に? 安心してくれ。血迷って刺しに行ったりとかしないから。
「上に月島くんいるよ? 一緒に行く? ちょっと確かめたいこともあるし」
どーん。ミカが手にしているのは、さっき月島が持ってたタピオカじゃないか。二本のストローが映えるね。わざわざ見せつけてくれてありがとう。確かめるっていうのは、俺のリタイア確認ですかね? それとも、ブロックされたことをちゃんと自覚してるか、とか?
どーん。口の中がからからで、思うように言葉が出ない。まあ別に、言葉は何も思いつかないんだけど。辛うじてしゃがれ声は出た。
「花火すごいだろ? 3,000発。迫力すごいだろ」
バカか俺。いまさらアンバサダーやってどうする? するとミカのいつもの癖が出た。ぼそっと、
「まあね。でもやっぱり、隅田川には負けるんじゃない? ニューヨークとか」
ここで俺は切れた。ほんとバカだね俺は。
「あのなあ! そうやってだなあ。お前、いつも最高の場所で最高の経験してきたっての、良く分かるよ。分かるけどさあ。そうやっていつもいつも、比較検討して、ダメ出ししなくたっていんじゃね? 切り捨てなくったって。だってさ。それされたら、ここの人間、立つ瀬なくね?」
ミカはさすがに俺の剣幕に驚いたらしい。またしてもさっと飛びすさって、
「な! なによ急に。マジになっちゃって。顔怖い」
「だって、今日の花火だってさ。そりゃ最高じゃないかもだけどさ。隅田川には負けるけどもさ。でも俺たちの人生には、これしかない、って感じで刻まれたりするわけじゃん? 地元の人間には。・・・そういうの、お前には分かんないんだよ。
一気にまくし立てた。言い過ぎたけど、もうどうだっていい。どうせ今夜が最後だ。びしっと言いたいだけ言ってやった。ぶは! リサイクルごみにだって(以下略)。
「な。なによ・・・」
ミカの顔が、暗い中でも分かるくらい真っ白になった。あああ。しまったなあ。傷つけてしまった。でもこういうことって、一度はきちんと教えてあげるべきだったからね。教育上の配慮というか。愛の
だけどミカの表情は絶望的に歪んだ。吐き捨てるように怒鳴った。
「分かってない! 全然分かってない。あなたになんて何も分からない。分かるわけないっ」
・・・そのとき花染さんの声がした。場違いの明るい声で、
「おっ待たっせ~。見て見て。負けずにこっちも、タピ二本挿しだぜえ。・・・あれ? ミカ? なんでここに?」
ミカの目が、花染さんの顔から手へ。そして、持っているタピオカに釘付けになっている。たぶんパッションフルーツミルク。誇らしげにストロー二本。
ミカの顔がいっそう白くなった。ややあって、震える声で言った。
「あげる」
月島のタピオカを花染さんに押し付けると、よろけるように、人混みを押し分けるようにして、神社の方へ姿を消した。
*
俺と花染さんは、しばし茫然としていた。
「・・・なんか様子が変。月島くんと喧嘩でもした? あたし追いかける!」
我に返ったように、花染さんは慌ててミカの後を追った。俺は・・・ためらった。俺もうリタイアだし。そのとき、
「おいっ! ミカこっちに来なかったか?」
「月島っ。てめえっ。どの面下げてっ」
俺は思わず、ポケットの催涙スプレーを握りしめた。だけど月島は、見たこともないような形相で俺に迫ってきた。俺の胸ぐらをいきなり掴むと、ドスの効いた声で、
「山本きさまっ。なめんのもいい加減にしろよ! ふざけやがって。バカにしてんのか?」
「へ?」
歌舞伎町のホストが怒り出したらこんな感じですかね? 普通に怖いです。人格変わってます。
「お前ら。お前とミカ。示し合わせて俺をはめたんじゃないのか? 笑いものにしたんじゃないのか?」
「は? ち。違いますよ! そんなことしません。信じてくださいっ」
なんかおかしい。配役が逆では?
「デートの最中に俺を置き去りにした女は初めてだ! ジゴロ人生始まって以来の屈辱だ。許せんっ」
「・・・まあ落ち着いてください。冷静に」
「あれだけ話してたのに、ミカは、お前のことしか聞かねえんだよ。最初から最後までだ。根掘り葉掘りだ。北高の写真部がどうの。白鳥って女子がいるはずだ、とか。俺も最初は調子合わせてたんだが、だんだん腹立ってきた。しまいにお前のために別れ話を切り出してやったんだが――」
「ちょっと! それ頼んでません。てかこの件、お前に頼んだ覚えは一切ないっ」
「お前が、一身上の都合により彼氏を辞めたいと言っている。そう言ったら、いきなり怒り出したんだよ。『そんなはずない。直接聞くからいい。さっき声がしたから探しに行く』とか言って、ぷいと行っちまった。俺のタピオカをひったくって行ったんだぞ。まだ手付かずのやつ。後で弁償しろ。黒糖カフェオレだ」
「それここにありますのでどうぞお持ち帰りください」
「会ったんだな? で、どうしたんだお前?」
「いや。ちょっと怒らせちゃって――」
月島は目をむいて、胸ぐらの手にぐっと力を込めた。
「なにいっ!」
「く。苦しいっ」
「バカなのか? なぜ怒らせた? あんないい女を。男として最低だぞ!」
「すいませんっ」
「お前。まさか。見て分からないのか?」
「と言いますと?」
月島は顔をぐっと近づけてきた。その血走った眼の中に、燃えたぎるような怒りとどす黒い嫉妬が渦巻いていた。
「俺が何人の女を見てきたと思ってるんだ。いいか? あんな一途な片想いの顔は初めてだ。ミカはお前に惚れてる。べた惚れだ」
「・・・うそお・・・」
「俺もそう思う。実際ありえん話だが。お前みたいな超低スペック野郎のどこがいったい――」
「だって俺ブロックされてるしっ」
「そんなの自分で考えろ。嫌いならお前のこと聞きまくるわけないだろ? バカなお前にこれ以上傷つけられたくないんじゃないか? 怖いんだよ」
月島はようやく手を離した。その手でいきなり俺の背中をどやしつけた。
「げぶほっ」
「今すぐ行って、ミカをものにしてこい! でなきゃ、お前を男として認めないからな!」
*
ちきしょう月島。自分だけかっこいいセリフ決めやがって。でも俺は途方に暮れている。見渡す限り、人また人。ミカの姿はどこにもない。見つけられない。
これがアニメだったら、最後の五分で必ず見つかるはずだ。人波の中のミカを見つけ出して、絶対に抱きしめる。アニメだったら。
でもこれはアニメじゃない。
それに俺は、アニメに絶対出てこないほどのクソ野郎だ。ミカの魂――あれほど優しくて傷つきやすい魂が、手を伸ばせば届くほどのところにまで降りてきてくれたのに、それを俺は、己のみみっちいプライドのために、薄汚い嫉妬のために、ひねくれた根性のために、まるで空き缶みたいに銀河の反対側まで蹴りとばしてしまったんだ。
誤解されたと怒り、ブロックされたと怒る。だけど誤解してたのは俺の方で、自分のことだけを考え、自分のことしか見ようとしなかったのも俺の方なんだ。
もう取り返しがつかない。ミカが、決して手の届かないところへ遠ざかってゆくのが分かる。俺は、必死に人混みの中でミカの後ろ姿を探し続けた。頭。頭。頭。・・・あれはもしかして? でもすぐに見えなくなった。頭。頭。もう俺の混乱した頭では、ミカが何色の浴衣を着ていたのかすら分からない。頭。頭。・・・。
花染さんの泣きそうな声が聞こえる。「ミカ見つけられなかったよお・・・電話にも出ない・・・」。頭。頭。頭。もう涙でぼやけて見えない。河川敷も、神社も、橋も、川も、屋台も、何もかも見えなくなってしまった。この人波のどこかで、今も歩き続けているミカの心の痛みが、暗い川面のさざなみのように押し寄せてきて、ひと波ごとに俺の体を切り刻む。
どーん。最後の音が俺の胃を打った。打ち上がったスターマインと、真っ黒な川に写ったその影が、同時に花開いた。その瞬間に、俺の薄汚れた魂も真っ二つに引き裂かれ、ひとつは天国に飛んでその耐えがたい甘美さのゆえに、もひとつは地獄に落ちてその耐えがたい痛みのゆえに、同時に飛び散ったような気がした。
*
・・・今から考えると、何か不思議な気がする。あの夜、あの沿道を埋め尽くしていた、あれほどの数の人々。子供も大人も、老人も恋人たちも。その誰一人として、来年はこの花火が見られなくなるかもしれないなんて、夢にも思っていなかったんだから。
**********
書いてる時の作業BGMは ClariS 「HANABI」(切ないっ)。脳内妄想アニメの挿入歌その2ですかね(涙)。
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