第4話:肘笠雨《ひじかさあめ》

(1)

肘笠雨ひじかさあめ:肘をかざして笠の代わりにするような、にわか雨のことだそうです。


**********


 部室のドアをそ~っと開けるのが、もう放課後の習慣になっている。その日も、まあいないよね、と思っていた俺は、思わず声を上げそうになった。暗室の入り口から、赤い光が漏れている!


 い、いる! 俺の心臓は高鳴った。


 遂に対決のときが来た! 消息不明だった逢魔先輩を、今日こそ捕獲して、謎の組織とやらの全容を解明するのだ。


 お前は何者だ。誰のために動いているのだ。あのスクープ写真は誰の差し金だ。どういうルートで白鳥先生の手に渡ったのだ。先生は組織の一員なのか。組織の威嚇はどの程度本気なのか。万一、俺が、ミカの彼氏として社交界デビューした場合、本当に川に浮いちゃうのか。どうなの? それだけでも教えて!


 ・・・というような全ての疑問は、本日、今ここで氷解する。ふふ。俺だって、一方的に脅されてばかりじゃないぜ。ヒーローの逆襲劇が開幕するんだ!


 前回の反省を充分に踏まえて、俺のポケットの中には瞬間接着剤が忍ばせてある。この日のために、何日も前から周到に計画したのだ。そっとベランダに回ると、非常用縄ばしごの辺りの床に、接着剤を丹念に塗り広げた。古典的だが確実。ゴキホイの原理ですね。


 細工は流々。後は正面へ戻って一声かけるだけ。俺の声は自信に満ちて、朗々と部室に響き渡った。


「逢魔先輩? いるのは分かってますよ?」


 ごそごそ。そして例のわざとらしい声が。


「あ、山本くんだ! ほんとっ久しぶりねっ。元気してた? ちょっと待ってね。現像、もう終わるから~」


 窓が開く音。その手は食うか! はっはっ。俺は悠然とベランダに向かった。


 ・・・縄ばしごが揺れていた。その手前に、床にくっついたままローファーが脱ぎ捨ててあった。中庭を見下ろすと、ソックスのまま、ぱたぱたと逃げてゆく先輩の姿が見えた。背中のブレッソンが左右に揺れながら、次第に小さくなっていった。


 残された靴を床からはがすのに、二時間かかった。


     *


 ・・・失礼しました。さて気を取り直して、と。ラインの「友だち」リストを眺めながら、俺は一人でにやけている。


 〈ミカさん〉と〈花染さん〉。こないだまで女子とラインしたこともなかった俺が、南高女子お二人と、お友だちになっちゃいました。しかも二人とも美少女とか! しかもミカさんとは、もうけっこう頻繁にやり取りしていますよ。今年は良いことありそう! もしかして噂に聞く「モテ期」ってやつ、来るんじゃね? うらやましいでしょ? ぶふ。


 とは言うものの、実はその後、花染さんからの連絡は特にない。何か頼みごとがあるとかいう話だったが。まあいいや。内心、面倒なことだったらどうしよう、って心配してたんだが、向こうが忘れてくれればそれはそれでいいし。と思ったらライン電話来た!


「あ、花染さん。先日はどうも。大変お世話に」


 相手はいきなりケラケラ笑って、


「山本くんおもしろ! もろお役人じゃん。聞いたよ。公務員志望だって?」

「はあ」

「どお? その後、ミカとはうまくやってる?」

「まあぼちぼち」

「へへ。喧嘩しちゃだめだよ~。そんでもって、デートというのは、やっぱりまた、ベッドの下でですか?」

「そ、それ言わない約束じゃないすかっ」

「わりいわりい。つい。印象強烈すぎて。あんたの顔とリンクしちゃってて」

「・・・それでご用件は?」

「まあまあそう怒りなさんなって。・・・あのさ。え~とっとお。今電話いいの?」

「もうだいぶ話してるじゃないですか」

「・・・あのねー・・・」


 花染さんの声の調子がちょっと変わった。まさかの乙女モード?


「あのさあ。あの。こないだ言ってた、お願いの件なんだけど。いいかな?」


 来たあ!


「はい?」

「北高の1年なんだけど。月島くんっていると思うんだけど。知らないかな?」

「・・・ええと・・・」

「クラス違うと分かんないかな? テニス部」

「・・・そうですね・・・」


 知らないどころか! 知り過ぎている。北高の有名人。しかも同じクラス。だがこいつに関しては、簡単に「あ、よく知ってますよ~」と言うのをはばかられる理由が、歴然と存在する。


     *


 回想しよう。月島つきしま竜也たつや。実は、やつとは中学も一緒だ。たしか中2のときに転校してきた。


 俺の嫌いな特徴を、全て備えている稀有な存在だ。まず東京人。しかもイケメン。その上スポーツ万能。成績も俺より断然良い。だが一番嫌いなのは、あの抜け目なく如才ない社交性。喋り方。八方美人的というか。


 まあある意味、都会的で洗練されているんだが、ミカなんかとは本質的に違う。生まれつきの優雅さとか育ちの良さっていうんじゃなく、あくまで人工的というか。作り物というか。裏で何考えてんのこいつ、みたいな。それでいて滑舌滑らか。油差したてのサイボーグみたいに、気持ち悪くぬるぬる動く。まあ知らんけど。


 転校してきたばかりのころは、超人気者だった。なにしろ都会から来たのに人当たりが良くて、気取りも、いばったところもない。よどみなく流れ出てくる標準語。むろん、女子は熱狂的に追っかけです。テニス部入部でいきなり先輩を負かしたと聞いては「きゃ~」。成績学年5位と聞いては「月島くんさすが~」。4位より上の男子は、髪をかきむしり壁に頭を打ちつける日々。


 ところが、そのうち本性が見えてきた。下駄箱からあふれた恋文の中から、厳選して彼女を任命したのもつかの間、次々と彼女を乗り換えたんだ。それも、その全てが、いわゆる「略奪愛」。彼氏持ちの女子を横取りするパターンだ。くそ。殴りたい。うらやましすぎる。


 女子の評価は真っ二つに分かれた。「許せない! 女たらし!」と憤る良識派と、「プレイボーイだけど、本当は、真実の愛を求めてさまよい続ける寂しがり屋さんなのね! いつでも私の胸に飛び込んできていいのよ!」と自分の番を待ち続ける「ドンファン命」派。もう一触即発で、全面戦争に発展する勢いだったが、あるとき、良識派の旗頭だった学級委員長が実はツンデレだったのがバレて、腰砕けになってしまい、ドンファン派の地滑り的勝利に終わった。くそ。殴りたい。


 もちろんだが男子には嫌われた。特に、彼女を横取りされた男どもからは、いつ何どき刺されてもおかしくない状況だったんだが――、そこは天性の詐欺師。自分から謝りに行くという、厚顔無恥の暴挙に出た。


「・・・本当に、君とだけは、張り合いたくなかった。今でも心から後悔している。でも君と同じで、すっかり彼女の魅力の虜になってしまったんだ。どうしても逆らえなかったんだ。彼女にも悪いことをしてしまったと思う。だって、彼女は、今でも君のことをよく口にするんだ。『もし月島くんと出会っていなかったら、今でもAくんのことを愛し続けていたと思うの。ときどき思い出して、申し訳なくて、泣いちゃったりして・・・』って。あんなにも彼女に愛されていた君を、僕は、生涯かけて嫉妬し続けるだろう。僕がどんなに全力でがんばっても、彼女の美しい記憶の中の君の姿を、消し去ることはできないのだからっ」


 この流れるようなセリフを聞いた男たちは、例外なく、


「くそおっ・・・悔しいけど、いいやつじゃねえか月島っ・・・お前が次の彼氏で良かったって、そう彼女に伝えといてくれっ・・・頼むぞっ・・・」


と、号泣しながら走り去ってゆくのであった。・・・殴りたい。


 ちきしょう月島。突然出て来やがって。本当は、こいつだけはサブキャラに加えたくなかった。濃すぎて、主役の俺がかすんじゃうじゃねえか!


     *


「・・・で、その月島くんがなにか?」


 花染さんの乙女ボイスが艶を増した。


「あの・・・あのね。ふふ。この前のテニスの大会でね。ちょっと見かけちゃったんだ。注目しちゃったってゆうか。彼、イケメンじゃん?」

「一目惚れですか?」

「ひとっ! ひとっ! ・・・ちちち違いますよははっ。人聞きの悪い。そんなんじゃないですよまったく。なに言ってんですかこいつは。バカかよ。はは」


 俺はうんざりした。どうして女子って、こうイケメンに弱いんだろうね。大事なのは、外見じゃなくて中身でしょ。男子が美少女に弱いのとは大違いだな。・・・あれ?


「でも花染さん。運動部の女子って、男の外見じゃなく、内面に惹かれるもんなんじゃないんですか?」

「内面? なにそれ?」

「いや責任感とか。一生懸命がんばってる姿とか。誠実さとか。思いやりとか。設定かならずそうなってるじゃないですか。スポ根ドラマとか。マンガとか。アニメとか。見せかけじゃなく、真の男らしい男に惹かれる。面食いヒロインとか、見たことないし」

「アニメと現実をごっちゃにすんなよ。これだからアニオタは」

「アニオタじゃないし」

「あのね。この機会だからはっきり言っとくけどね。誤解のないように」


 花染さんは大きく息を吸い込んで、


「男は顔だっつうの!」

「はああっ?」


 俺もはっきり言おう。聞きたくなかった。


「なに驚いてんだよ。知らない? 格言。ただしイケメンに限る」

「それネット用語かと」

「真実だからネットでも使うんだって」

「でもラブコメとか映画とか、普通にあるじゃないですか。冴えない男が、真実の愛をゲットするハッピーエンド」

「それ男が書いてるだけだから。妄想よそれ」

「そうかなあ」

「そうよ」

「じゃ花染さんは、顔が良ければもうそれでいいんですか? イケメンなら誰でも?」

「あんたどこまでバカなの。んなわけないだろ。バカかよ」

「はあ」

「もちろん、他にも条件いろいろあるでしょ。決まってんじゃん。頭とか。趣味とか。性格とか。相性とか。将来性とか。年収とか。あと、男子には絶対言えない各種条件とか」

「そこ一番聞きたいんですけど」

「でもね、基本は顔よ顔。とりまイケメン。話はそれからだ! だって当たり前じゃん。もし顔、関係ないんだったら、あんたボウフラとデートできる? ミジンコとデートできる?」

「いや俺ミジンコ嫌いなんで」

「そういうことだよ。分かればいいんだ。・・・でどうなのさ。月島くんの件」

「どうと言いますと?」

「知ってるの?」

「・・・ええまあ・・・」

「違うクラスでも? 話したこととかある?」

「いや同じクラスですけど」

「なんだよ! それ先に言えよ!」


 花染さんの声が俄然ヒートアップしたかと思ったら、急にトーンダウンした。


「・・・やっぱり、いるんでしょうね? 彼女とか?」

「さあ・・・今はどうですかね・・・」

「なんだよ! 同じクラスなのに分かんないの、そのくらい? どこに目つけてんの。分かるだろそのぐらい」

「いや、中学の時は確かにいたと思うんですけど。今は、ちょっと分かんないですね――」

「ええ!? 中学も一緒だったの? すごいじゃんそれ親友じゃん!」


 しまったっ。


「いやっ。そんなに親しいわけではっ。あんま話したこともないくらいで」

「あのさっ。それとなくでいいんだけど、ちょっと探り入れてみてくれないかな? それとなく。でさ。急ぎじゃないんだけど、全然急がないんだけど、なんかのときに、あのさ、ちょっと、軽く、紹介とかっ。・・・紹介とか、してもらえたらちょっと嬉しいかな? みたいな。ねっ。どうかなそれ?」


 う~ん。やっぱりか。花染さんは良い人だし、美少女だし、一目惚れってのも乙女心爆発でかわいい。ぜひとも応援したいけど。相手が悪いよ!


「あのう。ご要望にお応えしたいのはやまやまなんですけど――」

「なにまた役人口調」

「彼は非常にモテる男でして、中学の時には、いろいろと良からぬ噂も――」

「知ってる。ドンファンでしょ? こっちにも、元カノとか何人もいるから。聞いてるよ」

「あ! そうですか。よかった! だったらやっぱり、ちょっとやめといた方が――」

「そんなの全然気にしてないから、あたし」

「は?」

「人の陰口とか言う人いっぱいいるから。あたし、そういうの信じないから」


 いや一般的にはその姿勢は正しいですけど。でもやつに限って言えば、たぶんその陰口は、ほぼ真実かと。


「それに、元カノって女子にも、それとなく聞いてみたんだ。すごいよ。誰も月島くんのこと、悪く言わないんだよ。みんな、別れても好きなんだって。ちょっと感動しちゃったぞ」


 くそっ。詐欺師野郎。どんだけ八方美人なんだよ!


「いや、でも、やっぱ、誠実さに欠ける部分あるって話も。信用できないとか。裏表ありそうって言う人も――」

「そういう人って、たぶんね、月島くんのこと、嫉妬してるんだと思う。顔とか頭とか運動神経とか、そういうの、全っ然、月島くんにかなわなくて、すっごく内心うらやましいとか思ってて。だからチャンスがあれば、どうにかして足引っ張ってやろうって狙ってるんだよ、きっと。そういうかわいそうな人。山本くんも、そんなの信じちゃだめだよ」

「・・・はい・・・」


 だめだこりゃ。もう、紹介する前から騙されてる!


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