(2)

 その瞬間の俺の機敏さは褒めてもらっていい。崩れ落ちるその体を抱きとめるのに辛うじて間に合った。


 意識のない美少女をこの腕に抱きかかえている。いま思えば絶好のエロシチュだが、正直そんな余裕はゼロだった。美少女と言えども人体はほぼ水だから、それなりに重い。それが支えを失って急に倒れ込んでくるのだから衝撃もかなりのもので、とにかく地面に激突させるわけにはいかないし、頭ががくんと後ろにのけぞったら大変。むち打ちになっちゃう。てなわけでこっちも焦ったが、幸いどうにか中腰のまま、左肩で彼女の頭を支えることに成功した。


 なんか少女マンガで見る感じの体勢で、顔がすげえ近い。シャンプーの香りもナイスです。そのまま勢いでキスとかできそうなくらいだが、現実はそれどころじゃなく、俺は彼女の体重を支えきれずにずるずると一緒に倒れそうになった。


 こういう事態を想定して鍛えてなかった自分が悲しい。目覚める気配もない。しょうがないので舗装のあるところまでよたよた戻って、万一チャリが通っても邪魔にならなそうな場所を見つけ、その体をそっと地面に横たえた。


     *


 さてどうする? みなさんならどうしますか。ちょっと、もしもし、大丈夫とか呼んでみたが返事はない。耳元で怒鳴るべきか? ほっぺをぺちぺちと叩くべきか? 俺は躊躇した。さっきの一言のせいで印象は悪い。暴行で訴えられるのはごめんだ。こいつならやりかねん。自然に目を覚ましてもらうのが一番だ。


 だけど、気絶した美少女って、平均して何分ぐらいで目を覚ますものなのだろうか。こんなの初めてだから俺には見当もつかない。こういうときはググるに限る。東京とかなら、あれだけ人がうじゃうじゃいるんだから毎日ばんばん卒倒してるだろうし、常識としてみんな知ってるだろ。俺はケータイを出した。


 だが待て。もし目を覚まさなかったら? ひょっとして病気って可能性は? 救急車を呼んだ方がよいのでは? ・・・そもそもいきしてる?


 俺は慌てて彼女の鼻のあたりに手をかざしてみた。息してます。よかった~。あとブラウスの胸のとこの、い~い感じの膨らみもちゃんと上下してるし。いや変な意味じゃなく。ほんとに。


 やっぱ救急車呼ぼうか。だけど、もし呼んじゃってから来る前に彼女が目を覚ましたらどうなる? すたすた歩いて帰っちゃったら? そしたら無駄足の隊員に俺が怒られるかも。いたずらだと思われるかも。費用請求されるかも。それって悲しすぎる。俺がいい人なばっかりに、どうしてこんな目に・・・。


 とか思ってる俺の手は、救急車どうしようかと迷ってるうちに、わざとじゃありません! 間違ってカメラのところを押してしまっていた。


 画面いっぱいに映し出された彼女の寝姿。俺は息をのんだ。


 何という完璧な構図。いいねいいね! 何がいいって? 怒ってないところが。眠るように横たわるその姿は、はかなげな詩情すら漂わせる、神々しいほどの完成度であります。


 もし俺に絵心があったなら、即座にスケッチブックを取り出してデッサンを始めるところだ。だが、21世紀の画工えかきが駆使すべき武器はこのスマホ一択。俺は思わず、ケータイをああでもないこうでもないと構え始めていた。至高のカメラアングルと、時空を鋭くえぐり出すフレーミングを求めて。


 しかしです。俺はあくまでも常識人であり法令を遵守する小市民だ。さすがにシャッターは押しませんよ。盗撮になっちゃう。アングル試してるだけ。・・・だけどこれって盗撮と言えるのかな? 変な部位撮るわけじゃないしアートだし。ピュリッツァー賞狙いの報道写真だし。「路傍に横たわる受難の処女」かなんかタイトル付けて。いや変な意味じゃなく。


 肖像権侵害かもだけど、モデルさんの許可もらえばいいでしょ事後承諾で。事前に許可とか無理ゲーだし(寝顔撮るのに先に起こすバカいないでしょ)。


 ・・・などとごちゃごちゃ考えつつも、さて、こうしてフォトグラファーの眼で改めて被写体をじっくり観察していると、今まで見えなかったものが見えてくるようで、ますます激写魂が加速してきた。その表情はほとんど神秘的というか、世界の運命を一手に引き受けた悟りの色というべきか、まあ俺が勝手に空想してるだけだが実に良い。このひと、起きて喋ってるときより寝てるほうが百万倍いいね。


 そして今気がついたんだが、田んぼの水がねたらしく白いブラウスが少し濡れて、下着の線とパステルカラーが微かに透けて見えてるじゃありませんか! しししかもですよ、ブラウスのすそが持ち上がって、腰のあたりでわずかばかり肌色も覗いてます。ビバ眼福。俺は噴き上げてくる鼻血を必死にこらえた。そして知った。


 俺の人生で、これほどの決定的瞬間を撮るチャンスはもう二度と訪れないことを。我が胸中のこの画面を成就せねば!


 だが盗撮は断じて許されない。うおおおっ。なんという葛藤。・・・ついに超人的な意志の力によって、ようやく俺は、震える指先を引き離し――あ。はずみで押しちゃいました。


 かちゃ。シャッター音デカっ! 俺は思わず飛び上がった。まさかこれで起きたりしないよな? 構えたスマホ越しに、そっと様子をうかがうと目が合った。


     *


 げげげげげげっ起きてるっ! いつの間に!?


 目を見開いてこちらをガン見してる彼女と、ケータイをそっちに向けて構えてる俺。このシチュでどうやって言い訳するつもりだ俺。「今救急車呼ぼうと・・・」とか? 持ち方違うぞ。「カメラアングルだけ練習してました」か? シャッター音聞かれてたらどうする? 「これはアートです」とか? 「あまりの美しさに理性が崩壊しました」?


 とにかく何か言わなきゃ。誤解のないよう、俺の身の潔白をきちんと説明するんだ! ・・・俺は言った。


「はいチーズ」


     *


 その場を静寂が支配した。


 彼女は、どうリアクションしたものか、しばし悩んでいたようだが、「変なやつ。関わってもろくなことはない。とっとと撤収しよう」と決めたらしく、


「なにそれ~」


 クスリと鼻で笑うと華麗にスルー。たおやかな身のこなしで素早く立ち上がった。背中とかお尻とか髪の毛が汚れてないことを入念に確かめると、ちょっと元気になり、


「どうしたの私? もしかして・・・倒れた?」

「気絶してた。と思う。たぶん」

「えええ嘘みたい。こんなの初めて!」


 美少女のこのセリフ、別のシチュで聞きたかったです。いやまじで。


「ここまで運んでくれたんだよね? ありがと!」


 おおお。俺は思わず号泣しそうになった。ちゃんと感謝してくれてんじゃん。実はいいじゃん。こっちこそ誤解しててごめんね。僕たち今から仲良しになろうね!


 だが、なごやかな空気は一瞬だった。ようやく失神した原因を思い出したようで、彼女は何気なく脚もとを見、・・・ぎょっとして2メートルも飛びすさった。まあヒルもいっしょにくっついて飛びすさったのであまり意味はなかったが。


 また卒倒するのか? 今度はどっちの方角だ? 俺は反射的にゴールキーパー体勢を取った。が、慣れてきたのか今回は気絶しなかった。


「ななななんで取ってくれなかったのよ!!」

「いやそう言われても! 気絶してる女の子の脚、勝手に触るとか絶対無理だしモラルに反するし! 男としてダメだし社会的制裁もあるし!」


 本当です。あの場面で俺が彼女の太ももに手を伸ばすなど言語道断。鼻血がいくらあっても足りません。


「いいからすぐ取ってよ!」

「自分で取ればいいのでは?」

「いいから取れ! いま取れ! すぐ取れ!」


 彼女は必死の形相で、自らスカートをたくし上げて太ももを俺に突き出している。これもう「それ何てエロゲ?」ってレベルじゃねえぞ! ・・・なのに俺の心は暗く重い。どうせ触らせてくれるならヒルじゃない場所がよかった。


 しぶしぶヒル地点に接近していく。もう本当に嫌だったが、彼女の生き血をたらふく吸って膨れているヤツを目の当たりにして、「なぜ俺ではなくヒルなのだ」という根源的な問い――どす黒い怒りにも似た悲しみが、ふつふつと沸き起こった。


 くそ。俺もヒルに生まれたかった。そうすれば今ごろ美少女の柔肌やわはだを好きなだけちゅぱちゅぱできたのに。怒りにまかせてヒルを引っつかみ、遠くへ放り投げた。ぽちゃんと水音がした。


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