焔の岐路

紫原彰蘭

第1話 アサナシア学院

 心地よい陽気に包まれた春真っ只中の四月。

薄ピンクの花弁が散りなびく桜満開の並木道を、制服姿の学院生達が歩いていた。

 男子は共通して黒のズボン、女子は裾に白のラインが入った黒スカートを着ている。

 ところが、上半身は黒と白のブレザーで半々に分かれており、ネクタイの色も赤青緑とそれぞれ異なる色を身につけていた。

 これは、彼らが登校する学院独自のもので、出自や能力によって色分けと学年分けをしているもの。


「……この校則を作った人は、よっぽど頭の硬い貴族か、上昇志向の強い大人なんだろうな」


 あからさまな身分制度を目の当たりにして、つい本音を漏らしてしまう少年。

 紫がかった黒髪と琥珀色の瞳ーー少し控えめだがキュッとしまった口の上には高く締まった鼻筋が伸びている。

 歳のわりに影を帯びつつも意志の強さを感じる彼は、今日から眼前に聳え立つ「アサナシア学院」に入学する生徒の一人である。


「……だけど、これは……」


 辺りを見渡して、その後自分の状態を視認する。

 実のところ、彼自身の服装は周囲の学院生と同じ黒でも白でもなく、もはや制服ですらない。


『汚れてもいい服装で登校するように。私服も可』


 そんな一文が、送付された資料に載っていた。

 なので、それを信じて馬鹿正直に着古したパーカーとストレッチジーンズを引っ張り出し、さらに履き潰したスニーカーという見窄らしい服装で家を出た。

 それはそれは周囲から奇異の視線を集めており、彼は登校初日で既に自分の選択を後悔していた。


(……視線が痛い、気まずい、今すぐ帰りたい)


 心は挫けっぱなし。

 しかし、歩みは止めない。

 思い返せば、学院側から送付されたのは教科書や書類一式のみで、そういった制服や学生鞄は同梱されていなかった。

 これは学院側のミスなのか、それともそう言った指示なのか。連絡先の番号も繋がらず、自ら受け取りに行くのもおかしいと思い、現在は当たって砕けろ精神で乗り切っているところである。


「あ、ああああの!」

「っ!?」


 そんな気後れした心持ちでいるからこそ、後ろから突然大声を上げられたことで少年は自身の心臓が爆発したような錯覚を覚えた。

 反射的に距離をとりつつ、背後を振り返る。


「ふしゅー、ふしゅー!」


 まるで蒸気機関車のごとく激しい呼吸音。

 何事かと思いきや、そこには晴天の空のような紺碧色の長髪を伸ばしきった女子の姿があった。

 伸ばしきった、と言う表現はそのままの意味で、目元は隠れて小ぶりな鼻と艶やかなピンク色の唇だけがのぞいている。


「あぁっ、ご、ごごごごめんなさいっ! 緊張してて、つい大声になっちゃって、そ、それでっ」


 焦っているのか早口で弁明する少女。あいも変わらず「ふしゅー」と呼吸を荒げている。

 そんな余裕のなさげな彼女をみて、少年は自分にも言い聞かせるように、


「大丈夫、落ち着いて」


 と一言。

 対する少女は、自分がどれほど慌てているのかを実感し、振り返って何度か深呼吸。高揚する感情を無理矢理にでも抑え込む。

 程よい膨らみのある胸に手を当て、速い鼓動を沈めようとする。また、いそいそと身なりを整える様子は非常にコミカルで、全てがわざとらしそうでそうじゃない、憎めない仕草だった。


「……ご、ごめんなさい。もう大丈夫です」


 数十秒かかってようやく落ち着いたのか、改めて前で手をモジモジさせる少女と対面する。


「よかった。それで、どうしたんだ?」


 なるべく優しく声をかける。

 理由は何となく、彼女の服装を見れば予想できる。


「あ、はい……私、アサナシア学院の新入生なんです。受け取った荷物の中に『汚れてもいい服装』って書いてあったので、前の学校のジャージで来たんですけど……登校する人みんな制服で、私だけこんなみ、みすぼらしい服装で、すごく不安で……」


 同志がいた。

 見れば深緑色のジャージ上下を身につけ、チャックを首元まで締めている。

 彼と同じく正直で真面目な性格を彷彿とさせる少女。

 その事実に、少年は激しい安心感を抱いた。


「そ、そしたら通学路の先で、制服姿の人並みに私服のあなたが紛れていたので、ひょっとしたら私と同じかも……って」

「大正解、だな」

「え、あ」


 話を遮らせるほど、自分がどれほど彼女の存在を求めていたかを伝えたかった。

 少し狼狽えさせてしまったものの、結果さえ良ければそれでよし。


「俺はテセル。テセル=クローバーだ。こんな部屋着みたいな格好で心底挫けそうになってた、君と同じ新入生。よろしくな」


 そう頬をかきながら、握手を求めるテセル。

 その照れ臭そうな表情に緊張が緩んだのか、恐る恐る手を伸ばす少女。


「は、はいっ! こちらこそ、よ、よろしくです! 私はナギサ、ナギサ=ダイアナと言います」


 そう名乗りあったナギサとテセルは、未だ不安が拭えない中で安心感を共有しつつ、登校するのだった。






「ーーにしても、登校初日でこんなに辱めを受けるなんてなぁ」

「……ふふっ、卒業後にはいい思い出になりそうですよね」


 通学路の並木町は思ったより長く、その間で蟠りを解すことはさほど難しくなかった。

 今に至る間の恥ずかしさやこれからの学院生活への淡い期待など。

 話しているうちに共通点が多すぎて、あれだけ緊張と不安で焦燥に駆られていたナギサも口元に少し明るさが戻りつつあった。相変わらず目元は髪で隠れているが。


「登校初日で汚れてもいい服装って、やっぱりそうゆう事なんだろうか」

「……そうですね、なにせあのアサナシア学院ですから……適正試験みたいなものがあるのかもしれないです」

「そうだろうな。何せ入学試験が筆記だけなんて……この後何かがあるって言っているようなものだし」


 そう論じているうちに並木町は終わりを迎え、目の前には年季の入った学院と、狭くも広くもない鉄柵の校門が構えていた。

 両隣の柱には『アサナシア学院』と言う文字が彫られている。

 その校門の中央には、数人の男女が門を潜る学生に笑顔で挨拶を返していた。


「おはよー! おは……あ! きたきた!」


 その内、活発そうな細身の少女がテセル達を発見し、トテトテと駆けてくる。

 ナギサと同じくらいの平均的な背丈で、緑ネクタイを身につけた白ブレザーの制服。


「君たちも新入生だね! あたしはアサナシア学院の生徒会長、ラナ=クウィンナだよ! 入学おめでとう!」


 生徒会長と言う単語から、テセルの中では「ラナ会長」と言う呼び名がしっくりきた。

 艶やかな漆黒の長髪を金色のリボンで二つに緩く結んだ、改めてみてもスポーティーな印象を受ける彼女。

 第一印象では年下に見えるが、会長という肩書きを聞いてからはどことなく逆らえない風格を感じる。


「ありがとうございます、テセル=クローバーです」

「な、ナギサ=ダイアナ、です!」

「ふむふむ、クラブとダイヤ……アタシはクイーンだから、トランプ同盟だね! 運命を感じるよ!」

「「…………」」


 言葉を失う。

 ボケているのか、単純にテンションが高いだけなのか。

 その見定めに二人は思考に時間を費やしてしまうことになった。


「会長ー、新入生がついていけてないから、早く誘導しないとだーよ」

「そうだよ。いや悪いねぇ。この子頭はいいんだけど、中身は何にでも興味津々な子供なのさ」

「むー! また子供扱いする! あたしは会長だぞ!」


 そばに控えていた、ふっくら太った優しい表情の男子生徒と、女性にしては身長の高い褐色肌の女子生徒がそれぞれラナをあやす。

 二人とも白ブレザーの緑ネクタイで、おそらく同じ生徒会か同級生なのだろう。


「……あの、先に質問してもいいですか?」

「んー、何だいクラブくん?」


 ラナの中でも、テセルの呼び名は「クラブくん」に定着したようだった。


「えっと、汚れてもいい服装と記載があったのですが、こんな身なりでいいんでしょうか?」

「あぁ、そのこと! みんな制服だから不安になるよね。でも大丈夫、間違ってないから」

「そうですか、安心しました」

「よ、よかったぁ……」


 二人、特にナギサは胸を押さえてホッと一息ついていた。


「あと、君たちの獲物も既に預かってるからね。左奥の講堂が君たちの集合場所だよ!」


 そう言ってラナはビシィっと進路を指差す。


「……わかりました、ありがとうございます」

「あ、ありがとうございますっ」


 彼女の言葉にテセル達はすぐ理解をしたのか、一つお辞儀をして講堂に向かう。

 微妙な距離を保ちながら歩くテセル達の背中を見送りながら、ラナは何とも取れない笑顔を浮かべた。


「……今年の新入生は、何というか、個性的だね」

「そうだねぇ。純粋に見えて、色々危うそうな感じだよ」

「でーも、あの二人が一番まともだったーよ」

「うん、あたしもそう思う。あの初々しさがどこまで変わるのか……あんまり考えたくないかな」


 そう、過去を懐かしむような寂しさを残しつつ、また登校する生徒達への挨拶を続けるのだった。

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