第329話 コサックと侍
『
世界的にウクライナへの同情が高まっていた時期だけあって、トランシルヴァニア王国のこの国策は、少し勇気が要るものであったが、外務大臣が、
「強制送還の対象者は無法者と前科者に限る」
と事前に国際社会で説明していた為、余り非難される事は無かった。
・
・
などは猛批判したが、兎にも角にも難民政策に関しては、トランシルヴァニア王国は独立独歩である。
これとは別に、トランシルヴァニア王国は難民の受入を厳格化し、難民の多くは、対岸のポーランドやデンマークなどで待機となった。
代わりに門戸が開かれたのが、ロシアである。
ロシアでは開戦後、亡命者が相次いでいる。
その数は、ロシア人経済学者によれば、推計であるが、開戦以降、20万人もの人々が国を離れたという(*1)。
亡命者に人気の国の一つは、ジョージア(露語:グルジア)であり、2万5千人以上(*1)もの人々が入った。
亡命者の中には、リモート勤務が可能なハイテク産業の専門職も多く、ロシアの頭脳流出が指摘されている(*1)。
経済制裁で物が入らない。
優秀な人材は、国外に出ていく。
経済大国とは言い難いロシアには、どちらも大打撃だ。
更に多くの大手企業がロシアから続々と撤退した為、西側の文化を知る国民の多くは、不満を高めていく。
まさに三重苦、と言えるだろう。
富裕層は海外へ、その余裕が無い者は国内に留まるしか出来ない。
ウクライナは国土の大半が焦土と化し、ロシアは内部から弱体化していく。
これが、宇露戦争の結果であった。
令和4(2022)年10月1日(土曜日)。
ウルスラが報告書を持って来た。
「早いな?」
「情報部が総力を挙げて調べました」
「有難う」
ウルスラを膝に乗せて、一緒に見る。
「……
「しました」
「……了解」
ウルスラを抱き締めて、煉は考える。
「さて、どう料理した方が良いと思う?」
「証拠を少しずつ突き付けて、出方を伺うのはどうでしょう?」
「そうだな……」
ウルスラとイチャイチャしていると、
「師匠」
机の下からスヴェンが顔を出す。
「私も調査で頑張ったんですが?」
「分かった。お疲れ様」
「はい♡」
頭を撫でると、スヴェンは喜ぶ。
元モサドの超優秀な工作員は、チョロインと化していた。
2人を侍らせつつ、煉は、顎をしゃくる。
「……スヴェン、若しこの事実が公表されたらウクライナはどうなる?」
「恐らく同情論は消えるかと」
「……だろうな」
トランシルヴァニア王国情報部が掴んだ情報、それは目を疑うほどの人権侵害の現実であった。
「取り敢えず、ウクライナにはソ連の
後日、煉はウエノスキーとテレビ会議を行っていた。
『殿下、お目にかかれて光栄で御座います―――』
「市長、謀りましたね?」
『? 何のことでしょう?』
「オルガのことです。貴方の曾孫ですね?」
『!』
ウエノスキーは、目に見えて動揺する。
「貴方の経歴を失礼ながら調べさせて頂きました。貴方は、何故、ソ連に亡命を?」
『……どこまで証拠を掴んでいる?』
「ソ連崩壊時、流出したKGBの内部文書の一部に
原本を見せると、ウエノスキーは、両手を上げた。
『……凄いな。情報収集能力は』
「北欧一ですからね。それで何故、祖国を裏切ったのです?」
ウエノスキーは、軍人の顔になる。
『あの戦争は、いずれ負けると思っていたからな』
「……それで敵前逃亡を?」
『ああ。腰抜けだった事もある。それで満州軍の機密書類を持ってソ連に投降した。8月9日は今も不眠だよ。儂の
昭和20(1945)年8月9日。
ソ連は日ソ中立条約を反故し、突如、満州に侵攻。
当時、死に体であった大日本帝国は、対応出来ずに攻め込まれ、大陸に居た沢山の日本人が被害に遭った。
樺太でもソ連軍が侵攻し、1945年8月11日から2週間に渡って地上戦が行われ、ソ連が勝利した。
戦後もシベリア抑留があり、これらのことは、今の日本人の一部にロシア脅威論が根付かせている。
『だから儂は、ソ連に忠誠を尽くす振りをして、西側に情報を流したよ。ただ、協力者は、プラハやブダペストで散ったがな』
「……」
『祖国を裏切った代償だ。儂は、靖国神社に眠る戦友から恨まれている筈だ。そんな裏切者を歓迎してくれたのが、ウクライナだよ』
「……」
当時、ウクライナはソ連の一部。
それでも歓迎したのは、根底にあった独立心と敵の敵は味方理論が理由だろう。
『キエフの市長になれたのも、第二の祖国に尽くす為だ。儂の祖国はウクライナのみ。その為なら死後、どれほど叩かれようが良い、一度死んだ身だしな』
自重気味に嗤うと、ウエノスキーは頭を下げた。
『殿下、不敬のほど申し訳御座いませんでした』
「……オルガは?」
『あの子は、シベリア航空機撃墜事件の唯一の生存者だ』
「!」
煉は、眉を顰めた。
「あの生存者が居たのか?」
『当時の政府は隠したがな。儂が引き取った。曾孫としてな?』
「……」
2001年10月4日。
ベン・グリオン国際空港(
乗員乗客合わせて78人が死亡(*2)。
9・11の翌月ということもあり、墜落直後はテロの可能性が浮上したが、後の調査でロシアは「ウクライナ軍による地対空ミサイルの誤射」と発表(*2)。
ウクライナ軍は反論したものの、その後、ウクライナ政府は事故の原因については否定しながらも自国の関与については謝罪し、イスラエルとの間で補償の交渉に入った(*2)。
「撃墜されたのによく生きていたな?」
『多分、ヴェスナ並に運が良かったのだろう』
ウエノフスキーが言うヴェスナとは、セルビア人
彼女は1972年1月26日、クロアチアの
彼女が生存出来たのは、
・航空機の後部にいたこと(墜落事故などが起きた際、後部の方が生存率が高い、とされる)
・残骸に閉じ込められたまま落下したが、その際、木の葉が舞い散る様に落ちたこと
・山の斜面の木々を滑るように着地し、衝撃が抑えられたこと
・墜落から45分後に発見され、即座に輸血を受けたこと
など、幸運が重なり乗員乗客合わせて28人居たが、唯一の生存者となった(*2)。
『彼女は、黒海で揺り籠に乗ったまま発見された。奇跡的に無傷だったよ。親は後の調査で亡くなっていたことが判った』
「……誤射の原因は?」
『軍内部における勢力争いだよ。親露派と親米派のな。誤射の犯人は、親米派だ。当時は、親露派政権だったからな。撃墜で世論を動かし、政権交代させようって魂胆だ』
「……」
ウエノスキーは、古びた日本刀を抜いた。
『殿下に迷惑をかけた。この責任は死で返すよ。申し訳無かった』
ニヤリと
喉や心臓ではなく腹を選ぶのは、元日本軍人としての意地なのだろう。
止める気は無かった煉は、無表情でそれを見詰めるばかりだ。
堺事件(1868年)の際、死罪となった土佐藩士は、切腹した時、自らの腸を掴みだし、その様子を見ていたフランス人に一喝したという(*3)。
その余りの凄惨な様子にフランス人は恐怖し、堺事件のフランス側の犠牲者数と同じ11人が切腹した所で、死刑執行を中止させた(*2)。
この為、死刑判決を受けた20人中11人が死亡(*2)。
残りの9人は生き長らえることが出来たのである(*2)。
然し、煉は最後まで見届ける。
『……』
ウエノスキーは、満足気に微笑むと、そのまま目を閉じたのであった。
元日本兵にして大日本帝国を裏切った後、ウクライナ人として生き、最後は軍人として死んだその姿に煉は、最敬礼で見送るのであった。
[参考文献・出典]
*1:BBC 2022年3月15日
*2:ウィキペディア
*3:A・B・ミットフォード 『英国外交官の見た幕末維新』 訳・長岡祥三 講談社
1998年 原書は1915年刊
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