第301話 Restauration

 煉達が王立ホテルに着くと、

「来て下さいまして有難う御座います」

 ウラソフが両手を広げて迎えた。

「閣下、この度の御招待有難う御座います」

 オリビアは抱擁せず、代わりに頭を下げた。

「お、そうでしたな」

 冷や汗を感じつつ、ウラソフは直ぐに返礼する。

 抱擁から悪手になったのは、新型ウィルスの影響の為だ。

 現在では終息宣言が出され、安全なのだが、約2年間、社会距離拡大戦略ソーシャル・ディスタンスを保って来た人々には、濃厚接触な抱擁には抵抗感が生まれていた。

 そんな彼等が目を付けたのは、日本文化の所作の一つである礼である。

 トランシルヴァニア王国の日系人移民居住地では、日本同様、


・マスク

・換気

・消毒

・ワクチン接種


 が功を奏したのか、殆ど被害者が出なかった。

 欧米人がよく行う抱擁が日本文化に無かったのも、感染拡大を防いだ、という見方もある。

 この為、王族や政治家の間では抱擁禁止令の様な不文律が出来上がり、今に至る。

 全員、降りたのを確認すると、ウラソフは案内を始めた。

「ささ。どうぞ―――」

少佐マヨーア!」

 大音声がした方を見ると、顔に疵のあるスカーフェイスの男が立っていた。

 煉は問う。

「彼は?」

「突撃隊長官のエルンスト大尉です。少々、問題児でして―――」

 ウラソフが言うよりも早く、煉の前まで来た。

 恰幅かっぷくのある体に大きな肩幅だが、その俊敏な動きは、日本語でいう所の『動けるデブ』に属するだろう。

「お会いしたかったです。殿下には、我々が持て成します故、どうぞこちらへ」

 オリビアとの同席と考えていたが、軍部は煉のみを狙いに定めているようだ。

 煉は、心配するオリビアに手を振って応える。

 大丈夫、と。

 エルンストは、無礼の無い程度で煉を別室に連れて行くのであった。


 反煉派の代表格であるエルンストが、こうも低姿勢に出たのは、親煉派のベルヒトルトが全然、煉の情報を出さない為である。

 なので、直談判で直接見て判断を下そう、という訳だ。

 何とか、オリビアと放し、別室で食事を摂る。

「少佐は、フランス料理は好きか?」

「はい……」

 煉の前に陳列しているのは、


鍋料理テリーヌ

肝臓脂肪フォアグラ

甲殻類料理ビスク

・サンドウィッチ《クロックムッシュ》

・ポトフ

・フライドポテト

・ミルフィーユ

・マカロン

・エクレア

・クレームブリュレ

・クレープ

・ムース

・チーズ

・パフェ

 ……

 本来ならば一つずつ運ばれてくるのだが、今回は時間短縮時短の為、簡略化されている。

 その中で煉が、抵抗感を持ったのは、食用蛙グルヌイユだ。

 食えない事は無いのだが、その食感が余り好きでない。

 戸惑っていると、

「失礼します」

「おいちゃん!」

 シャルロットとレベッカが入って来た。

 その後、スヴェン、シーラ、ウルスラも続く。

 1対1の会食を想定していたエルンストは、困惑気味だ。

「シャルロット様、非常に申し訳無いのですが、自分は、少佐と―――」

「それは、レベッカ殿下に対する不敬、と解釈しても?」

「いえ、そういう訳では―――」

「それに王配は、外国出身者です。御覧の通り、会話には問題ありませんが、絶対ではありません。誤解の対策の為にも私の様な事務官が必要不可欠かと」

「……」

 全くもっての正論にエルンストは、何も言えない。

 厳密に言えば、煉はネイティブスピーカー並の語学力がある為、誤解の可能性は限りなく低いのだが、万一の事を考えて、レベッカを連れて来たのだろう。

 レベッカは、ムースにかぶりつく。

「うま~♡」

 政治的な話をしたかったエルンストであったが、レベッカを前にしては、牙を下ろすしか出来なかった。


 改めてエルンストは、煉を見た。

(……鉄仮面の男、か……)

 東洋人は西洋人と比べると、幼い外見の心象イメージが強いのだが、煉の場合は、年相応に見える。

(言葉も完璧だ……愛人にはかられたか?)

 シャルロットはフランス系の間では、忘れられた存在であったが、煉が王配になった途端、その注目度が高まり、評価も鰻上りだ。

 史上最高の軍人を補佐する優秀な秘書官、と。

 綺麗な手の平返し、とはまさにこの事だが、煉を介して、オリビアとになったのは、ドイツ系支配の王室に対する牽制に成り得る、と一部のフランス系住民からは、好意的に解釈されていた。

 ある映画で、「この国アメリカでは、イタリア系は、警察署長になれない」という台詞があるのだが、日本人からすると、イタリアも白人の内に属するだろう。

 然し、実際、イタリア系は、差別され易い人種だ。


 例

・1891年3月14日の私刑事件(*1)

 1890年10月15日、人気者であったニューオーリンズ警察署長が帰宅途中に暗殺され、その遺言が「イタリア人」であった事から、反伊感情が爆発。

 9人が裁判でかけられたが、証拠不十分を理由に無罪判決が出た後、刑務所に暴徒が殺到し、11人が殺害された。

 事件後、米伊間で外交問題に発展、一時は、米伊戦争開戦の噂が立つ程、両国間は、緊張状態に陥った。


 この他、アイルランド系も差別にされ易く、ケネディが就任するまでアイルランド系の大統領は誕生しなかった。

 多くの日本人には分かり難い事情だろうが、アジア人の中でも険悪な間柄がある民族がある様に、白人同士でも、仲が良くない人種は当然あるのだ。

 アメリカ同様、多民族国家であるトランシルヴァニア王国でも、フランス系とドイツ系は仲が悪い。

 フランス系であるエルンストも、その辛酸しんさんを舐め続けて来た男であった。

 だからこそ、そんな多民族国家の矢部を打ち破った煉に感心し、シャルロットを経由して、フランス系の台頭に利用しようとしていた。

 それを許さないのが、ベルヒトルト等、ドイツ系だ。

 一度得た権力をそう易々やすやすと手放さないのが、人間である。

 煉の第一印象は、昔、黒沢映画で観た侍の強面ver.だ。

(油断したら……斬られそうだ)

 辻斬りを行う事は無いのだが、煉から発せられる雰囲気は、そんな心象であった。

 会食中であっても油断はしない。

 革命戦士を自負していたエルンストであったが、煉が格上なのは、認めざるを得なかった。

 煉はシャルロットとレベッカ、シーラ、キーガン、スヴェン、ウルスラを同席させて、彼女達を愛でている。

「シーラもレベッカも遠慮なく食べ」

「♡」

「おいちゃんも♡」

「あいよ」

 2人はがっつき、2人以外は、立哨、シャルロットは、煉の隣に座ったままだ。

 愛人である以上、レベッカと同時に食べるのは、自制しているのだろう。

「? シャルロットもたべて」

「は」

 レベッカの許しが出てから、シャルロットは摂り始める。

 身分制度が無い日本人からは、異常な風景だが、この国では王族、貴族、平民とはっきり分かれている以上、線引きは必要不可欠なのだ。

 世間話も尽きた頃、エルンストは核心を突く質問する。

「王配よ。ここだけの話なんですが」

「うん?」

 エルンストが出した切り札に、煉は興味を示すのであった。

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