100人のヒトラー

第261話 555番の子孫

 統計学的にチンギス・ハンの子孫は、世界に1600万人居る、とされる(*1)。

 2015年に科学誌『ネイチャー』に掲載された論文では、アジア人の4割が、「11人の偉大な父」の何れかの子孫である、とされた(*1)。

 その11人の最初に挙げられているのは、チンギス・ハンだ(*1)。


 そして、21世紀。

 トランシルヴァニア王国政府内部では、ある男が取り沙汰されていた。

・七三分け

・ちょび髭

・黒髪

・身長175cm(1914年時点   *2 )

・体重104㎏(1944年1月時点 *3)

 ナチスがアーリア人種として理想的とした、

・金髪碧眼

・大柄

・健康的

 とは程遠い現実だ。

 それが党首なのだから、この時点で矛盾が生じている、と言わざるを得ない。

 その世界史上に残る独裁者の写真を前に、

「……」

 国王のアドルフは、頭を抱えていた。

「……首相、事実なのか?」

「残念ながら」

 ヒトラーの写真の隣には、ボロボロの日記が置かれていた。

 著者は、エヴァ・ブラウン(1912~1945)。

 ヒトラーの妻である。

「この日記の1942年夏にドレスデンで、エヴァが男児を出産している事が明らかになっています」

「……」

 歴史学的に、ヒトラーとエヴァの交際期間は13年間、とされている。

 その間、特別な事情が無い限り、多くの夫婦は子供を作るのだが、こヒトラーに限れば、実子が確認されていない。

 この為、この子がヒトラーの長男、という説が提唱されている(*4)。

「……朕はその子孫、という事か?」

「……DNA検査の結果次第かと」

 唇を噛んでウラソフは、答えた。

 

 これは、由々ゆゆしき事態だ。

 特に、トランシルヴァニア王国は長年、イスラエルの友好国である。

 ナチスの最大の被害者であるユダヤ人が建国した国は、どの様な反応をするか。

 言わずもがな、アドルフは反結束主義ファシズムであり、国内のネオナチを抑え込み、イスラエルとユダヤ人自治区はその手腕を高く評価しているのだが、この事実が表沙汰になれば、手の平を返す可能性は十分にある。

 アドルフ自身に罪は無いにしても、やはり、ホロコーストの記憶がある以上、心情的には難しい筈だ。

「……陛下」

 ウラソフは、続けた。

「スターリングラードで敗色濃厚になったヒトラーは、密かにサロン・キティで子作りに励みました。そのブルートは、今後、どんどん明らかになる筈です」

 サロン・キティとは、1930年代から1940年代までにベルリンにあった高級娼館の事だ。

 後期、ここに目を付けたSD親衛隊情報部が、諜報用に乗っ取り、訓練された女性工作員が奉仕を行った。

 顧客の中には、当時のイタリアの外務大臣まで居た程だ。

「……何が言いたい?」

 アドルフの視線が鋭くなる。

「は。他の国家元首、有名人にもその血縁者が居れば、陛下の名前は薄まるかと」

「……成程な」

 希望的観測なのは、間違いないが、そんな事でアドルフの動揺は、静まる事は無かった。


 困ったのは、イスラエルも同じであった。

 モサドが情報を掴み、長官が政府首脳陣に対して、状況説明ブリーフィングを行う。

「「「「……」」」」

・首相

・大統領

・外務大臣

・国防相

 は皆、渋い顔だ。

 全員、アドルフとは、晩餐会等で交友があり、個人的には親しい関係なのだが、あの独裁者の子孫だとなると、距離を置きたくはなる。

 本人が善人であろうとも、自分達の先祖は、被害者なのだから。

(……黙殺したい所だな)

 首相は、天を見上げた。

 アドルフがヒトラーとは全然、違う人物なのは、百も承知だ。

 然し、国民の多くは、受け入れ難いだろう。

 下手に擁護すれば、次の選挙で大敗を喫する可能性もある。

 問題は、更にある。

 相手が、他国の国家元首である事だ。

 他国の国王をイスラエルの事情で退位させるとなると、政変クーデターの様にもなり、国際社会からは、理解を得辛い。

 国内外では、反応が真逆な事が予想されるのだ。

 最大の庇護者であるアメリカも、どう解釈するか。

 流石にこればかりは、擁護してくれないだろう。

「「「「……」」」」

 4人は、長官を睨んだ。

 対照的に彼は平然としている。

 あくまでも掴んだ情報を報告したのでその後は知らない、と言わんばかりだ。

 彼の態度も分からないではない。

 情報を掴んでおきながら、政府に報告しないのは、政府に間違った信号を送る可能性がある。

 最悪、罷免だ。

 なので、把握した以上、報告するのは、当然の話だ。

 中東戦争で勝ち続けているイスラエルだが、この問題に関しては、非常に厄介な事になった。

「……外務大臣、好ましからざる人物ペルソナ・ノン・グラータは難しいよな?」

「そうですね」

 外務大臣は、渋面で応える。

「ヴァルトハイムの時は、彼がSA突撃隊に属していた事で出来ましたが、今回の場合、本人は無関係ですからね。流石に指定は……出来かねます」

 国際連合事務総長(1972~1981)を務め、祖国でも大統領(1986~1992)として活動したクルト・ヴァルトハイム(1918~2007)は、独墺合邦アンシュルス(1938年)後、

・国家社会主義学生同盟

SA突撃隊

 の経歴キャリアが、1986年、大統領選出馬時に判明した為、米英仏等、旧連合国は反発(*2)。

 然し、国民は、内政干渉と反論し、ヴァルトハイムは、当選した(*2)。

 彼を巡るものの一つとして、1943年、ユーゴスラビアでの事が挙げられる。

 同年、ドイツ国防軍のE集団がユーゴスラビアで戦争犯罪を行った際、ヴァルトハイムの関与が疑われた(*2)。

 その後の調査で、通訳を務め、戦争犯罪とは無関係な事が判ったが一度、持たれた疑惑は、政治家としての心象イメージも下げてしまい、再選を断念せざるを得なかった(*2)。

 アメリカに至っては、元党員やその関係者の入国を拒否している為、1987年、大統領でありながら、要注意人物名簿に掲載され(*2)、訪米は困難となった。

 アドルフは、元党員でも関係者でもないのだが、あの巨悪の血を引いている以上、ネオナチの崇拝の対象になる可能性が高い為、諸外国は危機感を持つ筈だ。

 ただでさえ、移民問題で揺れている欧州や、人種問題で分裂状態にあるアメリカは、更に問題を混沌とさせる可能性があるアドルフの入国を好む事は無いだろう。

「……アメリカも把握しているだろうか?」

「恐らく」

 長官は、首肯した。

 

 時を同じくしてホワイトハウスでは、カミラが苦悩していた。

「……事実なの?」

「はい」

 ゴールドシュミットが、無表情で肯定した。

 ユダヤ系として色々、想う事はあるのだろう。

「……困ったわね。これじゃ、交渉はストップだわ」

 アメリカとトランシルヴァニア王国は、新冷戦に備え、同盟強化の為に交渉中だ。

 然し、これが表沙汰になれば、今までの苦労は水泡に帰す。

「……大統領は、陛下の事、どうお思いで?」

「平和主義者よ。とてもあの悪魔の子孫とは思えないわ」

「……ですね」

 ユダヤ人自治区にイスラエル国防軍の駐留を認める程の親以派で、ネオナチを毛嫌いしている事から、ユダヤ人やイスラエル政府からも好感度は高い。

 なので、にわかに信じ難い話だ。

「……DNAの結果次第ですが、ヴァルトハイムの前例があります。退位は止む無しでしょう」

 本人に非が無くとも、内容が内容なだけに仕方の無い事だろう。

「次は、誰になる?」

「ドイツ系の中から出るでしょうが、全員、DNAの検査を行うでしょうから、その結果次第では、極論、ドイツ系は辞退するかもしれません」

「ふむ……」

 そうなった時、ドイツ系王朝の時代は、終わりを意味をする。

 最大勢力、ドイツ系が衰退すれば、候補になるのは、

・イギリス系

・フランス系

・ロシア系

 等が後任者になるだろうが、アメリカとしては出来れば、自分の都合の良い王朝になって欲しい。

 これは、各国、同じ事だ。

「現実的には、イギリス系は、先の殺人事件でゴタゴタ。フランス系は、過去に一部が外患誘致を行った事でイメージが悪く、ロシア系も最近、ロシアとに友好関係が露わになっている為、どうなるか……」

 トランシルヴァニア王国とロシアは冷戦期、ソ連が行った政策から、非常に関係が悪い。

 独立後、キリル文字を廃止し、英語に切り替え、更にソ連軍が撤退後、米軍を誘致する等、明らかに意趣いしゅ返しが目立っている。

 当然、ロシアは、気分が悪い。

 この様な事から、ロシア系の国王が誕生した場合、ロシアは喜ぶだろうが、多くの国民や政府は、歓迎しないだろう。

 アメリカも反対の立場だ。

「……万が一の事がある。引き続き情報取集を」

「……

 カミラは、椅子に深く座り、爪を噛んだ。

(私には、荷が重いわ。この件は)


 戦後、アメリカの情報力が弱くなった日本だが、最近では特定秘密保護法(2013年成立、2014年施行)等、漸く、一般的な国家になりつつある。

 伊藤政権下では、更に情報力を高め、内閣情報調査室内調には、日々、沢山の情報が届けられていた。

 その中の一つに、トランシルヴァニア王国の件があった。

「……」

 報告書を読んだ伊藤は、難しい顔である。

 アドルフの人柄は、何一つ悪い事は無く、日系企業の誘致にも一役買っている為、日本政府からすると、大恩ある人だ。

 そんな人物の血筋に問題あるとなると、本人に非が無くとも、やはり悪影響は避けられないだろう。

「……暴落だな」

 経済に詳しくない伊藤だが、若し、事実として発表された場合、スターリン暴落(1953年3月5日)、ニクソン・ショック(1971年)並に影響はあるだろう。

 給付金等で経済復興中の諸外国には、痛々しい出来事だ。

 経済的な観点からは、発表するのであれば、時期をずらして欲しい。

(財務相に相談だな)


[参考文献・出典]

 *1:Rekisiru 2021年3月5日

 *2:ウィキペディア

 *3:児島襄『ヒトラーの戦い 第二次世界大戦』文藝春秋〈文春文庫〉 第6巻

 *4:アラン・バートレット『エヴァ・ブラウンの日記 ヒトラーとの8年の記録』

    訳・深井照一 学研M文庫 2002年

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