第262話 明暗

 ヒトラーが敗戦直前になってエヴァ・ブラウンと結婚したのだが、それまで独身を貫いたのは、


・ヒトラーが女性に対し、紳士的に努めた為


・結婚した場合、多くの婦人票が失われる可能性がある為(*1)

 とされる。


 エヴァ以外に噂になった人物は、以下の通り。

 ①ユニティ・ミットフォード (1914~1948)イギリス人貴族令嬢

 ②ヴィニフレート・ワーグナー(1897~1980)リヒャルト・ワーグナーの孫の妻

 ③ゲリ・ラウバル      (1908~1931)ヒトラーの姪

 等だ。

 特にゲリに関しては、叔父と姪の関係以上に愛情があった様で、ヒトラーは、自身の専属写真家であるハインリヒ・ホフマン(1885~1957)に対し、


『私は姪のゲリを愛している、だが彼女との結婚は望めない』(*1)


 と発言している様に、恋愛感情もあった様である。

 1931年、ゲリが自殺した時、ヒトラーは政治家引退をほのめかす程、ショックを受け、彼の側近の運転手であるユリウス・シュレック(1898~1936)は、自殺を防ぐ為に拳銃を隠す程であった(*1)。

 もし、この時、後追い自殺が行われていたら、その後の欧州史は、変わっていたかもしれない。

 歴史上、ヒトラーの交際相手に挙げられ易いのが上記の3人と、結婚したエヴァの合わせた4人である。

 然し、BND連邦情報局では、この4人以外にも対象範囲を広げ、特にサロン・キティを最も調査していた。

 BND連邦情報局からの報告書にBfV連邦憲法y擁護庁長官、フリッツは血が出る程、爪を噛んでいた。

「……糞ったれ」

 報告書に記載されているのは、『100』という数字。

 これが、ヒトラーの子孫と思しき人数だ。

 その内、1人はトランシルヴァニア王国国王、アドルフだ。

 現時点でDNA鑑定の結果次第だが、状況証拠から見て、ほぼ間違いは無い。

 フリッツは白髪のM字禿で眼鏡をかけた彼は、反ナチス派の家柄の生まれで、生来の反ナチス派だ。

 検事総長時代、何百人ものネオナチを有罪に導いた手腕から、この地位を得たが、当時以上に今回の件は、難題である。

 BfVの任務は、

・反民主的団体

・共産主義団体

・軍国主義団体

・ネオナチ

・テロリスト

 の監視である。

 この問題が公になれば、ネオナチは、アドルフを象徴シンボルに祭り上げ、勢いづく可能性があった。

 BfVは、公にされるのは、反対の立場だ。

 然も、BfV内部にも問題を抱えている。

 ―――

『【独ネオナチ裁判開廷、問われる極右と治安当局の闇の関係】』(*2)

 ―――

 NSU国家社会主義地下組織の事件で明るみになった様に、BfVの中にもネオナチに傾倒する者が居る可能性があった。

 BfVだけじゃない。

 軍の一部にもそれが浸透している。

 ―――

『【リトアニアのNATOドイツ軍がヒトラーの誕生日を祝って撤退】』(*3)

 ―――

 と、あろうことか、民衆扇動罪がある国の兵士が、このざまだ。

 2021年9月26日に行われた連邦議会総選挙では、極右政党が議席数を減らすも、それでも得票率は、10%台もあり、一定の支持がある事が証明されている。

 この問題が公表されると、ドイツ国民に誤った民族主義ナショナリズムが刺激され、この様な政党が一気に、総選挙で台頭する事も考えられる。

 2005年からの長期政権が、党首の引退という事で終わりを告げた為、この時機でそれは、極右派にとっては、好機だろう。

「……何て事だ」

 非常に不味い。

 フリッツは、『ヒトラー日記』の原本をにらむ。

 これを焼却すれば、黙殺する事も出来なくは無い。

 が歴史的に重要な資料であり、その複写が既に米英仏露等に渡っている以上、それは出来ない。

 考えられる1番安全な脚本シナリオは、以下の通り。

①公表

②暴落

③退位宣言(時期は未定、実行した場合、空位となる)

④新国王、即位

➄退位後、ネオナチから身を守る為にアドルフ隠居

 これ位しか出来ないだろう。

(戦う民主主義で平和を守らなければ)

 フリッツは、そう固く決意するのであった。


 ブラウンシュヴァイク公・煉は、帰国後、執務室で熟考していた。

「……」

 厚遇してくれている大恩人がヒトラーの子孫とは、誰が思うだろうか。

 その前にあるPCの画面には、DNAの鑑定結果が。

『鑑定結果は、生物学上の親族関係を肯定するものでした。

 ……

 従って、A氏はB氏の生物学上の先祖であるという表現を使えます』

「……」

 何度、読み返しても、「肯定」という言葉は、受け入れ難い。

 煉の下に来たのは、妻が王族だからだろう。

 これで公表は確実視された。

 後は、継承だ。

 情報統制が行われているが、恐らく、王侯貴族内部では既に噂が流布され、後任者の選定が水面下で行われている、と思われる。

「……大変だな。王族は」

「少佐?」

 お茶を用意するシャルロットが、心配そうに見た。

「何でもないよ」

 PCを閉じ、煉は、その手を握る。

「少―――!」

 有無も言わさず、煉はその口を塞ぎ、押し倒した。


「……昼間から珍しいですね?」

 昼食前、2人はベッドに居た。

 煉はトランクス、シャルロットは真っ裸で、その全ては毛布で覆い隠している。

「……悩み事でも?」

「そうだな。尊敬している人がな」

「……サンの事ですか?」

「! 知っていたのか?」

「何となく……です」

 シャルロットでさえ知っているのだから、王侯貴族の情報網ネットワークは凄まじい。

 シャルロットは、しな垂れかかった。

「……陛下は、不運でしたね?」

「そうだな」

 アドルフの事だ。

 粛々と退位の準備を進めている筈だ。

 自分には一切、非が無いのだが、影響力を考慮しての事である。

 事前に動いてさえおけば、友好国であるイスラエルもそれ程、問題視はしないだろう。

「……シャルロットは、女王になりたい?」

「まさか」

 笑って、否定する。

「私の様な者には、あの地位は務まりませんよ。明治天皇級のカリスマ性ある人物が適当かと」

「……同感だな」

 トランシルヴァニア王国国王というのは、非常に不安定な地位だ。

 多民族故、自分の勢力を厚遇し、対立する民族を冷遇すれば、たちまち罷免、或いは暗殺の危険が伴う。

 言うなれば、『世界で最も暗殺の危険にある国王』と言えるかもしれない。

「……殿下が御推挙されるかもしれませんよ?」

「オリビアが?」

「はい。国民からも人気が高いですし」

「支持したいが、オリビアは、アメリカ人の血を引いているぞ?」

「多民族国家ですから、今更、気にしないのでは?」

「……そうだな」

 珍しい話ではないのだが、英国王室では、昨今でも一部から反発の声がある様に、反対派はいつの時代も居るのだ。

「オリビアがなったら、アメリカは大喜びだろうな」

「でしょうね。より一層、親密化になりますから」

 それと、とシャルロットは、煉を見た。

「少佐もアメリカ人ですしね」

「……そうだったな」

 最近、外交官として精力的に活動している為、失念していたが、煉は前世、アメリカ人だ。

 娘もアメリカ人なので、女王と王配、それにその子供がアメリカ人となると、アメリカは、笑いが止まらないだろう。

王位簒奪おういさんだつの様な気がするが?」

「それは、国民の受け取り方次第かと。我が国は、独裁国家ですが、国民が為政者にNOを突き付ければ、国王と雖も退位せざるを得ませんから」

 他国の王制だと、中々、難しいだろう。

 トランシルヴァニア王国の王位は、民主主義的な面があり、投票で罷免する事が出来る。

 後任者を選ぶ事は出来ないが、現任者の統治能力次第では、罷免されるのだ。

 これは、冷戦期、共産政権の独裁体制を経験している為が起因している。

 その為、国王は暴走出来ない。

 罷免を恐れ、自制心が働き、過度な事は抑止される。

 世界の王制の中では、極めて珍しい制度であろう。

「……じゃあ、オリビアがなったら俺は王配?」

「そう言う事になりますね」

「……嫌だな」

 露骨に顔を顰める煉に対し、シャルロットは、

(本当に無欲な人)

 と、微笑んで、抱き着くのであった。


 アドルフの件は、オリビアにも伝わっていた。

「……陛下は、退位を御決断されました」

「……」

 ライカも今にも泣きだしそうな顔だ。

 敬愛している人が、ヒトラーの子孫は、流石に受け入れ難い話であるから。

「……陛下の今後は?」

「駐留している米軍とイスラエル国防軍の保護下に入ります」

WISTEC証人保護プログラム?」

「そうですね。ネオナチの誘拐に備える形です」

 血統が血統なだけに、一生、保護下になるだろう。

 本人が非が無くとも、こればかりは、仕方の無い事だ。

 十中八九、子作りも出来ない。

 許されるのは、養子までだろう。

「因みにわたくしは陰性でした」

「陽性になるのは、直系?」

「どうでしょうか? 少なくとも、母上―――トランシルヴァニア公妃プリンセス・オブ・トランシルヴァニアも陰性でしたので」

 故人もDNA鑑定するのは、やりすぎな感は否めないが、『念には念を入れよ』という事なのかもしれない。

「……後継者は誰になりそう?」

「分かりませんわ。何せ突然の事ですので」

「まぁ、そうだろうな。退位の時期は、いつになる?」

「空位を避ける為に後継者が決まり次第、速やかに、ですので、現時点では、未定ですわ」

「……分かった」

 王位が代わる為、今後、煉は、宮内庁とやり取りをする事が増えるだろう。

 祝電や即位式での皇族の御出席の日程調整等の為に。

(……夏休み返上かな?)

 煉は、大きく息を吐くのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ジョン・トーランド『アドルフ・ヒトラー』2巻 訳・永井淳 集英社

    1990年

 *2:AFP 2013年5月6日

 *3:ミリレポ 2021年6月23日

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る