第252話 丁汗

 結論から言うに、煉はフェリシアの多汗症に気付いていた。

 会う度、常に香水の匂いがし、個体距離パーソナルスペースを広く保ち、そして先程の異常ともいうべき大量の発汗。

 冬でも汗を掻けば、薬物乱用者の可能性がある(*1)のだが、名家の御令嬢がそんな真似をするのは、考え難い。

 なので、多汗症説を考えていたのだ。

 手に水玉が出来る位、掌が発汗しているのにも関わらず、煉は、気にする様子は無い。

 前世の軍人、或いは傭兵だった時、戦闘次第では長時間、風呂が入れないのは、 当たり前な為、汗には耐性がある。

 又、前世が長い人生だった為、会った人々の中には当然、多汗症も居た。

 なので、今更忌避する程のものではないのだ。

「……」

 優しく握手してくれる煉に、フェリシアは、いつしか緊張がほぐれていた。

 ふと背後から視線を感じ、チラ見すると、キーガンが羨まし気に見詰めている。

 BIG4の中で、誰も煉との握手は、達成出来ていないのだから、当然の話であろう。

「……その、有難う御座います」

「ん? ……ああ、構いませんよ」

 煉は、微笑んだ。

 昼間の殺人をも厭わない仕事人間との差が凄く、フェリシアの胸は、キューピッドの矢を何本も貫通させているのであった。


 婚前の男女が混浴するのは、対外的にも倫理的にも不味い為、流石に煉とフェリシアが同じ浴槽に浸かる事は無い。

 それでも、一緒の風呂なのは、双方合意の上である。

 大浴場の管理者は、皐月なのだが、司と共に学会の準備に忙しい為、現在、当主代理は、煉が務めている。

 大浴場で万が一、事故があれば、それは即ち、皐月の責任にもなりかねない為、煉が近場に居るのだ。

「おいちゃん、頭、あらって♡」

「了解」

 黄色い椅子にレベッカを座らせると、煉はその頭を洗い出す。

 婚約者同士ではなく父娘に見えるが、これが北大路家での日常なので、シャルロット達は、一々いちいち反応しない。

「失礼します」

 レベッカを洗う煉の背中をシャルロットが糸瓜へちま束子たわしで洗い出す。

「……少佐は、いつもあんな感じなんですか?」

 フェリシアの問いに、ライカは首肯しゅこうする。

「そうですね。レベッカ様が御命令すれば、遵守します」

「……」

 隣のキーガンは、羨ましそうに見つめている。

 好きな相手が違う女性を洗い、洗われているのだ。

 身分的な違いがある為、中々、嫉妬し辛いが、愛人であるシャルロットの様子を見れば、貴族でも好機チャンスがある証拠であろう。

 ライカへの質問は続く。

「聞き難い事ですが、少佐は、その……夜はどうなりますか?」

「変わりませんよ」

 けろり、と答える。

「基本的にドSですが、アフターケアを欠かしませんし、何より相手に合わせて下さる為、過ごし易いです」

「……ライカ様も、御経験が?」

「私に敬称は不要ですよ」

 微笑んだライカは、煉に聞こえない様に、耳打ちする。

「(フェリシア様、若し、側室を目指すのであれば、事前に体力作りをお勧めしますよ。少佐は、激しいですから)」

「聞こえてるぞ?」

「ひ」

 地獄耳な様で、煉は、レベッカを洗髪しつつ、こちらを見た。

「今のは、不敬として今晩、付き合え」

「……は」

 ショックと嬉しさが混在した様な複雑な表情である。

 休みが無くなった分、愛されるのだから、その様な表情なのろう。

 次にキーガンが質問した。

「少佐は、夜、どういった法則で相手をお決めになるんですか?」

「基本的に空いている方よ。被った場合は、話し合い、じゃんけん、くじ引き等で決まるわ。体調不良や疲労があった場合は、少佐が拒否する事もあるから、具体的な規則は無いよ」

 言わずもがな、優先順位は、①司②オリビア③皐月……と続く。

 ③は場合によってはシャロンの場合になる等、変動する事もあるが、①②は不動だ。

「隊長は、どの位の頻度で呼ばれますか?」

「多くて週2かな」

 赤らめつつ、ライカは答えた。

 煉との関係は、公然の秘密だが、いずれはバレるだろう。

 オリビアの専属の護衛なのでその分、私生活が制限される為、煉の下に嫁ぐのはより一層、仕事に精を出す事が出来る、とも考える事が出来る。

 その為、ライカ自身、余り隠す事には否定的だ。

(週2……殿下は、それと同じ位か、倍なのかな?)

 煉とオリビアが寝る際、忠臣のライカの事だ。

 同部屋、遠くても隣室に控えている筈である。

 当然、ライカを意識してしまう夫婦は、余り子作りに集中出来ない可能性が高い為、彼女も交えている事も容易に想像出来る。

 口に出せば不敬の為、言わないが。

「……」

 キーガンは、煉に熱視線を送る。

 それを知ってか知らずか、煉は、シャルロットに糸瓜束子で背中を洗われつつ、彼は、レベッカの背中を洗い流しているのであった。


 文字通り、裸の付き合いを経験した2人は、煉の信頼を勝ち得た。

 2人は知るよしも無かったのだが、これはオリビア発案の試験テストでもあったのだ。

 北大路家は、女性陣が多く、混浴する場合も多々ある。

 恋敵との混浴が耐え得るか? というのを試験したのだ。

 それを2人は、見事に合格し、オリビアを感心させた。

 大浴場を後にした2人は、早速、オリビアに呼ばれ、お褒めの言葉を預かる。

「家族以外の殿方に素肌を晒すその勇気、まさに軍人の様ね?」

「「有難う御座います」」

 2人は、オリビアが用意した夜着の姿で頭を下げた。

 身分上、軍人は貴族の下になる為、言葉尻を捕らえると、失礼にもなるのだが、勇気を賞賛する為には、しばしば軍人が引き合いに出される為、貴族も不快に感じる事は無い。

「勇者様―――少佐は、紳士でしたよね?」

「「は」」

 問題のある人格ならば、2人はあの場で襲われていたかもしれない。

 然し、煉は、2人の体を凝視する事は無く、終始、レベッカの世話に徹していた。

 あの場の中で最も高位なので、当然の事だろう。

「フェリシア」

「は」

 名指しされ、フェリシアは、硬直する。

「貴女に関しては、少佐が直々に個別での面会を御希望しているわ」

「「!」」

 フェリシアは勿論の事、キーガンの目が大きく見開かれる。

「理由は、教えて下さらなかったわ。ただ、この意味、分かるわよね?」

「……はい」

 言葉にこそ出さないものの、夜伽の相手に指名された可能性がある。

 然も入浴後、という時機タイミングだ。

 誰もが勘繰ってしまうだろう。

「……殿下」

「はい?」

「恐れながら私で良いんでしょうか?」

 その言葉にオリビアは、言い方が不味かった事に気付く。

「ああー、そういう意味じゃなくて。あくまでも面会だから、夜の御供ではないわよ」

「!」

 壮大な勘違いにフェリシアは、赤らめる。

「未婚の貴女を抱く程、少佐は鬼畜ではないわ。ちゃんと手順に則って下さるから。面談は、本当に個別ですので人払いが済ませてあります。後程、少佐の部屋にお願いしますわ」

「……は」

 夜伽でない事が判ったが、逆にそれ以外の理由が分からない為、恐怖は払拭出来ていない。

 オリビアの試験に合格した為、叱責の事は無いだろうが、分からない分、怖いのは事実だ。

 続いて、オリビアは、もう1人を見た。

「キーガン」

「は」

「貴女は、今後、レベッカやシャルロットと友好な関係を構築して頂きます」

「! ……は!」

 その意味を理解したキーガンは、途端、笑顔で首肯する。

 分かり難い表現だが、「少佐からの信任を既に得ている貴女は、今後、その他の女性との意思疎通を図りなさい」と言っているのだ。

 ほぼ当確を得たキーガンは、必死にガッツポーズをしたい衝動を抑えるのであった。


 オリビアの指示を受けたフェリシアは、直ぐに煉の私室に向かった。

 今日の立哨は、スヴェンな様で、フェリシアを視認すると、

「どうぞ」

 と鍵を開けた。

 入室すると、煉は、ベッドに寝転がり、読書中。

 読んでいるのは、アメリカの作家、ヘンリー・ダーガー(1892~1973)が書いた『非現実の王国で』(正式名称『『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』)。

 ヘンリーが19歳の時に書き始め、約60年間、執筆され、300枚の挿絵と1万5千頁以上(*2)にも及ぶ超大作だ。

 その長さから、世界一長い長編小説(*2)とされている。

「ああ、フェリシア様」

 気付いた煉は、ベッドから立ち上がり、本棚に直す。

「申し訳御座いません。読んでいた手前、気付かずに」

「いえいえ……読書家なんですか?」

「そうですね。前世では、戦っていたばかりだったので、現世では、趣味に没頭しようかと」

「……」

 本棚を見る。


『失われた時を求めて』(1913~1927 マルセル・プルースト 仏)

『源氏物語』     (平安時代 紫式部 日本)

『歴史』       (紀元前5世紀 ヘロドトス 古代ギリシャ)


 等、沢山の書籍が並んでいた。

 言語の勉強も兼ねているのか、各種、現地語と英語の2種類で1セットとなっている。

「どうぞ」

「有難う御座います」

 ソファを促され、フェリシアは、そのまま座る。

 煉は小さな椅子を持ってきて、真向いに置き、腰を下ろした。

 社会的距離ソーシャル・ディスタンスか、個体距離パーソナル・スペースのなのか。

 その間は2・5m。

 感染症が流行っていた時の2m(最低1m。国によっては社会的距離の長さが違う)よりも少しある長さだ。

(もしかして、バレてる?)

 入浴後、そのままオリビアに呼ばれた為、香水をかける時間が無かった。

 無自覚に臭いが発している? と、フェリシアは、感じ、その分、発汗してしまう。

「大丈夫ですか?」

 すっと、煉は手巾を差し出した。

「え?」

「気にしていませんから」

「!」

 その言葉に、フェリシアは、完全に露見している事を悟った。

「……その……本当なんですか?」

 身分上、気遣っている可能性がある為、フェリシアの疑念は払拭出来ない。

「では、証拠をお見せします」

「証拠?」

 すっと距離を詰めて、煉は嫌な顔一つせず、フェリシアの汗を拭いていく。

「……」

 演技なのでは? と、フェリシアはまだ疑っているが、嫌悪感を露骨に出されるよりかは全然良い。

 フェリシアは詳しくないのだが、そもそも汗というのは無臭である(*3)。

 それが皮膚の表面で垢や皮脂等と混ざった時に臭くなるのだ(*3)。

 又、運動する人は、汗腺の濾過ろか機能が上手く働き、「良い汗」となり、悪臭にはなり難い(*3)。

 悪臭対策には、適度に汗を掻いて、汗腺を鍛える事が良い(*3)のだ。

「……失礼ながら少佐は……」

「はい?」

「汗に興奮するタイプなんですか?」

 王族に対して余りにも不躾な質問だが、煉は目を丸くすると、

「……かもしれませんね」

 と、微笑んだ。

「……」

 それが本心か演技かは、フェリシアには、未だ分からない。

(……駄目で元々よね)

 ここで一世一代の大博打に賭ける事にした。

「少佐」

 真剣な眼差しをする。

「はい?」

「……失礼します」

 煉の懐に飛び込むとそのまま、唇を奪う。

「!」

 そして、そのままベッドに押し倒した。

 緊張の為に大量の汗が出てくる。

 それが滝の様に、煉の顔にかかる。

 無礼を通り越した行為であるが、フェリシアには、もうこれに賭けるしかなかった。

 汗で興奮するタイプであるならば、それを上手く利用してやろう、と。

 もし、あの発言が嘘ならば、常人は発狂するかもしれない。

 他人の汗が滝の様に自分の顔に振り注ぐ訳だから。

 下手したらトラウマものだ。

 それでも、後が無いフェリシアは、これしか手段が思いつかなったのだ。

「……」

「!」

 煉は、腰に手を回し、キスを受け入れた。

 その瞬間、フェリシアは賭けに買ったと同時にこの日、大人になるのを覚悟するのであった。


[参考文献・出典]

 *1:日刊SPA! 2017年1月4日

 *2:ウィキペディア

 *3:8X4 HP

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