第253話 汗と泪と男と女

 数時間後、未婚の男女は、ベッドの上に居た。

 お互い半裸で大事な部分は、毛布で隠してある。

「……済みません。夜這いの様な真似で」

「いえいえ」

 煉はフェリシアの肩を抱き寄せて、なぐさめる。

 お見合いの段階で、この様な事は当然、抜け駆けである為、規則違反だ。

 貴族には、純潔運動支持者が多い。

 純潔運動は、読んで字の如く「結婚するまで性交渉を控える」(*1)事だ。

 アメリカでは、保守政党の支持基盤の一つになっている(*1)。

 それを犯したフェリシアは、分かり易く項垂うなだれている。

 貴族の中には、これを重んじるばかりに相手が純潔でなかった場合、破談の手続きを行う家もある。

 世界の一部地域にある名誉の殺人のようには発展することは少ない。

 が、SNSの時代も関係して、個人攻撃に遭う事もある為、貴族社会では婚前交渉は基本的に禁忌タブーだ。

「……その、殿下に申し訳無いです」

「あー、そのこと? もうオリビアから許可貰っているよ」

「え?」

 煉は、スマートフォンを取り出す。

「オリビア? 終わったよ」

 直後、オリビアがライカと共に入って来た。

「! ……? ……!」

 こうなっては、フェリシアは、混乱状態だ。

「意外に早かったですわね?」

「早漏じゃないよ」

「そうは言っていませんわ」

 オリビアは、微笑んで、煉の隣に座る。

 正妻は私、と言わんばかりに。

「……」

 オリビアを前にフェリシアは、死後硬直の様になる。

 王族の夫を寝取った。

 これは不敬罪以外、何ものでもない。

「……申し訳―――」

「合意の上よ」

 オリビアは、フェリシアの頭を撫でる。

「これで大公に恩を売る事が出来わ」

「! 曾祖父に?」

「フェリシア。忘れたの? わたくしはこれでもなのよ?」

 にんまりと笑い、オリビアは、煉を抱擁する。

「貴家は、もうだから」

「……!」

 瞬間、フェリシアは、全てオリビアの策略だった事を知る。

 多民族国家であるトランシルヴァニア王国は、表向きにはドイツ系の王族が支配しているが、イギリス系、フランス系等、数多くの外国系の王侯貴族が居り、彼等は表向きには服従しているが、それは実益の為であって忠誠心とは言い難い。

 政略結婚は当たり前。

・縁談

・破談

・告訴

・醜聞

 ……報道規制がされている為、表には殆どでないが、どす黒いのが、王族・貴族の社会である。

 今回の縁談はクロフォードの下で進められたが、オリビアは夫を利用し、意趣返ししたのだろう。

 スコットランド系を取り込む為に。

 実際、フェリシアは目的が叶った喜びと、オリビアへの恐怖で一杯であった。

 クロフォード亡き後、スコットランド系の大黒柱となるフェリシアは、オリビアへの恐怖を感じながら生きなければならない。

「……」

 茫然自失のフェリシアを煉は、抱き寄せる。

「フェリシア」

「……」

「フェリシア」

「……」

 屍の様に反応しない。

 頬を掻きつつ、煉は告げる。

「今晩、済まんが、フェリシアと過ごすわ」

「分かりましたわ。でも、1番は―――」

「知ってるよ」

 オリビアにキスし、愛を証明する。

「……はい♡」

 オリビアが満足した後、ライカにも行う。

 2人は、笑顔で部屋を後にするのであった。


 フェリシアが落ち着きを取り戻したのは、それから暫く後の事であった。

「……少佐」

「うん?」

「……襲った癖になんですが……私を側室に出来ますか?」

 一線を越えた以上、もう後戻りは出来ない。

「そのつもりだけど?」

「……有難う御座います」

 言質を取れたので、フェリシアは、安堵の息を漏らす。

 煉が砕けた口調なのは、もう縁談ではなく、事実上の夫婦として接するつもりの様だ。

「……殿下の御命令ですか?」

「いや、俺の意思だよ」

「!」

 驚いて振り返ると、煉は、温かい珈琲を淹れている所であった。

「どうぞ」

「あ、有難う御座います……」

「よっと」

 隣に座った煉は、フェリシアの肩を抱き寄せた。

 昼間の紳士は何処へやら。

 今や力強い漢である。

「……一目ぼれしたから、命令は渡りに船だったよ」

「……」

 愛妻家の癖に、他人に横恋慕するのは、煉らしくない事であるが、フェリシアは美しい。

 妻を持つ夫が全てを家庭を捨ててでも、貢ぎたい程の美女の為、その可能性は無くは無い。

 それでもフェリシアには、煉の本心が手に取る様に分かった。

(殿下の為か……)

 そもそも今回の縁談は、一切、煉の意思が反映されていない。

 クロフォードが勝手に進め、それを王室が承認し、オリビアが最後の最後で鳶の様に成果を奪い去った感じだ。

「……汗の事は、気付いておられたんですか?」

「まぁな」

 苦笑しつつ、煉は答えた。

「……本当に、嫌悪感が無いんですね?」

「そうだよ」

 気にしいになっているフェリシアだが、肝心の煉は、本当に汗を気にしていない。

 どれだけ、彼女の汗が触れようが、拭きもしない。

 潔癖症、と聞いていた手前、これは嬉しいギャップだ。

「その……宜しくお願いします」

「ああ」

 縁談の途中だが、このまま挙式になるのも、いいかもしれない。

 煉は、オリビアを想いつつ、フェリシアの手をぎゅっと握るのであった。


 フェリシアの嫁入りは、直ぐに皐月、司にも報告された。

「多汗症ね……」

 診断書に皐月は、呟く。

 その前のフェリシアは、汗びっしょりである。

 縁談に関わっていない皐月だが、彼女は家長だ。

 力任せに破談にする事も出来なくはない(親がそれを引き裂く事は法律上、難しい事であるが)。

「腋毛を剃っているのは、正解よ。腋毛は、腋臭症えきしゅうしょうの元だからね」

「……はい」

 腋臭症は、

牛蒡ゴボウの臭い(*1)

ネギの臭い(*1)

・鉛筆の臭い(*1)

・酢の臭い(*1)

・クミンの臭い(*1)

・納豆の臭い(*1)

・古びた洗濯ばさみの臭い(*1)

・ドリアンの臭い(*1)

 等にたとえられる悪臭だ。

 東アジアでは、少数とされる(*1)。

「煉、脇、好みだったでしょ?」

「! は、はい……」

「あの子、腋臭わきがは、駄目なのよ。だから、剃毛していて正解だったわね」

「……」

 もし、処理を怠っていたら、バッド・エンドだったかもしれない。

「手術等で症状を抑える事が出来るから、患者になりなさい」

「はい!」

 皐月の腕なら、とフェリシアは喜色で首肯するのであった。


「少佐、フェリシア様と一線を越えた、との御噂は、本当なんですか?」

「……」

 寝耳に水なチェルシー、エマは、怒り心頭で、煉に詰め寄っていた。

 縁談の途中でこれは、聞いた事が無い話だ。

 煉の背後に控える、ウルスラ、スヴェンは不快さ一杯で2人を睨んでいる。

「事実ですよ」

 逃げも隠れもせずに煉は、認めた。

「! これは、規則違反ではありませんか?」

「そうですね。ですから、お二人に説明している所です」

「……」

 感情的なチェルシーと比べ、エマは静かな怒りだ。

「……少佐、キーガン様も厚遇されていますよね?」

「はい」

「……つまり、もう御二人で十分、という事ですか?」

「そうは言っていませんよ。縁談は、継続中ですから」

「「は?」」

「ここでの責任者は、オリビア殿下です。殿下が終了を宣言しない限り、勝手に終わらす事は、即ち殿下に逆らう行為です」

「う……」

「……」

 チェルシーはうなり、エマは、苦虫をみ潰した様な顔になる。

「ただ、ですから、強要は致しません。御自身の判断で中止し、御帰国しても問題ありません。その後の保証は、専門外ですがね」

「「……」」

 トランシルヴァニア王国は軍隊内部での不祥事対策の為に男女の距離を管理する程、人権を遵守する国家だが、例外がある。

 それが、不敬罪だ。

 王族が主催した行事を体調不良や親族の危篤等の例外ではなく、自分の事情で中止させるのは、明らかに王族に対する反逆と捉えられるだろう。

 想定される未来は、以下の通り。


 1、2人が帰国する。

 2、オリビアが怒って、2人の実家の改易を王室に要請。

 3、王室が精査。

 4、受理した場合、改易が成立し、2人は実家共々、領地没収の上、平民に転落。


 この様な例は、少なくない。

 その理由は、『使用者責任』が存在するからだ。

 日本では、|暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律暴対法の 第5章「指定暴力団の代表者等の損害賠償責任」等が有名な例だが、トランシルヴァニア王国でも、存在し、それは、貴族に適用されている。

 例えば、大貴族の末端の末端、或いは、分家の分家の貴族が、酒気帯び運転等で逮捕された、とする。

 これの連帯責任として、大貴族の家長も裁かれるのだ。

 血縁が遠過ぎてほぼ赤の他人である者の犯罪に自分がしょっ引かれるのは、当然、意味が分からないが、警察や検察は、「監督不行き届き」と解釈し、保釈金を積めば「賄賂を送った」と悪い様に悪い様に考え、大貴族の心証は低下していく。

 法律を用いて力を削いでいるのだ。

 当然、貴族は不満を感じているが、王族が権力者である限り、改正も廃止も出来ない。

 王族と貴族。

 社交界では、顔を合わせ、会食をし、時にはお見合いもする仲だが、その関係は決して友好とは言い難い。

 支配者と被支配者なのだ。

「……申し訳御座いません」

「口が過ぎました」

 2人は、勝ち目の無さを実感し、頭を下げる。

 煉は悪い顔で告げた。

「規則違反は、こちらとしても申し訳ない事です。ですが、2人とは、今後とも長い付き合いを出来れば、と思っていますので宜しくお願いします」

 それが煉の本心なのか、オリビアの言葉なのか、2人には、判断がつかなかった。

 

 フェリシアに先を越された2人は、遅れた分を早急に取り戻す必要があった。

 煉とオリビアに対する不信感は払拭出来ないが、それでも家の為には、縁談は必要不可欠だ。

 令和4(2022)年6月12日(日曜日)。

 早朝から面談を申し込む。

 暫くの間は、BIG4が居る為、彼女達を優先するのが、不文律なのだが、日曜日だけあって、流石の煉も最近、交流が少なかった愛妻を優先させる。

 皐月、司は、どうしても学会の準備で忙しく会えないが、その分、

・オリビア

・シャロン

・ナタリー

・エレーナ

・シーラ

・ライカ

・シャルロット

・ナタリー

・レベッカ

・スヴェン

 に、お鉢が回る。

「おいちゃん♡」

「勇者様♡」

「パパ♡」

「師匠♡」

「少佐♡」

「♡」

 大河の膝にレベッカ、オリビア、シャロンが、背後にはスヴェン、右隣をエレーナ、左隣をシーラが占拠していた。

 そんな状態では、フェリシアの件は、公然と抗議出来ない。

 オリビアも居る手前、非常に不味い事だ。

 2人は、それまでの怒気を隠し、目を合わせた。

 手を組みましょう、と。

 キーガン、フェリシアに先を越された以上、最後は自尊心に関わる。

 努めて、明るく提案した。

「殿下。折角の日曜日ですから、殿下お勧めのスポットに行ってみたいのですが」

「何処か良い所、御座いますか?」

 オリビアは、煉に抱き着きながら考える。

「……じゃあ、今日は、皆で遊びに行きましょう」

「でーと♡ でーと♡」

 1番反応したのがレベッカであった。

 兎にも角にも、2人の狙い通りになったは、良い事だ。

「パパ~。服買って」

「了解」

 煉も同意した事により、正式に外出が決まる。

(これでよし)

(後は……)

 2人は、どうにかして煉が1人になった時に接近するかを考えるのであった。 


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る