貴族戦争

第241話 旧世代、新世代

 トランシルヴァニア王国の貴族は、大別して2種類に分けられる。

 1989年の革命以前から貴族の地位にある旧貴族と、革命以後、新たに貴族になった新貴族である。

 もっとも、これは、国外での分け方で、国内では、『旧世代』『新世代』の呼称で分けられていた。

 その新世代を率いるのが、イギリス系のキーガンである。

 駐日トランシルヴァニア王国大使館の親衛隊の寮にて、彼女は、

「♪ ♪ ♪」

 アイルランドの国歌『兵士の歌アウラーン・ナヴィーアン』を鼻歌で歌っていた。

 イギリス系のキーガンが何故、アイルランドの国歌を? と、多くの日本人が思うだろうが、彼女の出自ルーツはアイルランドにある為、別に不思議な事では無い。

 思う存分、熱唱後、キーガンは立ち上がる。

 その肩には、大飢饉を意味する『Great Famine』と、『14』という刺青タトゥーが小さく彫られていた。

 前者は、アイルランドで約100万人もの死者を出したジャガイモ飢饉(1845~1849)を。

 後者は、北アイルランドでの血の日曜日事件(1972年1月30日)の死者数を意味していた。

 イギリスとアイルランドは、余り、仲が良い関係とは言い難い。

 1922年12月6日に独立を果たすまで、独立運動を止めなかったアイルランドと、約700年間、アイルランドを従属国としていたイギリスである。

 独立から今年で丁度100年という節目の年であるが、700年間の恨みが解消された訳ではない。

 その証拠が北アイルランド紛争だ。

 アイルランド政府は、聖金曜日協定ベルファスト合意(1998年4月10日)に基づき、その領有権の主張を放棄し、国家間の対立は解決された訳だが、現場では、未だ宗教対立が根強い等、完全に解決したとは、言い難い。

 その代表例が、RリアルIRAアイルランド共和軍であろう。

 ―――

『【Rリアル・IRA(真のIRA)】

 1997年11月、P暫定IRAアイルランド共和軍の上級構成員が、組織指導部の和平路線を不満として結成した民族主義・分離主義過激組織である。

 設立者一派と作戦部門責任者一派とに分裂しているとされる。

 厳格な組織構造は持たず,緩やかな細胞が結び付いて活動しているとされる。

 活動中の構成員は約100人とされ、北アイルランド各地の他、アイルランド国内で活動している。

[主要標的]

・北アイルランド治安部隊

・カトリック教徒の北アイルランド警察当局者

・内通者と疑われる自派構成員

 等。

[歴史]

 1998年8月、オマー爆弾テロ事件(北アイルランド)

 2000年9月、MI6秘密情報局本部ビルロケット弾攻撃

 2001年3月、BBC英国放送協会テレビ本部センター自動車爆弾テロ

 2012年、武装自警組織・RAAD反麻薬共和行動等と合併、「新IRA」設立。

 同組織は、

・英兵士募集事務所7か所への爆発物送付事件(2014年2月)

・警察車両に対する爆弾テロ(2014年3月)

・刑務所職員への爆弾テロ(2016年3月)

・警察官銃撃事件(2017年1月)

 において犯行を自認したとされる。

 2018年1月、他のIRA分派組織が停戦表明した事に対し,武装闘争継続を表明。

・ロンドンデリー警察官襲撃事件(2018年7月)

・ロンドン物流拠点、グラスゴー大学等への爆発物入り小包送付事案(2019年3月)

・女性記者殺害事案(2019年4月)

 等について犯行を自認したとされる。

 2020年8月、英保安局及び北アイルランド警察は,「新IRA」に対する取締を実施し、幹部等10人を逮捕した』(*1)

 ―――

 余談だが、この母体であるIRAと日本には、意外な関係がある。

 太平洋戦争の初期に当たる、シンガポールの戦い(1942年2月8~15日)で、圧倒的な戦力差があり、当時、難攻不落とされたシンガポール要塞を日本軍は、僅か10か足らずで英軍を破り、陥落させた時の事だ。

 当時、イギリスと敵対関係にあったIRAは、この勝利に喜び、ダブリン駐在日本領事を囲み、祝賀会を開き、更には、アイルランド政府も日本の在欧外交拠点に資金を送る等、支援したのだ(*2)。

 ふと、キーガンは思う。

(もし、あの戦争で日本が勝っていれば……祖国は、逆にイギリスを支配していただろうか?)

 1919年、アイルランドの独立運動の指導者であるマイケル・コリンズ(1890~1922)がイギリスの代表者との面会で7分、遅刻した。

 代表は怒ったものの、コリンズは、


『7分くらい待ってもいいじゃないですか? 私達アイルランド人は700年待ちましたよ』


 と切り返したという(*3)。

 そんな僅かな時間で怒るイギリス人の事だ。

 逆にアイルランドが支配者になれば、700年、待つのは厳しいだろう。

「……」

 キーガンは、ドライヤーで頭を乾かしながら、アイルランドの三色旗と並んで掲揚された旭日旗を見た。

 キーガンが、日本語が堪能なのは、1942年のシンガポールの戦いで日本軍が英軍を破って以来、実家が親日家だからである。

 代々、MI6に属し、イギリスを支えている愛国者の家柄であるが、その正体はアイルランドを祖国とするアイルランドの愛国者であった。

 そもそもの出自は、即位後、僅か9日間で処刑された悲劇のイングランド女王、ジェーン・グレイ(1537~1554)にまでさかのぼる。

 16歳で政争に巻き込まれ、大逆罪として斬首刑にされた彼女であるが、キーガンの実家に伝わる話では、実際に処刑されたのは、影武者であった。

 アイルランド国王を兼任していた彼女は、密かにアイルランドまで逃げ延び、そこでアイルランド人と結婚し、生まれたのが、実家の家祖かそに当たる、という。

 当然、口伝くでんなので俗説の可能性もあるのだが、実家では、これは遵守され、代々、イングランドへの恨みとアイルランド独立への想いをせているのであった。

 その後、平民としてイングランドに舞い戻り、政府と王室に忠誠を誓う振りをし続けた。

 1922年、アイルランドが独立を果たした際、の好機であったが、実家は残留を選んだ。

 北アイルランド問題が残っていたからだ。

 いつかイギリスの国力が衰退した時を虎視眈々と狙い続け、WWII、アフリカの年等。

 イギリスの力が目に見えて弱体化していく過程に心躍らせていた事は言うまでもない。

 然し、それでもイギリスは、北アイルランドを手放す事は無く、遂には、痺れを切らした実家は、1989年の革命を機に、トランシルヴァニア王国に帰化。

 そこで貴族の身分を得たのであった。

 これに打撃を受けたのが、イギリスだ。

 MI6の優秀な工作員の家系を失ったからである。

 一方、アイルランドは逆に歓迎した。

 アイルランド国王の子孫の可能性がある一族が、北海油田で潤うトランシルヴァニア王国の人間になったのだ。

 一族を通して、北海油田の権益を一部でも良いので欲するのが、国としての当然の欲望だろう。

 流石にテロ組織を公然と支持する訳にはいかないが、キーガンの実家は、代々、IRAに共鳴シンパシーを感じていた。

 それに、そもそも、煉とも知らない仲ではない。

 煉の前世―――ブラッドリーの実家と、キーガン家は、代々、許嫁いいなずけで縁を深めていたのである。

 ブラッドリー家が、渡米した時にその縁は途切れたが、それは一時的な事であり、

・アメリカ独立革命(英名:アメリカ独立戦争 1775~1783)

・米英戦争(第二次独立戦争とも 1812~1815)

 の時でも、その交流が絶える事は無かった。

 キーガン家がブラッドリー家とよしみを通じる事が出来たのは、アイルランド系であるキーガン家は、当然、イングランドでは外様だ。

 静かな偏見や差別は言わずもがなで、その度、辛い思いをしていたのだが、唯一、ブラッドリー家は、歓迎し、イングランドでキーガン家が活動出来るよう、便宜を図ってくれたのだ。

 ブラッドリー家は、根っからの王党派で反共和派。

 キーガン家は、隠れ共和派と、イデオロギー的に違いがあるのだが、それでも、両家は、約5世紀経った今でも仲が良い。

 この関係を利用したいキーガン家は、態々わざわざ、彼女を刺客として放ったのである。

 王室に取り入る為、長年の伝統の為に。

 髪を乾かしおいたキーガンは、ふと、煉から「将来の最側近」と言われた事を思い出し、顔を赤らむ。

(……少佐には、意識させる事が出来た筈……政争に巻き込むのは、心苦しい話だけども)


「……意外にどす黒いな」

 ライカが提出した報告書に、煉は、苦笑い。

 新貴族と旧貴族の対立をまとめたそれは、とても華やかな貴族とは思えぬ内容であった。

・週刊誌への相手陣営の醜聞スキャンダルの垂れ込み

・娼婦を使った色仕掛けハニートラップ

SNSソーシャルネットワークサービスでの誹謗中傷

・犯罪組織に大金を払い、相手が経営する銀行に強盗を働かせるもの

 等、静かな戦争が、各地で行われていた。

 当然、中立派の貴族も居るのだが、無害ではない。

 その場井は両陣営から誘いや、攻撃に遭う為、結局、どちらかに参加せざるを得ないのだ。

 その中で煉の領地は今の所、被害が無い。

 流石に国家の英雄には、両陣営も不可侵なのだろう。

 この為、煉が内部抗争を知る機会が無く、蚊帳の外であった理由の一つである。

「誹謗中傷で自殺者も出ています」

「……酷いな」

 報告書には、王族が介入している様子は無い。

 不干渉なのか、両陣営が上手く隠しているのかは、定かではない。

 煉の感覚では、後者の様に思える。

 その例が、国内外で大ヒットを記録した連続テレビ小説『おしん』(1983~1984)だ。

 貧しい時代でも必死に生きる人々の姿を観た昭和天皇は、


『ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった』(*4)


 との御感想を述べられている。

 暗部を見せないのが政府の仕事だ。

 今回も貴族側が自発的に隠しているのか、政府が隠蔽工作を行っている可能性が考えられるだろう。

「……死者が出ているとなると、和解は、難しいだろうな」

「はい……」

 力なくライカは、首肯した。

 銀行強盗は、金で解決出来る可能性があるが、死者が出たとなると、話は別だ。

 両陣営の溝は、イスラエルとパレスチナ並に根深い事だろう。

「俺が巻き込まれる可能性は?」

「恐らくですが、100%かと」

「……だろうな」

 王族を妻にした英雄であり、諸外国に顔が広い煉を引き入れて、一気に相手を叩き潰すのは、それぞれの陣営が考えている筈だ。

「関わらない、ってのは、無理っぽい?」

「新貴族のキーガンが接近している為、何れ旧貴族が接近してくるかもです」

「……嫌な話だ」

 現実逃避したい煉は、シーラを抱っこし、その背中に顔を埋める。

「……」

 苦悩を知ったシーラは、その頭を優しく撫で始めた。

「有難う」

 癒された煉は、抱き締める事でその気持ちに応える。

「♡」

 想いが高ぶったシーラは、その頬にキスの嵐を見舞わせ始めた。

 どんどん頬にキスマークが出来る中、煉は、真面目な顔で告げる。

「ライカ、両陣営に意図的に俺が迷惑がっている事を伝えろ」

「は。手段は?」

「任せる。噂でも良いし、実力行使に出ても良い。必要経費は俺が出すから」

「は」

 シーラをキスを受けつつ、煉は頭を抱えた。

 面倒な事になった、と。


[参考文献・出典]

 *1:公安調査庁 HP 一部改定

 *2:産経新聞 2017年2月5日

 *3:ウィキペディア

 *4:「われらが遺言・五〇年目の二・二六事件」(『文藝春秋』1986年3月号)

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