第225話 目には目を

 先制攻撃を受けたイスラエル国防軍は、即応。

 ヒズボラが支配するレバノン南部に侵攻し、両軍は戦闘状態に陥った。

 令和4(2022)年5月16日(月曜日)。

 午前7時。

『―――契機となったのは、「ヒズボラの戦闘員がイスラエル国防軍を攻撃した」とイスラエル国防軍報道官は主張していますが、ヒズボラ側は否定しています。

 報道官によれば、今回の攻撃で、イスラエル国防軍兵士8人が死亡し、50人が重軽傷を負った、との事で、

「相当の懲罰を与える」

 と怒り心頭です』

 国営放送のテルアビブ支局長が、ヘルメットを被って緊張した面持ちで報じている。

 情報が錯綜しているのだろう。

 SNS上では、

・イスラエルの自作自演説

・アメリカ黒幕説

・イスラム過激派説

・ヒズボラの末端構成員暴走説

・イラン関与説

 等が語られ、記者ジャーナリストや中東地域の専門家でも意見が分かれている。

 中東というのは、シリア内戦でもそうだったが、武装勢力が多過ぎる為、例を挙げるときりが無いのだ。

「パパはどう思う?」

 ニュースを観ていたシャロンが尋ねた。

 ヒズボラとアメリカは、因縁がある。

 ―――

『①大使館爆破事件(1983年4月18日)

 死者    :63人(アメリカ人の死者数は8人のCIA職員含む17人)

 負傷者   :120人

 犯行グループ:イスラム聖戦機構が犯行声明(ヒズボラ関与説もあり)。

 備考    :自動車爆弾を使用した世界初の自爆テロ。


 ②海兵隊兵舎爆破事件(1983年10月23日)

 死者    :241人(米兵含む)

 負傷者   :60人

 犯行グループ:イスラム聖戦機構が犯行声明(ヒズボラ関与説もあり)。

        ヒズボラ、イラン、シリアは否定。

 結果    :犯行を否定したヒズボラだが、その成果を喧伝し、パレスチナでの

        発言力を増す。

        イスラム聖戦機構は、1986年にソ連外交官を誘拐するもKGBの報

        復を受けるなどして、1992年に事実上壊滅。

        指導者はヒズボラと合流するも2008年、モサドに爆殺される。

 備考    :1日の海兵隊の死者数としては、硫黄島に次ぐ最悪の記録。


 ③トランス・ワールド航空847便テロ事件(1985年6月14~30日)

 犯行グループ:ヒズボラ、イスラム聖戦構成員を名乗る2人

 死者    :偶然乗っていた米海軍二等水兵

 結果    :犯人逮捕』(*1)

 ―――

 1980年代、日本がバブル景気に沸いていた頃、レバノンでは、アメリカと反米派が死闘を演じていたのだから、如何に日本が平和だった事が分かるだろう。

「情報が少ないから何とも言えないが、態々わざわざ投票日に合わせてやるんだから、選挙を無効化させたい勢力だろうな」

 世論調査では、反政府運動の高まりからヒズボラに票が集まっていた。

 その為、

 ヒズボラ大勝→反以親シリア政権誕生→米以、警戒

 が既定路線と見られていた。

(この地域を不安定化させ、1番、漁夫の利を得るのは誰か?)

 1番は、軍需産業だろう。

 戦争というのは、人的・文化的・経済的損失が計り知れない一方、武器商人には、莫大な富をもたらす。

 人が死ねば死ぬほどその武器の性能の高さを示し、民族、宗教、イデオロギー等に関係無く、高く売れるのだから。

 最近では、リビア内戦でAIを搭載したドローン兵器が活躍している為、それが流行トレンドだろう。

 ―――

『【「殺人ロボ」、リビアで世界初使用か トルコ社は否定】』(*2)

 ―――

 このような兵器は、人権的見地が高い国の軍隊には、好まれ易い筈だ。

 太平洋戦争の際、アメリカはには100万人の米兵を救う為に原爆を使用し、ベトナムやイラクでは、増加する米兵の死者数に伴い、国内では、厭戦気分が漂った。

 フランスでは、自国の兵士の代わりに外国人部隊を汚い仕事に従事させる場合もあるほどだ。

 この為、人間ではなくAI人工知能を搭載したドローンが、自動で人間を識別し、殺害するのは、兵士が良心の呵責に苛まれる事も少ないし、兵士が戦死する可能性も減る為、国民からも受け入れられ易いだろう。

 ただ、煉は、首を振ってその可能性を打ち消す。

(軍需産業がイスラエルを敵に回すか? 俺がトップなら辞職覚悟で猛反対するだろうな)

 中東の雄にして、アメリカが背後に居るイスラエルを、敵に回すのは、短所が多いだろう。

 実行するにしても、イスラエルの理解を得た上で、偽旗作戦ならば、可能性は上がるだろうが、煉の知る限り、イスラエルが偽旗作戦を採用した事は無い。

 11代首相のイツハク・ラビン(1922~1995)を射殺した極右青年を、ユダヤ人がユダヤ人を殺害する事を禁じるユダヤ法ハラハーの下、終身刑にしたイスラエルの事だ。

 ユダヤ法で禁じられている限り、例え作戦とは雖も、同胞を殺傷する偽旗作戦に同意するとは、到底思えない。

 勿論、教義をそれほど重要視していない政治家や軍人が居たら別だが。

「……」

 熟考に耽る煉に、ナタリーは惚れ直していた。

(格好いい……)

 美少年、美青年とは言い難い顔だが、三白眼の強面が、脇目も振らず、熟考に耽るその様は、マフィア映画のボスのようである。

「たっくん、卵焼き冷めちゃうよ?」

「あー、済まんな」

 腹が鳴った。

 一旦、煉は考えるのをやめ、シャルロットのあ~んを受け入れるのであった。


 イスラエルとレバノンの戦争が始まった。

・経済危機

・爆発事故に伴う混乱

 等で弱体化していたレバノンで迎撃出来るのは、経験値があるヒズボラくらいだ。

 北進するイスラエル国防軍は、各都市を殆ど苦労せず、占領していく。

 

 2022年5月16日(月曜日)。

 レバノン時間午前0時(日本時間午前6時)。

 レバノンの北東部に位置するシリアの軍隊が越境、そのまま南下を始めた。

 イスラエルより遅れたのは、内戦で準備が整うのに時間を要した為だ。

 シリア軍には、シリアに基地を置くロシア軍も参加していた。

 当然、イスラエルと同盟関係にあるアメリカも黙ってはいない。

・サウジアラビア

・トルコ

・エジプト

・ヨルダン

UAEアラブ首長国連邦

・カタール

・クウェート

・バーレーン

 の米軍基地から派兵される。

 核保有国同士、直接、武力衝突する可能性は両国とも本意ではない為、核戦争は免れるだろうが、キューバ危機等があった以上、100%無いとは言い難い。

 トルコの官邸では、スレイマンの報告が行われていた。

「大統領、キプロスでも不穏な動きが見れます」

「今度は、キプロス?」

 キプロスは、南北で分かれている。

 日本と国交があるのは、南部を統治するキプロス共和国だ。

 一方、北部は、親土派政権が支配する北キプロス・トルコ共和国―――北キプロスである。

 北キプロスは、トルコ以外、認める国が存在しない。

 住民はトルコ系住民で占められ、国内にトルコ軍が駐留しており、独立の過程でもトルコの援助無しには、成立出来なかった事から、北キプロスは、トルコの傀儡政権とも見られている。

 北キプロスは、トルコが支援。

 南キプロスをギリシャが支援しており、分かり易い表現だと、キプロスは、両国の代理戦争の場になっている、といえよう。

「怪しい動きを見せているのは、2016年に政変を起こした残党です。北キプロスに渡り、南北の英軍基地攻撃を画策し、紛争の火種を作ろうとしています」

 キプロスでは、1955~1975年までの20年間、紛争があった。

 ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が、希土本国を巻き込んだ紛争に発展したのだ。

 この紛争でトルコは勝利し、現在までに至る北キプロスが成立した。

 

 1955年     紛争開始

 1960年     キプロス独立宣言(英軍の駐留は継続)

 1974年7月14日 キプロス政変

    7月20日 トルコ、キプロスに侵攻(アティッラー作戦)

 1975年     紛争停戦

 1983年     北キプロス独立宣言

 2008年     キプロス大統領選挙にて、再統合推進派勝利

 2010年     北キプロス大統領選挙にて、再統合消極的候補が勝利


 紛争中、ギリシャ系住民、トルコ系住民が犠牲になった訳だから解決するにしても、長時間かかるのは、無理無い話だろう。

 そんなキプロスには、英軍基地がある。

 元々、キプロスはイギリスの植民地で基地で1960年に、この地域に影響力を残しておきたいイギリスの意向で今尚、英軍が駐留し続けているのだ。

 これは、後年に証明された。

 1974年、トルコがキプロスに侵攻した際、トルコはキプロスと戦争しているのであってイギリスとの衝突は望んでおらず、この付近まで進軍した所で急停止した。

 2015年には、ここから空軍機が出動し、IS掃討作戦に貢献した(*3)。

 キプロス側は、領土の返還を求めているが、イギリス側は、拒否の姿勢を崩していない。

 百歩譲ってキプロス問題が解決しても、イギリスは、戦略上、魅力的なこの基地を簡単には手放す事は無いだろう。

「イギリスと戦争させてる気か?」

「恐らく。世界の目がレバノンに集中しているので、レバノンを利用し―――」

「待て。レバノンも奴等の仕業か?」

「はい。我がMITは、祖国平和協議会の残党が、ヒズボラに成り澄まして、イスラエルを誘引した、と見ています」

「確固たる証拠はあるのか?」

「モサドが尋問中の戦闘員がトルコ人で、軍歴がありました。そこで2016年に祖国平和協議会に属していた事が分かりました」

「……モサドは、発表しない?」

「ベイルートで情報を掴んでいてもアメリカに情報提供しなかった例があります。ですので、我が国に態々わざわざ提供する事は無いかと」

 1983年10月23日、ベイルートのアメリカ海兵隊宿舎が自爆テロに遭う前、モサドの長官は情報を把握しておきながら、意図的にアメリカに通知しなかった、と元モサド職員が内部告発している(*4)。

 内部告発者によれば、「長官は、レバノン内戦に介入するアメリカを不快に感じていた」と言う(*4)。

「糞ったれ!」

 口汚く罵ると、ギュルセルは、立ち上がった。

「記者会見の用意だ!」

 戦後日本の外交だと所謂、『遺憾砲』でやり返すのみだが、ギュルセルは、そんな甘いものではない。

 目には目を歯には歯を。

 絶対に泣き寝入りしないのが、信条だ。

(かかった)

 スレイマンは、ほくそ笑む。

 縄張りに飛び込んだ兎を見る狼のように。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:日本経済新聞 2021年6月24日

 *3:BBC 2015年12月3日

 *4:Kahana,Ephraim『Historical dictionary of Israeli intelligence』2006年

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