第224話 杉を食い散らかすシマハイエナ

「少佐♡」

 パソコンの前で、煉とウルスラは抱き合っていた。

 2人は愛し合うのを終えると、画面を見た。

「それで、これにイスラエルが関わっていると?」

「はい、龍川リョンチョン駅爆発事故でもモサドの動きが見られます故」

 2004年4月22日、北朝鮮の龍川駅付近で硝酸アンモニウムを積んだ列車が爆発。

 当初、テロ説が出たが、状況証拠からその可能性は否定され、前述の原因が濃厚だ。

 然し、この事故の前後にモサドが不穏な動きを見せている。

 イギリスの記者が掴んだ情報では、列車にはシリア人核技術者が乗車しており、北朝鮮から核物質を受け取ろうとしていた(*1)。

 技術者達の遺体は鉛で覆われた棺桶に納められ、シリア軍用機で国外に運び出された(*1)。

 そして、モサドは北朝鮮が事故後、55㎏の兵器級プルトニウムを回収したと分析したという(*1)。

 2007年9月3日、韓国籍を偽装した北朝鮮船がシリアのタルトゥース港に寄港したが、この時積み荷にプルトニウムが積まれているとモサドは解析した(*1)。

 これらの事件が、2007年9月6日に行われた、イスラエルのオーチャード作戦(シリア核施設空襲事件)の決め手になった(*1)。

 後にその記者は別の媒体で、モサド筋の情報として、この時のシリア人核技術者12人全員が爆死(*2)した事を追加情報として明らかにしている。

 但し、爆発の原因については、記者も不明としている(*3)為、モサドの工作かどうかは判っていない。

 言わずもがな、モサド(というか情報機関は、事実認定する場合は殆ど無い)が、この件について公式に意見した例は無い。

 然し、前例がある以上、疑われるのは仕方のない事だろう。

 ウルスラは、寄りかかって尋ねる。

「少佐はどう思います?」

「分からないな。何も知らないから。もし、知りたいなら本人に聞いた方が良い」

「本人?」

「ああ」

 煉が天井を見ると、板が外れて、スヴェンが顔を出す。

「師匠の浮気者……」

 憎悪と嫉妬に満ちた表情だ。

「反逆か? 強制送還だな―――」

「嘘です」

 直ぐに泣き真似を止めて、飛び降りる。

 スヴェンの凄い所の一つは、演技が上手い事だ。

 あのような泣き顔をされたら、100人の内99人は同情してしまうだろう。

 演技派なのも、敵性地域に潜入時、尋問の際に役立つ為、工作員エージェントには必要不可欠な項目だ。

 モサドの工作員は、龍川爆発直後、脳性麻痺に成り澄まし、北朝鮮当局を欺き北朝鮮に滞在した(*4)、とされるほどの演技派である。

 このくらい簡単な筈だ。

 又、ミュンヘン五輪オリンピック(1972年8月26日~9月11日)における、黒い9月ブラック・セプテンバー事件(1972年9月5~6日)の報復攻撃である神の怒り作戦オペレーション・バヨネット(1972年10月16日~1979年1月22日)でもその演技が光った事がある。

 1973年4月9日、モサドとイスラエル国防軍は、レバノンの首都ベイルートにあるアパートを奇襲した。

 ここには、PLOと黒い9月等の構成員が宿泊していたのだ。

 暗殺部隊の半数は虚をつく為に女装をしており、部隊の指揮官であるエフード・バラック(後、イスラエル14代首相)も女装しながら攻撃した。

 これによってPLOと黒い9月は、合わせて3人の犠牲を出す敗北を喫した。

 当時、ベイルートは、PLOの本拠地であり、敵中でのこの作戦は、イスラエルの大胆不敵と勇敢さ、そしてPLOの油断を対照的な結果と内容となった。

 PLOと北朝鮮を騙すイスラエルの高等技術は、恐らく世界トップクラスかもしれない。

「師匠に私も愛されたいです」

「愛してるよ」

「言葉だけだと幾らでも言えますよ。嘘も100回言えば真実になりますし」

『嘘も100回言えば真実になる』―――ナチスの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルス(1897~1945)の言葉とされる。

 尤も、出典がはっきりしない為、創作である可能性が高いが。

 その言葉通り、まるでゲッベルスが情報源になっているのは、創作であった場合、何とも皮肉な話であろう。

「んで、スヴェン、あの爆発、何か知っているか?」

「知りませんよ」

 スヴェンは、煉に飛びつき頬擦り。

「知っていても教えませんし」

 モサドから良い様に利用されてるスヴェンだが、その忠誠心は今尚厚い。

「だそうだ」

「スヴェン、貴女は―――」

「ウルスラ、それ以上言うと離縁だ」

「! ……はい」

 ウルスラが「モサドから捨てられている」と言う前に封じた。

 家庭内での戦争は御免である。

 然も、2人は軍事大国出身同士。

 いつか見た殺し屋同士の夫婦を描いたアクション映画のような惨状になりかねない。

 あの映画では、喧嘩していたのは、夫婦であったが、こっちは女性同士。

 どちらも情報機関と国を背負ってる為、解決は映画以上に困難だろう。

「愛国心を持つのは良いが、家の中では揉めるな」

 2人に厳しく言いつつ、煉は抱き締める。

「あ……♡」

 スヴェンは、幸せそうに声を漏らした。

「……」

 情報が欲しかったウルスラだが、厳しく言われた以上、引き下がる他無い。

「分かっているとは思うが、2人は義理の姉妹だ。身内だよ。殺し合いは避けるように」

「「……は」」

 刃を交えれば、それこそそれぞれの情報機関―――MITとモサドは黙っていない筈だ。

 大金と長い時間をかけて選定し、鍛え育てた上級工作員を、殺されたら大きな失敗である。

「良い子だ」

 満足し、煉は2人を抱き締めたまま、再びベイルートの爆発を観るのであった。


 2022年5月15日(日曜日)。

 レバノンで総選挙が行われた。

 元々の予定では、3月27日(日曜日)に実施予定(*5)だったのだが、

・反政府デモの拡大

・電力不足

・経済危機

・新型ウィルスの流行

・爆発事故を巡って2021年10月14日に起きた銃撃戦による対立

 等により、延びに延び、結局、約50日後に漸く実施、ということになったのであった。

 レバノンは、嘗て失敗国家の常連であった。

 FFP平和基金会発表(2014年以降は「失敗国家ランキング」から「FSI脆弱国家ランキングに改称)

 2007年 28位

 2008年 18位

 これ以降は、上位陣(ソマリア、ジンバブエ、チャド、イラク、スーダン等)が強過ぎる為、中々ランクイン出来てはいないが、今の様な状況だとトップ20圏外から一気にトップ20に食い込む事も出来るだろう。

 レバノンの状況が中々、改善し難い最大の理由は、その政治体制に問題がある、と思われる。

 多民族多宗教国家の為、宗派ごとに政治権力が分散され、

 大統領 →キリスト教マロン派

 首相  →イスラム教スンニ派

 国会議長→イスラム教シーア派

 から選出されるのが、慣例となっており、国会議員も各宗派の人口に応じて、

 マロン派 34人

 スンニ派 27人 

 シーア派 27人

 等というように決まっている。

 一定の勢力による独裁を防ぐ為の予防措置なのだが、独裁者が生まれない分、各勢力が同じ位の力を持ち、内戦や宗教対立に成り易くなっている。

 隣国のシリアでは、レバノンとは対照的の独裁国家で、2011年に内戦が始まるまで、比較的平和であった。

 中露等の国々でも独裁政治によって平和が保たれている。

 独裁者が居なくなれば、民族主義ナショナリズムやイスラム過激派が台頭し易い。

 旧ユーゴスラビアでは、チトーの死後、各共和国で弾圧されていた民族主義が暴発し、内戦へ。

 そして、国家が解体された。

 リビアではカダフィ大佐亡き後、やはり内戦(2014~2020)となった。

 自由権が制限された独裁か、沢山の人々が死ぬ内戦が良いかは、人によりけだろう。

 欧米諸国は、社会民主党(親欧州派)、イスラエルはレバノン軍団、イランはヒズボラの支持を表明し、それぞれ、選挙に注目する。

 そんな中で、トルコは、アルメニア系政党に注目していた。

 トルコとアルメニアは、国際問題を抱えている為、万が一、アルメニア系政党が与党になった場合、レバノンが反トルコ化する場合が考えられる。

 それに利するのが、イスラエルだろう。

 アルメニアとイスラエルもまた、仲が悪い。

 ナゴルノ・カラバフ紛争(2020年9月27日~11月10日)でアルメニアの交戦国・アゼルバイジャンにイスラエルは、武器を供与した。

 これにアルメニアが怒ったのだ。

 この戦争では、アゼルバイジャンが優勢のまま、停戦し、合意内容からすると、事実上、アルメニアの敗北となった。

 アルメニアは、以来、イスラエルを敵視し、イスラエルもそれに呼応する形で関係は悪化している。

 トルコは、戦時中、『アゼルバイジャン・トルコ人』と呼ばれるほど親近関係にあるアゼルバイジャンを支援した為、この時はイスラエルと利害が一致し、事実上、同盟国になった訳だが、戦争が終わると、元の木阿弥である。

 このような経緯から、イスラエルも又、秘密裡にアルメニア系政党に注視していた。

「……」

 ギュルセルは、執務しつつ、選挙結果の報告を待っていた。

(……流石に選挙では戦争が起きないと思うが……どうなるか)

 その時、スレイマンが駆け付けた。

「大変です! ヒズボラが、シェバア農場に駐留するイスラエル国防軍と衝突しました!」

「何だと!」

 勢いよくギュルセルは立ち上がった。

 当地では、2020年7月27日にもイスラエルとレバノンが衝突している(*6)。

 この時はこれ以上の衝突は無かったが、翌年、イスラエルでは、以前以上の強硬派の首相が誕生した。

 彼がこれを逃す訳が無いだろう。

(中東戦争になりかねんぞ)

 ギュルセルの冷や汗に、スレイマンは内心、考えていた。

(これは好機)

 と。


[参考文献・出典]

 *1:FACTA2008年4月号

 *2:ゴードン・トーマス 『ギデオンのスパイ-モサドの秘史』)第7版

    2015年3月17日

 *3:Foresight 2015年5月13日

 *4:アメリカ人記者の証言

 *5:JIJI.COM 2021年10月19日

 *6:アラブ・ニュース・ジャパン 2020年7月29日

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