第二次青年トルコ人革命

第221話 血と革命の唄

 オリビアを守る親衛隊は、女性が主体だ。

 護衛対象者が女性なのだから、性別を対象者に合わせるのは、当然の事だろう。

 その責任者であるライカは、彼女達を教育する立場にある。

「……」

 この日、ライカはいつもと違って緊張していた。

 教室には、100人もの隊員が座っているのだが、彼女達も又、ライカと同じ顔だ。

 いつもは笑い声が絶えない明るい現場なのだが、今回、お通夜並に静かなのは、

「……予鈴鳴ったけど?」

 煉の指摘に、ライカは気付いた。

「で、では、今から歴史の授業を始めます」

 そうなのだ。

 秘密の花園に唯一の男性。

 それも貴族の身分である、駐在武官。

 親衛隊創設以来、初めての出来事である。

 隊員の中には、熱心な信者も居り、側室を狙う者も居る。

 その為、いつもの明るさは鳴りを潜め、煉が好きであろう、清楚さを十二分に出し、猫を被っているのだ。

 煉の膝にはレベッカが陣取り、左右にはシーラ、ウルスラ、前後をシャロン、スヴェンが固めている。

 現実問題、その包囲網を突破して、彼にアプローチを仕掛けるのは、至難の業だ。

 ザンジバル保護国が最速で敗北した戦争(1896年9月27日)でイギリスに逆転勝ちをするくらい難しい事だろう。

 いつもとは異色な雰囲気の中、歴史の授業が始まった


 煉が授業に参加する事になったのは、外交官である以上、トランシルヴァニア王国の歴史を知る必要に迫られたからだ。

 契機は、オリビアとの会話であった。

「勇者様って我が国の歴史、御詳しいんですの?」

「いいや。高校の教科書を暗記しただけで、詳しくはないな」

「では、高校卒業レベル?」

「多分、そうなるな」

 トランシルヴァニア王国の学制は、日本のそれと同じだ。

 冷戦期では、当時、世界一難しい教科書(*1)とされていたソ連の教科書を採用し、義務教育も現在のロシア式の11年間、4-5-2制(*2)であったが、1989年の革命で民主化が達成された後は、『東方政策ルック・イースト・ポリシー』の下、日本の学制が模範となった。

 国土の大半が焦土と化したにも関わらず、西ドイツと共に驚愕の経済成長を果たし、アメリカに次ぐ世界2位の経済大国となった日本から学べるものは多い筈だ。

 WWI、WWIIともに両国は交戦せず、日露戦争の結果から国民の多くは親日家が多く、この改革は素直に受け入れられ、以後、民主国家・トランシルヴァニア王国の教育の根幹となっている。

 だが、煉が学んだのは、民族主義ナショナリズムを極端に抑え込んだ共産主義コミュニズム万歳ウラーな教科書であり、スターリンの敵対者はことごとく抹消され、共産主義の賛美が書かれた紛い物であった。

 当然、宣伝プロパガンダに偏っている為、史実とは程遠い。

 煉もそれは重々承知なので、西側の研究者が発表している論文と照合し、一致したもののみを史実と解釈していたのだが。

 又、当時から今年で33年経っている。

 当然、新たな歴史的資料が発掘され、当時の知識は役立たない可能性がある。

 定期的な更新アップデートは、必要不可欠だろう。

 それで今回の行事となった訳だ。

 この場に居る全員は、授業に合わせて学生服であった。

 女性陣は海軍ではないのだが、セーラー服。

 唯一、男子の煉は、ブレザーである。

 学ランの案もあったのだが、トランシルヴァニア王国では、学ランの受けが悪い。

 理由は、学ランが人民服マオ・スーツと誤認され易いからだ。

 人民服は、中華民国で誕生した。

 その設計者は、孫文スン・ウェン(1866~1925)とされている。

・留学先の日本で見た学生服、或いは陸軍の軍服を模範に意匠計画デザインした説(*3)

・上海で軍装から改良した説(*4)

・ベトナムのハノイで仲間と共に意匠計画した説(*5)

 等が提唱されている。

 但し、日本陸軍中将・佐々木到一(1886~1955)が考案者(*6)というのもあり、その真相は判っていない。

 一方、学生服の起源は、東京帝国大学(現・東京大学)が明治19(1886)年に定めた制服とされる(*7)。

 このような経緯から学生服と人民服は、似て非なるものなのだが、その歴史を知らない人からすると、同一視してしまうのは否定出来ないだろう。

 この為、海外で修学旅行生が学生服を着ていると、中国人や人民服に間違えられる場合がある。

 流血で得た自由の下、反共感情が根強いトランシルヴァニア王国では、人民服は、最悪、諍いの種になる可能性があった。

 このようなことから、男子生徒は学ランよりブレザーが妥当であろう。

 幸い、煉もブレザー派なので、こちらの方が都合が良い。

「我が国の建国神話は、日本のそれと似ています。日本神話では、天地開闢てんてかいびゃく後、高天原に神々が誕生し、最後の二伸・伊弉諾尊イザナギノミコト伊邪那美命イザナミノミコトが結婚し、子をなす際に最初に淡路島を、次に日本列島を創りました」

「「「……」」」

 隊員達は、ノートに起こしていく。

「我が国では、創造神デミウルゴスが神々の王であるオーディンに対し、この地に下りるよう命じ、下り立ったオーディンは、

・エーギル(海の神)

・ウル(決闘の神)

・ソール(太陽の女神)、

・テュール(軍神)

・トール(雷神・農耕神・戦神)

・ニョルズ(海の神)

・ノルン(運命の女神)

・バルドル(光の神)

・フォルセティ(正義、平和、真実を司る神)

・ブラギ(詩の神)

・フリッグ(愛と結婚と豊穣の女神)

・ヘイムダル(光の神)

 等の争いを停め、ここに彼等の地域社会コミュニティを構築した際に島が出来ました」

 創造神のみプラトン(紀元前427~紀元前347)の著作『ティマイオス』に登場する神だ。

 それ以外は、全員、北欧神話の神々で構成されている為、建国神話の時点でトランシルヴァニア王国は、外国からの影響を強く受けている。

 又、『ティマイオス』が紀元前の作品なので、これで建国神話が他国のそれと比べて、明確に創作作品である事が分かるだろう。

「歴史学的に本格的に島に人が住みだしたのは、ヴァイキング時代(800~1050年)であり、日本では奈良時代から平安時代までの間となります。それ以前の居住者は、未接触部族だった可能性があります。歴史次第では我が国は、センチネル島のようになっていたかもしれません」

 大画面にヴァイキングの絵が表示される。

 十字軍が着用していた兜―――ノルマン・ヘルムを被り、膝下までは鎖帷子で防御している。

 映画等でよく見る角の生えた兜を被り、略奪行為を行うのがヴァイキングの一般的なイメージになっているが、実際には交易民でもあった為、必ずしも紋切型ステレオタイプが正しい、という訳では無い。

 トランシルヴァニア王国が敢えて紋切型を採用しているのは、国威発揚の為だろう。

 交易民の絵だと正直、愛国心に繋がり難い。

 その点、紋切型だと戦に特化したイメージなので、革命後のトランシルヴァニア人の自己同一性アイデンティティーに成り易い。

「その後、我が国には、外敵が侵入し、植民地になってしまいました」

 次に欧州の地図が映し出された。

・ポルトガル

・スペイン

・イギリス

・フランス

・ロシア

・ドイツ

 の6か国は、赤くなっている。

 ロシアとドイツ以外の4か国は、かつ海上帝国タラソクラシーとして名を馳せた国々だ。

「その度に我が国は、独立運動を展開しました。ベルギーの成功例を真似し、オペラで暴動を起こした事もあります」

 1830年8月25日、当時、ネーデルラント連合王国(現オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)のブリュッセルにあるモネ劇場(現・ベルギー王立劇場)にて上演された『ポルティチの唖娘おしむすめ』(1827年)が観客の愛国心に火を点けた(*8)。

 この物語は、17世紀、イタリアのナポリでスペイン人総督に対する、所謂、『マサニエッロの反乱』を題材にしており、テノール歌手アドルフ・ヌーリ(1802~1839)の『祖国への神聖なる愛』の二重唱が、契機となったのだ(*8)。

 オペラが終わった後、観客は愛国心に駆られたままデモ隊となり、政府建築物を占領(*8)。

 ネーデルラント連合王国側は当初、独立派に対し、融和的に事を進めたものの、交渉は決裂し、内戦へと発展する(*8)。

 この内戦に独立派は勝利し、オペラから約1か月後の9月26日、ブリュッセルに臨時政府が樹立後、10月4日に独立宣言を行った(*8)。

 同年末の12月20日、列強が独立を認めた(*8)。

 完全なる独立が達成されたのは、1839年4月19日、ロンドン条約での事だ(*8)。

 以降、ベルギーは独立国として、今尚、世界地図に残っている。

「続いては我が国の王室の話です。王室は、為政者が代わる毎にその民族を変えていますが、トランシルヴァニア人の血は脈々と受け継がれており、王室としての歴史は長いです。世界最長の皇室(*9)、その次のデンマークの王室(*9)には負けますが」

「「「……」」」

 よどみ無いライカの説明に、隊員達は教科書と睨めっこしつつ、真面目な顔で聞いている。

 煉も同じ様に聴講していた。

(海賊の創った国か)


[参考文献・出典]

 *1:gigazine 2020年4月25日

 *2:外務省 HP

 *3:中央公論 1989年5月号

 *4:程童一『开埠: 中国南京路150年』昆仑出版社 1996年

 *5:陳炳聖『萬物簡史』 源樺 2007年

 *6:佐々木到一『ある軍人の自伝』普通社 1963年

 *7:村田堂 HP

 *8:編・森田安一 『新版世界各国史14 スイス・ベネルクス史』 山川出版社

    1998年

 *9:デンマーク大使館 HP

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