第200話 トルコの策謀 PART II

 武家屋敷には、『わびさび室』なる個室がある。

 他の部屋同様、畳敷きなのだが、その壁は酷く傷んでおり、『不気味の谷現象』によって人の顔のように見え、更に天井は所謂いわゆる血天井ちてんじょう』。

 このようなことから、余り入室が好まれない部屋だ。

 武家屋敷なので、若しかしたら、江戸時代~幕末に拷問部屋、あるいは折檻室として利用されていた過去があるかもしれない。

 ウルスラにお茶を出し、席に座らせる。

「……監視カメラ、録音機はありませんね?」

「無いよ。何なら、壁を引っぺがしても良いよ。その分、修理費用は、MITに請求するが」

「……冗談です」

 笑ってウルスラは、お茶を受け取り、座る。

「それで話、というのは?」

「回りくどいのは、少佐も御嫌いでしょう?」

「? ……ああ」

 意味深な問いかけだ。

 戸惑っていると、

「少佐、若し、よければ、私と交際して下さいませんか?」

「……急な誘いだな?」

「これでも少佐に恋する女性ですから」

「……はぁ」

 動揺しない俺に、ウルスラは不満げだ。

イスラム教徒ムスリムは、御嫌いですか?」

「全然。びっくりしただけだよ」

「そうは見えませんが」

 感情を表に余り出さないのは、日本人の美徳とされている。

 それが染みついたのかもしれない。

「……MITの作戦か?」

「何故、そう思われるんですか?」

「勘だよ」

「……では、私の恋心も嘘と?」

「嘘かどうかは分からないが、多分、本心だろうな。『恋する乙女』って感じだし」

「……」

 ウルスラは、微笑んだ。


(やっぱり、この男は抜け目ない)

 私は、それまで直視出来ていたのに、言い当てられた途端、直視出来なくなった。

 口振りから察するにMITの作戦にも早くから気付いていたようだ。

 それを防ごうとしなかったのは、自信の表れだろうか。

 いや、慎重居士な少佐が過信する事は考え難い。

 敵意が無い以上、対応する事は無い、という事なのかもしれない。

「政略結婚には、反対だよ」

「では、それ以外だと歓迎?」

「波長が合えばな」

 不敵に微笑み、少佐は、お茶を一口飲む。

 その様さえ、美しい。

 見た目は若い癖に、その動作は渋い。

「……俺と結婚したいのであれば、

・俺の心を盗むこと

・司、オリビア、シャロンの同意を得ること

・MIT不干渉の宣誓書を長官が署名すること

 が条件だ」

「……意外と緩いんですね?」

「最初が1番困難だからな」

 けらけらと子供のように笑う。

 軍人の時は、プロフェッショナルに徹しているが、普段は、人間味溢れている為、女性も心を開き易いのかも。

 天性の人誑し、と言える。

「その……少佐は、一夫多妻ですよね?」

「事実上はな」

 一夫多妻が法的に成立するのは、国民投票で可決された後だ。

 その為、少佐は、重婚罪に当たる可能性がある。

 ———

『第184条

 配偶者のある者が重ねて婚姻をした時は、2年以下の懲役に処する。

 その相手方となって婚姻をした者も、同様とする』(*1)

 ———

 2017年にある国会議員が、週刊誌にて『重婚ウェディング』(*2)と報じられた時も弁護士は、「婚姻届けを出さなない限り、『法律上の結婚』には当たらない為、重婚罪に当たらない」(*3)との見解を示しているが、民法上の問題は残っている為、逃げる事は困難だろう。

「この提案は、少佐の為でもあるんです」

「ほう……」

 興味深そうに少佐は、目を細める。

 食いついた、といった感じに。

「……トルコでは、少佐の……好色家―――」

「言い方」

 苦笑いする少佐。

 否定はしないのは、自覚があるようだ。

 好色家、と言われて必死に否定するより、精錬潔白である。

「艶福家にMITは、注目して、友好の為に候補者を選出リストアップしています」

「……候補者?」

「はい。花嫁です」

「……」

 少佐は、難しい顔で腕組みを行う。

「我が国は、御存知の通り、地政学上、日本よりも治安が悪い地域です」

 欧亜のはざまに在るトルコは、近年、急速に治安が悪化している。

 ―――

 2007年  事件名       犯人     死者 負傷者

 10月21日 ハッキャリ軍事衝突 クルド独立派 12  16


 2015年 事件名         犯人        死者 負傷者

 7月20日 シュリジュ自爆テロ クルド人イスラム過激派 33  104

 10月10日 アンカラ爆弾テロ  IS          109  500以上


 2016年 事件名         犯人      死者 負傷者

 1月12日 イスタンブール自爆テロ IS       13  9

 2月17日 アンカラ爆弾テロ    クルド独立派  29  60

 3月13日 アンカラ爆弾テロ    クルド独立派  37 127

 3月19日 イスタンブール爆弾テロ IS?      4  36

 6月7日  イスタンブール爆弾テロ クルド独立派  12  51

 6月28日 アタチュルク空港襲撃事件 IS      45 238

 8月20日 ガジアンテプ自爆テロ   IS?     57  66

 12月10日 イスタンブール爆弾テロ クルド独立派 46 166


 2017年  事件名              犯人 死者 負傷者

 元日 イスタンブール・ナイトクラブ銃撃テロ IS   39  70(*1)

 

 表で最も酷いのは、2016年の年間8件。

 特に最初の3か月で4件は、トルコの防諜機関が機能していない、と言わざるをえないだろう。

 更にこの年の夏には、政変クーデター未遂(7月15~16日)が起きている。

 防諜機関のみならず、軍部も脆弱さを露呈した、と言えるだろう。

 翌年以降は、減少傾向にあるが、平和になったとは言い切れない。

 ISの残党や共鳴者、クルド独立派に勝利した、とは未だ言えないし、隣国のギリシャとも政治的な軋轢がある。

 ―――

『【トルコ、ギリシャと5年ぶり協議】』(*4)

『【トルコ、ギリシャ非難応酬 両国外相が共同会見で】』(*5)

 ―――

 ギリシャでは、偉大なる思想メガリ・イデア(=大ギリシャ主義)を掲げ、裁判所から犯罪組織の認定を受けた(*6)極右政党がトルコの総領事を襲う事件(*7)も起きている。

 その極右政党は、2020年に廃止となったのだが、2012年に国政進出後、2015年の国政選挙では、第3党(*8)になったほど実力のある政党だ。

 一時とはいえ、第3党になるほど支持された歴史がある以上、多くのギリシャ国民はトルコに対し、不満を持っている、と言える。

 まさにトルコは、『内憂外患』の言葉が似あうだろう。

「少佐は、各国の情報機関に顔が効く有名人であります。歩く核兵器なんですよ」

「……そんなものなんかね」

 静かにお茶を飲む。

 この無自覚さが、国王に可愛がられる所以なのだろう。

 調査では、

・英国王室

・サウジアラビア王室

・ヨルダン王室

 等、各国の王室も注目しているようだ。

 我が国の政権も把握は、しているだろう。

 若し、少佐がトルコ系であれば、国威発揚に利用していたかもしれない。

 もう少し、踏み込んでみる。

「少佐は私のこと、好みですか?」

「嫌いじゃないよ」

 日本人らしい曖昧な答えだ。

 これは喧嘩を避ける為に生まれた日本独自の文化らしいが、平和的な一方、解決を先延ばししている感は否めない。

 エルトゥールル号遭難事故以来、日本人と日本文化は好きだが、これだけは眉をひそめるばかりだ。

「はっきり言って欲しいのですが」

「そりゃあ2択だと好きだよ」

「!」

 今度は、断言してくれた。

 途端、私の方が熱くなる。

 自分でいた種なのだが、恥ずかしくさせるのは少佐の悪い所だ。

「……そ、うですか」

「恥ずかしがるなよ。ウルスラが聞いたから答えたのに」

「いえ……その、それほど、断言されるとは思いもしなかったので」

「話は以上?」

「え?」

 少佐は立ち上がる。

「俺の条件は、通告した。後は、君次第だ」

「最後に一つだけご質問があります」

「うん?」

「情報将校のナタリーさんと、下女のシーラさんとは、御結婚なされないんですか?」

 ナタリーはよく分からないが、シーラの方は、陸上自衛隊の反米派が政変を起こした際、少佐に口付けした。

 その時、はっきりと告白したのだが、少佐は答えを明確にしていない。

「ナタリーは、私的なことだから俺の方からはどうとも言えんよ。シーラは、義妹だ」

「ですが、告白されましたよね?」

「そうだな」

「その御答えは?」

「しりゃあ好きだよ」

「では、結婚は?」

「それは別問題だ―――シーラ」

「!」

 扉を見ると、開いてシーラが、申し訳なさそうな顔で入って来た。

 盗み聞きしていたようだ。

 少佐は、苦言を呈す。

「シーラ、何処から聞いていた?」

「……10、秒前」

「歩いていた時、自分の名前が聴こえて来た?」

「……」

 こくり。

「今回は、不問だ。でも他言無用だぞ?」

「……」

 再び頷く。

「ええっと、話は何だっけ―――ああ、求愛の件か」

 かぁ、とシーラは、先程の私のように赤くなる。

 逆に私は、それを見て冷えていく。

 彼女の愛らしさに嫉妬しているのは、分かっていることだ。

「シーラは好きだけど、家族愛の感情が強い。恋愛感情も少しはあるがね」

 それから、シーラを抱き寄せる。

「……」

 彼女はなすがままだ。

「義妹になった以上、恋愛感情が強くなるのは、難しいが、別れる気は無いし、あの時、俺を死にかけさせたんだ。その代償にシーラからは、人生を貰ったんだよ。これは同意の上だ」

「……では、事実婚と?」

「表現が難しいがそれに近いだろうな。シャロン達からは反対されているが、アフガンでは、よく働いてくれた。だから、転勤させる事も解雇も無い。これが俺の答えだ」

「……」

 シーラは、恥ずかしそうに俯く。

 人生でこれほど激賞された事は無い為だろう。

 生きる場所を見付けた。

 まさにそんな感じだ。

「……少佐って、私の想像以上に女好きなんですね?」

「JFKとは違って責任は取っているよ」

 抱き枕のようにシーラを抱き締める。

 私はこの時、明確に悟った。

 少佐が恐らく21世紀最悪の好色家であることを。


[参考文献・出典]

 *1:Wikibooks

 *2:週刊新潮 2017年4月20日発売 4月27日号

 *3:弁護士ドットコム 2017年4月26日

 *4:日本経済新聞 2021年1月26日

 *5:日本経済新聞 2021年4月16日

 *6:時事通信 2020年10月14日

 *7:NTV 2013年1月10日

 *8:NBC 2015年9月21日

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る