第162話 国家非常事態委員会

『こちらは、モスクワ放送局です。

 ラジオジャーナル「今日の話題」の時間です。

 ゴルバチョフ大統領がにより、大統領の職務を遂行出来ない事からソ連国家元首の権限が副大統領に移りました。

 ソ連指導部は、声明を発表し、その中でソ連の特定地域に半年間、非常事態が導入された事が指摘されました。

 

 また国の管理と、非常事態体制の効果的な実現の為、ソ連国家非常事態委員会が作られました。

 国内全域の全ての権力機関・管理機関・市民は、同委員会の決定を厳密に遂行する義務を負います。

 国家非常事態委員会は、ソ連国民に向けたアピールを発表しました。

「ゴルバチョフ氏の提唱によって始められ、国の躍動的な発展と、社会の民主化の手段として考え出された、改革政策は、一連の理由により行き詰ってしまった。

 当初の熱意と希望は、不信と無気力、絶望に変わった。

 あらゆるレベルの権力機関が、市民の信頼を失った。

 政治的野心が、社会生活から祖国と市民の運命に対する配慮を締め出した。

 あらゆる国家制度に、悪意ある嘲笑が向けられ、国は実質上、管理不可能な状態になった。

 与えられた自由を利用し、芽生えたばかりの民主主義の芽を踏み躙り、あらゆる犠牲を厭わず、

・連邦の解体

・国の崩壊

・権力の奪取

 を目指す過激派が現れた。

 ソ連統一維持という全国民投票の結果が、踏みにじられた。

 国民感情の冒涜的な悪用は、野心を満たす為の単なる覆いに過ぎなかった。

 政治上の冒険主義者は、自国民の現在の不幸も、また、国民の将来についても考えていない。

 国民が社会体制がどのようなものであるかを決めるべきだ。

 然し、国民からその権利が奪われようとしている。

(中略)

 市民1人1人、また、社会全体の安全と幸福を配慮する代わりに、権力を持っている者が国民とは関わりのない利益の為、無原則な自己満足の為に権力を利用する事は珍しい事ではない。

 市民1人1人は、明日への不信感を増大するのを感じ、自分の子供達の将来に対し、深刻な不安を感じている。

 権力の危機は、経済に破壊的な影響を与えた。

 無秩序な、抑えきれない市場への地滑り的以降は、地域の・省庁の・集団の・個人の利己主義エゴイズムを爆発させるに至った。

 法の戦争と中央から離れていく傾向が拡大したことから、数十年に渡り、蓄積されてきた統一された国民経済のメカニズムが崩壊に向かった。

 その結果、ソ連市民の圧倒的多数の生活水準が急激に低下し、投機や闇経済が活発になった。

(中略)

 長年に渡り、私達は、多方面から、

・個人の利益

・個人の権利

・社会保護に対する信奉

 という空約束を聞いている。

 然し、実際、人々は、虐げられ、現実の権利と可能性を侵害され、絶望に追い込まれた。

 目の前で国民の発意によって作られた全ての民主的制度がその重みと効力を失っている。

 勤労者の権利に対する攻撃が、仕掛けられている。

・労働の権利

・教育の権利

・健康の権利

・住居の権利

・休息の権利

 が危ういものになった。

 更に市民個々人しみんここじんの基本的安全でさえ益々ますます脅威に晒されるようになっていきている。

 犯罪は急増し、組織化され、政治的性格を帯びるようになっている。

 国は、暴力と無法状態に深みに沈みつつある。

 深刻なものになっていくソ連の政治・経済情勢の不安定化が、世界におけるソ連の地位をい切り崩しつつある。

 一部では、報復主義的口調が聞かれ、ソ連の国境を見直す、という要求が出されている。

 ソ連の解体や国内のある施設や地域を、国際的管理下に置く、という可能性まで口に出されるようになってきている。

 苦い現実はこのようなものだ。

 ソ連国民の誇りと、名誉は完全に回復されなければならない。

 ソ連国家非常事態委員会は、祖国の運命に対する責任を引き受け、国家と社会が早期に危機から脱出する為の最重要な措置を講ずる決意に満ちている。

 我々は、新連邦条約案を広く国民討議にかけることを約束する。

 我々は、早急に法と秩序を回復し、流血の事態を終わらせ、犯罪に対し、容赦のない戦争を布告し、我々の社会の名誉を傷つけたソ連市民を虐げている恥ずべき現象を根絶する意向である。

 我々は、真の民主主義的プロセスを支持し、祖国の刷新、ソ連が国際社会の中での確固たる地位を占めることを可能とする祖国の経済的。社会的繁栄に向けた一貫した改革政策を支持する。

 我々は、国内経済の多様な構造を発展させつつ、生産とサービスを拡大する為に、必要な可能性を与えることにより、私企業の活動を支持していく」

 ソ連指導部の声明は、更に次のように強調されています。

「ソ連は、平和を愛する国であり、自らが負う全責任を厳格に遵守する。

 ソ連は、誰に対する要求も持っていない。

 我々は、全ての国々と平和で友好的に暮らしたい、と願っている。

 然し、我々が何者であろうとも我が国の、

・主権

・独立

・領土保全を侵す

 ことは決して許さない、と強く言明する。

 いかなる国であろうとも、高圧な態度でソ連と対話しようという試みは断固拒否する。

 ソ連国家非常事態委員会は、国を危機から抜け出させる為の努力を全力で支持するよう、全ソ連市民に対し、呼びかけるものである」

 ソ連指導部のアピールは、このように伝えました。

 また、ソ連国家元首になった副大統領が世界各国の元首や首相、そして国連事務総長宛てでメッセージを出しました。

「ソ連憲法及びソ連法に従い、1991年8月19日からソ連の特定地域に6ヵ月の期間で非常事態令が導入された。

 講じられる諸措置は、一時的なものであり、ソ連の国家と社会の全分野における大掛かりな改革方針を放棄するものでは決してない。

 これらの措置はやむを得ないものであり、経済を崩壊から、また、国を飢餓状態から救い出し、更にソ連の諸民族や世界の国々によって予測出来ない事態を引き起こすような大規模な国内衝突の恐れが高まるのを前もって防ぐことが、極めて必要とされる所から講じられた措置だ。

 導入される全措置は、ソ連の情勢を早急に正常化させ、社会的・経済的活動を正常化させ、必要な改革を実施し、国を全面的に発展させる条件を作り出す為のものだ。

 非常事態の暫定的措置は、現行条約や協定に従ってソ連が責任を負っている。

 国際的義務に触れる事は無い。

 ソ連は、

・善隣

・平等

・互恵

・相互の内政不干渉

 といった一般的原則上に立ち、諸外国との関係を今後も発展させていく用意がある。

 現在、我々が抱えている困難さが、一時的なものであり、平和の維持と国際安全保障強化に対するソ連の貢献がこれまで同様、重みのあるものであり続けることを我々は、確信している。

 ソ連指導部は、暫定的非常事態令が諸民族、諸外国、また国連の然るべき理解を受けられるものと期待している」』

 ♪

『これでラジオジャーナル「今日の話題」を終わります。

 こちらはモスクワ放送局です』(*1)

 ♪

『こちらはモスクワ放送局です。

 毎週お届けしている蘇日交流番組「ドゥルージバ」の御時間です。

 今日の担当は―――』

 ……

 時は、1991年8月。

 ゴルバチョフ率いる改革派に、副大統領率いる保守派が反旗を翻した所謂、『ソ連8月政変クーデター』である。

 経緯は、以下の通り。

 ———

 1991年

 8月18日

 ゴルバチョフ大統領と各主権共和国指導者が新連邦条約調印前日、「国家非常事態委員会」を称する勢力がモスクワでの権力奪取を実行。

 副大統領を始めとする保守派による体制維持が目的の反改革政変は、KGB議長が計画し、ゴルバチョフの別荘の暗号名をとって「曙作戦」と呼ばれた。

 委員会の8人のメンバーは、

・副大統領

・KGB議長

・内相

・国防相

・首相

・国防会議第一副議長

・ソ連農民同盟リーダー

・産業施設連合会会長

 であった。

 また、同委員会の正式なメンバーでは無かったが、最高会議議長は同委員会と密接な関係にあり、謀議に関与していた。

 

 午後5時頃

 大統領府長官等代表団がクリミア半島フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフに面会を要求。

 副大統領への全権委譲と非常事態宣言の受入れ、大統領辞任を迫ったがゴルバチョフはいずれも拒否、別荘に軟禁された。


 8月19日

 午前6時半

 国家非常事態委員会はタス通信を通じて、

「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となり、副大統領が大統領職務を引き継ぐ」

 という声明を発表する。

 反改革派が全権を掌握、モスクワ中心部に当時ソ連の最新鋭戦車であったT-80UDの戦車部隊が出動し、モスクワ放送は占拠された(当時、アナウンサーは背中に銃を突きつけられた状態で放送をしていたという(*2))。


 午前11時

 ロシア共和国大統領のエリツィンが記者会見を行い、

「政変は違憲、国家非常事態委員会は非合法」

 との声明を発表する。

 エリツィンは、

・ゴルバチョフ大統領が国民の前に姿を見せる事

・臨時人民代議員大会の招集

 等を要求、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得、市民はロシア共和国最高会議ビル周辺にバリケードを構築。

 又、市民は銃を持ち火炎瓶を装備、政変派ソ連軍に対し臨戦態勢整備。

 政変には陸軍最精鋭部隊と空軍は不参加。


 国家非常事態委員会支持派

 リビア、イラク、ユーゴスラビア、パレスチナ

 改革派支持派

 アメリカ、イギリス、フランス、日本

 ※日本は、ソ連内の情報網が無かった事により政変の先行きを把握できなかった為、保守派が政権を奪取した場合を考慮し政変発生当初は態度を明確にしなかったが、後に政変を非難し、改革派への支持を表明。


 午後10時過ぎ、戦車10台がエリツィン側に離反。

 1万人の市民がロシア最高会議ビル前に篭城。

 KGBのアルファ部隊は保守派からロシア最高会議ビル奪取命令を下されたが、それに従わなかった。

 北部ロシアの炭鉱でも改革派を支持する労働者によるストライキが発生し、エストニアでは独立宣言。

 レニングラードでは改革派の市長が市の操作コントロールを奪還。


 8月20日

 午後12時頃、ロシア政府ビル前に市民10万人が集結し、

「エリツィン! ロシア! エリツィン! ロシア!」

 のシュプレヒコールをあげた。

 労働者ストライキが全国で発生し、市民デモも多発。

 一部では流血事態が発生。


 8月21日

 午前0時

 戦車隊がロシア政府ビルへ前進。

 市民と衝突し火炎瓶を装甲車に投擲も、装甲車に飛び乗った市民を振り落とす等で3名が死亡。


 午前4時頃

 軍とKGBの150戦車隊の一部がバリケードの突破で小競合いに。

 ロシア側は発砲を許可し戦車2台を破壊、10数名の市民が死亡。


 午前5時

 国家非常事態委員会は戦車部隊の撤収決定。

 交渉により軍は当面事態を静観すると確約。


 午前11時頃

 最高会議、国家非常事態委員会に対して夜10時までに権力放棄を求める最終通告。

 この通告に動揺したせいかは定かではないが国家非常事態委員会の一部メンバーが辞任を表明、副大統領は飲酒の果てに泥酔して執務不能の状態にあった。


 午前11時40分

 国家非常事態委員会の実質的リーダーであるKGB議長、エリツィンにゴルバチョフ大統領との話し合いを申し出る。

 最高会議は首相を代表に任命、ゴルバチョフ救出の為、クリミアに派遣決定。


 午後1時53分

 エリツィン、政変未遂宣言。


 午後2時

 国家非常事態委員会のメンバーがソ連国内から逃亡開始。

・内相   →夫人射殺後、拳銃自殺。 *自殺に関して疑惑あり。

・元参謀総長→首吊り自殺。

 エリツィン、メンバーの拘束指令発令。


 午後4時20分

 国防相が全部隊のモスクワへの撤退命令をニュース放送で行う。


 午後4時55分

 ロシア代表団がクリミア半島に到着してゴルバチョフと面会。


 午後9時

 モスクワ放送復活。


 8月22日

 午前2時55分

 攻撃を避ける為の人質としてKGB議長を帯同したゴルバチョフが搭乗したアエロフロートの特別機がモスクワのブヌコヴォ空港に到着。

 政変関係者は逮捕されたが、その首謀者達はゴルバチョフの側近だった為、皮肉にも彼自身を含むソ連共産党の信頼は失墜していた。


 午後0時

 エリツィン、勝利宣言。

 これには市民20万人が参加したが、ゴルバチョフが姿を見せる事はなかった。


 夕方

 ゴルバチョフは外務省のプレスセンターで記者会見を行う。


 夜

 モスクワ中心街で共産党の活動禁止を要求するデモが行われた。


 8月23日

 ゴルバチョフ、最高会議で今後のソ連と共産党に関する政見演説を行うも、議員たちから無視される。

 エリツィン、ソ連共産党系のロシア共産党の活動停止を命じる大統領令に署名。

 

 8月24日

 ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長を辞任、資産を凍結し党中央委員会の自主解散を要求。

 ロシア、エストニアとラトビアの独立承認。


 8月28日

 ソ連最高会議の臨時両院(連邦会議・民族会議)合同会議が首相の不信任案を可決し、共産党の活動全面停止を決定。

 政変支持派のプラウダ等の共産党系新聞5紙が発禁処分。

 又、政変を支持したとしてタス通信やノーボスチ通信の社長も解任(*3)

 ……

 それから31年が経った。

 その時の英雄、ヴィクトルは今や皇帝ツァーリだ。

 然し、彼は、敵を作り過ぎた。

 余りにも親米だった為に反米派から目の仇にされたのだ。

 その指導者は、イゴール。

 三白眼の元KGB中佐にして、FSB長官だ。

 彼は、ある報告書を前にほくそ笑む。

奴を捕まえたWe got Him

 と。


[参考文献・出典]

 *1:「今日の話題」 モスクワ放送局日本語版より

 *2:リスナー投稿番組『お便りスパシーボ』へ寄せられた質問への回答

 *3:ウィキペディア 一部改定

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