第136話 燃える愛

 朝は、食べ放題だ。

 京都中の一流専門店の料理人が一同に会し、

・和食

・洋食

・中華料理

 ……

 何でも作ってくれる。

 トリュフ等、高級食材もふんだんに使用している為、富裕層でしか中々利用出来ないだろう。

「たっ君、全然、食べないね?」

「貧乏舌だからな」

 俺が食べているのは、スクランブルエッグとホットドッグ。

 どちらも料金は、硬貨で買える安物だ。

「貴族なのに?」

「身分は貴族でも舌は変わらんよ」

 国王がどれだけ俺を引き立てても、嗜好を矯正することは難しい。

 本当か嘘か、こんな話がある。

 普仏戦争の最中、《鉄血宰相》ことビスマルクは、皇帝の前で、あろうことか、フランスのワインを飲んでいた。

 皇帝は、

「愛国者の君は、何故、国産のワインを飲まないのかね?」

  と尋ねられた。

 その場は凍り付くものの、ビスマルクは平然と答えた。

「陛下。恐れながら愛国心と舌は別物でございます」

 と。

 逸話の真偽は分からないが、冷戦下、ソ連国内でビートルズの曲が密かに国民から愛聴されていたように。

 どれだけ束縛しても嗜好を制限することは困難だ。

 ビートルズの例に至っては、ソ連時代からエリート街道を進み、ロシアになった後は、国防相になったほどの人物でさえ、「10代の頃、夢中になった」と公言しているのだから、その凄まじい人気が分かるだろう(*1)。

 共産圏内で優等生扱いであった東ドイツでも、ベルリンの壁に隣接する旧国会議事堂前で、デイビッド・ボウイ(1947~2016)が1987年6月6日に公演した際、東ベルリンの市民約5千人が、国家保安省シュタージの監視をものともせず、解散命令を無視。

 愛聴していた例がある。

 この時、これらや市民の1人が、「壁から出せ」と大声で叫ぶ場面は、今でも映像に残されている。

 冷戦終結間近とはいえ、このような状況下でのこの行動は、死の危険があっただろう。

 それでも市民は、西側の文化に憧れ、触れたかったのだ。

 ボウイが死去した時、ドイツの外務省は、

『壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう』

 とSNSで発表している(*2)。

 歴史が証明している以上、少なくとも俺の嗜好は、直ぐに変わることはないだろう。

『貧乏舌www』

 ナタリーが鱶鰭ふかひれのスープをこれ見よがしに見せつつ、嘲る。

『食べさせてあげようか?』

「有難う―――」

『ばーか。やんないわよ』

 鱶鰭を見せ付けつつ、ナタリーは食べる。

「「……」」

 忠誠心が厚いライカ、シーラの視線に殺意がこもる。

 然し、被害者の俺が全く怒っていない為、怒るに怒られないような、反応だ。

 2人が実力行使しない様に、俺はシーラを抱っこし、ライカを抱き寄せる。

「俺の為に怒ってくれるのは、良いけど、その感情は、自分の為に残しとけ」

「少佐……♡」

「……♡」

 ライカは、積極的だ。

 俺をあすなろ抱きし、頬にキス。

 オリビアの趣味なのか、彼女は、久々にメイド服を着ている。

 ボーイッシュな外見が相俟って、異性装者に見えるが、それでも可愛い。

「朝から忙しいな?」

「少佐と比べたら、全然ですよ」

「そうか? でも、24時間365日は大変だろう?」

 オリビアの用心棒ボディーガードなので、ほぼ彼女の傍を離れる事は出来ない。

「少佐の方が、大変かと。学業に家事に臨時講師、それに国家公務員。四足の草鞋ですよ」

「家事を含めるのか?」

「はい。家事も仕事ですから」

 家事労働という概念があり、家事を年収に換算すると、資料によっては差異があるもののの、年収600万円になるという(*3)。

 これに当てめれば、俺の年収は、600万円増える筈だ。

 財源さえ見込めば、

 家事=やって当たり前

 から、仕事として、より多くの収入になる為、主夫(或いは主婦)のモチベーションにも繋がるだろう。

「少佐の疲労が心配です」

「有難う。でも、休む時は休んでるよ」

 振り返って、ライカの額に口付け。

 すると、シーラがぽかっと、膝を叩いた。

「? どった?」

「……」

 鼻息を荒くして、シーラはそっぽを向く。

 義妹は、ギリシャ神話に登場する、ビュブリスのように、ブラザー・コンプレックスが強いのかもしれない。

 ビュブリスは双子の兄、カウノスに恋をし、何度振られ続けも、求愛し続け、最後、カウノスが異郷で新しい地を建設する為に故郷を去っても、その後を追った。

 然し、その内、追跡に疲れ果て倒れ、遂には自分の涙で溶け、泉に変身する(*4)。

 この物語は、古代ギリシャを代表する変身物語メタモルポーセースの一つになっている。

「シーラ」

「……」

 飴を出すと、シーラは拒否せず食べる。

 何だかんだで、心底怒ってなさそうだ。

「シーラは、可愛いなぁ♡ ゆるキャラだ」

 あすなろ抱きすると、シーラの耳は見る見るうちに赤くなっていく。

 非常に分かり易い。

『ジョン・プロフィーモ』

 1962年、ソ連の諜報員と交流があったモデル兼売春婦に国家機密を漏らした陸軍大臣の名前を口にして、俺を蔑むナタリーであった。


 煉がシーラを可愛がっている間、密かに冷戦が勃発していた。

 ナタリーVS.シーラである。

 2人は、元々、仲が良かったのだが、ナタリーの宣戦布告後、関係はギクシャクしている。

 親友だったのに、明治になって以降、関係が悪化し、お互い最悪の結末を迎えてしまった西郷隆盛と大久保利通のように。

 シーラは思う。

(……嫌い)

 煉が好きな癖に蔑む所が。

 いつまで経っても素直になれない所が。

 自分よりも優秀な所が。

 ただ、分かっている。

 ナタリーを必要以上に敵視している最大の理由は嫉妬だということを。

 1番の問題は、煉だろう。

 部下がどれほど舐めた態度でも、許すのだから。

 ♪ ♪ ♪

 煉のスマートフォンが震えた。

「師匠」

「うむ」

 スヴェンが渡す。

 本来は、シーラの役割なのだが、煉の配慮で時々だが、スヴェンが、代理で務めている。

 働き方改革でのことなのだが、シーラは不満だった。

 元より、神経質な性格の為、一度でも外されたら心配になるのだ。

「もしもし?」

『少佐か?』

「ああ、先生。御無沙汰しています」

 煉の話し方に女性陣は、相手が男だと察する。

 皐月が尋ねた。

「ナタリー、相手、分かる?」

『僧侶です』

「僧侶?」

『はい。以前からお知り合いの高僧です』

 皐月に応えつつ、ナタリーは、シャロンとスヴェンに目配せ。

 話を合わせろ、と。

「そういえば、パパ、仏教の研究していたね」

「師匠は、事実上の仏教徒ブッディストですからね」

 擁護が下手だが、皐月はすんなりと信じた。

「司、知ってた?」

「さぁ? でも、前に釋廣德ティック・クアン・ドックの本を読んでたよ」

「へぇ。勉強家なのね」

「―――分かりました。御提案下さり有難う御座います。母に聞いてみます」

「私?」

 いきなり、話を振られ、皐月は困惑顔だ。

「先生が、自分の寺に皆を招待したいんだと。母さん、どう?」

「私は良いわよ。どこにあるの?」

「中京区小川通蛸薬師元本能寺町です」

「本能寺跡?」

「そうなりますね」

「立地的には、余り良さげな場所じゃなさそうだね」

 苦笑いしつつ、コニャックを一気飲みする皐月であった。


 俺が話した先生は、山王会会長・岡田であった。

 岡田は、再建された本能寺で出迎える。

 袈裟を着て、剃髪している為、普通の僧侶にしか見えない。

 この老人が、誰が日本裏社会を牛耳るアル・カポネだと思うだろうか。

 山王会の推定年入は、約8兆円。

 これは、令和2(2020)年度の東京都の予算である7兆3540億円を上回っている。

 分かり易く言えば、山王会が約1千万人居る都を運営出来るくらいの経済力を有している、という訳だ。

 本能寺の敷地内には、市立高校とデイサービスがある。

 その為、運動場では、高校生が体育の授業をし、その近くでは、デイサービスの利用者がゲートボールを勤しんでいた。

 スペースが限られている為、運動場が、高校とデイサービスの共用になっているのだ。

 若い僧侶が鐘をく。

 ゴーン、と。

 チャイム要らずの為、経費削減の観点から高校側からの評判は良い。 

「皆様を歓迎出来、光栄です」

 岡田は、深々と頭を下げた。

 本能寺は、天正10(1582)年に兵火により焼失して以降、移転はあっても、再建はされていない。

 俺達が通された部屋には、鎧兜が鎮座していた。

 全て模造品だが、普段見慣れない物の為、注目する。

「「「……」」」

 オリビア、シャロン、シャルロットは、岡田の話を馬耳東風で、鎧兜に夢中だ。

「済みません」

「いや、見せる為に置いているんだ」

 俺の謝罪を手を振って跳ね除け、岡田は笑う。

 それから、シーラを見た。

「……」

 シーラは、恐れて、俺の背中に隠れる。

「済みません。人見知りなもので」

「そうか……」

 少しショックを受けたようだが、直ぐに岡田は、笑顔を見せる。

、少し良いかな?」

「はい。じゃあ、母さん、頼んだよ」

「分かったわ」

 の話に皐月は、介入することはない。

 それでも、

「出張は、やめてよね?」

「分かってる」

 皐月、司、オリビア、シャルロット、ライカの額に順番にキスしていく。

「シャロン、スヴェン、エレーナ。済まんが来てくれ」

「「「は」」」

 3人は、部下の顔で応じる。

 呼ばれなかったシーラとナタリーは、不満げだ。

「……」

『私は?』

「後で共有するよ。それともキスした方が良いかな?」

『強制猥褻罪って知ってる?』

「知ってるよ。じゃあ、頼んだ」

『分かったわ』

 ナタリーに尻を蹴られた。

 これほど、不忠な部下って、多分、後にも先にもこいつだけだな。

 呆れつつも俺は、赤くなった尻を擦るのであった。


[参考文献・出典]

*1:ポール・マッカートニー 『ライヴ・イン・レッド・スクウェア』 2005年

*2:NHK 『新・映像の世紀 第5集 NOの嵐が吹き荒れる』

*3:Kajily 【家事労働をお金に換算するといくら?】2019年10月18日

*4:オウィディウス『変身物語 下』(岩波書店 1984年)

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