第128話 五つの目
『5月3日夜、国鉄常磐線三河島駅構内で、脱線した貨物列車に、上りと下りの国電が衝突。
死傷者500人を超える大惨事を引き起こしました。
凄惨な衝突現場では、救出作業を開始。
押し潰された車体の下から無残な遺体が次々と発見されています。
周辺の病院は、続々と運び込まれる負傷者達で足の踏み場もありません。
水飢饉の為、シーツの水すらなく、負傷者達は、十分な手当ても受けぬまま、次々と息を引き取っていったのです』(*1)
……
ムラート達は、これをモデルにしていた。
煉達の乗る新幹線は、約1300席ある。
新幹線版三河島事故が起きた場合、極論、3本で約4千人もの死者数が出るかもしれない。
又、輸送にも大きな影響を与え、経済的損失も計り知れない。
午後1時57分。
ムラートは、腕時計で時間を確認しつつ、スイッチを押す。
と、同時に目の前の線路が吹き飛ぶ。
オレンジ色の雲が出来上がる。
「!」
きのこ雲と、爆風、振動を確認した新幹線の運転士は、急ブレーキ。
車内にも放送される。
『お客様にお知らせ致します。まもなくこの列車は強いブレーキで停まります。お立ちのお客様は
急な事だった為、立っていた乗客は直ぐに反応出来ない。
「ライカ! スヴェン!」
「「は!」」
唯一、
煉は、直ぐに立っていた司と皐月を抱き寄せる。
ライカはオリビアを。
スヴェンは、シャルロットを。
ナタリー、シーラ、エリーゼは座っていた為、問題無い。
急ブレーキの衝撃で、立っていた彼等は、車内を転がった。
座席や天井にしこたま、体を打ち付ける。
弁当は中身をぶちまけ、荷物棚のキャリーバッグも落下。
「!」
それらが、全て煉を襲う。
2人を思いっ切り、抱き締めていた煉は目を閉じた。
次の瞬間、後頭部や首、背中、腰を打ち付ける。
約4㎏ものそれをまともに食らい、煉は一瞬、意識を失いかける。
後頭部は切れて出血。
司が叫んだ。
「たっ君!」
「案ずるな」
必要以上に心配させまい、と煉は微笑んで、弁慶の様に仁王立ちで食い縛る。
痛みからして、何処か折ったかもしれない。
(糞ったれ!)
心の中でFワードを連発した後、煉は2人を確認する。
「大丈夫か?」
「大丈夫よ。それより、見せなさい」
皐月が直ぐに診る。
「司、消毒液。それと包帯!」
「うん!」
2人は、直ぐに医療従事者の顔になった。
煉を診つつ、皆を見渡す。
「皆は無事?」
「はいですわ」
「うん……」
皆、衝撃を受けた様子で、怪我は無さそうなもののの、反応が芳しくない。
返答したのは、オリビアとシャロンだけがそれを物語っている。
シャルロットとシーラは、放心状態。
ナタリーは、気絶していた。
エレーナも気持ちが悪いのか、顔色が悪い。
(
グリーン車でこれだけなのだから、他の車両もこれ位、またはそれ以上に負傷者が出ているだろう。
若しくは、死亡者も居るかもしれない。
人間は、生まれるのは、困難を極めるが、死ぬのは簡単だからだ。
「司、気を引き締めなさい! やるわよ!」
「うん!」
医者である以上、目の前に患者が居たら、士気が上がるのが皐月の職業病だ。
鞄から白衣と聴診器、その他、医療器具を用意し始めるのであった。
新幹線が緊急停止した事を双眼鏡で確認したムラートは、
「突撃!」
と叫び、
そのまま、新幹線に走っていく。
反対車線で停車している新幹線も忘れない。
本当はこの新幹線を使って、線路上に降りて来た乗客を轢殺するつもりだったが、
銃声を聞いて、両方の新幹線から、
警乗制度は本来、旅客機にハイジャック対策に搭乗している武装警察官の事を指すのだが、最近では新幹線にも乗車しているのだ。
ただ、ニューナンブM60でAK-47は、当然、分が悪い。
あっという間に、武装警官は追い詰められる。
「師匠」
「ああ、援護だ」
「は!」
スヴェンがUZIを携帯し、出て行く。
いきなり出て来た彼女に、武装警官達は驚くも、彼女は直ぐに外交官旅券を見せた事で納得した。
「パパ、私も行く!」
「ああ、スヴェンと
「パパは?」
「エレーナと組む。エレーナ、準備は良いか?」
「良いけど、貴方、大丈夫なの?」
「掠り傷だよ」
「……分かった」
全身、包帯を巻かれた俺は文字通り、ミイラ男の様だ。
「煉、無理しちゃ駄目よ」
「分かってる。母さんもね」
「ええ」
皐月は、さっさと司と共に他の車両に移る。
2人共、俺の血が付着し、白衣は汚れているが、あれは戦った証拠だ。
「少佐」
「ライカは、オリビアとシャルロットを頼む」
「は」
俺を心配そうに見詰めるライカは、指示通り、2人の傍へ。
「勇者様……」
「煉……」
「案ずるな。終わったら京都を楽しもう」
「……はい」
「うん」
2人にそれぞれ、キスした後、最後にシーラ、ナタリーを見た。
「「……」」
2人は、尚も茫然としていた。
世界一安全と思っていた新幹線が、こうなっているのだ。
思考が追い付いていないのかもしれない。
その点で言えば、2人はまだ
「ナタリー」
『……』
「……ナタリー!」
『は、はい!』
びくっとしたナタリー。
大声に、シーラも正気に戻る。
「ナタリーはテロ組織を特定し、妨害電波で攪乱する事」
『! は!』
「シーラは、ベレッタ・ナノは使えるか?」
「……」
こくり。
「じゃあ、この車両の警護を頼む。出来るか?」
「……」
こくり。
「じゃあ、頼んだぞ?」
俺は微笑んで、エレーナ、シャロンと出て行く。
(……頼られていない)
私は心底、落ち込んだ。
少佐が2回命じた際、『使えるか?』『出来るか?』というものであった。
スヴェン等には、恐らく『使えるな?』『出来るな?』というものであっただろう。
車外では少佐が、エレーナと共に武装警官に加勢し、テロ組織と撃ち合っている。
骨折している筈なのに、俊敏な動きを出来るのは、アドレナリンが出まくって痛覚を麻痺させているのかもしれない。
それでもしなければならない。
命じられた以上、今、少佐は私を義妹ではなく秘書官と思っているのだから。
「……」
少佐から下賜されたベレッタ・ナノを手に、哨戒を始める。
シーラが見回りを始めたと同時に、ナタリーは、始めていた。
(ムラートか……FSBに殺られたのかと)
ロシアは、敵対者を絶対に許さない国民性だ。
ソ連時代には、メキシコまで逃げたトロッキーが。
ロシアになっても、イギリスに逃げた元諜報員が殺傷されている。
大統領がアメリカ以上に対テロ戦争に強権的な事もあり、分裂主義者は徹底的に弾圧されるのが、運命だったのだが、まさか、生きているとは思わなかった。
CIAの
(これは問題ね……)
情報一つ間違えただけで、勝敗が逆転することがあるのだ。
WWII中、ドイツに赴任していた日本大使・大島浩(1886~1975)は、親独派が過ぎて、ナチスに有利な情報しか日本に伝えず、その結果、日独の情報共有が低下し、敗戦の契機の一つを作ってしまった。
それくらい、情報力というのは、大切なのだ。
逆に情報を鵜呑みに過ぎるのも又、危険な場合もある。
1983年9月26日、ソ連空軍中佐のスタニスラフ・ペトロフ(1939~2017)は、監視衛星は発したアメリカからのミサイル攻撃による警報を状況から誤警報と判断し、即応しなかった。
この事が起きる同月1日には、ソ連軍による大韓航空機撃墜事件(乗員乗客269人全員死亡)が起き、死者の中には、アメリカの下院議員が含まれていた。
アメリカを始めとする西側諸国は、ソ連の蛮行に激怒し、両陣営は、武力衝突しそうなくらい、緊張が走っていたのだ。
その頃に起きたこの警報に対し、冷静沈着にペトロフが対応しなければ、ソ連は、「アメリカからの報復攻撃」と解釈し、そのまま核戦争に突入していたかもしれない。
情報を鵜呑みにすれば、世界が破滅する場合も考えられるのだ。
今回は誤情報だった様で、核戦争ほどの危機ではないにせよ、情報機関としては、あるまじき失態である。
上層部に報告しなければならない。
『……』
付近の防犯カメラを駆使し、テロ組織の人数を数えていく。
スクリーンショットした顔写真を、ファイブ・アイズの面々、
・米
・英
・加
・豪
・新
と、その連携国である日独仏韓に照会する。
ムラートは特定出来るが他のメンバーは、もしかするとイスラム過激派の残党の可能性があるのだ。
テロとの戦いを標榜する同盟国には、
ブルーなシーラとは違い、情報将校のナタリーは給料分、働くのであった。
[参考文献・出典]
*1:中日新聞社 『惨!! 死者158人』 一部改定
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