第105話  Émigré

『「鹿しかその」と呼ばれる娼館が、かつてのフランスにはあった。

 時は、18世紀。

 ルイ15世の為に、その公妾ポンパドゥール夫人がヴェルサイユの森に開設した。

 娼婦は、名を伏せて訪れるルイ15世に性的な奉仕を行い、生まれた子供には年金が保障された。

 男子は将校に取り立て、女子には良縁を取り次いで面倒を見た。

 鹿の園に居た女性では、ロココを代表する画家、フランソワ・ブーシェが描いた美術モデルのマリー=ルイーズ・オミュルフィが知られている。

 デュ・バリー夫人が公妾に就くに伴い、鹿の園は閉鎖された』(*1)

 ……

 その文化をトランシルバニア王国に持ち込んだのが、フランス系である。

 なので、トランシルバニア王国は公では娼婦を嫌い、裏では娼婦を好む二重基準が存在している。 

 事情を聴いたオリビアは、不承不承に納得した。

「仕方ありませんわ。まぁ、身内ですしね」

 本気になる前に高級娼婦で性欲を満たさせ、本気にさせない、という考え方も出来る。

 人生100年として、1人だけを愛し続ける方が、非常に困難だろう。

 一方、司は複雑だ。

「なんか、たっ君、どんどん増えるね?」

「司、これは治療なのよ。ストレスを溜めさせない為に」

 主治医・皐月が、諭す。

 高級娼婦が認められたのは、彼女の支持も理由の一つだ。

「……」

 ぼすっと、俺の膝を叩くのは、シーラだ。

 俺が娼婦を囲うのは、反対らしい。

「済まんな。でも、これも治療だからね」

 ストレスを極力溜めない、というのが、皐月の方針だ。

 医者の診断を素人が覆す事は出来ない。

 命を救う為ならば、俺の人権は基本無視なのは、正直、どうかとは思うが、その姿勢は流石、日本一の篤志家でもある。

 反対派がシーラだけなのは、目の前の状況を見たら分かる。

「……良かった。本当に」

 オリビアが、涙目でシャルロットを抱き締めているのだから。

 遠縁で基本的に交流が無かったが、一応は身内だ。

 自殺未遂すれば、心配するのが、当たり前だろう。

 鬱病への治療は、基本的に、

・薬物治療

・休養

 だ(*2)。

 ―――

 事前に皐月から、𠮟咤激励禁止を言い渡されている為、オリビアは、それをしない。

 今は、シャルロットの無事を喜ぶだけだ。

 別室では、ライカと皐月が話し合っている。

 シャルロットに聞こえない様に。

「シャルロット様は今後、北大路家に?」

「本人次第よ。ただ、医者としては、反対よ」

「何故です?」

「見ての通り、ここは病院。精神科もある。彼女が悪く影響を受けて、病状が悪化するかもしれないから」

「成程」

「ただ、それでもサポートするのが、私の努めよ」

 達―――司も医療従事者として含まれている様だ。

「それに今回の事は陛下の御要望もあるからね。全力で助けたい」

「陛下? 国王が?」

「あのまま国に居たら、いずれ、ドイツ系から目の仇にされて暗殺されかねない。そうなった時は今度は、ドイツ系が悪役になってしまう。だったら、第三国に亡命させよう―――って話よ」

「成程」

 第三国には、当初、

・アメリカ

・イギリス

 が挙げられたが、結局、本人の希望で日本に決まった訳だ。

「あの子の事は、司に任すわ。ライカちゃんも宜しくね?」

「はい!」

 元気良く返事するライカであった。


 シャルロットが、事実上の嫁入りを果たした訳で、北大路家は更に賑やかになった。

 現在の構成メンバーは、以下の通り。

           肩書

 家長:皐月     北大路総合病院院長

 長女:司      看護助手

 長男:煉      トランシルバニア王国国家公務員

 次女:シーラ    〃

 居候:シャロン   元軍属 現・看護助手

   :オリビア   皐月の義理の娘兼煉の妻(トランシルバニア王国では。

                       日本では、未だ無効)

   :ライカ    オリビアの用心棒兼煉の愛人

   :シャルロット 煉の高級娼婦兼皐月の患者

 元々3人暮らしだったのが、一気に8人暮らしだ。

 なので、当然、空き部屋も少なくなる。

「……煉、相談なんだけど、部屋増やしたい」

「名案だな。俺も同じ事を考えていた」

 シャルロットの部屋を決めた後、俺は、皐月の部屋に居た。

 不動産情報の掲載されたパンフレットを手にしている辺り、引っ越しでも検討しているのかもしれない。

「そこでさ。色々、考えたんだけど、いっそのこと」

「うん」

「増築しようかと」

「まぁ、手狭だしな。でも病院を引っ越す―――増築?」

 俺は、両目を瞬く。

「うん。増築」

 はっきり、と。

 皐月は、言った。

「……引っ越しは?」

「それも考えたんけれど、常連さんが居るからね。引っ越したら、不便になるかもだから」

「……まぁ」

 通院者は多い。

 妊婦から終末医療の老人まで。

 文字通り、「揺り籠から墓場まで」だ。

 この病院は、足腰が弱い人用にエレベーターが、設置されており、事前に予約さえすれば、職員が公用車で送迎出来るサービスがある。

 又、保育園と幼稚園が併設されており、そこを利用する子供の母親が、子供の送迎ついでに通院する場合もある。

 老人ホームも併設してあり、万が一の時には、直ぐに手術出来る様、病院と直結してある。

 又、今、話題の新型ウィルスにも力を入れており、徹底的な消毒を行い、感染対策にも恐らく日本一、努めている

 そんな病院を別の場所に引っ越すのは、現実的に難しいだろう。

 又、引っ越し先で、ここ同様の売上を見込めるとも限らない。

 地域に根差した医療を目指している皐月の理念にも反する。

「増築ねぇ」

「そ。だから、貴方のプレハブ小屋を壊して、その上に新しい部屋を作りたい」

「……」

「今の所、気に入っている?」

「いや……でも、何で俺に相談するんだ? 司が適任では?」

「そうだけど、夫が最初でしょう?」

「は?」

「夫。事実婚って訳」

「……」

 その目は、本気であった。

 俺が目を逸らそうとするも、

「逃げるな」

 俺の頬を両側から手で押し、無理矢理、目を合わせる。

「籍は入れる事が出来ないけれど、私は、貴方を夫と見ているわ」

「……前夫に悪くないのか?」

「前は前。今は今よ。それとも人体実験になりたい?」

 スッと、メスを用意する。

 穏やかじゃない、養母さんですわ。

 愛を拒否っただけで解剖されるのは、鬼畜だ。

「……司もそうだが、母さんは変わってるな。養子に手を出すなんて」

「愛だからね。それが答えよ」

「……はぁ」

 司の重過ぎる愛は、皐月の遺伝だったか。

 それとも寡婦になって以降、精神状態が不安定になり、前夫に変わる男を求めていたのか。

 兎にも角にも、表には絶対に出さない顔だ。

 メスを喉元に就き付け、皐月は問う。

「私の事、好き?」

「……ああ。月が綺麗ですね」

「逃げるな!」

 文学で答えたのに怒られた。

 夏目漱石さん、貴方の回答は、誤答だったみたいですよ?

 俺は、頭を掻きつつ、しっかりと目を見た。

「好きだよ。ただ、俺の1番は、司だけどな?」

「……よろしい」

 答えに満足したのか、皐月は、メスをしまう。

 北大路家に転生して以来、初めて分かったが、彼女がこの家の1番の闇かもしれない。

 悪魔の棲む家だ。

「……何か失礼な事考えてるわね?」

「ゼンゼン」

「何故、カタコト?」

「I’m not Japanese..I can’t speak Japanese.」

「有罪」

「ぎゃあ!」

 手の甲に軽く刺された。

 なんちゅう養母だ。

 児童虐待防止法に反する。

 まぁ、好きだけど。

 怪我をさせられても、皐月への愛は揺るがない。

 そんな俺も異常者なのかもしれない。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:「うつ」について -叱咤激励は逆効果- Last Update (This Page): 2002.04.07. 山口大学医学部精神科神経科 教授 渡辺 義文 一部改定



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