第73話 BPD
ライカが退室後、オリビアは、
「……」
重い息を吐いた後、姿見に頭突きした。
鏡が破れ、その破片が、体中に突き刺さる。
真っ赤になった顔を破片で見て、オリビアは嗤う。
敗北者に相応しい末路だ、と。
ライカの前では気丈に振る舞ったが、あれでもギリギリであった。
若し、もう少し、長話であったら、彼女の目の前で奇行に走っていただろう。
「……」
全身から血が止まらない。
失血死の言葉が脳裏に過るが、アドレナリンが出ている為か、一切痛みは感じない。
それ所か、オリビアは破片を握り締め、手首に
そこには無数の傷跡が。
母親は早逝し、実父は匿名のアメリカ人。
同位である筈の王族からは、「愛妾の子」「味噌っかす」等と
臨死体験で母親に会った事もある。
ダイアナ妃の様に過食嘔吐を繰り返した事もある。
そんなオリビアの心の支えは、煉だけであった。
(約束したんだけど……無理かな)
最後の最後の頼みの綱が切れ、箍が外れたのだ。
(……泣いてくれるかな?)
自分でも
でも、葬式で彼の涙が見たい。
シルビア曰く、「彼に涙腺が無い」らしいので、泣かせたら本望だろう。
その代わり、天国のシルビアから、思いっ切り叱られるだろうが。
いや、そもそも自殺者が天国に行けるか如何か分からない。
地縛霊になる、という話もある。
その時はここに留まって、煉の幸せな様子を見るのも一興だ。
どんどん、血の気が引いてきた。
体が冷たくなっていく。
死が近い。
「……」
血塗れのオリビアは、最後の力を振り絞って、枕の下に隠していた煉の写真を掴む。
正確には、前世のブラッドリーだ。
彼とシルビアが、同席している数少ないそれは、2人が、周囲に隠れて握手している物である。
王党派のブラッドリーが、自分から求める事は考えられない。
なので、シルビアが勅令でも発し、無理矢理したのだろう。
シルビアは幸せそうな顔だ。
恋する乙女の表現が似合う。
一方、ブラッドリーに笑顔は無い。
バレた時の国際問題を怖がっているのだろう。
ああ見えて、意外と肝っ玉が小さい男だ。
然し、ブラッドリーは強く握り返している。
シルビアからの求愛に応えている貴重な
(……勇者様)
写真を胸に倒れる。
オリビア、最期の時が近付いていた。
深夜。
3回程交わった俺は、司を寝かしていた。
「……」
興奮して寝られない。
のではなく、胸騒ぎがするのだ。
(―――)
誰かが呼んでいる気がする。
「……」
起こさない様に、寝台を抜け出すも、
「……たっ君?」
気付かれた。
司は、眠そうな目を擦る。
「寝ないの?」
「トイレだよ」
「分かった。帰って来る?」
「いや、寝てて良いよ―――」
「帰って来て。一緒が良い」
「……分かった」
司の額にキスをすると、彼女はにへらと表情を崩し、再び枕に後頭部を預ける。
「お休み」
「……」
返答は無い。
既に熟睡している。
起こしたくはないが約束した以上、戻らなければならない。
(……勘が当たらなければいいが)
前世で、沢山の死を見て来た俺の勘は、残念ながら当たり易い。
現世で、それが当たるかどうかは分からないが、体感的には数年ぶりの事だ。
当たって欲しくは無いが、こればかりは
(……こっちか)
呼ばれる方へ、歩を進める。
臭いからして女性だろう。
それも若い。
吸血鬼の様な嗅覚だが、後天性のものな為、仕方ない。
職業病というやつか。
その臭いの源へ行くと、そこはオリビアの部屋であった。
「……」
嫌な予感がする。
胸騒ぎを覚え、パルクールの要領で、壁を伝っていく。
赤外線が張り巡らされているが、俺くらいになると不可視でも分かって来る。
全く、職業病(?)は便利なな
ピンクパンサーに入れるかもしれない。
ベランダに着くと、開けっ放しの窓から侵入を果たす。
「!」
そこには、戦場で見て以来の血の惨状が。
「……」
オリビアは、動かない。
まるで、人形の様に。
その手には、血塗れになった俺とシルビアの写真が。
動悸が激しくなるのを必死に抑え、俺はオリビアの手首と瞳孔を診る。
(……まだ大丈夫そうだな)
三途の川を渡っている最中の様だ。
慌てず、俺はオリビアを抱き抱えるのであった。
「……?」
オリビアは、目覚める。
見知らぬ天井だ。
次に感じたのは、アルコールの臭い。
酒ではない。
消毒液の方だ。
「お早う」
皐月が見下ろしていた。
怒っているのだろう。
珍しく眉間に
「もう少し、遅ければ、今頃、あの世だったわよ」
「……私は?」
「馬鹿息子が気付いて連れて来たのさ。それで治療費は、貴国に請求すれば良いの?」
「……」
見ると、手首に管が繋がれ、輸血されていた。
「足りなかった血液は煉が提供してくれたわ。まさか、貴女と同じとは奇跡ね」
「! 勇者様が?」
「そうよ。ほら」
隣のカーテンを開ける。
そこには、煉が眠っていた。
「……」
「この馬鹿が以前、貴女の母親に提供してくれた過去があったのも良かったわ。ま、1番の驚きは、『黄金の血液』が、ここに2人も居るとはね」
黄金の血液―――世界中で数十例しか発見されていない、超希少な血液だ。
「母上に、勇者様が?」
「ライカに当時の診断書を見せてもらったわ。まさか、その自殺癖は母親譲りだったのね?」
「……」
公にされてはいないが、シルビアは、鬱病を発症していた。
国の為、民の為に粉骨砕身で王政復古と民主化を主導した代償だろう。
国家と国民を背負うには、相当のプレッシャーがある。
並大抵の精神力では、耐え切れないだろう。
「……確認ですが、それは―――」
「国家機密でしょ? 貴女を治療する為に、家族の既往歴を調べるのは、医者として当たり前の事よ。悪用はしないし、第一、死者を冒涜する様な真似はしない」
「有難う御座います」
ほっと、オリビアは、胸を撫で下ろす。
国母として親しまれているシルビアが、病人であれば、そのイメージは低下しかねない。
国民は、元気なシルビアを理想としているのだ。
彼女の伝記にも、その事は一切、書かれていない。
尤も、持病は個人情報保護の観点から、公にするのは倫理的に不味いだろう。
「喜びなさい。貴女の中には煉が入っているのよ? 夢だったでしょう? 一つになるのは」
言い方がちょっと下ネタっぽいが、いわんとしている事は分かる。
「……私は、生きる意味を見失いました」
「煉?」
「はい……」
しゅんと項垂れるオリビア。
飼い主に叱られた子犬の如く。
皐月は、考える。
(デートを約束したのに自殺未遂をするのは、矛盾ね。相当、重症の様だわ)
自殺未遂の契機は、煉と司が初夜を迎えた為だろう。
それで、もう「自分の物にはならない」と踏み、楽しみにしていたデートが如何でも良くなった。
生きる意味を見失ったオリビアは、今後も、自殺未遂を繰り返しかねない。
いつかは、未遂が未遂で無くなり、本当にあの世に行くかもしれない。
だったら、医者として治療しなければならないだろう。
自殺未遂をした相手を責める事は、皐月の中では無かった。
あるのは、治療法だけだ。
「あのね。これは、提案なんだけど、そんなに煉が好きならもういっその事、思う存分甘えちゃえば?」
「え……? でも、勇者様は御婚約を―――」
「本妻は司だけど、本妻を彼女に譲るならば、婚約を認めてあげても良いわ。どうせ、もうすぐ複婚制が合法化する事なんだし」
「……良いんですか?」
「良いわよ。それが、貴女の1番の治療なんだから」
皐月は、これ迄の枠に拘らない医者だ。
アニマルセラピーが、アメリカの刑務所で導入されていると知れば、直ぐに、法務省を動かし、全国の刑務所に保護犬や保護猫を送った。
殺処分を0にし、更には、累犯者も減らす事も出来、社会に貢献した為、園遊会にも招待された事もある。
「司の方は、私から説得しとくわ。その馬鹿には、貴女が、説得しなさい」
「……有難う御座います」
両想いになれた訳ではない。
然し、やっぱり、煉が傍に居ると、オリビアの心は安心する。
横恋慕は、誰も幸せにならない悪行だ。
それでも、その自覚があってもオリビアは、煉の事を好いてしまう。
シルビアの遺伝なのだろう。
自殺癖も、この重たい想いも。
「じゃあ、そういう事で」
皐月は、さっさと出て行く。
治療は終わった、と言わんばかりに。
「……」
オリビアは、管が繋がったまま、煉の顔を覗き込む。
その唇は、微かに動いていた。
「シル……ビア」
と。
「……」
今の煉は、前世のジョー・ブラッドリーなのかもしれない。
輪廻転生しても想われる母親が、非常に妬ましく羨ましい。
だけども、この世に彼女は、居ない。
煉の目元から涙が零れ落ちる。
今思えば、彼の口から、明確にシルビアの悪口を聞いた事が無い。
敬意を払って、の事かもしれないが、それでも、人間だ。
勝手に想われて迷惑だった可能性は十分ある。
にも関わらず、悪口が無かったのが、それなりに好意があったと言え様。
「勇者様」
寝台に乗り込み、煉を膝枕。
すると、泣き顔は一転、笑顔に。
成程、とオリビアは思った。
夢の中で煉は、シルビアと再会しているのだ、と。
ブラッドリーは、女性に膝枕されると、嬉しがっていた、という。
シルビアにもそうしたのかは、分からないが、勅令を理由にしていたかもしれない。
「……お慕い申し上げています」
何度目かの告白の後、オリビアは、自身の唇を煉のそれにそっと重ねる。
涙の味がした事は言うまでもない。
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