表舞台に立つ覚悟
荒川 麻衣
第1話 同じ苦しみを味わって欲しい
ツイッターで書くと誹謗中傷に遭うので、ここに書いておく。
表舞台に立つなら、誹謗中傷に耐えろ、と言う馬鹿者がたまにいるが、
それならば私と同じ苦しみを味わって欲しい。
舞台稽古に来ているだけなのに、
「ファンと付き合ってるの?
あいつ、あんたと付き合ってる噂、
全校中と他校にまでバラしているよ」って言われて、
何度も何度も否定しても全員信じてくれなくて、ほとんどの人が噂を信じてさぁ、毎日のようにさぁ噂が本当かどうか聞いてくるんだよあいつら。
14歳から死ぬまでずっと私を同じことを言われ続けるんだぞ。
付き合ってもいない男の子と付き合っていたって言う事実が彼の中では真実だからさぁ。
付き合ってなくても、アイドルと言うのは偶像だから、好き勝手に作り上げた私とは全然違う人間の話を飽きるまで一部の人は続ける。
ファンの男の子よりも、その噂を信じた人間の方が私は許せないし、そいつらがどういう人間かどうか覚えているので、多分私今のところは、高校の同窓会も中学の同窓会も行かないと思う。
多分実際に行ったら、今の状態だとかなり恨みを抱いているから、めちゃくちゃに殺しかねない。
あれから17年経って、表舞台に出るのもやめて、出来る限りおもちゃで過ごしてきたけれども、もうそれは嫌だなぁって思い始めた。
芸能人のファンであるっていうのがほんとにうんざりしてきた。
たとえ下手でも、いくら過去の栄光であっても、どんなに傷つくことがあったとしても、まるでこのコロナ禍で演技をする事は罰ゲームみたいになってるけれど。
それでも私は、照明の眩しさを忘れられないし、袖口の緊張感が1番好きだし、楽屋にいる時のわちゃわちゃする感じ。
本場前に地に足がついていなくて、まるで異世界に飛んだような気分になるあの感じ。
憧れのあの人と同じ空間にいるって言うあの感じ。
どうしても私は、推しが感じている苦しみと悲しみと楽しみと。そして、次からはまともなファンだけを増やしたい。
SNSのある時代に比べると、SNSのない時代、有名になる手段が限られていた時代は地獄だったと私は断言したい。
毎日のように自殺を考えていたし、たったひとつの自分の行動で、舞台が飛ぶかもしれないと言う緊張感。
子供だから仕方ないと言う言い訳は通用しない世界。
わかっているよ稼いでないノーギャラの無名の女が何言ったって無駄。
でも私は頭がおかしいから、気が狂ってるから。
世の中には舞台でなくても平気でいられる人人間がいて、演技をしなくてもお芝居をしなくても生きていける人間がこの世の中にいるっていうのは信じられない。
私にはほんとに何もないけれども。
演技だってド下手だし、決してかわいいわけでもない。体型にも恵まれていない。綺麗さとか美しさとか可愛さとかそういった面では本当に恵まれていない。
スタイリストさんもメイクさんもいないからこちらは自腹である。
セルフプロデュースするしかない時代。
YouTubeとかInstagramとかそういうところにいる有名人と私は変わらない。
リアリティー番組とする人と私は変わらない。
要するに気を抜けば矢が飛んでくる人間で、マネージャーがいるわけじゃないから守ってくれる人はいない。
見た目おとなしそうで眼鏡をかけていろんなこと言うのは、若い認めてあるだけで、
「話を聞いてほしい、従順であって欲しい、若い女の子なんだから、可愛げがあって欲しい」
そういった幻想を、私はぶち壊す。
私の中には獣がいて、気を抜くと、人を殺しそうになるし人を殴りそうになるし、人を切りたくもなるし、日本刀があればその場で全員を切り殺したくなる位、精神的に青良い状態になることがある。私の中には獣がいて、気を抜くと、人を殺しそうになるし人を殴りそうになるし、人を切りたくもなるし、日本刀があればその場で全員を切り殺したくなる位、精神的にあやうい状態になることがある。
バーチャルの世界で発散できることを私は人間ができていない。
想像の中で誰かを殺すことで、例えばハンニバルといった残虐な物語見ることで、どうにか自分の狂気を押さえ込んでいるだけで、いつ私が殺人犯になるか、殺人衝動に抑えきれなくて、
明日になったら犯罪者として報道されているかもしれない。
明日になったら過労で死んでいるかもしれない。
明日になったらもしかしたらフット自殺願望が頭によぎって、風呂の中で死んでいるかもしれない。
このウィズコロナの時代で、誰もが精神を病むのが当たり前で、目の前でどんどん死体が積み上がっていくと言うのに、どうして1部の人間は、目の前の死体に気づかないだろうか。
自分たちの地位は死体によって築き上げられたものであって、この見た目が平穏に見える世界は、太平洋戦争で、日露戦争で、受験戦争で、学生運動、戦国時代、明治維新、そういった戦争の時代を得て築き上げられたものである。
われわれは無数の死体の上に立っているのだ。
そういったことに無自覚な人間ほど、平気で人を傷つけるし、目の前で人が死んでいても平気なんだろう。
実際そういう人間を見たことがある。
私は幼い頃に大切な人を自殺でなくした。
若い頃に人体実験に協力したことを、平和の穏やかな時代になってから思い出したらしい。平成の話だ。
1940年頃に、北海道帝国大学で人体実験が行われていたらしい。
父方は医学関係であり、そういった話はゴロゴロ聞いている。
私の父方の親戚は、人体実験の関係者だった可能性が高い。
孫の私はその罪を背負って生きている。
思い出した時は気が狂いそうだった。
世の中にはおそらくナチスドイツの関係者の孫とかいっぱいいるんだろうな。
親や祖父母の罪を、知らないで無自覚にのほほんと生きている人間がほんとにうらやましいよ。
こういった重罪人でも生きていられるんだから、
ある意味日本と言う国はいい国なんだと思う。
人殺しに協力する書類にサインをして、それで給料が貰えるんだからな。
私はそれに耐えられなかった。
業務命令で人を殺しに加担することが1番の仕事であり、日本国憲法に沿って人を助けようとすれば、目の前で笑い事にされるんだよ。
気違いだって言われるし、さとされるし、生活保護の不正受給を最近では減っているなんて言ったら頭おかしいって言われるのがオチだよ。
貧困を是正するために、少しでも良い世の中にするために、市民のために何かをするために役人になったと言うのに。
要するに私は、これからも明日からも、人殺しに加担する仕事につくんだろうなって思うと、まるでこれは、強制収容所の管理人と同じだな、と思って笑えない仕事だなぁって思う。
水道関係は厚生労働省の管轄だけれども、やっている事は、人の命を捨てることだと思っている。
はっきりって昔の人間に比べれば、これでもまともな方になったと言うべきなのだろうか。
でもさぁ。江戸時代より昭和時代の水道の方が質が悪いんだよ。
正確には水道管の質か。
この国は本当に頭がおかしいよ。
昔は良かったって言う時になんで昭和なんだ?
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言う。
愚者たちの知っている昭和は、ユートピアでしかない。
昭和でも豊かな生活を享受していたのは1部の人間だけだ。
身体障害者、性的少数者、マイノリティ、外国人、女性、黒人、アジア人、白人も含めるだろう。
世の中は確実に良くなっていて、昭和の時代は素晴らしいと言うのは全員がくそくらえだ。
相場に近い時代からずっと芸能界にいるけど、今ほど過ごしやすい時代はない。
それは断言できる。
だから絶対、この文章を見ている芸能人の方、奇特な方がいたら伝えておく。
必ず絶対生きて、生き抜いて、この先これから先ずっと芸能界でお互い生き残ろうな。
生きてさえいれば、花が咲くことがあり得るだろうから。
表舞台に立つ覚悟 荒川 麻衣 @arakawamai
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