第2話 後輩にお勉強を教えることになった件

「んで、どうしてお前は家にまで着いてこようとしてるんだ?」


 大学帰りの夕方になった。

 下宿先に帰り行く俺の後ろをついてくるのはセナだ。

 ぴょこぴょこと足取りも軽い。本当に小動物みたいだ。

 セナは「ふふん」と得意げに言う。


「ふふふ。先パイは放っておくとカップ麺しか食べられないっスからね。カガリは非常に料理が出来るので、是非とも和紀先パイに振る舞って差し上げようと!」


「そーかそーかそりゃ嬉しいな。で、魂胆は?」


「今度の前期試験、あと2つ落単で留年っス。先パイ、今期も勉強教えて欲しいっス……。去年、基礎教育科目落としまくっちゃって後がないんスよ……」


 花が枯れるように先ほどまであった笑顔もしゅんっと一瞬で枯れてしまった。

 まぁ確かに前期で留年が確定するってなると笑い事じゃないもんな。

 

 音楽に特化した大学とはいえ、一般教養科目も無碍にはできない。

 セナは音楽系の成績で言えばピカイチ。だが一般教養は壊滅的というある種典型的なパターン。


 俺と真逆のタイプだ。


 というか去年の後期もセナに勉強を教えてはいたが、まさか2期続けて面倒を見るとは思わなかった。

 とはいえセナももはや大学での妹のような存在だ。留年されても寝覚めは悪い。

 ここはセナの言うギブアンドテイクに乗ってやるしかないだろう。


 スーパーで適当に買い出しをすませた俺たちは、築四十年のボロアパートの前へと来た。

 エレベーターがない。急な階段がある。数年前にようやくオートロックが導入された。最近入居者が激減してしまい、そろそろ取り壊しが囁かれ始めた。

 俺の住むアパート『ミアカーサ』を紹介するとしたらこんなところだろう。

 

「階段気ぃ付けろよ」


「ホンット、毎回思うっスけどこのアパート、THE・アパートって感じっスよね……! よっと……!」


「実家からの金も宛てには出来ないからな。安く出来る所は安くするに越したことはないんだよ」


 セナはオブラートに包んでくれたが、言ってしまえばボロアパートである。

 親からの仕送りも期待できない以上、自分でバイトして稼げる範囲内のアパートがここだったのだ。


「最近じゃ空き部屋も増えてきて大家さんもそろそろ取り壊し考え始めたらしいから、卒業まで待ってくれるといいんだけどな」


「なんならウチのマンションに来てくれてもいいっスよ? 部屋は空けとくんで」


「お前んちもお前んちだな!?」


 そんなくだらない、いつもの会話を繰り広げる最中だった。

 俺に買い物荷物を全て持たせて、まるで自分の家かのように俺のポケットから施錠キーを抜き取ったセナの動きが止まった。


 ぺこりとセナがよそ行きの御辞儀をする。


「どもっス」


 相手は――。


「……? ……?」


 どうやら女性のようだ。

 しきりに首を傾げている。

 深々と被った紺色のニット帽に大きく黒いサングラス、そして小さな顔を大きく覆った白マスク。

 ゴリゴリに怪しい。さっき下に引っ越し業者がいたな。

 入居者だろうか。まぁ隣人と言える隣人もほとんどいなかったから物珍しいくらいか。


「お隣さんっスかね。先パイ、先入ってるっス!」


「おま、ちょっとは買い物袋をだなぁ……」


 両手に4つの袋を持った俺を何とも思わんのかこいつは……っ!


「……? ……!?」


 階段を登りきった先で俺と女性は目線を合わせる。

 が、相手の挙動が明らかにおかしい。


「どもっす。セナ、これ冷蔵庫」


「ほいほい」


「こっちリビング」


「ほいほい」


 バケツリレーのように手渡ししていくその様子を、女性はじっと眺めていた。

 わなわなと足が震えていた。まるで生まれたての子鹿のようだ。


「……か」


女性はマスク越しにでも分かる震え声で呟いた。


「かかか、かのじょ、さん……かの、かかの…………じょ、そうですね、あはは、そうですよね……! し、しつれいしまじゅ!」


「いや、彼女では――」


 バタンッと勢いよく扉を閉めてお隣部屋に入っていくその女性。


「……ないです」


 俺がふと呟いたその言葉は虚空に消えていった。


 ――にしても。


 どこかで聞いたことのあるような、ないような……?

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